第四話:キミトイウ、ジショウ
【KAITO-CPN.0000】
眼下に広がるのは、全面ガラス張りの向こうで造られる、7体の新たなボーカロイド。培養液カプセルに収まる、僕らと同じ、誰かだかのクローン。もう身体は出来上がっていて、今は知識データの注入中だ。
カイトモデルは、何番になるのだろう。バーコードさえなければ、彼は僕と指紋も声紋も同じ。僕はレンオリジナル・・・ナイトのように、コピー品の存在にそれほど不快感を覚えない。感じるのは、ただ、単純な違和感。僕と同じカタチの、異なる存在。
「例の件ですが、思いがけないほど、近くにいるかも知れませんよ。」
何げなくその様子を眺めつつ、僕が言うと、同じようにそれを眺めるボスは、らしくもなく素朴に、
「何が?」
と聞いた。ちょっと驚いて、視線を動かさないまま、僅かに目を開いてから、
「お探しのものです。」
答えると、
「もう目星が付いたのか。早かったな。」
苦く笑う声音。僕は緩く自分の身を抱いた。
「ナイトが、協力してくれたので。」
「ほぉ?最近は、お前らオリジナル同士で、妙に仲が良いんだな。」
僕らの肉体関係に、ボスが気づいている可能性だってある。僕には知る由もないし、興味もないが。
「まあ、付き合いが長いですから。」
無感情に言うと、
「まあ、そうだな。」
同じく淡泊な声が応える。
「どうします?」
「は、ハハッ!決まっているだろう。排除するんだ。」
渇いた笑い声に、僕はなんとなく、苦い想いが過るのを、どこか他人事のように感じた。
「どのように?という意味ですが。」
眼鏡を緩く上げる。ボスは、こちらに身体ごと振り返って、それから、試すように言った。
「確かめてみろ。お前に方法は任せる。確実に、ソイツがネズミだったなら・・・。」
ボスは、一度そこで口を閉じ、それから、口の端を上げた。何故か、それは苦しげな表情に見える。
「後は、俺が処理する。」
自分で産み出したモノを、その手で処理することは、彼にとって苦痛なのだろうか。もう、数えられない程のコピー品を、彼はその手で始末しているのに違いないのに・・・?
造物主の気持ちなど、僕に推定できるはずもないのに、何故、僕はこんなことを考えるのだろう・・・。
「分かりました。ただ・・・。」
僕は漫然と、彼の色の付いた眼鏡の上から覗く、ブラウンの瞳を見返す。この瞳は、よく見知っている誰かに似ている・・・そう思いながら、続けた。
「候補者は、僕の今のアプレンティスなんです。マスターの治療に目処が付くまでは、待って欲しいのですが。」
「レン2508か。レンモデルとはな。なんの因果なのか・・・。」
ボスは、意味の分からないことを独り言のように呟いた。
「・・・?因果・・・?」
繰り返すが、ボスは、視線を出来上がりつつある新作のボーカロイドに戻して、左手を大きく振って言った。
「お前の気にする事じゃない。忘れてくれ。待っても良い。ただ、向こうにも向こうのタイムスケジュールというのがあるだろう。取り逃がすなよ。」
事務的な口調は、かえって僕に彼の哀しみを感じさせる。ボスは、僕のマスターじゃない。あるいは、クライアント以外のヒトとは、僕らはほとんど接触を持たないが、ヒトというヒトの感情に、僕らは同調するように造られているのだろうか。
「ボス。僕らは、ヒトというヒトの感情に、同調するような機能を持っていますか?」
聞いても仕方の無いことを聞いている。彼が、それを答えたとして、それが真実かどうかなんて、僕には分かるはずも無いのに。ボスは、片眉を上げて、瞳だけでこちらをもう一度見やった。
「いや?何故だ?」
「いえ。まるでマスターの気持ちを推定するように、気がつくと、ボスの気持ちを推定しようとする思考が走るんです。そんなことをしても、意味等無いと、分かっているのに。」
ボスは、少し目を見張って、それから、眼鏡のブリッジを持ち上げ、クッ、と喉の奥で笑い声のような音を漏らした。
「ノイズのようで鬱陶しいか?」
問われて、答えに窮する。ノイズ・・・?そうか、ノイズなのかもしれない。考えても仕方の無い事を、何故考えなければいけないのか、という。
「・・・そうかもしれません。」
「ヒトは、そういったノイズだらけで、まともに思考を維持できない。お前らも、その名残を味わっている、それだけだろう。」
今度は僕が目を見開く番だった。それではまるで・・・。
「まるで、僕らがかつて、ヒトだったかのように言うんですね?」
ボスは、ビク、と身を一度固めた。それから、クックッ、と喉で笑い、やがて堪えきれなかったというように声を出して笑った。
