第六話:幕間の兄弟
【相沢海斗: 08.10.2045】
「若人達よ。君たちは音楽の才能を見出されてここに集められた。このプロジェクトは我が国が超長期的観点から・・・・我が国の財産として、君たちの遺伝子を・・・」
なんだかよく分からないが、やたら熱っぽい演説に、俺は欠伸をかみ殺す。座らせられた椅子は高級でも、奴らが俺達の価値を評価してないことなど、態度から透けて見える。
海外ツアーの途中だったのに、わざわざ本国まで呼び戻されて。時差ぼけに時差ぼけを重ねて何が何だか分からない。
一体今は何時なんだ?苛立ち紛れに耳の後ろをばりばりと引っ掻く。
「兄さん。僕達、なんか怪しいことに巻き込まれてない?」
隣から弟が小声で話しかける。その表情(かお)はどこか演説者を小馬鹿にしたような、やる気のない視線をステージに投げている。
全く同感だ。これまで国家プロジェクトと銘打ったもので、良い物など、聞いたこともない。およそ国なんてモノは、在りつづけて俺達国民のリクエストに出来る限り敏捷に反応してくれればいいのであって、能動的になんやかんやと動かれてもはた迷惑なだけだ。どうせ強大な権力を持った連中にろくな思いつきなどありはしない。
金を『たんまり』くれるというのなら、個人的には喜んでお付き合いしてやっても良いが。
「それより、あっちにいるの。どう見ても高瀬姉妹だよな?」
不意に俺は関係のないことが気になって、肘で弟の肩を小突いた。瞳を目一杯眇めて、距離は遠いが、俺達と向かい合わせで座らせられている美麗な女性二人を見定める。もともとお偉い方々の有り難い演説など、聞くつもりもない。対岸に座る女性達も同じ心づもりらしく、姉の方に至っては、足を組んで頬杖をつき、どこか明後日の方向をつまらなそうに眺めている。他にも何人か見知った顔はいるが、どうやら俺が名前を覚えているのはその二人くらいだ。
「"M&M Sisters" っぽいね。知ってた?彼女達、そう呼ばれているらしいよ。」
悪戯っぽく口元だけで笑って、俺をちらっと見上げる大きな瞳。M&M?・・・ああ、Meiko&Miku 姉妹ってことか。まるでどっかの合弁会社みたいだな。
危うく吹き出しかけたところで、
「直接会うのは初めてだね。」
続けて小声で言われ。
「お前が覚えてないだけだ。一度会ってるよ。確か・・・なんだったかのコンクールで。」
我ながら『なんだったかのコンクール』とはいい加減極まりない。
「僕がいくつの時?」
「さあな。覚えてない。」
弟は声を出さずに肩を揺らして笑った。
「兄さんもいい加減、人間らしい記憶力を養わないと。僕なしじゃ社交界のお付き合いどころか、海外ツアーも一人でこなせないんじゃない?」
・・・。この言われようじゃ、どっちが兄なんだか分かったものではない。
「失敬な。女性の名前は覚えられるぞ。社交界はばっちりだ。」
ふん、と俺は鼻で笑って、思いついた反論を返せば。
「そういうのは、ただのナンパヤローっていうんだよ。」
すかさずやりこめられる。加えて、机の上に肘をついて、頭をその上に乗せ、嫌みったらしい視線を、下から探るように投げかけてくる。たまに、弟は何歳なのかよく分からない表情になる。今がまさにそうで。俺はこういう時、何故か少し不安を覚える。
「格好つけるのも結構だが、その中途半端なチョンマゲを取ってからにするんだな。」
俺は白い額にデコピンをかまし、いつも弟をやっつけるときの決まり文句を告げて。
「放っておいてくれよ。気に入ってるんだ。」
ぷい、と子供らしくいつものように拗ねた弟に安心する。
「伸ばしたいのか、短くしたいのか・・・とにかく、中途半端すぎだ。」
一度肩を竦めてみせてから、腕を組んだ。眠すぎる。安心したら、余計眠くなってきた。仮眠を取ろう。組んだ腕の上に頭を垂れて睡眠できる体勢を取る。
「お、おい・・・。兄さんマジで寝るの?!」
その様子を見かねてか、弟が小さな悲鳴を上げた。・・・その時。
「ではっ、記念すべき一人目として、相沢海斗くん、前に出たまえ!」
突然マイクがハウリングするほどに興奮した声で俺の名が呼ばれる。なんだよ、あいうえお順か?
