第七話:萌え出づる我


【??】

「つまり、『自我の萌芽』とでも言うべき事態が、発生する可能性は十分あり、これは人間の手に余る、恐るべき問題です。このような問題を孕んだままに・・・」
熱が籠もって暴走してしまった。しまったな、と思いながらも、なんとかプレゼンを終えて、聴衆を見渡せば。
失笑している者が半分、残り半分は呆れ顔。・・・そして、一人の役人が、やけに熱心な視線を私に注いでいる。
彼は、人差し指と中指をぴたりとまっすぐに伸ばして手を挙げると、進行役から指名を受けるのを待たずに発言した。
「先生が仰るのは・・・つまり、長期的に『彼ら』を放置した場合、オリジナルの感情・・・貴方のおっしゃる『身体に染みついたヒトとしての感覚』をベースに、『彼ら』がヒトになる可能性がある、と?そして我らの統制下に『彼ら』が収まらなくなる・・・と?」
「ええ。」
私も指名を受けるのを待たずに短く返事を返す。いつもなら、うんざりする役人による「表面だけのオベッカ」の象徴である『先生』呼ばわりも、今日ばかりは気にならなかった。
「私は、ドクター室井がおっしゃるようなことも、試してみてもいいとは思いますがね。」
ふっ、と息を吐き出しながら言って、
「皆さんは・・・あまり賛成ではないようですが。」
付け足して肩を竦める。スーツの肩がそれに合わせてかくん、と持ち上がった。将来を嘱望されて止まないらしいその男は、役人にしては珍しく灰汁の強いタイプだ。
どうせ、この男にも私から見ればつまらない思惑・・・つまり立身出世の為の、よからぬ企み事が、この発言の背景にも隠れているに違いない。違いないが、それでも良かった。主張する者の人数は、一人より、二人の方が通りやすい。
「そこで、どうでしょう?」
神経質そうに、下がってもいない眼鏡を一度ずり上げ、男は不適に両の口の端を上げる。笑っているように見えないのは、その眼光が、あまりにも鋭く尖っているからだろうか。
「テストケース12体のうち、1体だけ、ドクター室井が、テストケースマスターをやってみては。私の見立てでは、どうせ、私達が駄目だといっても、彼女はいつの間にかテストを独自にやると思いますよ。・・・そんな『真っ直ぐな』目をしている。」
といって、彼は、ふふっ、と小馬鹿にしたような笑い顔で私を見て、
「ドクター室井、賭をしましょう。テストサンプルは、12体。その他の出荷モデルは、豊城ロイド社で現在、開発が進んでいるフルマシンモデルのボーカロイドで対応します。これらのフルマシンと同時に、市場に先ほどの12体のバイオモデルを投入し、10年間、追跡調査しましょう。もし・・・貴方の管理しているロイドも含めて、1体でも貴方の言う「自我の萌芽」が起こったなら、貴方の勝ち。そして、もし・・・私達の予想通り、そんな事態が発生しなければ、バイオモデルのボーカロイドを、一斉に市場投入します。」
もし、私が負ければ・・・テスト中の行動を監視しておいて、難癖を付け、私を降格、あるいは排除(クビに)する・・・って訳か。私はその先の算段を察する。
もともと、大して自分に合っているとも思えないこの職業。いつクビになっても結構よ、と胸中で笑う。
11対1か・・・。どうせ11体は、「実験者(かれら)にとって都合の良い答え」を導くために最大限コントロールされる。私がクビになるのは一向に構わないが、パンドラの箱を開けるのだけは、阻止せねばならない。私が預かった子が、もし萌芽しなかったら・・・。

―いいえ。
―いいえ、出来るわ。きっと、彼らなら。

私はゆっくりと、瞼を瞑り。そこに、相沢海斗の歌い姿を見る。

「オーケー。飲みましょう?その条件を。」
私は、聴衆全員の顔をもう一度じっと一人ずつ、見返してから、
『自信は、湧いて出てくるものではなく、自ら持つもの。』
心中で唱えてから、ゆっくりと手の中のペンを握り、答えた。

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【KAITO-NP401SA00T: 09.10.2508】

