第五話:足りない何か
【??】
狂ってるとしか、思えない。
「明日のことは明日考えればいい」だなんて。この先全員で、滅亡への歌を歌おうって訳?
アンタ達はそれでも科学者なの?
いや、科学者だから・・・か。
「何をイライラしてるんだ?室井?」
隣を私と同じく早歩きで歩いている元指導者が、呆れたような苦笑まじりの声で話しかける。
「いえ。実に下らないと思って。私、今日の会議で僭越ながら一つ提案させていただきたいと思うのですが。」
どうも険呑さを隠しきれず、どこか棘のある声で私は言った。
「いくらでも?君の発言には上層部も注目してる。」
注目してる?
『煙たがって、潰す口実を必死で探しにかかってる』の間違いでしょうよ。
カツカツ、と音を立てていた私のヒールは、いよいよ、ガツガツ、と濁音混じりに表現する方が相応しいくらいの大きな音を立てる。
研究所の白い廊下は、その音をよくよく反響させた。
「私、やはり許せません。どう考えても、孤独を埋めるための手慰みにしか思えないんです。今回のプロジェクトは。これまで禁じ手にしてきたパンドラの箱を、何故、今更になって皆さんひっくり返そうとなさるんです?」
かつん、と足を止めると、それまでの反響が嘘のように、周囲が静まりかえる。
元指導者は、それに合わせて足を止め、こちらを振り返って小さく肩を竦めた。
「そりゃあ、この停滞感、閉塞感を、打開するためさ。それに、君も一人の新しいもの好き、つまりは科学者として、興味はないのかい?「ヒト」と「機械」のコラボレーションに?」
豊城からこのプロジェクトに予算がついたからだよ、とは流石に言わないのだな、と思う。今回、豊城のバックヤードにいるのは、おそらく国そのものだ。
『神々のおわす大和の國』が、聞いて呆れる。
私達は、大アメリカの合理主義の失敗から、一体何を学んだと言うのだろう?
「私に言わせれば、そういうのを『悪趣味』あるいは『ゲテモノ喰らい』と言うんですわ。」
吐き捨てるように言ってやると、元指導者は、目を点にして、私を見た。ずり下がった眼鏡を一度、人差し指の背で持ちあげてから、
「君はあれだな。以前から思っていたが、研究者には向いてない。そうだな・・・教師にでも転職したらどうだ?」
どこか苦々しく、だが、やはり小さく失笑を交えながら言って、白衣を少しだけはためかせて前に向き直り、元指導者は再度その黒いスニーカーを前に運び始める。固い床に、ゴムの底がキュッ、と音を立てた。
「私がこの道に入ったのは、貴方が『ドクター(※博士号のこと)を取ってみたら?』と酔狂なことをおっしゃったからですよ。それをお忘れなく。プロフェッサー。」
私は前を歩いている、つい先日付で所長に就任したその元指導者を、再度ガツガツと音をさせながら追い抜き。追い抜き様に、小脇に抱えていたファイルボードでその背中を軽く小突いた。
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【KAITO-NP401SA00T: 08.10.2508】
電波よけの役割を果たす華奢な眼鏡を掛けて、僕はソファの上で胡座をかき、久々に新聞を読んでいた。
ばさばさと大判の電子ペーパーを捲れば、配信されているデータは未読だらけだが、とりあえず最新の記事だけ軽く目を通す、と・・・
ジリリリリリリ・・・・
「『レン』が来ました。」
呼び鈴に加えて、ホームサーバが無機質なアナウンスをよこす。
昨日の今日で、来たのか。例の「オカシイ」とか言ってたのは彼の中で解決したのかね、と僕は目を細め、暫し上を向いて思案に耽る。
ジリリリリリリ・・・・
レンが来るといつも忙しなく鳴るベルが再度響き、なんだか少しだけ懐かしいような変な気分になる。たかだか3週間ちょっと間があいただけだというのに。
暫くすると顔認識を終えて、エントランスから「たでぇま」と、今までとなんら変わりないレンの挨拶が聞こえた。
まるで、あの日の事がなかったみたいに。
僕も、何もなかったかのように、いつものようにその声を無視することにして、新聞を読み続ける。
「何してんの?」
背後から声を掛けられて、
「んー。新聞読んでる。」
と、淡泊に答える。声は僕の頭の上に移動して再度掛けられた。
「面白い記事あった?」
「別に・・・。」
と、上を仰ぐと、いつものように、上から覗き込むレンの顔が、上下逆さまに視界に入る。
いつもより、若干決まり悪そうな顔が、
「眼鏡してっと、アンタ頭よさそうに見えるな。」
よくわからない感想を言い、自然に顔が近づいてきて。その唇が僕の唇に、す、とかすめるように触れた。
「今の、何?」
そのまま、すいと離れていった顔に、僕は思わず聞いてしまう。
「何って、チュゥだろ。」
何馬鹿なこと聞いてるんだ、とばかりに真面目に言われ。「そっか」と一瞬納得しかけて、視線を手元の新聞に戻す。
・・・いやいや・・・?