「耳は大事な商売道具なんだが。」
独り言が漏れる。
というより、話を聞いてないから前に出て、一体何をされるのか分からない。
「相沢海斗くん!」
「は、はぁ・・・。」
耳裏の首筋を引っ掻きつつ、俺はとりあえず席を立つ。それを、やや心配そうな顔で見上げる弟の頭に、ぽん、と上から手を落とす。
遠くステージの上にたったスーツ姿の男は、
「さあ、こちらへ!!」
と、ステージの上に用意された椅子を手で示す。
あそこに座れと言うのか?歯医者で座らせられる椅子のように厳ついソレはあまり進んでご厄介になりたくない代物だ。
「さぁ!!」
妙に明るいその声が、俺を余計に悪寒に晒す。
だが、「国家プロジェクト」とやらに協力せねば、今後動きが取りづらくなるのは間違いない。まして俺達は国からの借金がまだ残ってる貧乏兄弟だ。弟の不安そうな瞳に、俺がわざわざ不安の要素を付け足したところで・・・これといったメリットもない。
弟の頭を上からぐりぐりと撫でて。
「大丈夫だ。取って喰われやしないさ。」
優しい声音をつくって言ってやってから、バリバリ、ともう一度耳裏を掻き。俺はカフスを締め直しながら、すたすたとその椅子に向かって歩みを進めた。
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【相沢聯: 24.12.2045】
lalala....
都会の喧噪の中、僕らはホテルへ向かって足早に進む。
「懐かしいな。」
ふふ、と頭の上から笑い声が落ちる。僕は唄うのを止めない。
「母さんが、店でよく歌ってたな。」
独り言のように兄さんは続ける。これは、母さんの生まれ故郷の唄らしい。僕らは、それ以上を知らない。
もともと父なし子・・・というより、互いの父親が誰だか分からない僕らは、4年ほど前に母さんもなくしてしまったから。
僕らにとっての故郷ってなんだろう、とたまに考えることがある。
母さんが働いていた、あの場末のバー?
広い意味では「NIPPON」かな?・・・だけど、君が代や国旗に感じるより、はるかに強い郷愁を、僕らは多分、この唄に感じている。
lalala...
と、目の端にライスボールスタンドを見つける。せっかく帰国してるんだ、少しは日本らしいモノも食べないと。僕は歌うのを止める。
「兄さん、ちょっと待ってて。僕、スタンドでオニギリ買ってきてあげるよ。そろそろお腹減ったでしょ?」
チェロケースごと、僕は相棒を兄さんにほとんど押しつけるようにして渡す。
「あ?あぁ・・・。」
唄に聞き入っていたのか、どこか呆けたような顔をして、兄さんはそれを受け取りながら投げやりに相づちを返す。
話を聞いてなかったくせに。
その顔に、やっぱり兄さんは僕がいないと駄目だなあ、と知らず、笑いの混じったため息が漏れる。
そうだね。僕らにとっての故郷はわからなくとも。
少なくとも僕には分かっていることがある。
僕にとっての故郷、僕にとっての家・・・僕の居場所は・・・。
僕は軽く手を挙げて駆け出す。兄さんはきっと背後で、雑踏の中、ぽつんと立ちつくして。「聯は、どこいったんだろうな。聞いてなかった。」とか独りごちながらいつものように首筋を引っ掻いているに違いない。
クス、と鼻に吐息が抜けて。唇が自然、笑う。
大丈夫だよ、兄さん。僕が兄さんを長いこと置き去りにしたことなんか、なかったでしょ?
スタンドで、手早くオニギリを二つ注文して、会計を済ます。紙袋に入れられたオニギリを受け取って、僕はダッシュで兄さんを置いてきた場所に戻ろうと、勢いよく踵を返す。
あれ・・・?
兄さんを置いてきたその場所に、人だかりが出来ていた。なんとなく、背筋が寒くなる。なんだろう。一瞬、身体が強ばる。
「兄さん?」
自分の声に、我に返って、僕はその人垣の中へ、慌てて駆け込んだ。
果たして、その人垣の中心に、兄さんが寝ていた。いつもは僕の次に大切に扱ってくれる相棒を地面に投げ出して。
「・・・。」
声が出ない。
膝が、がくん、と勝手に折れて、アスファルトを叩いた。
視界が、それに合わせて、がく、と下がる。兄さんの白い顔が、近くなる。だが、どこか遠い。
「・・・。」
おずおずと伸びた手が、焦点の合わない、兄さんの栗色の瞳の下をなぞる。じわぁと、兄さんの頭の回りを、赤い液体が広がっていく。
・・・なんで?
