第四話:望郷の唄


【??】

白い天井。
一点のシミもない天井は、目標物がないから目の焦点を合わせるのが困難で、天井がどの程度高いのか、僕には測定できない。

いつもの夢だ。

誰の歌声だろう。小さな掠れ声で、歌が聞こえる。
優しいメロディ。
レンの声みたいだ。
あれ?ここにもレンがいるのかな?
LENモデルなだけかな?それとも・・・あのレンかな?
その声が、不意に途切れた。

僕の視界を、金髪の頭がぼんやりと遮って、上から覗き込む。
あれ?焦点が合わないぞ。顔が見えない。
緑色の目?
やっぱりLENモデルかな?

『・・・』

その子は覗き込んだまま、そこを動かない。

君の声を聞かせてみて。
そう言いたかったが、僕の口も動かない。

『え?起動してるっ!?ちょっと12T管理してるの誰っ!?』
突然、少し離れたところから、ヒステリックな女性の声。
『ああ、僕です。一旦、培養液の循環装置の故障で起動せざるを得なかったんですよ。不揮発メモリはクリーンにして上書きするんで、大丈夫ですって。』
宥めるような男性の声。
そういえば・・・今日の夢は、いつものと違って、ノイズがないな。
『クリーンにしても「消える」かどうか分からないでしょうっ?実験の目的分かってます!?』
女性にしては少し低くてハスキーな、この声・・・誰かに似てる。
『どうせ後1年・・・いや2年は寝かせるんでしょう?大丈夫ですよ。』
『大丈夫じゃないですよ。・・・ってLENモデルの開発、まだ遅れそうなんですか?はぁ、いい加減にして欲しいですね。』
かつん、とヒールを一度床にたたきつける音。
『無茶言わないでくださいよ。機械屋には機械屋の苦労ってのがあるんですから。そっちみたいに、神様の手助けを期待できませんのでね!』
それまで穏やかに対応していた男性は、皮肉っぽい声で言い返した。
『すみません・・・。そうですね、ちょっと・・・いえ、大分焦っているのかもしれません・・・。』
低く女性は声のトーンを落とした。

僕が聞きたいのは、貴方達の声じゃなくて、この子の声なんだけど。
僕はぼんやりと滲んで見える、動かない緑色の瞳を見上げ続ける。
あ、瞬きした。

・・・生きてるのなら、歌って・・・。

僕の願いが通じたのか、彼が、小さな低い声でハミングを始めた。
素朴な優しいメロディが、掠れた声で奏でられ、えらくノスタルジックな気持ちにさせる。
僕はじんわりと、胸が暖まるのを感じた。

『え?・・・ちょ、誰も、スコア入れてないでしょ?』
女性の声がハミングの優しいメロディを突き破って焦ったように呻く。
だめだよ、静かにして。
『え?ええ。ていうか、起動したばっかですよ。』
困惑した声が応える。

静かにして。
レンの歌声が、聞こえない。

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【LEN-NP401SA12T: 07.10.2508】

アレ以来・・・会わなくなって、三週間、超えるな・・・。
俺は、ベッドに上半身を預けて、天井を睨んだ。
知り合ってからほぼ平日は毎日会ってたしな、多少、違和感があるのはフツーだよ。
外に行く必要もないから、のびのびのランニングにハーフパンツというだらしのない格好で、俺は一度伸びをする。マスターが室内の格好にうるさい人じゃなくて良かった。お陰で休憩時間はベッドでサボり放題だ。
暇なんじゃない。前みたいに、ちょっとした時間を見つけてはカイトの家に行くってのも、結構大変だったし、それに比べたら今の方が生活の質は向上しているわけであって・・・。
「・・・アイテェ。」
絞り出すような掠れ声が勝手に漏れて、俺は横向きになって身体を丸めた。
スニーカーをベッドに上げたらいかんので、一応靴を脱ぐ。