何かが引きつれる感触に目が覚める。
「つっ・・・。」
口の中が腫れている。口の周りには、何かが張り付いている・・・血糊だろうか?・・・が、後ろ手に何か細い紐のようなもので拘束されていて、それを拭うことはかなわない。
「起きたのか。」
どこか、呆けたような口調で、レンは言った。
たしか・・・突然鳩尾を殴られて・・・僕は気を失って?・・・それからの記憶がない。今は、カウンターキッチンの前で、いつの間に身ぐるみ剥がされたのか、床に素っ裸で転がされていた。レンがいつだったか調整してくれた、空調システムが僕の体温をちゃんと管理してくれているのか、寒くも・・・暑くもないけれど。

僕を、見るともなく乾いた視線で眺めているレンは、一体、いつからそうしているのか。どこか、窶れているように見える。
ソファがいつもと反対に、キッチン側に向けられていて、レンはそのソファの上で肘を付いて寝そべっていた。
「・・・げほっ・・・。こ、コンサート・・・は。」
喉が渇いて、うまく声が出ない。
喉だけは・・・と歌えなくなることを恐れて、そんな自分を少し嗤う。どうせ、大して歌えていないのに。我ながら、なかなかに女々しい性格をしている。
「コンサート、ね。どうなるんだろうな・・・。サボっちまった。」
乾いた声で、レンはどうでもいいことのようにあっさりと返した。マスターの意志を無視したってこと?だとしたら、それこそ、ロイド失格だ。故障だよ、レン・・・。それも、随分と派手に故障している。僕なんかの混乱じゃ、とても追いつかないくらいに。
レンは・・・一体どうしてしまったのか。この間までとは、まるで別人だ。僕が歌った唄・・・あれがきっかけだったような気もする。だけど、なんだかそれもどうでもいい。
ただ、時折レンが、縋るような瞳で僕を見る。
そして僕は、何故かそのレンを、可哀想に、とどこか哀れんでいる。

おかしい。

僕を殴って気を失わせたり、裸に剥いたり・・・さんざん酷い目にあわせているのはレンで。哀れまれるべきは、僕のはずだ。
「俺は、完全にポンコツだな。なんかそう思ったら、落ち着いてきた。」
上半身を起こして、ハハハ、と力なくレンは笑った。落ち着いてきたなら、これを解いて欲しい。
「もう、俺は、アンタだけでいい。」
ソファの上で胡座を掻いて。じっと、緑色の目が、僕を見つめる。僕は、足の甲と裏を擦り合わせて、居心地の悪さをやり過ごす。
ふふ、とレンは不意におかしそうに肩を寄せた。
「どうすれば、アンタを失わずに済む?教えてくれよ。その通りにするから。」
二度と、離してやらないとか・・・失わずに済むとか・・・一体なんの事なんだか、僕にはさっぱり見当がつかない。
「・・・案なし、か。俺よりスペック低いんだ、当たり前だよな。」
前髪を掻き上げて、こちらを見る目は。憎しみに揺らいでいるようにも、何かを痛切に悲しんでいるようにも見える、不思議な瞳。
自分の手の平が、何故か汗をかいていることに気づく。何故・・・?
「そんじゃ、俺が思いつく方法を試すしかないか。あんまり期待できないけどな。なんてったって、俺もポンコツだし?」
苦笑しながら歩み寄って、レンは僕の顎を掴み上げた。自然、喉がつっぱる。僕は、デジタルに輝く、その瞳から目を離せない。

可哀想に・・・。
可哀想に・・・、レン。

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【LEN-NP401SA12T: 09.10.2508】

カイトの口の中に、自分の指をつっこんで、無理矢理、唾液で湿らせる。奥まで指を押し込むと、カイトが苦しそうに眉をよせ、嘔吐く。
「うっ・・・ぐ・・・。」
苦しそう・・・それに、あーあ、白い肌がこんなに青くなっちまって・・・。頬が紫になって、腫れていて。その上、口の周りは口の中からしみ出た血液が乾いてこびり付いている。
頬を一度強く張って、鳩尾を殴っちまった俺のせいだけど・・・。どこかで他人事のように笑っている自分がいる。
マスターのコマンドを無視して、俺はこんなところで何をやってるんだろう?
あんなに良いマスターで、あんなに才能溢れるマスターに拾ってもらって、俺はなんて幸せなロイドだろうと、今もそう思っている・・・思っているというのに。俺は何故、マスターの下に帰らない?
マスター。俺にとって・・・最も、大切、な・・・。
疑問はつきず、考えは一向にまとまらない。分からないことが多すぎて、なんだか何もかもどうでもいいような気になってくる。カイトの口から指を引き抜き、もう空いた左手でカイトを俯せに転がす。まるで物でも扱ってるかのような、自分の手の動き。
「ッたっ!!」
カイトの短く小さな悲鳴。ひどく・・・荒々しい気分だ。自分でも、どうしようもないほど。ストップしてしまった思考とは裏腹に、身体の内側が熱くて熱くて・・・。
今のところ、誰も、俺を救ってくれる気配はない。
白い背中。後ろ手に縛られている手首は、細すぎる紐で結ばれているせいで、早くも紅い跡を残して、いかにも痛そうだ。
俺はその背中をそろそろと撫で上げながら、そこに乗り上げて、カイトの後頭部の髪を左手でこちらに強く引いた。肩口から、綺麗に仰け反った白い首もとを覗き込んで、耳に吐息ごと、吹き込む。
「ここは、さすがに・・・俺も、今の今まで興味なかったんだけど。」
言いながら、双丘に右手の平を這わせ、指先をそこにそっと当てる。

