第二話:真夏の夜の夢
【KAITO-NP401SA00T: 03.08.2508】
暑くて、寝苦しい。
エアコンはついてるから、空気の質も温度もある程度は調整されているはずなのに。
「ア、イ、ス・・・」
って言ったところでアイスが僕の元に歩いてくるはずもなく、と失笑したところで、呼び鈴が鳴った。
ジリリリリリリ・・・
誰だ。宗教かなぁ、ってでも今、夜中じゃないか?こんな時間にさすがに勧誘はないだろう、ということは強盗、強姦魔、あるいは薬中の類いか・・・
僕は、はだけてしまった、マスターからずっと前に与えられた浴衣の衿先をバサッと引き寄せて、呼び鈴を無視して寝返りを打った。身体を丸めて、シーツのまだ体温が伝ってない、冷たい部分を探す。
ジリリリリリリ・・・
うるっさいなあ。一応、時間確認するか。意外にまだ早いのかしら。
「時間は?」
僕は誰もいない部屋に向かって聞く。
「現在の時刻は、午前、0時、44分、です。」
女性の声でアナウンスが帰ってくる。やっぱ夜中じゃないか。僕は自分の身体を抱き締めて、もぞもぞと枕に顔を押し付けた。
ジリリリリリリ・・・
うるさい。警察呼ぶぞ・・・
ジリリリリリリ・・・
「わかったよ!出ればいいんだろ、出ればっっ!!」
僕はそのままの格好でダイニングを裸足で、つま先だけで走る。
エントランス手前で、モニターを見ると、レンが苛ついた表情でカメラを睨みつけている。
なんだ・・・レンか。
「ロック解除。ライト点けて。・・・と、顔登録、『レン』。」
外でシャッターの開く音がして、二拍子程数えた当たりで、扉が勢いよく開いた。
「おせぇよっ!玄関先で待たせやがって。夜遅いのに、強姦魔に襲われたら化けて出てやるぞっ!?」
開くと同時にけたたましいレンの声がホールに響く。
玄関先で叫ばないでほしい。いくら一軒家とはいえ、近所迷惑だ。はぁ、とため息が口から勝手に出て行った。
「こんな夜中に人が来ると思わないだろう?僕は、君が強姦魔だと思ったくらいだ。」
寝起きのせいで、鬱陶しく下がって来た髪を掻き上げて言うと、レンは、口をぽかん、と開けてこっちをみたまま、もっていた紙袋を、どさっと地面に落とした。
「・・・アンタ、その格好・・・」
言われて、自分の格好を確認すると、浴衣を、帯なしでただ肩から羽織っているだけの自分が居た。当然、下着はつけていないので、色々が丸見えだ。
「うわ。みっともな。とりあえず閉めて閉めて。」
僕は動こうとしないレンの頭のわきから、手を伸ばして、ドアを閉め、ロックをかけた。ウゥーーーーン、とやぼったいシャッターの閉まる音がする。
閉まり切ったのを確認して、僕が踵を返そうとしたところで、
「な・・・んで、そんな格好なんだ・・・」
と、どこかギコチない声で聞かれる。
「なんでって。パジャマ洗濯中だから?一着しかないんだよねぇ。まさかマスターのを着る訳にもいかないし。他に部屋着として使えそうなのこれくらいでさ。」
ダイニングに戻りながら言うと、レンは、
「ふ、ふぅん。」
と、明後日の方向に向かって返事をしていた。
変な奴。
水でも飲むか、とダイニングに移動する僕に、レンが例の袋を回収しつつ後ろから付いてくる。テレビを点けながら、ふと気になったことを聞いた。
「で?一体何の用?」
ソファに身体を預けながら。
『がっくり』と、効果音が聞こえそうな勢いで肩を落として、レンはため息混じりに言った。
「今日、俺達、いつもの如く公園で会いましたよね?カイトさん?」
「うん。会ったね。で?」
「その時、貴方。よかったら家に遊びにおいで、と言いませんでした?」
「言ったかな・・・で?」
「アンタ・・・嫌みな奴だな。もういいよ。真に受けた俺が馬鹿だった・・・。このアイスは回収して帰る。」
その口調はさながら疲れたサラリーマンのようだ。
僕は自分の背後に立つ、レンの白いシャツの裾を振り返りもせずに後ろ手に引っ張った。
「だいたいさー。遊びに来いっていわれて、その日のうちに、しかも夜中に来るって非常識じゃない?」
僕は使い捨てのスプーンを咥えつつ、カップアイスのフィルムをめくりながら言った。プシュ!と中の冷媒が抜ける音がする。冷気が気持ちいい。
「アンタみたいな歩く非常識に言われたかないね。今日は色々あったんだ。公園だって、顔出すのギリギリのスケジュールで・・・」
と言いかけて、レンはソファの、マスターの特等席(テレビのど真ん前の一人掛け)に自分の腰をどさっと乱暴に降ろしながら、
「やっぱ止めた。まあとにかく、カイトと違って色々あるの。俺には。」
額に指先を当てて、疲れた、と言ったように目を伏し目がちにする。そういう大人っぽい表情が、義務教育まっさかりのお子様な身体に不釣り合いで、世の女性に受けるのかな。たしかLENモデルって女性ユーザ多いんだよな、と僕はマスターから仕入れた情報を呼び起こしつつ、アイスの一口目を堪能した。