『いい、歌だね・・・』
『当たり前なのかも知れないけど、いい声してるよ。レンって。結構好き。』
『やっぱ、いいね。レンの歌。』

あんたが、思ってるんじゃないぜ。
俺達に心なんてない。人間と同じ心はな。「そう思ってる」と思わされて居るだけだ。
ベースの人格プログラムとアンタのマスターが入力したデータから処理されて居る結果に過ぎない。
そして、あたかもそこに心があるように振る舞う。
だってそれがロイドにとって「心がある」ってことだから。

でも、その言葉を言われると嬉しい。
嬉しいけど、それもまた・・・、今度は俺の方の処理の結果だ。

なーんつってな。俺もカイトのコンフュに相当影響されている気がする。
そんなこと。当たり前のことだ。
何を今更・・・。そんなこといちいち考えてたら、歌だって満足に歌えなくなっちまうぜ。

「ア、イ、テ、エ!!」

ランニングの疲れた綿地が肌に心地良い。俺はそれをぎゅっと片手で掴んだ。
カイトは、なんなんだろう。本当にボーカロイドなんだろうか。
スコアをアレンジするボーカロイドなんてあり得ない。

怖い。

俺は自分の右耳の後ろに、そっと指をやる。
四角く、そこだけ頭髪が綺麗に刈られていて。更にそこをそっと探ると、指先に、入出力端子とメモリの出し入れ口が当たった。
ほんの、数センチの四角いコーナー。
俺が、ロイドである証拠だ。勿論カイトにもあった。なのに・・・。

俺の不謹慎な思考をストップさせるかのようなタイミングで、
きぃ、
と薄く開けていた部屋の扉が、大きく開いた。

「最近、友達の処へ行かないんだね?」
マスターの声。俺は、上半身を腹筋と腕の反動を使って起こして、頭を掻いた。
「マスターまで、おかしなことを・・・。よしてください。『トモダチ』なんて。」
俺はどこか遠くをぼんやりと見た。
「ロイドに友達がいて、悪いなんてことはないよ。好きにするといい。」
ぼんやりとした視界の隅で、マスターは腕を組み、出入り口の壁に長身の背中をもたせかけて微笑した。ウェーブのかかった、茶色い長髪と、銀の細ぶちで、レンズの小さな華奢な眼鏡が、いかにもアーティストといった感じで、格好いい。
俺の自慢の、マスター。
「・・・が、今は新曲をマスターしてもらわないとな。今のままじゃぜんっぜん駄目だ。」
白いシャツに映える、小麦色の肌の腕を深く組み直して、マスターは俺を睨んで言った。
「すみません・・・。」
俺は項垂れる。
「要領が悪いところは、修正できないのかね。ったく、いつまでたっても泣かせてくれるよ。」
深刻なため息。何もそんなに凹まさなくてもいいじゃないですか。毎回毎回、俺だって真面目にやってるのに!真面目にやってこれなのに!!
俺はご愛敬の範囲で、唇を尖らせつつも、
「精進しますって!・・・今からですか?」
と立ち上がって聞いた。
「あぁ。」
マスターは身を翻して後ろ手に人差し指を付いて来な、とばかりに、ちょいちょいと振った。
「今日は君のメンテがあるからね。早いトコ終わらせよう。」
白いシャツに、細い足を強調するようなパンツの後ろ姿は、明るい家の中で、なんとも言えない爽やかな感じだ。
ま、これから始まるのはおどろおどろしい、地獄絵図に寧ろ近いものかも知れませんがね、と俺は肩を竦めてその後に続く。

会いたい、という衝動。

何故?
友達だ?俺とカイトが?

会ってめちゃくちゃにしたい、という衝動。

でも怖い。

何故こんなことを俺は思うんだ?
何故、こんなことを俺は思わされて居るんだ?
誰に、思わされてる?

『アンタ、何者だ?』

瞼を下ろすと、アレ以来いつも。
傷ついたように見開かれた藍色の瞳が、俺を凝視していた。

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【KAITO-NP401SA00T: 07.10.2508】

Hmm....

