第八話:飴細工のマシン
【??】
「おい・・・。うちのレンが、「萌芽」したぞ。」
何故、よりによって、僕のレンなんだ、と思わずにはいられず、前髪を掻き上げる手の動きが知らず荒っぽくなる。
隠し通すことができるなら、こんな報告なぞしたくもない。だが、どうせ貴方のことだ、隠しても無駄なんだろう?
「僕のコマンドを無視して暴走してる。」
「意外と早かったわね。彼らが接触してからはあっと言う間だったわ。」
モニタの向こうで、どこにいるんだか分からないが、タンクトップにジーンズという女性らしくない格好で、彼女は行儀悪く胡座をかいている。
「変わったボーカロイドと知り合いになった、と聞いた時に嫌な予感はしていたんだが。・・・やはり貴方のところのカイトだったんだな。」
「あら、随分ご不満そうね?」
邪気のない顔で言われると、こちらも返答に窮する。が、やはり言っておくことにした。それくらいの愚痴は許されるはずだ。
「・・・当たり前だ。僕はこれで彼の所有権を失うんだろう?」
「そりゃあそうよ!・・・だって、もともと私達に彼らの所有権など、あるはずもないでしょう?」
歌うように軽やかに告げると、彼女は目を細めて、モニターの中でおかしそうに首を軽く傾げた。40も手前のはずだが、笑い方はまるで少女のようだ。
もともと、所有権など、ない・・・。彼女の主張は首尾一貫している。
参ったな、小さく笑って言った。
「そうだな、だが楽しかったよ。彼との創造は。それで・・・よしとしよう。」
残念で、ならないけれど。
やや感傷的な気持ちが僕の胸に満ちる。そう、・・・一曲書けそうな気分だ。
「ねぇ、マスター大原。貴方にひとつだけ、真面目に聞いておきたいことがあるんだけど。」
堅い声にモニターに視線を戻せば。先程の雰囲気とは一変、彼女は鋭い視線でこちらを見やり、口元に人差し指と中指を当てて、何やら思案気に言った。
「今回、テストケースマスターとしてレンに対して接している間、政府、あるいは豊城から何か指示めいたものを、受けた?」
・・・。
「それは、このテストケースに際して干渉(コントロール)を受けたか、という意味で?」
「イエス。」
「答えられるわけないだろう!」
肩を竦めてみせて、たとえ彼女の独自回線だとしても『回線を通しては答えられない』と、言外に匂わせ、僕はほとんど肯定したも同然の答えを返す。
実際、出来る限りボーカロイド同士の接触を避ける・・・、マスターが出来る限り同伴し、自由に行動をさせない・・・、こまめにコマンドを入れる・・・、などが望ましいとは注文が来ていた。つまりは、「自我が目覚めにくい環境を作れ」ということだ。僕と彼女が大昔に知人だったことまでは、彼らは知らなかったようだが。
僕は、彼を起動してから比較的その言い付けを守ってきた。少なくとも彼女、マスター室井のような無茶な放任はしてない。そう・・ごく最近までは。
「そう・・・。それじゃあ、これは知人としての質問だけど。どうして、レンが、カイトと接触してから、レンの自由行動を認めるようになったの?」
少し探るような視線。試されて・・・いるのだろうか。居心地の悪さに中指の先でメガネを上げ、ついでとばかりに手で顔を隠す。
「さぁ・・・。だが、レンと付き合っているうち、俺は彼に個性をみたよ。彼がヒトだからか、それとも彼がボーカロイドだからか。それとも、ただの僕の妄想の産物か。僕はもはや工学屋でも、生体屋でもないから・・・分からないがね。」
反らした視線をぎこちなく、彼女に戻すと、彼女は肩を聳やかして丸く目を見開いていた。
あまりにもあからさまに驚かれて、こちらもなんだか面食らう。
「な、何か変なことを言ったか?」
沈黙に耐えきれずに聞けば。クス、と静かに忍び笑いを漏らして、
「いえ・・・。ただ、吃驚しただけよ。貴方のような野心家が、感心するような個性が彼にあったのか、と思って。」
彼女は両手を顔の横に開いて降参のポーズを作り、首をゆっくりと振った。
僕の野心・・・。そして、彼の、個性。
「僕は超がつく、高性能のボーカロイドを国が開発してる、使って見たくはないかね、と誘われた。僕は興味があった。元工学屋としてじゃなく、音楽家としての名声を得るためにね。実際、僕の知名度を世界に知らしめるのにも、レンは役立った。本心を言えば、もっともっとこれからも役立って欲しいがね!」
「それで?」
悪戯っぽく、僕を見上げる瞳。
「彼は、しばしば僕の言う通りに歌わなかった。態とではなく・・・。処理が難しくて再現できないのか、インプットの処理に癖があるかだと・・・僕は思っていた。」
