第二話:コントンノ、タテ
【??】
何も見えないわ。
何も感じないわ。
何も・・・。
『リョーコ。』
アタシ、そんな名前だったかしら。
『・・・ですか?』
ここが何処でも、アタシが誰でも。
本当は、もうどうでもいい。
もう疲れたの。もう、誰にも・・・。
何も感じてないわ。
何も見えてないわ。
何も考えちゃいないわ。
だから、どうか。
そっとしといて。
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【LEN-CPN.0000】
『好きだって、言ってみてくれません?』と。戯れに聞いてみたい。そう、最初に思ったのはいつだったか。
抱けば抱くほど、何処か遠くに感じる・・・などと世迷言をオレが言ったら、この人はどんな顔をするのだろう。
「・・・ッ!クッゥ・・・ンッッ!!」
荒っぽく突き上げれば、美しい曲線を描いて反らされる白い背。声が籠もって詰まるのは、唇を強く噛み締めているから。その様をみたくて、結合したままに、太ももを抱え上げ、彼の体をやや強引に反転させる。今日は、その桜色の唇に、血は滲んでいなかった。いや、これから滲むかもしれないが。
「あぁ、『まだ』ですよ。まだ、我慢できるでしょう?」
少し汗ばんで、まるで掌に吸い付いてくるような肌の感触を楽しみながら、太ももに指を這わせ、左手で長い彼の右足を抱え上げ。右手で根元をギュッと引き締める。はちきれんばかりの彼の怒張は、既に限界だ。けれど、このプライドの高い男は、オレのすげない一言に、ピクリ、と一度不機嫌そうに眉を動かしただけで。唇を一層強く噛み締め、その銀縁の眼鏡の向こうで藍色の視線を逸らす。
長い睫だな。この人に限らず、カイトモデルなら全員そうなんだろうが。オレはどうでもいいことを思いつつ、根元を掴んだまま、先走りで濡れる先端を親指で捏ねる。
「・・・ッッ!!じッッらすのも、い、い、加減・・・にッッ!!」
そこを捏ねながら、内部の感じやすい部分を狙って腰を動かせば。さすがにツレナイ麗人も、その瑠璃に力を込めて、オレを睨む。
―あぁ、やっと「オレ」を見た。
彼がオレを睨むと同時に、内部が熱く反応し、締まる。ふっ、と知らず、熱っぽい吐息がオレの唇から漏れた。おそらく彼の思惑とは反対に、うねるようにして、彼の内側はオレを締め付けてくる。
睨んだ顔の方が、色っぽいの、知ってます?と言いたいのを堪え、彼―モト―の体に体重をかけ、グッと身体を折り込むようにして、
「焦らした方が感じるくせに?」
と胸元で吐息交じりに告げ。ついでに乳首を甘噛みすると、
「・・・ハッァッ・・・!」
珍しく甘い掠れ声が上がる。自分の声に吃驚した、とでも言うかのように、ビクリ、と彼の肩が揺れる。ヤメロ、と言い出すだろうとオレは先回りして、ギュゥと押さえ込んでいた根元を解放し、先走りをローション代わりにしながら擦り上げつつ、律動を速める。
考えるのを放棄したようにモトの頬が上気し、眼鏡越しの瞳が潤み、僅かな声が口の端から漏れた。
「ゥ・・・ァッ・・・・ハッ・・・!!」
程なく、モトは昇りつめ。オレも後を追うようにして果て、モトの胸の上で脱力する。
ものの数分、裸で抱き合うような格好にはなったものの、すぐにそれはぶち壊された。
「ベタベタして気持ち悪い。」
言外に、『どけ』の二文字。事後の甘い空気など期待しちゃいないが、それにしたって、あんまりだ。オレは思わず苦笑しながら、その白く引き締まった身体の両脇で手をつっぱり身体を持ち上げ、隣に仰向けに転がる。
モトは、頑なに最中は外さぬ眼鏡をやっと外し、それを畳みながら長身の身体を起こす。
「情報は後で聞く。先にシャワーを浴びる。」
まるでマシンにコマンド入力でもするかのような要領でオレに待機命令同然の台詞をなげつけ。裸のままに彼はバスに向かった。
ベッドの上で、オレはけだるさに身体を起こす気にもなれず。だがその裸体の後ろ姿を、顔だけをそちらに向けて見送った。
すらりと伸びた白い背。引き締まった双丘から青い襟足までのいくつもの美しい稜線が、一歩進むたびに滑らかに稼動する様が、無頓着にさらされている。やがて、パタン、という乾いた音をさせて、洗面所へと続く扉の向こうへと消えた。
キレーだな、と思ってしまってから。
―まさか、惚れてるんじゃないだろうな?
