第三話:カコカラノ、コエ
【??】
「聯(レン)・・・おい、聯・・・・。起きろ。」
重い瞼の向こうで、懐かしい、声。
ジャッと固い音は、おそらく無造作にカーテンを開ける音。瞬間、瞼が赤く焼ける。きっと窓から差し込む日差しが強いのだ。生理的に瞼を開けたくなり、けれど、堪える。
「珍しいな。お前が午睡なんて。頼んでたアレ、手に入ったか?」
アレ・・・。アレってなんだ。
「なんだ、ちゃんと買ってあるじゃないか。」
ガサゴソと、紙袋を漁る音。ああ、なんだ。喉対策の野菜のことか。一部の野菜はタネの品質が劣化して、高騰してるからなぁ。手に入りにくくて困る。
「おい。どうした?具合でも悪いのか?」
目を、開けたくないんだ。
「おい・・・?」
近づく足音。程なく、カウチがすぐ側で軋み、安いスプリングがそちらへ沈み込むのを背中で感じる。骨張って、大きな手が、手慣れた様子で俺の前髪を掻き上げる。髪を弄んでから、柔らかな仕草で、そっと額を掌が覆う。
ああ。そうだった。
「もう少しだけ。」
寝起きで掠れた声が、頼りなく自分の喉から漏れる。
「ほんの・・・。少しだけ。」
じわりと、堪え損ねた涙が、瞑ったままの目尻から、頬へ、耳へ、細く伝う。
目を、開けたく、ないんだ。
いつまでも、声を聞いていたいんだ。
だって・・・。目を開けたら・・・。
「ボス。・・・ボス?」
はっと我に返って、隣に立つカイトを見やる。
・・・白昼夢?疲労だろうか。
「どうされたんです?」
怪訝に寄せられた眉。表情までも、なるほど、アレにそっくりだ。
キラリと、理知的な光を放つ、銀色のフレームをどければ、見分けなどつかないだろう。
「ボス・・・?」
藍色の瞳に、じぃ、と、覗き込まれる。
・・・いや違う。
俺は、見分ける。俺は、見分けられてしまう。
だから、駄目なんだ。
せっかく、合法的に、造れるようになったのに。
せっかく、合法的に、歌わせられるように、なったのに。
いったい、いつになったら・・・。
じっと俺を見つめる、藍色の瞳は、色だけじゃない。どこか、アレとは異なっている。あるいは、俺は、違いを探すのに、躍起になっているのだろうか。
『聯(レン)と・・・。』
その瞳に吸い込まれるようにして、何事か、俺の唇が、言いかけてようとして、再び何事もなかったかのように、結ばれる。
何を馬鹿なことを。下がってもいない、薄く色づいたサングラスを指先でズリ上げて、俺は自分の苦笑をそっと見送る。
『ねえ。いつになったら、僕は兄さんに会える?』
聞き慣れた少年の声が、どこか自分の奥底から聞こえた気がして、俺は、内心でぞっと身震いした。
その声に、内言で応える。
『まだ、遠い。』
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【LEN-CPN.2508】
「で、今日の治療が済んだら、質問に応えてくれるんだったよな?」
いつもながら、俺の歩幅なんか気にする様子も無いカイトの隣を、必死について歩きながら、俺が問うと、カイトは、
「ああ。ブリーフィングルームを使う。」
言いながら、エレベータに先に乗り込む。いつものように、くるりと向きを変え、壁に寄りかかるようにして両腕を組むのを目の端に収めながら、俺はコントロールパネルの前に移動する。