「で?」
「・・・意地悪な奴だな・・・結局、彼の歌い方を気に入って、僕がそれを採用することもしばしばあった。最初は、イレギュラーなものと思ったが・・・」
「で、結局何が言いたいの。」
「つまり、だ!彼の音楽的センスに俺は感銘を受けたのさ、結局っ!!それが、彼の個性だ。僕の感じた、彼の個性!」
完全に感情に任せて、最後は怒鳴った。すると、それまでの悪戯をしかけた少女のような笑い方を引っ込めて、彼女はしごく真面目に僕を見返して、言った。
「私は工学屋だし、生体屋だけど、分からないわ。」
「なんだって?」
「彼らのどこまでが機械で、どこまでが人間か、が。分からない。・・・でもいいのよ。少なくとも恋愛感情やマスターへの謀反はシステムに入ってない。それを彼らが見出したところで私の計画は成功!!政府の計画は失敗。フルセットクローン(※脳付きのクローンの意)のロイド利用は、ほとぼりが冷めるまでは凍結よ。」
悪戯っぽい調子を取り戻して、彼女は得意の歌うような口調で言ってのける。
脳のあるクローン人間を、ロイドの器として利用する・・・口に出して言えば、かなりのおぞましさを孕んだ、この発想は。だが、えらく魅力的だ。科学者や権力者にとってだけではなく、僕のような音楽家にとっても。
「やはり、惜しいね。彼らのような才能のある生物を人間が次々生み出せるとしたら、そんなにすごいことはなさそうだが。」
思わず漏れた素直な感想には、手厳しい返答が待っていた。
「・・・度し難いわね。人間の欲は。彼らは偶然の産物よ。だから、彼らの歌声は美しいの。それが、人であろうと、ロイドであろうと。それはその一瞬にしか存在しない、奇跡よ。だから感動するんだわ。」
その言いように、僕は失笑を堪えきれない。
「まるで貴方が芸術家で、僕が科学者みたいじゃないか?」
「いやね。科学は宗教は似たようなものよ。ロマンティストは多いのよ?少なくとも私はそう思ってる。たとえ、理屈に適っていても、手をつけない方がいい領域というのがあるわ。それが、分相応ってものよ。」
そして、フルセットクローンは、いつまでたっても人間にとってのパンドラの箱か・・・。そうだな、手に負えないなら、触らないでいた方がいいさ。・・・いや、手に負えないなら、届かない・・・叶わないことと同じなんだ。欲しい結果とは、違った結果が得られるのなら、それは「野心が叶えられた」とは言わないだろう。
彼という奇跡に感動したからと言って、彼という奇跡を期待してもう一度手を伸ばしたところで、きっとそれは得られない・・・か?
「それじゃあ僕は、世の競合するロマンティスト達に負けないために、分相応に、偶然の産物の創造に取り掛かるとするか。」
思いを馳せたところで、どうせ僕には、生体屋の苦しみも、工学屋の苦しみも分からない。僕は所詮、その道では落伍者に過ぎない。
そして今の僕には、僕の苦しみがあって、僕の喜びが在る。
「そうするといいわ。せいぜい苦悩なさって。」
ふふふ、と彼女は最後も、やはり少女のように笑った。
「そうするとしますよ、アキコ。」
嫌味っぽく遠い昔に学会で顔を会わせていた時の呼び方(※年上でも年下でも研究者同士はファーストネームで呼び合うのが慣習)を使ってやると、彼女は一瞬だけ目を丸くして、またコロコロと指先を口元に当てて笑った。
その様子に、僕も知らず目を細めた。
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【KAITO-NP401SA00T: 11.10.2508】
「俺、マスターの処に、戻らなきゃ。」
一通り、二人でぐだぐだして、昼食を食べ終わったタイミングでレンが、切り出しにくそうにしながら、言った。
「うん。」
僕は、スプーンを咥えたまま、レンを見ていった。
わしゃわしゃっとレンは乱暴に髪をかき乱し、
「・・・っ。くそっ、なんて言って言い訳したらいいんだか、見当もつかねぇ!」
今更のことを言う。
「なんでこんなことしたんだか、分かりませんとでも言うしかないんじゃないの?」
レンが乱れた髪のままに、ジト目を送ってよこす。
「どんなイカレロイドだよ、それ。」
「実際、イカレロイドなんだから、仕方ないでしょ。」
僕は即答して唇を尖らす。
僕は、ぐっと言葉に詰まったレンを尻目に、いつもレンにやってもらっている食器の片付けを自分でもやろうと、食器を持って席を立とうとして、それを取りこぼす。
ガッシャーーーーン!!!