自らに問いかけるが、答えなど返って来ない。
―あの、見た目だけが取り柄の、情緒のかけらもないアンドロイドにか?
瞼の上に、重し代わりに腕を乗せ、瞳を休める。
思わずフッ、と自重気味の笑いが漏れた。
バベル。
語りたい言葉を、語ることができない唇。
オレが起動されてから、もう18年。
治るクランケ。
去るマスター。来るマスター。
歌うオレ。癒すオレ。
だが、オレは?
オレの語りたい言葉は?
カチャッ、と扉の開く高い音が、オレの緩慢な思考を遮る。続いて、
「それじゃ、聞こうか。」
頭をバスタオルで拭きながら、モトの呟くような声。
オレは後でシャワーを浴びろって?相変わらずヒドイ人だな。オレは再度鼻先で笑い、腹筋を使って身体を起こす。ベッドの上で素っ裸であぐらをかくのは格好いいとは思わないが。贅沢は言えない。相手が相手だ。
モトはオレの視線などまるで気にしていないのか、ペタペタと濡れた裸足でフローリングを歩きながら、頭を拭いたタオルを肩に掛けた。
肩甲骨の下に、オレの付けた小さな赤い印。たぶん、明日には消えてしまっているだろう。
眼鏡をしてないと、いつもより雰囲気が柔らかく見え、幼く頼りない印象だ。彼はベッドサイドのテーブルから先程畳んで置いた眼鏡を取り上げ、掛け直す。下着より、眼鏡が先なのは、やはりそれがアイデンティティマークだからか。
「情報ね。何からいきましょうか?カムイオリジナル・・・ニュクスが、今のアプレンティスと出来ちゃったとか?」
オレは肩を竦めて見せる。
「ニュクスの今のアプレンティスは、確かカイト2456だったな。」
出来過ぎてるところを見せられ、げんなりしてしまう。貴方、まさか。
「まさかモト。全ボカロのアプレンティスシップを記憶してるんですか?気味が悪いな。」
「・・・。」
沈黙は、『余計なことはいい。構わず続けよ』だ。やれやれ。
「オレの見立てだとニュクスは結構のめり込んでますよ。端た目には、逆に見えますが。どうせすぐに廃棄されると分かっているのに、よくもまぁコピー品相手に本気になるもんだ。」
オレが思わず軽くため息を吐くと、モトはデスク横に備え付けられている小さな冷蔵庫を引き出し、勝手にスパークリングウォーターをひとつ取り出しながら、クス、と鼻先で笑った。
「まるでオリジナルは特別だとでも言わんばかりだな。」
ほとんど独り言のように続けられた言葉は、聞き捨てるわけにはいかない。
「特別じゃないとでも?」
思わずむっとして、眉根が寄る。
「どこか?多少長く、こき使われるだけなのに?」
デスクに体重を預けながらモトは目を眇め、オレを試すような視線で眺める。眼鏡が、厭味に一度光を反射した。
しかし・・・『多少』だって?