「ぅ、う・・。ぅぁあああああああああああああっっっっっ!!!!!」
誰の声だか分からない無様な絶叫を、僕は聞いた。
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【相沢聯: 08.01.2046】
『お兄さんのことは、非常に残念だった。』
『傷が頭蓋を貫通していて・・・脳のダメージが・・・未だ脳の移植は技術的に無理で・・・』
『だが、喜びたまえ。君と君のお兄さんは選ばれし者だ。だから、お兄さんは永遠に・・・君と共に。』
よく、分からない。
気がついたら、僕はピアノとチェロ以外、何もない部屋に監禁されていた。
ああ、使ってないけど、部屋の隅に、そういえばベッドもある。
今が、昼なのか夜なのかも分からない。時計がないから時間の経過も分からない。
あれから・・・どれだけの時が経ったのだろう。
兄さんのぽっかりと開いた瞳孔が。
兄さんの血で真っ赤に染まった自分の手のひらが。
目に焼き付いて離れない。
なぜ・・・。
なぜ・・・。
問いの形すら完成しないままに、僕はそればかり呟いた。
「ら、ら、らぁ・・・。」
最後に兄さんに歌った唄を歌おうとして、メロディをなぞれない自分に気づく。
まるで壊れた楽器だ。
くっ、と喉が険呑な音を立てる。
唇や目や、頭や・・・身体の内側が、やたらと乾いて干からびてしまったような感じがしたが。それを潤そうとも思えない。
このまま・・・干からびて死ぬことが出来るなら、それに越したことはないとも思った。
僕は、ここに来てから、一度でも寝たろうか。
何かを、食べたろうか。
・・・分からない。
ただ、仰向けに大の字に床に寝ころんだ。白すぎる部屋は、まるで何かの実験室のようだ。
不意に、ぎい、と音がして、重たい防音扉が開いた。ごろり、と頭だけを転がして、そちらに視線を投げる。
扉の向こうに、白衣の男が立っていた。その男には、会ったことがあるように思ったが、興味など無い。
だが。
「君のお兄さんが、帰ってきたよ。」
男の言葉に、弾かれたように僕は上半身を起こした。
男の影から、いつものようにタキシードを着こなした、兄さんがひょこっと現れた。モデルのように長い手足が、ふらふらと動いて、こちらに向かって歩み始める。
「兄さ・・・。」
どうして?死んだはずじゃ・・・。
思わないでもなかった。だけど。
「兄さんっっ!!」
跳び起きて、抱きつく。兄さんはその勢いに押されて、二、三歩後ろにふらついた。
「ぁ、ぁ、うぅー。」
まるで意味不明の、呟きのような声が、兄さんから発せられて、僕は訝しんで兄さんの顎を見上げた。確かに、兄さんの声・・・。
「兄さん?」
一向に兄さんは僕をみようとしない。
側でずっと様子を見ていたらしい、白衣の男が、馴れ馴れしく僕の肩をぐっと掴んで言った。
「君のお兄さんはね。記憶がなくなってしまったんだ。言わば、脳だけが赤ん坊に戻ったみたいなものさ。これから君が言語や、音楽を教えてやれば、以前のように二人でコンサートをできるようにも、なるかもしれないよ?」
記憶が・・・ない?
哀れむような瞳で、白衣の男は僕の瞳の中を覗き込んで笑いかけ。かがめていた姿勢をすっと正すと、ソレを置いて静かに部屋を出た。
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【相沢聯: 12.01.2046】
―こいつは、兄さんじゃない。
その思いが、ほとんど確信に変わるまで、大して時間はかからなかった。
「違うっっ!!!何度いったら分かるんだっっ!!」
バァァァァーーーーーーーーーーーーーーンッッ!!
全力で鍵盤に苛立ちをぶつければ。びくぅっ、と兄の形をしたものが、肩を強ばらせる。
兄さんは、いつも自信に満ちていて。自由で。脱力してるみたいに見えるけど、歌い始めるとめちゃくちゃ格好良くて。
そんな風に僕に怯えたりなど、しない!!
「お前は『違う』と『合ってる』も分からないのか!!この馬鹿っっ!」
僕はソレのベストを掴んで一度ひっぱり、力一杯突きとばす。突きとばされた、兄の形をしたものは、床に尻餅をついて『何がいけないの?』とでも言うかのように、首を小さく傾げてこちらを見上げる。
その、あどけない表情に、腸(はらわた)が煮えくりかえりそうになる。
ほんの少し。目を離しただけなのに。
ほんの少し。
その間に、兄さん、貴方はどこへ行ったの?