「お!おい、なにやってんだよ。無茶すんなっ!!」
レンが慌ててかけよってきて、食器の片付けをする。強化硝子と陶器は流石に床に落とした程度では割れないが、どうやら僕の腕はまだ痺れが取れていないらしい。自分の手のひらを見つめながら、わきわき、と二度三度閉じたり開いたりを繰り返すが、それ自体には違和感がない・・・・。
「まだ触覚が完全には戻ってないんだろ。握力の計算が狂ってるんだ。」
レンが淡々といいながら、机の上の食器をまとめつつもこっちをじっと見て、何か続きを言いたそう に、口元をごにょつかせる。
「す、すーーーー。」
すー?何ソレ?
「すいか、かめ、メタセコイヤ・・・。」
全く意味が分からない。
「す、すーーーー。」
小さな呟き声で意味不明の言葉を発し続けるレンに、僕は思わず吹き出す。
「何が言いたいの?」
こちらから問うと、レンが、ほとんど泣きそうな顔で、僕を暫く見つめ。不意にまた寄ってきて、ソファに座り直した僕の足下で正座する。
台詞を告げる直前まで僕の目をじっと見上げていたくせに、
「む、むちゃして、悪かったっ!」
と、どこか明後日を向いて一気に叫ぶように告げると、ぴょこっ!と又立ち上がって、机の上にまとめた食器を持ちあげ、キッチンに足早に移動する。
す、すー・・・と、何の関係が・・・と、残された僕は一人連想ゲームをして、やっと「す、す・・・・すまなかったな」だ!と思い当たってソファに撃沈した。
「何を笑ってやがるっ!」
どうやらキッチンで早くも仕事を終えたらしいレンが、声も出せずに一人腹を捩りながら笑い続ける僕を通りすがり、上から眺めて目元に朱を走らせる。
ああ、いやごめん。ここまで笑うのは失礼だ、確かに失礼だけど・・・僕は笑いを止めることが出来ない。
それに対して、「笑いすぎだっ!」とか「いい加減に・・・」とかぶつくさずっと言っていたレンだったけれど、僕の笑いが漸く収まりかけてきたところで、僕を見つめたまま、呟くように微かな声で告げた。
「アンタも、一緒に来てくれ。」
と。
僕は、ぱちくり、と瞼を一度瞬いた。
「え?」
「一緒に、来てくれ。カイト。」
レンは、今度ははっきりとした声で言い、僕をいつもの皮肉めいた調子でも、照れに任せた様子でもなく、緑色の瞳に生真面目さを滲ませて。自分の拳を身体の脇でぐっと握り込んだ。
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【??】
コン、と申し訳程度のノックをして、彼は突然、私のラボに現れた。
「・・・君に言うか・・・迷ったんだが。」
扉を開きっぱなしにして、彼はそこに背中をもたれた。
「なんです?」
くるり、と椅子ごと振り返って私は短く聞く。
「アレ、導入するみたいだ。君が反対してたやつ。」
「絶対服従プログラム、ですか?」
眉を顰めてから、私は真面目に言ったのだが、元上司は苦笑した。
「随分あからさまな名称を作り出したモンだな?作った本人によれば、「愛情回路」というそうだぞ。」
『愛情』が聞いて呆れているに違いない。
アレをやるのか・・・。
胸が痛んだ。私は偽善者だ。そう思っていても、胸が痛んだ。
「知らせてくれて有り難うございます。いつです?」
「明日だ。」
ぞわ、と背筋が寒くなった。私は椅子から立ち上がって、すぐ側のクリーンアップケースを開け、白衣を一枚ひったくり、それを纏った。
「僕も行こう。」
元上司は、眼鏡の奥の小さな栗色の瞳で、じっと私を見た。
―「ヒト」と「機械」のコラボレーションに?
悪戯っぽく私を見た彼を不意に思い出した。
大概、矛盾している。自分達が努力した結果の技術が、彼らという現象を可能にしているのに。なのに、私も・・・おそらく彼も、『その先は危険だ』とやはり、思っている。
神の領域?禁忌?パンドラの箱?