えーと、ブリーフィングルームは・・・。
「フロア80番だ。」
はいはい、的確な指示をどーも!内心で舌を出しながら指示に従う。手首のコピーナンバーをスキャンしてから、80番を入力し、移動する。
フロア80番は、他のロイド居住フロアとは異なり、全ての部屋がガラス張りになっている。幾人かのロイドが打合せをしている様子を眺めながら、奥へと進む。一部の部屋は、磨りガラス状になっており、中が見えない。おそらく、会議内容が機密かなにかで、ガラスをスモークにするよう、中から操作しているのだろう。先を歩くカイトは、白衣の裾をヒラヒラさせながら、やや小さめのブリーフィングルームを選び、ドアの脇に付けられたパネルに慣れた様子で手首のコードをスキャンして、中に入る。同じように、俺もスキャンしてから中に入った。
部屋は、白い床に、白とスチール色を基調としたミーティングテーブルと8脚の椅子、55インチのモニタが備え付けられていた。カイトは真ん中辺りの席を選び、廊下側に背を向けて、腰を落ち着けると、
「それで?質問は?」
と聞いた。俺も、向いの席に座る。
「質問は一つだけか?」
上目使いに尋ねると、カイトは、ふ、と口の形を俺に対しては珍しすぎる微笑にしてみせてから、
「『ああ』。これで一つの質問に答え終わったな。お開きにしようか?」
等という。
「ただし、質問の条件を確認する質問は質問に含まないこととする。これでいいでしょーか。」
人差し指を立て、棒読みで返してシカトし、進めようとすると、カイトは少し身体を斜めに向け、ゆっくりと足を組んでから、
「条件の後付けはルール違反だ。だが、構わない。時間を決めて対応しよう。1時間だ。」
といった。俺は内心で1時間?随分太っ腹だな、今までは一秒も指導に当てなかったくせに?とは訝しみながらも、体内時計を意識しながら、
「分かった。」
とカイトの気が変わらぬうちにと、間を置かずに答える。
白い机を挟んでカイトと対峙するのは、なんだか視線が慣れない。酷く変な風景だ。滅多にない、思いの外貴重な時間だぞ、『集中しろ』と自分を戒めつつ、せっかくの1時間、涼子さんとの面談直後というタイミングを活かして、身近なところから聞いた。
「俺と、カイトで、涼子さんの呼び方が違うことって、意図があるのか?」
俺としては、とっつきのいい質問のつもりだったが、カイトは片眉を跳ね上げ、顔の角度はそのままに、瞳だけをこちらに向けた。今日は存外、表情が変わる日だ。
「そんなことが聞きたかったのか?」
トン、とカイトの骨張って長い指が、白い机を叩く。そんなこと?
「ああ。少なくとも、研修では全く意識させられなかったことだからな。」
怯むな、落ち着け、と俺はカイトの瞳から視線を逸らさずに言う。どんな細かな反応も、見逃す訳にはいかなかった。視線を合わせたまま、カイトは少しだけ瞼を下ろす。見透かされるような印象に、俺は表情を変えないように細心の注意を払う。
「別にミナライが何を疑問に思ってもいいだろ?そんなに勿体振るようなことなのかよ。」
「・・・・。いや?そんなことはない。ただ、答えが分からないだけだ。」
「はぁ??」
今、なんつった??