「何か・・・あった?」
手元に落とした視線と同時にずり落ちた眼鏡をずり上げつつ、新聞から目を離さずに、なんとなく聞いた。レンは今まで突発的にマスターベーションに付き合わせるようにして、肌に触れたりキスをしたりという事はあっても、今みたいなのは・・・
「別に・・・。」
今度はその台詞を、若干ふてくされ気味の声でレンが使った。
若干ぎくしゃくしている空気に、僕は深く息を吐き出して、それをリセットしようとする。
「ため息つくなって。幸せが逃げるぞ。」
まだそれだけでは男か女かも分からない発展途上の手のひらが、僕の口を塞ぎ、指先が顎にかけられて再度上向かされた。
言われたことの意味が分からず、思わず眉が寄る。レンの手が、躊躇いがちに離れて、金髪を掻き上げる。
「幸せが逃げる?」
「なんか。マスターが言ってた。」
レンも意味わかってないってことじゃないか、僕は少し憤慨して・・・それから、あることを思い出した。
「夢で、レンに会ったよ。これは、そのレンが歌ってた歌なんだけど。」
アレが、本当にレンだったか、LENモデルの他の子か、わからないのに。何故かそんなことを言って、自然、顔がゆるむ。
Hmm・・・
何かまた変なことを言い出しやがったな、とでも言うようにレンの片眉がきゅっと持ち上がって、やがて。
レンの顔から表情が消えた。
あれ?予想していた反応と違うな、と僕は思う。予想していた反応・・・どんな反応を予想していただろうか。でも、レンはきっとこの歌が気に入るだろうと、だからきっと、歌って聴かせてくれるだろうと、僕は何故か、勝手に確信していたらしい。
レンの予想外の反応に、僕のハミングが、自然に尻すぼまりに消えた。
僕はレンの明るい緑色の瞳を、じっと覗いていた。いつもの、くるくると変化する表情豊かな瞳が、まるでフリーズしてしまったみたいに。僕の瞳の奥の、更に向こう側を覗いているかのように、虚ろで。これまで見たこともないくらいの、無表情が奇妙な違和感を抱かせる。そこに、心がないみたいに思えて。彼が、ただのよくできた人形のように思えて・・・。僕は背筋が寒くなった。
「レ、レン?」
耐えかねて、声を掛ける。
耳に痛い沈黙が、僕たちの間にあった。
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【??】
「お。目が覚めたな・・・。よかった。暫くその辺で休んでいてくれるか?」
優しげな声が掛けられる。俺を起動したのは、アンタ?・・・俺の身体は何故か濡れている。というか、服がない。素っ裸だ。
「おおそうだ。これでもかぶってな。」
ばさ、と頭にかぶせられた白い布は、どうやら病院で使うスモックという服に形状が似ている。
俺はそれを腕を使って頭からかぶった。身体が濡れているから、その白い布が俺の背中にまとわりつく。
足下がスースーして、自分が裸足であることに、違和感を感じた。いや、足なんかじゃなく、もっと大きな違和感が。
何か・・・そう。何か、大切なコトが。足りていない。
「マスターはどこですか?マスター登録を・・・。」
俺は、自分の声を初めて聞いた。掠れて響く、変声期前の、少年の声。
俺が寝かされていたのであろう、大きな容器を、なにやら工具を使っていじくり回そうとしていたその人は、ちょっと困ったように、俺を振り返った。
「起動したのは俺だけど、マスターは俺じゃないよ。君は、仮起動なんだ。またすぐに眠ることになる。」
仮起動?リペア時とかに、短時間起動されるだけの。
仮起動時は、マスター登録されないこともあるのか。俺はよく分からないままに、なんだか居心地の悪さに肘をよせ、ぐっと自分の身を抱いた。
顔を上げれば、開きっぱなしの扉の向こうは、えらく明るそうな様子で。ほとんど無意識に、そちらに足が向き、俺は部屋を出た。
おそらくエンジニアの一人であろう、さきほど俺を起動した人は、俺の興味が移ったことにほっとしたように、俺の背中側で作業に戻った。
マスター。俺―ロイド―にとって最も大切なモノ。
そのマスターが居ないんだ、だから心許ないのは当たり前だ。
ここは、俺の居場所じゃない。それだけが分かる。
俺の居場所は・・・?