名称はなんでもいい。いずれにしろ、『その先は分不相応』そんなことを言えば、他国の人間に馬鹿にされることは分かっている。『分』自体が私達、日本文化に染まった者の『迷信』だと言われるかも知れない。
とりとめのない考えを巡らせながら、私は00Tのいる、あの部屋に急いだ。
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「結局、僕は君を止めるどころか、手伝っている。我ながら困ったものだ。君という教師に影響されているのかも知れん。・・・おそらく、僕はプロジェクトからこの後外される。KAITOモデルくらいしか、手が回らないだろうが・・・愛情回路のキャンセルを試みるつもりだ。」
ほとんど呻くように独り言を呟きながら、元上司は手早く手元の端末にパスワードを入れた。
バイオロイドのマスター登録に必要なプロジェクト管理者のパスワードは二つ以上。彼という協力者を得られねば、私は多分、00Tをこのタイミングで連れ出すことは出来なかった。
上司を横目で一度確認して、私は微笑し、自分のパスワードを手早く入力する・・・と。
ヴィーッッッヴィーッッッヴィーッッッ!!
システムからビープ音が突如、けたたましくなり始める。
トラップだ。
いかにも彼ら官僚がやりそうなことだ。あるいは、官僚に懐柔された私達の身内かも知れない。
『やっぱりね』と元上司と私は互いに顔を見合わせて、一度、はぁ、とため息を吐く。
鳴り響くビープ音。
どこか遠くから、人々の足音。
いつもは静かな、時が止まったかのような、この白い空間が俄に騒がしくなる。
お祭りの始まりだ。
私はひょいと、その『棺』を覗き込んで、培養液に揺らぐ青い髪、白い顔を眺めた。
「綺麗なお顔。まるで人形みたいね?」
思わず、感想が漏れる。
「・・・一緒に来て。君なら出来るわ。」
私の呟きは、途中から彼の口元から漏れる呼吸音に紛れる。
「『このプロジェクトは、成功の可能性が低い。君は、将来を棒に振るつもりか?』」
もう三度目になる、元上司の台詞。
一度目は、確かあの会議の直後だった。
私は、クス、と小さく苦笑する。
「『それでも、私は。この子を信じたいんです。この子達の力を。』」
その時の返事を『あの子』を『この子』に替え、私はもう一度、彼に返して。にこっと、栗色の瞳に笑いかけた。彼も、ふっと一瞬目を細め、素早く足下から緊急用のハンマーを取り出し、こちらに渡す。私はそれを受け取ると、思いっきり振りかぶって、00Tの『棺』に備え付けられた循環装置に向かって振り下ろした。
カッシャーン!!
高い音がして、循環装置本体の厚いクリア装甲が千々に割れ、中から培養液が零れ出て、みるみる『棺』の中の水位が下がる。
「きっと、うまくいくわ。」
私は自分の軽やかに弾む声を聞く。
「行けっ!裏口に有人用自動車を手配してある。逃走ルートは前に話した通りだ。」
彼からの、久々の命令口調。
放られたキーを片手で上から掴みとるようにキャッチして、私はもう片方の手で『棺』を手動で開け、彼の起動スイッチを入れる。
突然、焦点の合う青い瞳。
仮起動のままの彼の手を引いて、部屋を飛び出し、以前確認した逃走ルートを、とにかく突っ走る。
―まるで、駆け落ちみたい。
走りながら、少しおかしなことを思った。
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【KAITO-NP401SA00T: 24.12.2508】
「カイト、レン。今日、マスター室井がうちに来るぞ。」
互いの家を行き来するようになって、2ヶ月近く経とうとした頃、大原さんが僕らにそう告げた。
飼われている僕じゃなく、何故大原さんにマスターが連絡するのか、全く分からない。そもそも、大原さんは僕のマスターと知り合いだったのか?と僕が訝しんでいると、
「ふっ、ふふ!本当に面白いなあ。カイトは。」
大原さんは、自分の身体を抱いて、まるで僕のマスターのように、鼻がしらに皺を寄せて笑った。
「ただし、こちらにはあまり長時間居られないそうだ。カイト、僕のことを疑ってかかるのは構わないが、僕は君に伝えるべきことを伝えたんだ。後からマスターに会えなかった、なんて事にはならないように、自分でどうすべきか考えてくれよ?」