「ハッハッハッ!傑作だな。それは俺の願望だ。カイト。もういい。お前の報告内容には満足した。戻っていいぞ。お前の大好きな、治療に専念しろ。」
ボスは笑いながら僕に、ヒラヒラと手を振り、追いやるような仕草をする。
『俺の願望』・・・?ますます分からない。
けれども、その内容を理解するより、確かに僕にとってはマスターの治療の方がよほど大事な案件には違いなかった。
「それでは、お言葉に甘えて。」
白衣を翻し、センタールーム(集中製造室)を後にする。
ボスは、誰かに似ている。それはもう、随分前から気づいていたことで。けれども、それが僕にとって、重要なことだとは思えない。だから、僕はいつも、気づいて、気づいたことに、目を瞑ることを繰り返す。
『アンタの思考停止プログラムは完璧だ。少なくとも、そこは壊れちゃいない。』
そうなのかもしれない。
一事が万事、この調子で日々を繰り返し、多分、僕は廃棄の時を迎えるのだろう。なんとなく、そう思って・・・。アイツは、多分、違う・・・とミナライを少し思った。
----
【LEN-CPN.2508】
『どういたしまして。アプレンティス殿。だが、僕がタダでこんなサービスをすると思うか?』
前髪から覗く、深い藍色の瞳。
俺を追い詰めて、問い正しているのに、何故か、目が離せない。それを、繰り返し思い返すのを、やめられない。
『さあな。お前に心当たりが無いのなら、意味等ないさ、安心しろ。』
心当たりなら、ある。俺の使命は、『ヒトを癒す』だけじゃない。これは俺にとっちゃ二の次で、第一に『バベルの根治方法を見つけること』、そして次点が、『ボーカロイドのサンプルを時間内に出来る限り収集すること』。根治の実績で言えば、モト・・・カイトオリジナルが圧倒的な実績を誇っている。だから、カイトのアプレンティスに選ばれた事は、この上ない幸運のはずだ。でも、カイトオリジナルとメイコオリジナルは、起動実績から言っても、間違いなくボスとの距離が最も近い。分かっちゃいたが・・・。
疑われているのだろうか。俺の出所がどこだかなんて、まだ分かっちゃいないだろうが、もしかしたら、俺がセンター内の異分子だということは、かなり確証が高まっているのかもしれない。ボスやカイトに、現時点で俺という個体が睨まれているのだとしたら、もう残された時間は少ない。
まだ、根治の手がかりをやっと掴みかかったとこだっつーのに・・・。
頭を掻きむしって、俺は寝返りを打つ。
『・・・もっと、僕たちは治す。だが、現実はそうじゃない。』
バベル医療技術センターなんて名前の、仰々しい治療センター。その目的は、間違いなくバベルの治療にあるはずなのに、現実はそうじゃない。治療しても、治療しても、高いリピート率が下がらない限り、国家として安定する事はない。センターは、治療に手を抜いているってことだ。だが、なんのために・・・?つまり、センターの目的は、バベルの治療の他にある・・・。
バベルの側から見るからおかしいのか?バベル側から見れば、ボーカロイドによる治療方法が、現存する唯一の方法だ。だが、ボーカロイドの開発側から見れば、バベルがあることによって、開発に国からの投資が期待できる状況になった。つまり・・・、つまり、ボーカロイドの開発の方がより上位の目的・・・?だが、歌を歌うマシンの目的がより上位の目的ってどういうことだ。そんなマシンの開発が、国家レベルの危機に相当する病の治療より優先されるような動機ってなんなんだ・・・。
「だー!!分からねー!!」
両足を勢い良く持ち上げて、梃子の要領で身体を起こす。思考停止プログラムが組み込まれてないってのも、これはこれで厄介だよな・・・と俺は思わず自嘲する。延々ループしそうな思考回路。これがよりヒトに近い思考過程なんだろうか。
整理してみれば、結局、センターの目的がなんであろうと、俺にはそれほど関係ない。根治の方法さえ、カイトのやり方さえ再現できれば、センターなしでもより精度の高い治療はできるはずだ。つまり、俺の造物主である、NIT(国立技術研究所 National Institute of Technology)でも。
そうなったら、ボーカロイドはどうなるのだろう。NITによって、より治療法にあった形で、再生産されるようになるのだろうか。いや、これこそ、俺の思考の範囲外でいいはずだ。だけど・・・。