イライラする。何かに焦ってる。
 だが、何故?
カイトの肌が返す感触に、ひどく興奮する。
 だが、何故?
シ・ラ・ネ・ェ・ヨッ!!

入り口でくるくると、焦らすように指先を周回させると、カイトは嫌悪感に耐えているのか、小刻みに身体を震わせた。
指の先に力を込めて、ぐっと中に押し込む。
「や・・・めっ・・・。」
否定の言葉を、初めて聞けた気がする。
カイトの唾液で濡らしたとはいえ、入り口の筋肉に強い力で反発されて、自分がカイトの身体からも、拒絶されていることを知る。そうだよな?そうだろうよ。
フ、と俺は軽く笑いながら、一気に腕に力を込め、指を根本まで埋める。
「い゛っっ!」
短い悲鳴と同時に、カタカタカタッとカイトの身体が震えて、背や額に、汗が滲み出す。俺は、痛みから逃れようと、身を捩るカイトを自分の体重を使って押さえつける。カイトの身体の脇に着いた左膝と、両足の間に滑り込ませた右足で、カイトの半身をホールドする。喉が仰け反っているからか、詰まったように響く短い悲鳴。身体にダイレクトに伝わってくる『逃れたい』という情動。
ぞわっと、背中の毛が逆立つような感触を覚えた。鋭い悪寒のような、激しい劣情のような。うまくラベリング(※ここでは感覚に名前をつける、という意味)できない。
まだだ。
まだ、『遠すぎる』。もっと、アンタの近くにいかなけりゃならない。
「う゛っ・・・あぁっくっ・・・」
無理に乱暴に掻き回せば、背中に浮き上がる脂汗。初めて聴く、カイトのせっぱ詰まった、声。きつく掴んだ髪を、離して根本を掻き回し、掴み直す。両手が塞がってるから、舌で、俺の身体の下で精一杯丸められた背の、肩胛骨の隆起をなぞる。
・・・と、それまで痛みに身を震わせていた背中から、
「ふっ・・・」
ほんの少しだけ、甘い声が上がって、きつく締まった内側が、一瞬緩む。
「何?悦んでるわけ?」
脳裏でチリチリと焦れる気持ちとは裏腹に、ふふ、とどこか余裕に満ちた笑いが漏れて。つ、つ、つ、と。肩胛骨の隆起から、背骨の脇へと舌を這わす。
「んんっ!」
丸められた背中が、くっと急に蝦反りになって、俺を振るい落とそうとする。

イヤダ、イヤダ、イヤダっっ!!
逃がさない!!