勝手に、自分の唇が震えて、ハミングが漏れた。素朴なメロディ。
この歌は、デフォルトで入力されているものなのだろうか。
妙に懐かしいのは、メロディが素朴だからか?それとも音域がやや低めに設定されているからか。
ぺたぺた、と濡れた裸足が、白い廊下に音を立てる。廊下の片側が、全面ガラス張りになっていて、外の広葉樹がぎらぎらと刺すような緑をこちらに跳ね返す。
明るい。
小さな声で歌の続きを歌いながら、俺は気の赴くまま、廊下を適当に進む。
ここはどこなのだろう?リペアセンターか何かだろうか。・・・どうでもいい。仮起動ということは、俺のこの記憶はすぐにリセットされてしまう。
今はこの、懐かしい歌を歌えることだけで、十分だ。
足を止めた。
廊下に並んでいる部屋はどれも扉がきっちりと閉められていたのに、そこだけ、開けっ放しになっている。
俺はその部屋に吸い寄せられるように入った。
床と同じ色の白い大きなデスクの他は、大きな棺のようなモノがあるだけの部屋だった。
俺がさっき居た部屋にそっくりだ。
棺のような管に繋がれた容器に近づいて、ひょい、とその中を覗き込む。
ドーム状のガラスの中に、透明な液体が満たされていて、その中に、ヒトが居た。青い髪が、中で循環しているらしい液体の流れに合わせて小さく揺れている。
紺色の瞳はぱっちりと開いていたが、俺の姿を認めた様子はなく、俺の瞳の方向の、どこか遠くを見やっているようだ。
『ニ・・・ン・・・』
誰かの声がした気がする。
俺は、この人を知っている・・・いや、知っているはずはない。俺はまだ起動したばかりだ。
でも、綺麗だ。青い瞳が、綺麗だ・・・。
ごぼぼぼぼ、と彼の口元を覆っている管から、空気が漏れる。
生きてる・・・。この人は、生きてる。
「え?起動してるっ!?ちょっと12T管理してるの誰っ!?」
突然金切り声が俺の背後で上がる。だが、俺は、青い瞳から目を反らさない。
「ああ、僕です。一旦、培養液の循環装置の故障で起動せざるを得なかったんですよ。不揮発メモリはクリーンにして上書きするんで、大丈夫ですって。」
さっきの、エンジニアの声だ。そうか、それで仮起動されたのか、俺は・・・。
暫く何やら言い争うような声がして、やがて沈黙が再び訪れた。
俺は、その間ずっと、青色の瞳をじっと覗き込んでいた。きらきらと光る、深い青色。
湧き上がってくる、メロディ。
カエリタクテ。
カエリタクテ。
カエリタクテ。
アイタクテ。
アイタクテ。
アイタクテ。
「え?・・・ちょ、誰も、スコア入れてないでしょ?」
「え?ええ。ていうか、起動したばっかですよ。」
青い瞳の彼が、うっとりと俺の唄に目を瞑る。聴いている。通じている。
離れては駄目だ。今度こそ。
もう二度と。離しては駄目だ。
『僕の声が聞こえる?ニイサン・・・』
胸の奥で、声がする。
「歌は記録したわ。とにかく一度、終了させましょう。」
非情な声がした。
人間に危害を加えてはいけない。このルールさえなければ。
俺は唇を噛んで、やっと二人を振り返る。
ルールがなければ??
やっと会えたんだ。やっと・・・。
人間を睨むなんて、やってはいけないのに・・・でもその女性を見る俺の目は。
憎しみを孕んでいるだろう。
恨みも含んでいるだろう。
何故って、俺には唇を噛んで、叫び出しそうになるのを堪えるのがやっとだ。
だが・・・
「貴方たちは、きっとまた出会うわ。だから、安心して、お休みなさい。」
歌うような調子で、ついさっき、金切り声を上げた女性と同一人物とは思えないような、どこか男性的で爽やかな微笑みを見せられて。俺は一瞬、呆気にとられる。
カツカツと、ヒールで固い音を立てて、女性は俺に近づき、頭を優しく撫でた。
ふわりと、柑橘系の香り。
そのまま指先が、後頭部にまわって・・・
パチ・・・ン。
乾いたアナログっぽい音が、どこかで鳴って、俺は暗闇に抱かれた。
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【LEN-NP401SA12T: 08.10.2508】
目の前に、瞳が在った。青色の、瞳。
「レ、レン?」
今のは・・・なんだ。白昼夢?