「メンテコストが高くなったら即廃棄のコピーと、オレ達オリジナルの違いを『多少』ですって?」
「俺達は、老化する。爪も伸び、髪も伸びる。人間のそれと速度は違うが。いずれ、メンテに器が耐え切れなくなって、廃棄されるさ。コピーとの違いは僅か一点、『メンテコストの許容額』。それだけだ。」
・・・。あまりの言葉に、絶句する。ボスの『お前達は、特別だ』という例の決まり文句が、脳内でガンガンと反響している気がした。
俺の呆けた様子がよほどおかしかったのか、フッ、ハハ、とモトは下を向き、小さく吹き出して、口元を手の甲で隠した。
「『お前達は特別だ』なんていうのは、あの人のジョークだぞ。ナイト。真に受けてたのか?意外とナイーブ(素朴)なんだな。」
言っていて、又おかしくなったのか、声もなく細かく肩を震わす。下を向いたままなので、表情は見えない。
だが、その様子から考えれば、眉を寄せてあのデカイ手で口元を押さえ、笑いを堪えるのに必死、といった感じだろう。
ナイト。オレの通称。ボスとアプレンティス以外からは、そう呼ばれている。誰が言い出したか知らない。由来は「夜」からだというが、それじゃあニュクスと被ってる。あるいは「騎士」からだというものもいる。オレが比較的他者に対して紳士的な対応をするからだとか。発音はどちらも同じだから結局どっちが正しいかなど分からないが、ボーカロイド同士が話をする分には、別に通称などなんだっていいのだ。そう、他のコピー品のように、「レン0000」と呼ばれてもいい。
だが、モトからだけは、『ナイト』と呼ばれると、何故か違和感を覚える。今もオレは、『オリジナルの特別性』を否定されて殴られるような衝撃を受けたばかりだというのに、『ナイト』と呼ばれたことが気になって、思考に集中できなくなっていた。
「まぁいい。それで?他には?」
やっと笑いが収まったのか、気を取り直したようにモトは顔をあげて、オレににっこりと笑いかけた。おそらく、本人に笑いかけるつもりなどなかっただろう。笑い顔を引き締めようとして、失敗しただけだ。
だが、優しい顔だった。いつもは、嫌味に光って見える華奢な銀縁が、さっきの一瞬は、まるでその優しさを強調するようで。
オレは、ほんの数秒それを堪能してから、2、3センター内で見聞きした情報を流した。アプレンティスとも碌々会話もしない彼よりは、だいぶオレの方が情報通だ。
「どれも大した情報じゃないな。お前と会う必要など、ないのかもしれないな。」
モトは髪を一度掻き上げて、長い足を絡げると、ふぅ、とため息をついた。その何げない様子が妙に憎たらしい。
「情報の為だけにオレに会いにきてたんですか?残念だな、オレはてっきり、性欲処理の胡瓜代わりに使われてるのかと思っていたんですが。」
眉を寄せて、小首を傾げ、苦笑して見せる。
が、モトはそんなオレの言い分に少し驚いたように、僅かに目を見開き、
「どちらも大した違いはないと思うが。」
と言った。
変なところで大真面目に返されると、こっちも傷つくんですが、ね。と言いたいのを堪えて、ハハハ、と乾いた笑いで茶を濁し、
「でしょうね。」
とだけ答える。
フン、とつまらなそうに鼻を鳴らしてから、モトは俺には一瞥もくれず、シャツを取りにクロゼットへ向かう。
白い背中がまた俺の前を通り過ぎ、クロゼットを開けて着て来たシャツを取り出すと、首にかけていたタオルをクロゼット隣の衣類用シュートに投げ込み、バサッと音をさせて翻すようにシャツを纏う。彼の肘がピンと伸びる様に、その肘から先についた筋肉が、意外としっかりしていることに気づかされた。
「お帰りですか?まだ大事な情報が残っていますけど?」