僕は、夢にみたあの歌のメロディをなぞる。
品が悪い、なんてレンには言われたけど、スコアを入力してくれないマスターも悪いと思うんだよね、僕は。
レンが来なくなって、3週間。
レンのマスターベーションにも付き合わされずに済むし、願ったりかなったり。
自分の使った皿を僕は面倒に思いつつもシュートにねじ込む。
そりゃ、生活の事は、多少お世話になったかも知れないけど?

ブシューと洗浄音がして、続いて皿が食器ラックに戻っていく音がする。
ブシュー・・・がしゃがしゃがしゃんっがこっ!
ちょっとしたリズム音楽みたい。ふふ、と僕は笑って、ハミングの続きを歌う。

Hmm...

知らず閉じかかった瞼の裏で、レンが公園で歌っている姿が浮かんだ。あんな風に、このメロディをレンが歌ったら。
じわ、と胸から熱いものが込み上がってくる。
ハミングが水っぽくなって、目尻から熱い液体が伝った。
『まった、コンフュかよ!?』
レンの怒鳴り声が耳の中を乱反射して五月蠅い。僕は苦笑して、顎を上げて、腕を組み。やがて感情が収まるのを待った。

面倒だけど、今日は半年に一度の、メンテナンスの日だ。泣いたり笑ったり、一人で無意味にしてる場合じゃない。
はっと、僕は一気に息を吐き出して、口を開ける。
額を、片手で強く掴んで、こめかみを指先で刺激する。
『オカシイ、ぜ?』
しっかり、しなくちゃ。
メンテ不良で嫌な思いをするのは、きっと帰ってきたマスターだ。
僕は自分の肩をぐっと抱いた。

ちょっとだけ、興味を持ったんだよ。レン。
君の声じゃなく。
君の歌じゃなく。
君、自身に。

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メンテは、必ずここで受けるのよ、ときつく言いつけられた施設で、僕は慣れきった動作を繰り返した。
間接という間接を全部順番に動かし、身体測定。
そして、最後は・・・いつも、この作業台。
「えぇーーーっと、KAITO-NP401SA00Tさーん。一度切りますよー。」
漫画じみた明るい声がして、作業台に寝そべった僕の後頭部に女性の手が伸びる。
「いーち、にーぃ、さーん・・・」
殊更ゆっくりと、数が数えられ、僕は落ちた。

落ちた僕が見た夢は、また・・・繰り返し見るいつもの夢だ。
白い部屋、白い壁。
『綺麗なお顔。まるで人形みたいね?』
どこからかする声には・・・あ。ノイズがない。
『・・・一緒に来て。』
ごぼぼぼぼ、どこからか水音がする。
『このプロジェクトは成功の可能性が低い。君は将来を棒に振るつもりか?』
『それでも、私は。この子を信じたいんです。この子達の力を。』
何かの、割れる音。
『きっと、うまくいくわ。』
歌うような調子の声。

・・・マスター?

「はい、終わりです。お疲れ様でしたー!」
僕は明るい声に叩き起こされるようにして、重たい瞼を持ちあげる。突然入ってきた光量に耐えきれず、ぴくぴくと瞼が二度痙攣した。あれは、確かにマスターの声だっただろうか。あまり、確信が持てない。
右腕の肘裏には、いつものように、紅い跡が残っていた。人工体液を、補うために注射するのだ。
うん。確かに、僕はボーカロイドだ。
あれれ?でも起動スイッチを切られているのに、夢なんて見られるのか?
僕はまた混乱した。
「僕って、スイッチが切られていても、夢を見られるんでしょうか?」
ぼそっと、そのつもりもなく、自然に漏れた問いが、年若い技師に拾われる。
「嫌ですねぇ。そんなことあるわけないでしょう。起動間際に入ったノイズじゃないですかぁ?」
きゃは、と明るく女性の技師は笑い飛ばした。
「さ、君のメンテは終了です。次のロイド君を入れるんで、さっさとどいてくださーーい。じゃないと不細工に整形しちゃうぞっと☆」
技師は手に持った妖しげな道具達を光らせる。
なんだか信用できない感じの人だったが、マスターがここが良いと言っているからには、腕のいい技師なんだろう。・・・いや、マスターもかなりの面倒くさがりだから、振込先変えるのが面倒なだけかも。
僕は納得いかない気持ちで、シャツの袖を直し、席を立った。