「動くな。」
自分でも、聞いたこともないくらいの。冷静な、冷徹な声が出た。その声に凍り付いたように、カイトは動きを止めた。ふ、と俺は笑って、ぐっと髪を掴んでこちらに引き、蝦ぞりになった背中を更に反らせる。きゅぅ、と再度締まった内側の壁を、無理に押し広げるように。奥へ奥へと指を進めながら、中の襞を広げるように、指先を折り曲げて、旋回させる。
「アゥっ!」
と、途中で不意に、高い悲鳴。身体がビクッと一瞬、痙攣する。カイト自身も、自分の反応に驚いたのか、一瞬、固まった。
もう一度、そこの近辺でぐいぐいと内壁に指を擦り付ける。
「ぅ、もうっ・・・や、め・・・・ぅアッはっ!!」
何事か必死になってカイトが語りかけようとした辺りで、俺はカイトが何に反応しているのかを知る。
「ここが・・・好きなの?」
うっとりと、肩口で唇を肌に這わせながら、呟きつつ。中で見つけた痼りの周辺を指先で刺激する。
「んんっっふっ!!」
ほとんどその問いを肯定したも同然の喘ぎ声を漏らしながら。気持ちだけは、否定のつもりか、カイトは顔を背け、頬を床に擦り付ける。
「はっ、はっ、はっ・・・」
と上がった息を整えながら、カイトが一度唾を飲み込み、言った。
「な、んに・・・なるの。」
ぴく、と俺は指の動きを止める。
反射的に、じわ、と何か熱いものが、丹田の辺りから急激にせり上がってきて、俺を追い詰める。
一度だけ肩を薄く浮かせ、こちらを振り向くと、カイトは目を薄く開けて、淡々と、もう一度言った。
「なにを・・・したいの。」
うっすら、上気している頬。薄く開いた瞼から、長い睫から覗く、群青色の、瞳。

「・・・わからねぇよ。」

呟くような、乾いた声を俺は聞き。カイトから指を抜いて、俺はベルトを外しにかかった。

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【KAITO-NP401SA00T: 09.10.2508】

指が引き抜かれ、背後でベルトを外す気配に、身体をズリズリと肩を床に擦らせて僕は逃げようとした。けれど、レンの熱い指先が、逃がさない、とばかりに僕の腰を乱暴に掴む。
レン・・・。止めよう・・・、と僕はなんとか言おうとして、けれど声が伴わずに、ほとんど呟きで終わった。
「アンタのここ、ヒクヒクしてる・・・。何かを、待ってるみたいに。」
笑いを含んだ解説に、僕はそんなわけ、ないじゃないか・・・と反論を心に唱える。が、そんな心の呟きは届くはずもなく、入り口に熱い先端が押しつけられ。ソレは、レンの体重を頼りにメリメリと無理矢理に押し進む。
「ム・・・リッッッ・・・・!」
言葉にならない。自然に全身に力がこもる。・・・が、一通り奥まで押し進んだレンは、気が済んだのかなんなのか、そのまま暫くじっとして、僕の背中で軽く息を整えた。
「ふっ、ふっ、ふっ・・・」
微かに聞こえるのは、短くて浅い、熱い吐息。僕は痛みが散っていく代わりに、自分の内部で息づくレンの鼓動を感じた。ドクン、ドクン、ドクン・・・僕よりずっと幼い、レンに。僕は一体何を・・・。
かっと頭に血が上ると同時に、身体にぎゅっと力が入った。
「んっ!何締め付けてんの?動いて欲しいって事?」
一度身体を小さく震わせてから、笑いながらレンは言い、深く繋がったままに、僕をぐるり、と仰向かせると、腰を使い始めた。
レンの目は・・・大きくて綺麗な、緑色は・・・今はとても悲しい色に見える。
最初は単調だった律動は、何を頼りにしてか、だんだんと複雑なリズムを刻み、僕は先の読めないレンの動きに翻弄されて。やがて、ジ、ン、と身体の奥が痺れる感触に、身体が勝手に震えた。
自分の体重で押しつぶされて、すっかり感覚が無くなったはずの腕が、たまに床に強く擦れて、痛みを訴えるのが、唯一正気を取り戻すきっかけだった。

僕を捉える、緑色の瞳は、凶暴で。
僕を追い詰める小さな唇は、陰湿な笑みを浮かべていて。

可笑しい。
なのに。快楽の波に呑まれそうになる中、脳みその片隅に辛うじてこびりついている、理性が。
助けなければ、と言う。
助けなければ?誰を?