オレは自分の頭の後ろで腕を組み、そのまま、後ろに脱力する。ベッドの上で、とうに熱を失って冷たくなった柔らかな布団が、俺の背中を包む。
「・・・大事な?」
モトがオレに背を向けたままに、ピタリ、と動きを止める気配。
「そう。オレ達も興じてる、『この遊び』。誰が最初にセンター内で始めたと思います?」
天井を眺めながら、思わず笑む。
「・・・そんな情報に興味は・・・。」
なんだそんなことか、馬鹿馬鹿しい、といった声音。
「貴方の可愛い可愛い教え子君、ですよ。」
オレは自分の腕を枕にして、モトの顔色を見てやろうと頭を転がす。
モトは、こちらを振り返り、シャツの前をはだけたままに、唖然としてこちらを見ていた。まるで、シャツを着ている途中だったことを忘れてしまったかのように。
「ハハッ、目の色が変わりましたね。そう、起動後半年かそこらで、そんな『思いつき』に至るのは、ちょっと出来過ぎてる。そうでしょう?」
オレは素っ裸の間抜けな格好のまま、身体を折り曲げるようにして笑った。モトは動かない。
「・・・。」
「あくまで噂ですがね。だけどまあ、貴方がお探しの『アレ』に、何か関係があるかも・・・ね?」
ニヤッと歯を覗かせて笑ってみせ、その華奢なメガネの向こう、見開かれた藍色の瞳を見つめる。
「・・・。」
「情報はこれで全部です。」
「・・・。」
どうぞ、お帰りを?と着替えの続きを促すと、やっとモトは、服を着ている途中だったことを思い出したのか、緩慢な動きでシャツのボタンに手をやった。
いつもがいつもだからだろうが、その何げない仕草が、やけに子供じみて、隙だらけに見える。
なんだか、ひどく複雑な気分だ。してやったりと思う反面、普段、可愛気の一欠片もなく冷静沈着な貴方が、そこまで驚くほどの情報ですか?と聞きたくなるような。
身なりを整え終わると、声もかけずに部屋を出て行くモトの後ろ姿を見送って、オレはほっとため息を吐く。
身体はべとついていたが、このまま腕を枕に寝てしまいたい気持ちだった。ゆっくりと、瞳を閉じる。
LEN2508。
翡翠のピアスをつけた、オレのコピー。
性格は、タイプ5。楽観属性を持つ知能タイプで、社交的。
オレ達オリジナルとは身に纏う雰囲気が違っている。
起動後たかだか1年の新米。
モトの現パートナー。
次々に廃棄される、オレの類似品。
お前も、所詮、ソレの一種なんだろ?
オレと同じ顔、オレと同じ声。
もし、お前が、モトの探している、『アレ』なら尚更。
オレは、お前が嫌いだ。
コピー品の方が、きっと楽だ。
成長しない器に辟易する前に、廃棄されるのだから。
お前の廃棄は普通のコピー品のそれより、もっとずっと早いかもしれないが。
起動されてから18年。
もう、オレは十分生きた。
「なぁーーーんてな。」
クッ、ハハ、とモトを真似て笑ってはみたものの、気分は晴れなかった。
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【LEN-CPN.2508】
ファッックシュン、ッックシュン!!
「うわぁ、クシャミ二回は悪い噂だよぉ?」
すれ違い様に、気の毒そうな声でリンモデルの誰かが声を掛けた。
片手を軽く上げて挨拶し、ロイドの分際で迷信をいうとは、古株だな、と鼻を啜りながら感心する。
悪い噂か・・・と考えて、メイコ1300の意味深な台詞を思い出す。
『「その手の遊び」はアンタが流行らせてるって噂が流れてる。』
別に流行らせてるつもりはないんだけどな、とバリバリと頭を掻きつつ、考えを巡らすが、生憎良い対処策は思いつかなかった。なんてったって時間が惜しい。ごまかすために休んだりしている暇はない。
