第三話:人形と創造
【??】
柔らかそうな黒髪が、窓から差し込む明るい日差しを受けて、栗色に透ける。
木製の細工が施された高そうな椅子に、きっちりとタキシードを着こなした、年の頃は12、3才の少年が、足を開いて座っている。足の間にはチェロが。
窓の外を僕は見やった。煉瓦造りの道と煉瓦造りの建物。奥には黒い森。見たことのない景色。僕はもっと外が見たい、と思った。が、視界は勝手にするり、と少年に戻される。
「兄さん。こないだの朗読と歌が混じってるの、やって。」
少年は口元に柔らかい笑みを浮かべた。
「ん?考えたのか?なんか。」
僕の声が答える。
「いや?なんとなく。演ってみよ。」
少年の年に似合わないような、ちょっと意地悪い感じに誘うような言い方。僕は、はっとした。
髪や瞳の色は違うが、レンに似ている。とても。
「フフ、お前はジャズとかの方が似合ってるのかもな。」
口元に指の間接をあてる感触がして、僕の声は涼しげにくすくすと笑った。また視界が一瞬、窓にやられ、僕の姿がちらっと窓に映り込む。
半透明だし、一瞬だから確かではないが・・・やっぱり僕?
「んー。確かに即興は好きか、な。ね?演ろ?」
少年は焦れったそうにもう一度言った。振り返って、ふぁさ、と、その髪の上に手を置く。
少年は嬉しそうに口元を笑わせつつも、眉を寄せて「よせよ、兄さん。」と、手を払う仕草をした。
室内を舞う小さな埃がキラキラと光を放つほどの、強く暖かい光が辺りを包んでいる。
時の流れが止まったみたいな景色。
ここは、どこ?
きみは、だれ?
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【LEN-NP401SA12T: 15.09.2508】
「たでーまぁ!」
タキシードのまま来ちまったのは失敗だったかな、とは思いながら。俺はカメラを睨み上げる。
赤ランプが二度点滅して、シャッターが自動で上がっていく。
中に入りながら、俺は蝶タイの留め金を片手で外して首からぶら下げた。
「カイトー?」
『お帰り』も、『よく来たね』も期待してないが、どこにいるのか分からないのも嫌なので、自然に声を上げながら俺はリビングに向かう。
リビングのドアを開けると、もはや館の主とも思える青髪のボーカロイドの後ろ頭がテレビを見ていた。しかも珍しく、3Dにして。
なにやらインタビュー番組らしい。インタビューイーは足を組んで偉そうに踏ん反り返って座っている。
黒い礼服の華奢な足が青い頭の隣から見えていた。・・・子供?と、ひょいとカイトの頭をよけてその顔を拝む、と。
そのパツキン。
『・・・モデル名から、『レン』と呼ばれることには違和感がないと思いますが、マスターの大原氏のファミリーネームをとって、オオハラ・レンと呼ばれることについては、どう思われますか?』
『ええ、名前の問題以前に。一介のボーカロイドである僕が、このようにインタビューに答える、ということも、最初は抵抗がありましたよ・・・』
3Dモニタに映し出されたパツキン少年が口元にうっすらと微笑を称え、膝の上で組んだ両手に視線を送りながら、伏し目がちに宣う。
・・・てか俺じゃね?
その含み笑い!!生意気すぎっ!!我ながらありえねぇ!!
俺はあわてて「2D切り替え」と組み合わせて「スイッチを切る」ジェスチャをテレビに送る。
が、間髪いれずに、
「ちょっとっ!見てるんだってば。」
叱り付けられて、スイッチが再び付けられ、引き続き2Dで俺が何事かほざいている。う。3Dよりは恥ずかしさがマシだが・・・。み、見たくねぇ・・・聞きたくねぇ・・・!!と俺は怖気だつ背中を手を回してさする。が・・・、あぁ、そうか。カイトにはコレが俺とは分からないか、と思い当たって小さく息を吐いた。
『ところで、オオハラレンといえば、コンドームのCMにモデルとして採用されたことが有名ですよね?人間でないから未成年でも構わないということで実際に放送されたそうですが・・・?』
インタビュアーが苦笑を交えて言う。
や、やめろ、その話をすんなー!!カットしとけよっ!!