「分からない。ただ、なんとなく・・・。僕はそうしてる。それだけだ。」
「おいおい、はぐらかしてるつもりか?『なんとなく』なんてこと、ある訳ないだろ?」
俺達はロイドだぜ?と皆までは言わず、俺は、こんな風に質問に答えるという態度を取った後に、無理やりはぐらかすなんてことに、合理的な意図が想定できるか必死に考える。
「・・・、何故・・・なんだろうな。」
考えている間にも、内省モードに入ったかのような伏し目がちにした焦点の合わない瞳になるカイトを見やり、慌てて言葉を継ぐ。
「『分からない』なんてありえないとは思うが、とりあえず質問を変える。」
内省モードになんて入られたらたまったもんじゃない。ただでさえ、気もそぞろってやつだろーに。
「俺は、さっきも言ったけど、アンタの治療記録を見た。ほとんど全部。アンタのマスターはリピート(再発)してる人が一人も居ないよな?アンタは、他のロイドの治療と自分の治療、何が違うと思う?」
パチ、パチ、と音がしそうなほどに態とらしく、カイトの深い色の瞳が開閉し、
「まさか、それを知ることによって、リピートを減らしたい、と?」
言い終わりに、フフ、と伏し目がちにして、笑い声を漏らした。
「おかしいか?俺達はボーカロイド。ヒトを癒すマシン。・・・だろ?」
やや突き放して言う。俺にとっては、このコマンドは、二の次だ。けれども、本来ボーカロイドにとっちゃ、第一の使命なはずの、ソレ。
カイトは、またも珍しく、あからさまに顔を顰めた。
「本当に・・・そうだと思うか。」
普段より更に少し低い声音で、絞り出すようにカイトは言った。まるで自らの存在意義を疑うようなそれに、俺は驚きを通り越して、呆然とした。
「本当に・・・そうなら。」
カイトは、まるで俺の存在を忘れたように、俺を突き抜けた、どこか虚空を睨む。
「本当に、そうなら・・・。」
繰り返されるそれに、俺はほとんど意識せずに先を促す。
「・・・そうなら?」
「・・・もっと、僕たちは治す。だが、現実はそうじゃない。」
虚空を睨んだまま、感情の読めない空虚な様子で、カイトは静かに言い、口を閉じた。
核心に突然触れられて、俺は心臓が飛び出そうになる。
『バベルはもっと、治っていいはずだ。だが、そうはならない。』
それは何故か。それが、俺が知るべき、もっとも重要な・・・。
「何故・・・?」
そのままを、聞いてしまう。
「何故?自分の定義を疑うつもりか?ミナライ・・・?」
はぐらかすような口調。カイトの纏っていた空虚な様子は霧散して、俺を試すような瞳で見つめる。この瞬間。カイトの眼鏡が、表情を隠すように思えて、酷く邪魔だった。
・・・違う。
「おかしなことを言わないでくれ。最初に定義に『本当にそうだと思うか?』なんてケチを付けたのは、アンタだろ。俺は続きを聞いただけだ。」
ふ、とカイトはまた瞳を伏せて笑った。まるで突然寒さを感じたように、自分の身を抱くようにする。
「僕は、お前が思うより、ずっと『壊れて』いるということだ。ただそれだけ・・・。リピートが少ないのも偶然に過ぎない。あるいは・・・この、『壊れ』具合が、意外と『イイ』のかもしれないな。」
独り言のように続く。
「そう・・・。もうボスだって、僕の思考回路を、本当には、把握していないのかもしれない。」
俯き加減でいるせいか、カイトの口元は、微妙に笑んでいるように見える。ただ、声音はとても悲しい歌を歌う時のようで・・・それで。俺は、何かを言うべきだと思った。何か・・・けれど、初めてのマスターの発話に立ち尽くすカイトの映像を見たときのように、俺はかける言葉が見当たらないのを、ただ、もどかしく思うだけ・・・。
いや、そうじゃない。俺がやるべきことは、このどこかへふらりと消え入ってしまいそうな男を慰めることじゃないはずだ。
そう・・・。芽生えた感情に、何か思考が暗く覆い被さってくるような感覚がした。俺に、思考停止機能はないのに・・・。
そんな逡巡があって、問いかけるのが遅れた。
「『バベルを、俺たちはもっと治せるはずだ。だが、現実はそうはなっていない。』そう言ったよな?何故だと思うか、俺はまだ、質問の答えを聞いていない。」
固い声は、まるで尋問でもするようで。いや、似たようなものなのかもしれない。俺は目的のためにはきっと手段を選ばない。きっと・・・?いや、確実に。
俺はどんな瞳でカイトを見ているのだろう?カイトは、付しがちにしていた顔をするり、と俺に相対するように戻し、それから、ぎょっとしたように、両目を見開いた。
「質問に答えると言ったのは、カイトだろ?」
緊迫した空気を紛らわせるように、俺は肩を竦める。内心で続くのは、答えろよ、カイトオリジナル・・・という、暗いもの。まるで自分の性格がタイプ5からタイプ1に転向しちまったみたいだ。
「そうしていると、まるでナイトと見分けがつかない。」
はぐらかすなよ、と歯を剥き出して言い募ろうとするのを、カイトが右手を小さく上げて制する。
「何故か?だって??僕はそれを考えない。思考停止プログラムの成果か、それとも僕のキャラクターとしての怠惰か・・・。それは分からない。とにかく、そこから先は考えない。」
俺は不満気な顔をしているはずだ、確実に。だが、それを言われては、その先は聞けない。聞いても意味がない。黙り込む俺に、カイトは俺の表情を捉えながら、淡白に続けた。
「ただ・・・。分かるのは、バベルは僕たちが治療したところで、一向に減らないということだ。僕たちは、対処療法を繰り返す。定義は何だ?ミナライ。『ヒトを癒す』・・・。『ヒトを治す』じゃない。」
「何を言ってるんだ?『癒す』と『治す』がどう違うと?」
確実に混乱している。俺が?それともカイトが??