誰を?
―彼を。

「ゥアッ・・!!」
突然胸の突起に噛み付かれて、喉が引き攣れた声を上げる。
クツクツとレンが喉の奥で笑い、
「上の、空とは・・・良い度胸、してるよな?」
ズンッと、腰を抱え上げ直し、体重をかけて最奥を突く。それが、まるで罰であるかのように。
「ふぁっ!」 僕よりずっと小さな身体が、僕の両足を抱えて、僕の身体を自由にしている。なんだか、ひどく滑稽だ。僕は意識の片隅で自分を嗤う。
もう一度、レンが強く奥を突いて、白く周囲が消し飛ぶような、感覚に揉まれる。入り口の感覚は麻痺していて、ただ、その熱さだけが、僕を追い詰めた。
揺すられる度に、波が寄せて返すように、快楽が僕の前を行ったり来たり・・・。たまに、それを咎めるように、レンが激痛を送ってよこす。
もうどのくらいこうしているのか、分からない。
レンの律動がまた段々と早くなり・・・僕は自分の内部に熱が放たれるのを感じる。もはや何度目なのか、数える気にもなれない。
汗が一粒。とてもゆっくり。レンの顎を伝って僕の臍の辺りに落ちた。
「ハッハッハッ・・・・。」
脱力したように、レンは両腕を僕の身体の両脇について、肩で短く息をする。
疲れた・・・。
僕も、全身の力を出来る限り抜く。いつまで続くか分からないんだ。休めるときに休まないと、辛い。
ずる、とレンが僕の中から自分を引き出すと同時に、ドロリ、と内側に放たれたものが床に溢れる。
「あ、はぁ・・・ぁ。」
ほとんど呆けたような自分の声。生理的なものか、精神的なものか分からない、涙が少々目頭に滲む。
なんとなく、顎を引けば。顔を下に向けたまま、レンの熱っぽく潤んだ緑色の瞳が、前髪越しに、こちらをジィッと見ていた。

僕を、恨んでいるような。僕を、憎んでいるような。
だけど。

いつだったか、こんな目を、していた誰かを見た。
いつだったろう。
いつだったろう。
とても、大事なことなんだ・・・とても。
「何を泣いてんだよ、アンタ・・・。まだ終わっちゃいないぜ?」
レンは、クッと喉の奥を詰まらせる。嗤い声かもしれない。
僕が泣いてる・・・?言われて、例の鬱陶しいものが絶え間なく頬を伝っている感触に気づく。
いつだったか、こんなとき。僕は誰かを救えなくて・・・救ってあげられなくて・・・きっと後悔した。だから・・・。
だから・・・。
「レェ、ン。」
僕は、乾いた舌で、名を呼んだ。腕が・・・自由にならなくて。それがひどくもどかしい。
背中の下で、腕に力を込めようとして。それが叶わずただ、肩がぎこちなく、震える。
「レン。」
レンの顔が、こちらを向いて。瞳が、一回り大きく開く。
とても大事なことだった気がする。


「・・・ごめ、ん。」


レンの固く結ばれた口が、小さく開いて。見開かれた瞳はそのままに、ぼろ、と大粒の涙がそこから零れた。
「ごめん。」
レンの唇が小さく、小さく震え始める。
胸が、熱い。
僕も自分が何を言いたいのか分からないのに・・・だけど、レンには伝わった。それだけが、分かって。
とめどなく、僕の頬に暖かい涙が伝う。僕は、多分、最後に少しだけ笑ったと思う。
安心したら、眠くなってきた。
「カイトっっ!!」
レンの声が上がって、彼の腕が僕の草臥れた、汗まみれの身体をぎゅっと抱く。
グレイアウトしかかった、視界でそんなレンの姿を見て。レン、服が汚れちゃうよ・・・。と僕はあんまり意味のないことを思った。

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【LEN-NP401SA12T: 09.10.2508】