何か効率的な方法があれば別だが。
コンプリートは無理にしても、できるだけ効率よく幅広いサンプルを集めておく必要がある。と、同時に、バベルの治療のキーがなんであるかを掴まなけりゃならない。オリジナルのアプレンティスに選ばれたのは、絶好のチャンスだ。一方で、涼子さんの治療期間にそれが掴めなけりゃ・・・。
「あっ!!」
高い声で呼び止められ、知らず足元に落ちがちだった視線を上げると、ブンブンと腕を大きく振り回している青い頭、白衣の長身の男が目に入った。カイトモデルだ。俺と目が合うなり、パタパタと駆け寄ってきて、
「こんにちは!」
と爽やかな声で挨拶する。誰かと思ったら、例のチョーカーカイトじゃないか。えぇっと・・・とちらりと覗いている手首のナンバリングを確認すると、2456。へぇ、比較的新しいんだな、俺と100番違わない。
「こ、こないだは・・・」
と、そのニコニコ顔で俺を見下ろしつつ話し始めたものの、突然、ボムっと赤面すると、顔を真下に向けてしまい、なにやらモジモジとしている。
―うーん、さすがタイプ4。考えていることが分かりやすいというか、単純というか。友愛属性な上に知能レベル低いし・・・そりゃあこうなるわな。
「こないだが、どうしたって?」
俺もニコニコとしながら、カイト2456の顔の真下にもぐりこんで、見上げる。うん、こんな芸当ができるのも、身長差のお陰と言える。背が低いっつーのも悪くない。
その頬どころか、耳まで赤くなった顔と、これ以上ないくらい下がった眉に、構いたいのはやまやまだが、もう回収しちまったからなー、と脳裏で算段する。
ズモモモモモモ・・・・
・・・と、ふと殺気を感じて、慌てて俺はカイト2456から2、3歩分の距離を取り、いつでも構えられるように、つま先に力を入れた・・・が、カイト2456は相変わらずモジモジしているだけだ。
辺りを見回して、カイト2456の後ろ100M程から、隠す様子もなく、殺気を放っている男に目が留まる。
―ゲェッ、ライトグレーの瞳のカムイモデル・・・ニュクスじゃねぇか・・・。
「カイト!仕事だ!!行くぞ!!」
俺を睨みつけたままに、カムイモデル特有の、癖のあるハスキーボイスで2456を呼ぶ。
「あ!今行く!ご、ごめんね。またね!!」
―あ、おまっ・・・『またね』はマズイダロッ!
思うも空しく、ますますニュクスの眼光がますます険しくなる。こっ、殺される・・・。知らず、俺の喉がゴクリ、と鳴った。「いつも怖い顔して」とかなんとか言いながら2456が手元に戻ると、その肩を抱きながら、ギンッと、再度こっちに凶暴なメンチを効かせてくるニュクス。
―こいつは俺のモンだ・・・ってか?
と内心苦笑しながら、ニュクスに分かるように両手を挙げて肩を竦めてみせ、その気なんてないぞ、と一応伝えておいた。恋愛沙汰で揉め事なんざ、それこそ時間の無駄だ。
ただ・・・、ニュクスのあの瞳に、一つだけ気になってることを思い出した。センター内では、少なくとも、俺が起動されてからこっち、恋愛のレの字の雰囲気もなかったように感じるのだ。なのに、最近のセンター内のボーカロイドときたら、かなりの高い確率で、恋愛感情を持っている気がする。もはや別の意味で「パートナー」化してる連中も少なくない。
大方、さっきのニュクスとカイト2456も別の意味でパートナー化してる連中の一組なのだろう。
それとはまた別に、ボカロ同士で肉体関係を持つのも当たり前にもなってきている。こっちとしては有難いが、もし今までこんな状況じゃなかったとしたら、かなり大きな変化がセンター内で起こったことになる。
もし、俺の行動がその変化の発端だったとしたら・・・?