「『癒す』と言うのは、例えば白い布だ。傷を手当てする。傷はやがて自然と癒える。白布は外気に触れぬよう、傷を守って・・・その自然治癒を手伝うだけ。」
カイトが、俺を見つめたまま、微笑んだせいで、俺はますます混乱に落ちた。辛うじて、俺は対話を続けていたが、それに大した意味があるとは思えなかった。
「じゃあ、『治す』、は?」
「『治す』・・・というのは・・・。何だろうな。おそらく、そのヒトの足りない一部になることじゃないのか。」
「足りない一部?」
「声が足りないなら、声に。腕が足りないなら、腕に。」
「それで、共に、生きる・・・?」
混乱しながら紡いでいた俺の意味の無い言葉に、けれど、カイトは、ハッとしたように彷徨っていた視線を再び俺に据えた。
それで、俺は、突然、理解できた。
「俺たちは、マスターとは、共に生きられない。」
内言が、そのまま、口から出てしまったというような、聞き取りにくい独り言は、けれど、カイトの耳に届いたらしい。
「そうだな。」
カイトはきっと理解していない。俺が、たった今理解したことを。
初めてのマスターに対する、カイトの態度。涼子さんに対するカイトの態度。マスターが変わる毎に、切なく、優しくなるカイトの表情。
全て・・・。
「アンタは、『白布』以外の何かになりたいの?」
自然と口から出た素朴な問いに、カイトは傷ついたように一瞬顔を顰めてから、すぐに無表情を取り戻して答えた。
「さあな。それも考えたことがないし、考えるつもりもない。」
「アンタの思考停止プログラムは完璧だ。少なくとも、そこは壊れちゃいない。」
いつもの調子を取り戻して、俺は言う。混乱から逃れでたような気がする。全ての情報を整然と整理するにはまだ時間がかかるにしても、インプットは俺にとっては、もう十分な気がした。
俺の表情から何かを読み取ったのか、カイトは徐に席を立った。
「まともなやりとりがあったようには思わないが。気は済んだみたいだな・・・。」
イヤミを受け流して、俺は、ニッと笑った。
「ああ、多分。」
それで、席を立って、ふと礼を言っていないことに気づく。
「ご指導、有り難うございました。エキスパート殿。」
ハ、とカイトは笑って返す。
「どういたしまして。アプレンティス殿。だが、僕がタダでこんなサービスをすると思うか?」
白いテーブルに片手を付いたまま、前髪越しに俺を見やるカイトに、ゾク、と俺は背筋に悪寒が走るのを自覚する。
「どういう意味だ?」
努めて表情を変えず、なんとか問う。
「さあな。お前に心当たりが無いのなら、意味等ないさ、安心しろ。」
カイトは、ニッコリと綺麗に笑ってみせたが、それは全く笑顔には見えなかった。
終。