この、訳の分からない、貴方そっくりの人形を残して。
僕を・・・残して。
「ぅ、ぅ・・・。あーーー。」
これだけ僕が捲し立てているのに、イエスとノーすら未だに使いこなせない、この兄そっくりのポンコツが、僕の頬に手を伸ばす。
「触るなっっ!!」
その手をはねのければ、一丁前に傷ついたような表情をみせ、瞳を悲しみに揺らせる。・・・ますます腹が立つ。
ギッ、と僕は力の限りソレを睨んだ。涙が勝手に、頬を伝って、止まらない。
と、不意にソレは、悲しみに揺れているままの瞳を、ゆっくりと伏せて、唄を歌い始めた。
lalala...
「ヤメローーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!」
僕はその唄が何であるかを解すと同時に絶叫して、ソレに殴りかかった。
ソレは、一度僕の体にぶつかられて唄を途切れさせながらも、歌うのを止めようとしない。
la...lala...la...
どこで覚えたんだ。どこで!!
その唄は、僕と兄さんの唄だっっ。
お前なんかお前なんかお前なんかお前なんかっっっ!!
兄さんを返せ兄さんを返せ兄さんをぉぉっっっっ!!!
闇雲に目の前の胸を殴りつけて、それでも歌い続けようとするソレの首を、馬乗りになって上から全体重で床に押しつける。
白い喉元に、深くめり込む。僕の手を。僕は必死で睨み続けた。
暫くして、やっと僕は自分の周囲にある沈黙に気づく。
ああ、良かった。やっと、あの唄が終わった。
僕は、ほっとして、自分の身体の下にある、兄そっくりのソレを見下ろした。兄そっくりのポンコツは、目を瞑っていれば、まるで兄さんがそこに帰ってきたかのようで。
―――レン。
兄さんが僕を呼ぶ声が聞こえる。でも、どこから?
ぱた・・・ぱた・・・ぱた。
兄さんの顔に、涙が落ちて。やがて、すぅと形の良い頬を伝っていく。
ニイサンヲ、カエシテ。
ボクノ、イバショヲ、カエシテ。
la.la.la...la.la.la...
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『限界・・・ですかな。』
『やはり技術的には脳があっても全く問題ないですね。教育を施せば、それなりになるでしょう。ですが、やはり倫理的な問題が山積してますよねぇ。まあ、普通に考えて、これはやっぱり制度的には御法度のままにするしかないと思いますが。・・・どうしましょう?』
『でしょうね。それに・・・暫くプロジェクトも凍結ですかね。』
『オリジナルを故意に殺害したのはまずかったんじゃないですか?』
『おいおい、人聞きの悪いことを言うな。あれは、狂人の暴行だろう?』
『ははは、仰るとおり。』
『貴方ねぇっっ!!』
『まあまあ、いいじゃないですか。もう過ぎてしまったことですよ。』
『それより・・・やはり工学研究の発展を待って、傀儡として生体コピーを使う、という例の研究を待った方がいいのでは?』
『ははは。あっちはまだまだ何も進んでいませんからねぇ。数世紀は待つつもりでいないと・・・。』
『ま、いずれにしろ。暫くは凍結ですな。』
『そうですねぇ・・・。』
『致し方ありませんねぇ。』
『いや、だがなかなか興味深い結果は色々と得られました。』
『ええ。互いに勉強になりましたな。』
『報告書は・・・。』
『・・・。』
『ところで、あの唄、なんて唄ですか?私は聴いたことがないのですが。』
『あれですか、あれは・・・。たしか・・・「遙かなる故郷」というんです。』
『・・・。ふん。つまらないタイトルだが、意外と良い唄でしたな。』
『歌い手が良かったんでしょうよ。何せ「音楽領域において類い希なる才を発揮した若人」・・・に属する兄弟ですからね?ハハハ。』
『彼らの母親は、シンガーといっても、ほとんど水商売だったとか。ふーむ、鳶が鷹を生むこともあるんですねぇ。』
『いや・・・確かに良い唄でした。私もそう思いました。・・・今回の生体コピーがあの唄を歌えたのは・・・オリジナルの記憶が残っていたから・・・なんて事はありえませんよね?』
『なにをセンチメンタルな世迷い言を・・・どうせ被験者が寝言で歌っていたのでも、聴いたんでしょう。その点は報告書でまとめられるのでは?』
『被験者といえば、相沢聯はどうしましょうか。後処理を考えてませんでしたね。』
『例の病院にでも特別待遇で入れてやれ。』
『そりゃあいい、ついでに天蓋付きベッドでも与えてやりますか!』
『不謹慎ですよ・・・。』
『ハハハッ!』
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ニイサンヲ、カエシテ。
ボクノイバショヲ・・・。
ボクノ、ニイサンヲ。
la...lala....lalala...la...
終