思案に耽っているうち、目的地を通り過ぎそうになっていることに気づき、慌てて歩みを止める。
「・・・っと。」
そう、目的の場所、資料室。
我ながら律義すぎるってモンだが、マニュアルを読む・・・というより、カイトの治療記録を自習するのには意味がありそうだと考えていた。初回のマスターへの対処を見ていて、彼奴の叩き出してる再発率0%っつー数字がが伊達じゃなさそうだってのは感じてる。おれが研修で学んで来ていない、何かが彼奴の治療にはある気がする。
ノブのないノッペリとした扉の横に設置されたスキャナに右手を白衣のポケットから出して無造作に突っ込むと、認証が済んで、扉がゆっくりとスライドする。
開ききるのを待ちきれずに半分ほど開くなり、身体を滑り込ませて中に入る。長い直線の廊下の、床と同様にねずみ色の両壁には、計20程の夜空にも似た濃紺色の扉が等間隔に並んでいる。視聴覚用のブースだ。ところどころ真っ黄色の扉が交ざってるが、それは使用中の部屋。バーチャルシアターなども可能なので、中の椅子はえらく高級だ。仮眠に使ってる不届き者もいるらしい。
濃紺色の扉のうち、適当な部屋を選んで、中に入る。10平米ほどの部屋は、睡眠導入の効果を狙ってか、備え付けの椅子や端末なども総て扉と同色の濃紺だ。目が慣れるまでしばしかかる。
バーチャルやるほど暇じゃない。記録をかいつまんで閲覧するなら、2Dのが手っ取り早い。
端末に近づき、腰を落ち着けると、2Dディスプレイのスイッチを入れる。
「KAITOの・・・CPN.0000の・・・」
記録簿を辿って、過去のマスターとの会話記録を探した。
『・・・ハハハハッ!壊れちゃいますよ!・・・あーぁ、だから言ったのに・・・。』
突然、間違って再生操作をやってしまったのか、カイトの笑い声が部屋に響いた。
明るい声に吃驚して、思わず固まる。
可愛らしい女性のマスターだ。まだ20代前半だろうか?キッチンで二人、何かを作っている最中のようだ。彼女が何かをねだる様な視線で、カイトの腕をひっぱって、その瞳をじぃと下から見つめている。
『え?いいですよ、それじゃ歌いましょうか。』
その視線に答える、優しげで無邪気なカイトの瞳は、見てるこっちがどうしてか切なくなる。
程なくして響き始めた歌声には、ボーカロイドがクランケに歌う唄がほとんどそうであるように、歌詞がない。
歌詞がなくても、こんな声で歌われたら、気持ちが伝わってしまうのじゃないか、と俺は思った。
―駄目だ。そんな風に歌っては・・・
なんとなく、感じる。「危険だ。こんなやり方。」と。・・・でも、特に研修で指示されたやり方にカイトの歌い方が違反している訳ではない。何が違うのかすら、俺は自分でも言葉で説明できそうになかった。ただ、分かるのは・・・このマスターが、ほとんどカイトに恋しているということ。
一通り見入ってしまってから、やっと冷静になって、「いつの記録だ、これ?」と、俺はデータを攫った。
記録は、カイトの一人目のクランケだった。だからアプレンティスモデルが居ないのか、と納得する。カイトの患者ということは、治って再発もせず、今は社会復帰しているはずだ。
その後、二人目、三人目とカイトの記録を再生していって、俺はなんとなくカイトの「RFM」の意味が分かった気がした。これは、言葉で説明されても多分俺には理解できなかっただろう。
二人目、三人目と、カイトの瞳から、段々最初のマスターの時のような、無邪気さがなくなっていって、だが、その分、どんどんマスターに向けられる瞳は優しくなっていっているように見えた。
何故かは分からないが、それがとても重要なことであるような気がして、俺はカイトの記録を行ったり来たりしながら、カイトのマスターを見つめる瞳を目に焼きつけた。
最後に、もう一度だけ、カイトの初めてのマスターの記録を再生する。
『・・・。』
彼女がセンターを去る、数日前の記録。短いながらも初めて自分の意思を伝える目的で言葉を発したらしいマスターを、カイトが無言で見つめている。カメラの位置が悪くて、その表情が分からない。
―・・・。
このシーンが、一番気にかかる。なんでか、俺は胸が痛い。
―アンタ一体、どんな顔してんだ・・・?
問いは胸で形になったものの、知るのは怖い気がする。
おかしな話だ。
・・・胸が、痛い。
知らないうちに一時停止したまま呆けていたらしい。突然、ディスプレイが長すぎた一時停止に痺れを切らし、勝手にプシュ、とアナロジカルな音を立てて切れた。
バベルの治療のキーを、見つけなけりゃならないと思って、記録を攫いに来たはずだった。でも、今は、何かもっと大きな問題を見つけてしまったような気がしている。まだソレが何かは分からないが。
『え?いいですよ、それじゃ歌いましょうか。』
そんな顔して、昔は笑ってたのか?
それじゃぁ・・・それじゃ、今のアンタは?
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【KAITO-CPN.0000】
ファッックシュン、ッックシュン!!