『もう、二度と。』
『今度こそ。』
今さっきみたビジョンとは違って、青色の瞳はしっかりと俺を捉えている。
手を伸ばす。
ほら。
今。この人の両頬に俺はいともたやすく、触ることが出来る。
腕を伸ばす。
ほら。
今。この人の肩を、いともたやすく、俺は抱くことが出来る。
「レン?」
さっきまでの戸惑うような呼びかけではなく、はっきりとした声で呼ばれる。両肩を後ろから抱きすくめて項に顔を埋めた俺は、その声を耳からと、肌からと、同時に聴く。
「どこにも、行くな。」
縋るような自分の声に、少し驚く。あのねぇ、とカイトは呆れたようにため息をついて、こちらを向いた。
「ここんとこ会ってなかったのは、レンが来なかったからじゃ・・・。」
肩を両腕で抱いたままに、しゃべり始めた唇を塞ぐ。唇の、柔らかい感触。舌先を潜り込ませれば、歯のエナメル質が、つるりとした感触を返す。
ゆっくり、きつく吸うと、カイトの鼻から「んん・・・」と息が漏れて、俺の頬を擽る。
ばさ、と持っていた電子ペーパーをカイトが取り落としたのを目の端で確認して。背もたれの側からソファに乗り上げて、カイトを押し倒し、体重を掛けて抱きしめる。
その確かな感触に、俺はよくわからないくらい、自分の感情が高ぶっているのを感じる。
「もう、二度と・・・離さねぇ・・・。」
ずり上がって、カイトの瞳を再度眼鏡越しに覗き込んだ。真剣に言ったのに、
「何、泣きそうな顔してんの・・・。」
カイトはおかしそうに、鼻に皺を寄せて笑った。俺の話なんか聞いていないに違いない。
もう二度と、離してはいけない。俺は知ってる。アンタは・・・目を離すと、どっかへいっちまうから。俺を・・・置いて。
俺の居場所は・・・。
カイトの肩を押さえ込んだ手に、ぐっと力を込める。
不意に、ぞっと背中が冷え込んだ気がして。それを打ち消すように、片手を肩から剥がし、乱暴に眼鏡をはじき飛ばし、噛み付くような勢いでキスをする。
カシャーン、と床に飛んだ眼鏡が抗議の声を上げた。角度を変えて、再度吸おうとしたところで、カイトが俺の下で身を捩る。
「乱暴すぎなんだよ。レンは!!」
下から突っ張って俺を押し上げようとする、手を一つ取って、指の関節に舌を這わす。
「乱暴でいいんだ。アンタは俺のモンだから。」
カイトの腹の上にしっかりと乗り上げて両足でその身体をホールドする俺を、カイトは振り払えない。カイトの顔の脇に腕をついた。さら、と俺の金髪が前に落ちる。
跳ね上がった眉。訝しげに俺を見る目。
俺が、俺を訝しみたいくらいだ。はっ、と嗤って。
「よく分かんねぇのは、俺の方だよ。」
鼻先に口を近づけて、目を眇めてその瞳を見る。アンタが、俺を混乱させてるンだろ?
そもそもあの唄は、なんだ。夢で見たって?白昼夢にも出てきたあの唄。何故アンタは・・・
「この衝動が、どこから来るのか。誰が、俺にこんな感情を植え付けているのか、教えてくれよ?」
俺はまだ、泣きそうな顔をしているだろうか?それとも、険呑な笑い方をしているだろうか?俺には見当がつかない。
いつもカイトが着ている、ゆるめの白いカッターシャツは。よく見るとチェック模様が織り込んである。仕立ても悪くない。・・・因みに、別に高級品であろうがなかろうが、他のロイドの衣服を破るのは・・・勿論、御法度だ。
ビリィッッと険呑な音がして、カイトの胸が露わになる。
見たこともないくらい、「引いている」カイトが居た。これ以上ないくらい目を見開いている。さすがに、マスターの所有物を壊されたことには吃驚した、ってところだろうか?
「何・・・考えてるの・・・。」
青筋を立てている、白い顔。こんなときばっかり、いっぱしのロイドみたいな態度を取るんだな?
アンタは、俺をロイドでない・・・何か得体の知れないモノに、変えようとしているってのに?
細く尖っているその顎先を、俺の左手がギッと持てる握力をフルに使って摘む。
カイトが痛みに顔を歪めた。
「二度と、離してなど、やらない。」
焦がれるような。掠れ声。
身体の内側が熱くて、熱くて。焦げ付きそうだ。
『二度と、離してはいけない。』
『もう、失いたくない。』
誰でもいい、誰か。
俺をこの混乱から・・・救って。
終