その部屋を出ようとしたとき、
「あ。」
間抜けな声を聞いて、僕は声のした方向に顔を向けた。
レンだ。声をだすつもりじゃなかった、といった風に口元に手を当てて固まっている。
ぷっ、と僕は吹き出した。
レンは気まずそうに明後日の方向に視線を逸らす。タイトジーンズに長袖の麻の白シャツ。膝がボロボロに破け掛かっているのが、オシャレと言えばオシャレなんだろうか?いつも通りの質素な格好。
大原さんの趣味かしら、と僕は少し想像する。

レン、良い歌を今日夢で見たんだよ。
歌ってみてくれない?

なんて、ね。
僕は少し自嘲気味に笑う。そのまま、待合室に座っているレンを通り越して、出入り口に向かった。
外の光量に、目が眩む。
僕は腕で自分の視界に日陰を作った。・・・と、その時。

バタバタバタバタッッッ
突然、けたたましい足音がして、ポケットにつっこみかかった腕を後ろにぐいっと乱暴に引っ張られた。
僕はバランスを崩して振り返る。

「あ、アンタは・・・っっっ。」

レンは、上がった息を膝に片手をついて整えながらも、僕の腕を片手でぎゅっと掴んだまま、言った。
突然走ったからか、声が裏返っている。

「アンタは、つまり、男だし!!」
??
レンは俯いて膝に手をついたまま、ほとんど叫ぶようにして続ける。
「俺より背がでかいし、大人だしっっっ!!」
???
「しかも、なんかバグってるっぽいし、ちっともロイドっぽくないしっっ!!」
待合室にいた人々や、ロイドが、なんだなんだ、と少し野次馬的にこちらを気にし始めて、ざわついた。
「何言ってるの?・・・レン。」
僕はほとんど意味が分からず、呆れてそれを見下ろした。
その、さらっさらの明るい金髪頭の上に、ぽん、と手を置く。
「はぁっはぁっ・・・。だ、だけど。アンタの声とか、最近はあの変な歌とか。あとっ、見た目とかっ。」
まだ、整いきらない息を整えて、
「俺っ!結構好きだぜっっ!」
レンは突然、上半身をぴょこっと勢いよく持ちあげた。
「でっっ!!」
それまでレンの後頭部を見下ろしていた僕は顎に頭突きを噛まされて、舌を噛む。
「おあっっ!?わ、わりぃ!!とにかく、そう言うわけだからっっ!!俺、順番だし、もう行かなきゃ!」
レンは突然片手を上げて、パタパタとまた僕に追いついたときの勢いで待合室に戻っていく。

い、一体なんだって??
僕は噛んでしまった舌を出しながら、顎を抱えて、その場にうずくまった。
ククク、と喉が勝手に笑う。
せっかく体液補充したのに、人工血液が流れちゃうよ。

アンタは、男だし。バグってるっぽいし、ちっともロイドっぽくないし。
『オカシイ、ぜ?』
だけど、アンタの声とか、最近はあの変な歌とか、あと、見た目とか。
俺、結構好きだぜ。

最後がちょっと余計かな。
でも、目の前に緞帳のように下りていた、重すぎるカーテンが。さぁ、と一気に開かれるようで。
気分が晴れる。

『アンタ、何者だ?』
僕はボーカロイドだよ。レン。
『オカシイ、ぜ?』
たとえ、オカシクても。

僕はすっとこれまで靄がかかったように重たかった頭が、少しだけ冴えていくのを感じた。

Hmm....

今度、レンに歌ってもらうメロディを。僕はもう一度唇を震わせて、繰り返した。


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