『それは、言わない約束ですよ。僕だって・・・まさかあんな騒ぎになるとは・・・。最初はCMソングだけの話だったのですが、いつの間にかそんな話に・・・。ははは、今となっては笑い話です。』
まるで少年らしくない勿体ぶった口ぶり。今となっては・・・ってまだ4年も経ってないですがね。ハハハ。
『将来が激しく心配だ、との声もありますが?』
『僕に成長ホルモンがあれば、の話でしょう?』
皮肉っぽく眉を上げて、肩をすくめるオオハラレン。スタジオでは『キャーーーー!!』という黄色い悲鳴が飛ぶ。
カイトの定位置のソファの後ろで、俺は額に手をやって、そこから動けずに居た。
「なんでもいいから、早く歌ってくれないかなあ・・・・。」
カイトはソファの上であぐらを掻き、アイスのスプーンを名残惜しげに加えたままに、ぼんやりした声でつまらなそうに言う。
歌なら俺が今ここで、生で歌ってやるから。だから、そのテレビ、消してくれませんか、そこのお兄さん・・・と喉元まで出かかって。
「実は俺がオオハラレンなんですー。」という告白が、「この恥ずかしすぎるインタビューイーと俺は同一人物なんですー。」と同義である事実に目眩を覚える。
「何、オオハラレンに興味でもあんの?」
俺は、恥ずかしさに耐えかねて、ソファの背もたれに体重をかけ、カイトの旋毛に話しかける。
「んー?だっていい曲多いっしょ?だから気がついたら見てる。」
だらっとしたワイシャツにゆるめのチノパン姿のカイトは、あぐらを更に行儀悪く蛙座りに変更しながら、テレビから目をそらさずに言った。台詞に合わせて、がくんがくん、とかみ締められているスプーンが揺れる。
「へ、へぇ・・・。」
俺は、これだけ会ってても気づかないもんかね、と思いつつも、同時に、まあでもロイドはモデル一緒なら見た目一緒だしな・・・そんなもんか、と改めて安心して、特等席の一人掛けソファに回り込んで、どさっと一気に脱力する要領で腰を下ろした。いつもの癖で、肘を付いて頬に指を当てる。
と、テレビの中のオオハラレンが同じ仕草をし始めたので、あわてて自分の指を頬からはがす。
それを、カイトはちらっとその青色の目玉だけを動かして、見送り、テレビの中に視線を戻してから冷たく言い放つ。
「何、そのタキシード・・・。オオハラレンの真似?」
ば、ばれてない、よな。俺は胸を撫でおろす。が、
『では、作曲、大原弘道クレイで、「灰色狼」です。』
『キャーーーー!!!』再度高まる黄色い奇声。
え、ちょっと待て。その歌は1ヶ月ほど前に俺がカイトに歌ってやったロシア語の・・・俺が青筋を立てて仰け反っているうちに、演奏が始まり。
歌い始めるか始めないかのタイミングで、カイトは弾かれたように俺を振り向いた。目が大きく見開かれて、藍色の瞳が、しっかりと俺の目を真正面から見つめている。整えてもいないはずの睫が、きれいに扇のように広がっていた。
こんなときばっか、真っ正面から見据えられてもねぇ・・・
俺は愚痴りたくなりながら、斜め下方向にはぁーぁ、と息を吐き出した。
「ま・さ・か・・・・。」
ぼろり、とスプーンが口からソファに落下して、ゴクっ、とカイトの喉が一度鳴った。
「ははは・・・。まさか、ね?」
カイトが空々しく笑って、力なく疑問を投げる。その問いに俺は、
「はははっ!まっさかーーーーーー!!!」
と肩をすくめて、勢いよく笑い飛ばしてから、
「その、まさか。」
と、乾いた視線をどこか遠くへ飛ばして低く唸った。
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【KAITO-NP401SA00T: 15.09.2508】
「え?それじゃ今まで仕事だとか用事があるとかって・・・アレは、コレ?」
僕は口をぱくぱくと泳がせながら、テレビの中のオオハラレンを指さした。
「え?ええ、まあ。」
レンはソファに深く腰をかけ直して、腿の辺りに視線を落として答える。両膝に肘をついて、額の上で手を組んでいるせいで、その表情は見えない。
「その格好は?まさか、コンサート帰り?」
僕はテレビを指さした指をレンに戻す。
「ええ、まあ。」
レンはいつもと違う、ぎこちない言葉遣いで、力なく言う。組んだ手の上から瞳だけを少し覗かせて、頼りなくニコっと笑った。
うわ。似合わない・・・。そのイイコブリッコな笑み。それだけレンも動揺してるってことだろうけど。
僕は顔を引き攣らせる。
「まさか、君のマスターが大原弘道だったとは・・・。」
僕は軽い目眩を覚えながら、自分の肩を足の間に入れて、両足首を掴んで引き寄せつつ、天井に向かって息を吐き出した。前髪が、それを受けて、ふわり、と一度浮き上がる。