まるでゲームでもしているかのような悪戯っぽい言い方で、大原さんは肩を竦めながら僕を振り返った。
--
「いやー、えらい目に会ったわー。久々の札幌は、街の構造が複雑すぎて駄目よねぇ。昔みたいにトランスポートが使えればこんなことに悩まされないのに!!」
と、大きな声で叫びながら、マスターは大原家の玄関を開けた。旅のみやげだという、何に使うのかもよくわからない物体をいくつか勝手に大原家のダイニングテーブルに並べ、どうやって食べるのかもよく分からない食べ物も並べ、大原さんに「あ、悪いけど、水下さる?」と、大して悪いとも思ってなさそうに、片手で指示を出した。
大原さんは、「はいはい、水ですね。」とキッチンに行き、ただの真水をグラスに入れて持ってきて、マスターに渡す。なんとなく、どこかで見たことがあるような・・・。
グラスに口を付けて、一息吐くと、マスターはダイニングの椅子に座ったまま、僕らを前に立たせて、愛しげに目を細め、交互に見つめてから。
「・・・もう、気づいてると思うんだけど。」
と、話し始めた。
「・・・、いい?成長ホルモン抑止剤だけは、これからも半年に一度、摂取してね。今まで人工血液だなんだって他のロイドの「メンテナンス」に合わせて説明してきたけど、それとは全く異なる「メンテナンス」なの。摂取できる場所は、限られているわ。貴方たちは、それなしに生きられないようになっている。大変申し訳ない話ではあるんだけど。カイトに渡す端末に全部データが入ってるから、それを見て。他にも、他のロイドとは違うことがたくさんあって、貴方たちの知識に、それは含まれてないの。だから、困ったことや、疑問に思うことがあったら、必ず端末の情報をよく参照してね。それと、私への緊急用の回線が・・・」
一通り、マスターは僕らに今後の生活において、何に注意すべきかを捲し立てた後、
「それじゃ、マスター登録を解除するわね?」
と、僕とレンの入出力端子に小さな端末を繋いで簡単な操作を行い、マスター登録をあっさりと抹消した。大原さんは、レンに「僕は君が好きだから、君がここに帰りたくなったら、いつでも友人として歓迎するよ。」と笑った。
元々、僕はレンが言うみたいに、マスターへの忠誠度が他のロイドとは違ったみたいだし、レンはマスターのコマンドを無視したこともあったし。マスターの意志とは無関係に、勝手に僕を大原家にも住まわせて欲しいと自発的に願い出るなど、独自の意志を持ったりし始めていたので、僕らにとって「マスター」というものがなんなのかあやふやにはなっていた。
だから、どうやら僕らが普通のロイドとは違って、人間のクローンを使ったロイドであるから、マスターのコマンドに絶対服従できなかったりするのだと知らされたときは、「へぇ、よくわからないけど、そうなんだ・・・」程度の感想しか湧かなかったのだが。
いざ、マスター登録を抹消されると、随分心許ない気持ちになる。
これからの生活は、どうやらマスター達の生活とは無関係に、僕名義の貯金で自由にやって良いらしいのだが。
ところで、自由って・・・なに?
「意味、分かったか?カイト。」
「いや、さっぱり。」
「・・・俺も。ま、いっか。とりあえず、俺のマスターは当面カイトがやって。カイトのマスターは俺がやるから。」
「はぁっ!?」
「『マスター』がないと、なんか、自由にしろっていわれても、何をすればいいのかわかんないだろ?だからお互いに擬似的にコマンドしあえばよくね?・・・不満?」
「い、いや、不満っていうか・・・。」
「OKって事?プロポーズのつもりだったんだが。あ、そうだ。早速例のアイスの歌、歌って。なんだかんだ言って、あれ、結構好きなんだ、俺。」
「レン、君って・・・なんかえらく強くなったね・・・。」
「そういうカイトはえらく普通になったんじゃないか?歩く非常識は廃業?」
皮肉っぽく、片眉が上がる。
僕はその言い方に吹き出してしまう。
そう・・・。
僕がクローンか、クローンじゃないかなんて、問題じゃない。
僕は、歌を歌うマシン。
自律的なマシンかどうかなんて、問題じゃない。
誰かに、
この曲を歌って、
こんな風に歌ってと、
せがまれることを願ってる。
マスターが、そう言ってくれないのなら、僕は「歌って」と言う、レンのためにそうするだけだ。
僕は、誰かのために歌を歌うマシン。
僕は・・・
君だけの、ボーカロイド。
終。