不意に、カイトはどうなるのだろう等と、余計な事が頭を過る。いや、カイトはリピート率が低いのだから、NITで最も重要なサンプルとして扱われるはずだ。重要なサンプルって、どんな扱いになるんだろうな。もう起動されることもなく、ただ治療実績をデータ解析されるだけの存在になるのだろうか。
俺は奇妙な胸のつかえを覚えて、ぎゅ、とTシャツを掴む。なんなんだろう、この感情は。
頭を振るって、思考と感情を追い出す。
『ただ・・・。分かるのは、バベルは僕たちが治療したところで、一向に減らないということだ。僕たちは、対処療法を繰り返す。定義は何だ?ミナライ。「ヒトを癒す」・・・。「ヒトを治す」じゃない。』
『「癒す」と言うのは、例えば白い布だ。傷を手当てする。傷はやがて自然と癒える。白布は外気に触れぬよう、傷を守って・・・その自然治癒を手伝うだけ。』
『「治す」・・・というのは・・・。何だろうな。おそらく、そのヒトの足りない一部になることじゃないのか。』
『声が足りないなら、声に。腕が足りないなら、腕に。』
一向に減らないバベル。
歌を歌う、白布。
『アンタは、「白布」以外の何かになりたいの?』
分かっちまった。分かっちまったよ、カイト。
根治方法には、まだ手が届かないけど。
アンタのなりたいもの。
マスターと共に生きる、歌を歌うマシン。
失った声の代わりに、話せない言葉の代わりに、発露できない感情の代わりに。
足りないものを、補って、共に生きるボーカロイド。
そんな風に、生きられればいいのに。
それでもヒトは、自然と癒える。そこに、俺らが共に生きる余地なんてない。
それでも、アンタは、白布として歌を歌える。今は未だ。
俺は、アンタから、それを取り上げようとしているのか。
胸が、痛くて、痛くて、苦しい。
初めてのマスターの発話に立ち尽くすカイトの映像を見たとき。かける言葉が見当たらなくて、苦しかった。
今は、アンタという現象を、失うのが怖くて苦しい。
深い藍色の瞳。
華奢な眼鏡の向こうにある、それを。俺は一体どうしたいんだろう。
俺に課されたコマンドを、俺はただこなすしか、しようがないのに、なんでこんなことまで考えるんだろう。
根治には、きっと、カイトのマスターへの在り方が関係している。
ヒトに、必要とされて、やがて、必要とされなくなる。
ささやかな、媒体。
涼子さんが、俺たちを必要として、やがて、必要としなくなる日。
その日のために、カイトは、あんなに優しい目をしているのかもしれない。
「どーしたんだよ、俺はタイプ5。楽観的な、知能タイプ。前向きに考えろって!」
自分に言い聞かせるように、声に出す。そうだ、俺の調査は進んでる。もう残された時間は少なくて、カイトとの治療も完遂できるか分からないけど。それでも、俺はコマンドに基づいて、前に進んでる。
何故か一向に晴れない気分を持て余して、俺はらしくもなく、深く溜め息を吐く。
涼子さんのバベル発症の原因はなんなんだろうか。考えて、ふと思いつく。
カルテ・・・。・・・カルテシステム。
価値観の多様化に世界が呼応するように、それぞれのヒトに合わせて作成される、個人の嗜好データ。生まれた時から、現時点まで、延々とそのヒトそれぞれの、買ったもの、選んだ教育プログラム、家族構成、住んだ場所、そういった人生における選択の全てを蓄積して、価値観を推定することのできるデータの塊。そのヒトの価値観に合わせて治療すれば、もっと効率が上がるんじゃないだろうか。なんで、ボーカロイドは、カルテデータに基づいた治療をしないのだろう。それは、バベルの治療を第一の目的にしていないから?
カイトはマスターの根治に貢献しているのに、カルテを参照している気配はない。カルテは根治に関係しないのだろうか。少しでもリピートを減らすことができるなら、参照する価値はあるんじゃないだろうか・・・。
やっと、らしくなってきたぞ、レン2508。
俺は思いつきを確かめるために、自室に備え付けられたクリーンアップケースから白衣を一枚ひったくって、身につけると資料室に急いだ。
----
【??】
緩やかに私に合わせられた世界で、ただ、そこだけが。
『君と、別れようと思う。』
ただ、そこだけが、私に合わせられて、設計されなかったというように。
ぼんやりと霞の向こうでする声は、誰のものだったのだろう。
『アンタ、私に似ちゃったのよ。』
疲れたように笑う母。
私、何がいけなかったの。私、どうすればよかったの。
ただ、目の前に提示される選択肢を受入れるだけで、全てが済むはずじゃなかったの?
ねえ、私、何を感じれば良かったの・・・?
終。