「どうりで、良い曲なはずだよねぇ・・・。僕も全部は聴いてないから気づかなかった。」
「新曲とかしか、練習しないしな、あんまし。」
レンがいつもの調子を取り戻しつつ、はっ、と息を吐いて、立ち上がる。
「それで?今をときめく、オオハラレンに何かご質問は?」
タイは崩れているものの、タキシードを着こなして、左手を胸にあてて、左の手を上に向けてこちらに差し出す、その姿は。なんだか社交界慣れしている雰囲気だ。僕はテレビを消して、レンに向き直った。
「んー。そうだなあ・・・大原さんってどんな人?」
テレビの中の新曲は、いつでも生で聴けることを知って、初めてレン自身の事に僕は興味を持ったのかも知れない。
レンはその質問に面食らったような顔をして、
「会ってくれるか聞いても良いけど。どんな人って言われてもな。」
自信満々のむかつく笑みを崩して、眉間に皺を寄せて腕を組む。それを見て、僕は吹き出した。
「LENモデルって、どれも見た目に合わない大人っぽい性格してるのかなって。レンとオオハラレン見てて思ってたんだけど、まさか、どっちも君だったとはね。」
思わず鼻に皺が寄る。
「その性格って、仕様?」
ついでとばかりに、意地悪く聞いてみる。レンは、それを嫌味と取らなかったのか、眉間に寄せた皺と腕の組み方を更に深くして、
「ていっても、自分の人格のどこからどこまでがベースのプログラムで、どこからがマスターの入力データで形成された人格か、なんて。わかりっこなくないか?」
尤もらしいことを言う。
「つまんないね。新型はジョークも解さないの?」
その返答に、僕は首を傾げてみせた。
「珍しく・・・よくしゃべるんだな、あんた。・・・何それ?オオハラレンには本気で興味あるんだ?」
言われて、ぎくり、とする自分に驚く。興味があるのを、興味があるんだろうって指摘されて、なんで驚くのか。よく分からない。
しかも、そう言ったレンの顔つきが、やけに苛立たしいものであったり、声が険呑な響きを持っているのも。よく、分からない。
「あるよ。」
僕は短く言って、さっき引き寄せた両足を、再び引き寄せ直す。
「たとえば・・・。」
前にあの曲を聴いて以来、やりたいと思っていた、或る思いつきを思い出して、僕は自分の口元が微かに笑うのを感じた。
「さっきの、『灰色狼』だっけ?あれのサビ、歌ってよ。」
「サビ?サビって、ここか?」
訝しげに形の良い眉が寄せられて、明るすぎる緑色の瞳が、睫で影を作る。だけど、訝しみながらも、鼻歌で軽くメロディを口ずさんだレンに、僕は頷いて、そのフレーズを追いかける。
最初は、その音をなぞるように、だけど、途中から、少しアレンジを加えて、1オクターブ下に移動して合わせた。
あ、いいかも・・・
と、僕が鼻歌にも関わらず陶酔しかかりそうになったところで、レンの歌声が止まった。
「あんた、今何したんだ?」
これ以上ないくらいに、大きく開かれた瞳で、こちらを見下ろしたレンの顔色は、蒼白だった。
「え?」
僕は意味が分からずに、聞き返す。・・・すごく、いいところだったのに。
「何を、した?」
立ちつくしているレンが、もう一度、言う。声が微かに震えていた。
「何って・・・。ただ、君の歌を聴いて、真似して歌っただけじゃないか。」
僕はほんの少し、苛ついて言った。なんだろう。この気持ちは、何かとても大事なものを、取り上げられようとしているような。焦燥感。
「違う。俺はそんなことを言ってるんじゃないっ。」
レンは大きく片手を振った。
「メロディをコピーするなんてのは出来るさ。あまり上品な芸当とは思わないが、やろうと思えば簡単だ。1オクターブ下げるのも、声質変えて試すのもな。だけど、あんた今、『創った』だろ?」
言われて、確かに、全部コピーではなかったな、と思う。途中に1オクターブ下げる間のメロディをはさんだ、と思う。
「『創った』って程じゃ・・・。」
僕は少し動揺した。確かに、変だっただろうか。そういえば、今までそんなことをした覚えがない。でも、今のは自然に繋ごうと思ったら・・・。
「アンタ、一体。・・・何者だ?」
どこか、化け物を前にしたような、見たこともない「拒絶」を宿した瞳が僕を見る。
「ぼ・・・・く、は?」
僕は、いつのまにか、カラカラに干からびた唇を、舌でぎこちなく濡らした。
僕は・・・。
「オカシイぜ。あんた。」
知り合ってから、レンから何度も何度も繰り返し言われた言葉が、初めて真剣な音を伴って、耳に入ってくる。
レンは上着を脱いで、ほとんど倒れ込むようにしてソファに座ると、憔悴しきった声でもう一度、言った。
「オカシイぜ?」
と。
終