ぐったりと、いきなりパワーオフしたかのようなカイトに、俺は慌てて、その身体を揺する。
「カイト!おいっっ!!」
え?ええ!?
ま、まてまてまて・・・あまり揺すったら悪いかも知れない。こういう時ってどうするんだったっけ?
人間用の救急方法って使えるのか?・・・わからん。そうだ、こいつはロイドだ。別に突然パワーオフしても、故障ならリペアセンター送れば復活して帰ってくるじゃないか・・・運が良ければ・・・。
運が・・・良ければ!?
「か、カイトッッ!!」
再び、大きくその肩を揺する。がくん、がくんと支えを失ったかのようなカイトの頭部の動きが、俺のパニックをどんどん煽っていく。
と、カイトの瞼がピクピク、と痙攣し、
「眠い・・・。手、解いて・・・。」
口元に耳をよせねば聞こえないくらいの小さな声で、カイトが呟いた。
な、なんだ・・・。びっくりさせるなよ・・・。
俺は、カイトの上半身をそっと床に寝かせ、肩をゆっくりと転がして横を向かせてから腕の拘束を解きにかかる。拘束されていた箇所はロープに苛まれて紅く擦れ。長時間背中の下敷きになり、床に叩きつけられ続けていた腕は、相当痺れているのか、俺が少し触れる度にカイトが身を捩る。俺は、それに出来るだけ触れないように、気をつけながら、そっとロープを解いていく。
クスッ、と不意に、カイトの鼻が鳴った。
「なんだか、おかしい。ついさっきまで滅茶苦茶してた癖に。」
続けられて、かっと頭に血が上る。怒りじゃない。多分、羞恥心の方。突然、下半身だけ素っ裸でカイトの横に胡座を掻いている自分の不格好さも思い出して、ますます俺は自分の顔が熱くなるのを感じた。
「五月蠅いっっ!じっとしてろ!」
謝るところだろ、俺・・・。とは思いつつ、俺は顔の火照りを誤魔化すかのように、短く低く、唸った。
「うん。」
八つ当たりにもか関わらず、それが、まんざらでもないような、カイトの柔らかい声に、俺はキュッ、と胸の辺りが締め付けられる感触に見舞われる。
手首を自由にして、何か清潔な布を探そう、と思い立って。でもカイトの側を離れる前に聞いた。
「なんで謝ったんだよ。さっき。」
本当なら、謝ったりするのは、俺の方な気がする。だけど、あのときは何故かしっくりきて・・・。それまでの、凶暴な気持ちがえらく突然、収まっていった。
「・・・わかんないよ。寧ろ、僕は謝られる側だし。」
と、カイトはまたも蚊の鳴くような声で、だがふてくされたように言った。続けて、身体を起こそうと、床に肘を付き、失敗して、ドタッと床に潰れる。
「お!おい!!無理すんなってっっ!!」
慌てて、再度起き上がろうとするカイトの肩を支えようと手を伸ばす。
「っててっ!!・・・ほんと、レンは・・・滅茶苦茶だ。」
カイトは、鼻頭に皺を寄せて、失笑しながら、身体をぎこちなく、こちらに向けた。そして、俺の前髪を一度、くしゃっと掴みこんで。白くて長い腕が、俺の肩をぎくしゃくと、抱いた。

腕が・・・痺れてるんだろ。アンタ。
ジンジン痺れてて、触ると痛いんだろ。
ぐわぁ、と何か強烈なものが、胸に満ちて、目の奥にせり上がってきた。

「アンタの・・・側じゃなきゃっ・・・。」
突然、自分の口が勝手に、嗚咽まみれになりながら、ほとんど叫んで。俺は続きが自分でも分からず、もう一度繰り返した。
「アっ、アンタのっ、側じゃッナキゃっ!!」
っく、ひっく、と二度三度、肩が上がった。
「分かった。分かったから・・・。」
カイトの腕が、ゆっくりと、少し、俺の背中をさする。

優しくすんじゃねぇ、こんなときばっか。
余計、止まんなくなるだろうが・・・。
俺は暫しの間、カイトに手当が必要なこととか、自分が下半身裸のまんまだとか、そういうことを全部忘れて、ギャーギャー泣いた。
起動されてから、6年。俺の初泣きは、俺の予想に反して、やけに子供じみたものだった。

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【KAITO-NP401SA12T: 11.10.2508】

Hmm...

また、レンの、夢かな。
僕はほとんど、夢の中の彼をレンだと確信している自分を少し笑う。
だけど、彼はレンだ。
本当にそうかどうかなんて、どうでもいい。
僕は、そう信じる。

瞼の裏が焼けて、僕は目を薄く開ける。僕に与えられた寝室の、見慣れた光景。床にレンが直接胡座を掻いて座っていた。

Hmm...

夢にみた、ハミングを、レンが歌っている。ドアに背をもたれて、顎が少し上がっている。まあ、歌を歌うポーズじゃない。
どうして、レンもその歌を知ってるんだろうね?
不思議だけど、別にどうでもいい。僕は幸せになって、ベッドの上で背を丸め、もう一度目を瞑る。

レンの声は、心地良い。
レンの歌は、心地良い。

僕は、自分の声をそこに重ねた。寝そべったままで、ろくな声など出ない。
喉の調子も本調子じゃない。

だけど、そんなことはどうでもいいんだ。
本当に、そんなことはどうでもいい。
そう思っている僕に、自分で少し吃驚して、思わず笑う。

Hmm...

僕の声と、レンの声が重なって。
たとえ質の悪いハミングでも、僕らの歌いたい唄がそこにあって。

僕は、とても、幸せな気分だった。

終。
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