確か、クシャミ二回は悪い噂だとかいう迷信がなかったか?と思いながら鼻を啜る。
目の前を歩いているのは、リンモデルの誰かとレンモデルの誰か。カイトモデルのコピー品に妙な違和感を覚えるのはアイデンティティクライシスだとしても、レンモデルの金色のちょんまげを見ると、妙に引っ張ったり小突いたりしたくなるのは、不真面目なミナライの坊やを知ったせいか、それともそれなりに長い付き合いになってるナイトの皮肉を見飽きたせいか・・・。
―まぁ、どっちだって大した違いはない。別にどっちだっていい。
ほとんど内言(心の内の台詞のこと)での口癖となっている台詞を僕は頭で繰り返して思考を放棄する。
コピーを馬鹿にするナイトの気分は分からないが、あれも嫉妬の一種だと理解すれば、僕にも理解できる。コピー品なら、気づかなくて済む事が沢山あるからだ。
例えば、ボスの気まぐれで振り回されて仕様を変更されるコピー品の行く末とか、その気まぐれで生まれた自分自身とか、その気まぐれのままに「これからずっと」を過ごす自分自身とか・・・
そして、来ては去っていくマスターにとっての自分だとか。
何が出来る訳じゃない。
でも、唄を歌うことはできる。治るのを少しは手伝うことも。ボスの気まぐれの中でも、そのことは、僕らの支えと言えなくはない。
だから・・・
「カイト!涼子さんのトコだろ?俺を忘れるなよなっ!」
バンッッ!!と突然背中を叩かれ、
「ドワッ!?」
思わず前につんのめる。件のミナライだった。人の思考を遮るなよな・・・と思いつつ、
「・・・いつもは誰かしらにチョッカイ出してるのを探すのに苦労するんだが。今日は一体どうした風の吹き回しだ?」
片手を白衣のポケットに突っ込んだまま、ファイルボード片手に振り返る。
「いんや?いつも仕事熱心だぜ?俺は。しかもマスター登録したばっかだし!涼子さんは俺にとってお初のマスターだからな!」
いつものようにポケットに両手を突っ込んだまま、ミナライが肩を竦めながら実に嬉しそうに歯を見せて笑う。
―『コレ』が、『アレ』だって?
僕も肩を竦めてから、眼鏡のブリッジを一度持ち上げ、「そりゃ結構だ。」と進行方向に白衣を翻して向き直る。
可能性がないわけではないのだから、一応調べる。ボスのコマンドに違反するわけにもいかない。ただ、唄を歌うとか、治るのを手伝うとか。そういうのに比べて、如何にもつまらないコマンドに思える。第一、「アプレンティスを育てる」とかいう制度だって、あの人が作ったものだ。大概、矛盾している。まぁ『それが人間の仕様』なのかもしれないが。
「そういや、 Fxxk'n Manual 読んで来たんだぜ?」
斜め後ろを、必死に僕のストライドに食いついて来るミナライが言う。
―おや?研修は不真面目で評判がよくないようだったが
「殊勝な心掛けだな。言う事を聞くアプレンティスが相手だと、僕もやりやすくて助かる。」
クス、と笑いが漏れる。どのマニュアルを読んできたのか知らないが。
「今日の面談が終わったら、俺、アンタに聞きたいことがある。多分。」
いつものように跳ねっ返りの返事が返ってくると思っていた僕は、その真面目な声音に肩透かしを食らってちょっと吃驚する。
「・・・?どうしたんだ?」
今度は当惑気味の声。どうやら向こうもこっちの皮肉がいつものように振らないことに違和感を覚えているらしい。
その事に思い至って、思わず反射的に声を出して笑ってしまった。
「ハハッ!・・・あぁ、いや悪い。僕は課外授業はしない主義だが、そんなに熱心に自習してきたなら、質問の一つくらい付き合ってもいい。」
人差し指で口元を隠しながら、クス、ともう一度笑った。
―お前が、『アレ』?
それも悪くないかもしれない。
何故って丁度、退屈していたところだったから。
かなり不謹慎に違いないことを思いついて、僕は「僕の思考回路、本当にボスの思惑通りに働いているのかしら」と、内心で溜め息を吐いた。
終