「幸せそうな顔・・・。アンタ、それに関してだけは分かりやすくていいな。なんでそんなに気に入ってんの?」
呆れたように、いや、いつものように馬鹿にしたような声で、レンは聞く。そんなの当たり前じゃないか。
「噛まなくていいから。」
口の中で勝手に消えてくれる。これは素晴らしい機能だ。しかも高カロリー。これで明日は夕方まで何も食べなくて済む。この調子で口の中で消える大豆も開発してくれないかな。ダレカスゴイヒト。
僕の妄想を知ってか知らずか、レンは、ハーーーーーーッ、と盛大にため息を付き、大袈裟に肩をすくめて見せた。
『東京、最高気温37度、最低気温36度、仙台、最高気温36度・・・・札幌、最高気温34度、最低気温32度・・・・』
「東京37度だぁ?いよいよ、人の住む所じゃなくなって来たなぁ。しかも札幌も明日も32度以上かよ・・・ってかこの家なんか暑くない?」
レンは、流れていた天気予報と会話しつつ、シャツの襟元を掴んでバサバサやっている。
「エアコンついてるんだけどね。」
僕は汗っぽい頬を革張りのソファに擦り付けて冷やしながら言った。
「触媒やられてない?変えてる??」
触媒?エアコンにもそんなのがあるのか・・・
「知らない。それって自動で交換されないの?」
もう一度肩をすくめられ、天まで仰がれて、少しむっとする。
「じゃあレンが変えてよ?」
僕はカップにぐさり、とスプーンを深く差し込む。
「アイスに八つ当たりするなって。分かった、今度やるから。ってーか、腹減ってるんだけど。調理場借りるぜ?」
こちらの返事も待たずに、レンは紙袋の残りを抱えて、キッチンに向かう。レンはなんでも出来るんだな、と少し感心する。他のタイプも皆自分でなんでも面倒がらずにやるんだろうか。
レンと話すようになって、自分がレンに比べて物ぐさだということは、よく分かった。
でも僕みたいな性格のロイドって、人間に取って得なことあるんだろうか。旧型だから性格設定失敗しちゃったとか?
あんまり数が出てないから同モデルって滅多にみないしね、と。一カ月程前にみた壊れたKAITOモデルを思い出した。あの子は、どんな性格だったんだろう。彼もマーケットで買い物してたのだろうか。
「カイトも少しくらい食う?」
ジャージャーと何か音をさせながら、キッチンからレンが大きめの声でこっちに話しかける。僕が触ったこともないキッチンの機能をレンは使いこなしているらしい。
「いらない。」
こんな時間に口に入る食べ物はアイスだけだ。
僕は素っ気なく答えながら、家に人が居るって言うのはやっぱり独りよりずっといいな、と思った。マスターは一体いつになったら帰って来るんだろう。帰る時は連絡くらいするだろうか?
以前は突然行って、突然帰って来たし、望み薄か。帰ってこなくてもいいから新しいスコアを入力して欲しい・・・
スプーンを咥えたまま、天井を見上げる。舌の上を、喉に向かってアイスが匍匐前進して・・・やがて力つきて途中で息絶えた。
「何を笑ってんの?」
上から、ソファの背もたれに体重をかけ、いつもの年に似合わない不敵な笑みを口元に浮かべつつ、レンは僕の顔を覗き込んできた。
ああ、そうか。君は僕が「アイス」って言ったから、アイスと共に現れたの?となんとなく思う。
だとしたら、アイスもいいけど、僕にはもっと痛切な欲求がある。歌が、歌いたいんだ。
「新しいスコア・・・」
あ、涙が出て来た。
「な、泣くなって。またコンフュかよっ!」
上から見下ろしていた自信ありげな顔が、急にぷいと、目を逸らす。そうやってれば、年相応にかわいく見えるのにな、レン。いつもの不敵な感じは、はっきり言ってむかつくよ?僕は大人だからそんなことは言わないけれど。
どうやらまた、僕の涙腺は決壊したらしい。あふれ出した涙はとまる気配がない。
「レンはいいなあ。次々、新しい歌を歌えて。新しい歌、なんか聞かせて。」
涙を止めようなどとは露ほども思わない。どうせ勝手にそのうち止まる。僕は気にせずレンに話しかけた。
「新しい、歌・・・聞かせて。」
レンは、困ったように頭を掻きながら、
「分かったよ、歌うから飯食うまで待って。そんな顔しなくても歌うっつの!」
いったい、どんな顔してるんだろう?僕は両手の指先で自分の頬を触ってみた。涙で濡れている感触はするが、表情までは分からない。まあどうでもいいけど。
僕は、レンが歌い始める前に食べ終えようと、前に顔を向けなおして、アイスの続きに取り掛かった。
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【LEN-NP401SA12T: 03.08.2508】
そんなにジロジロ見られても食べにくいんだが・・・とは思いつつ、箸を口に運ぶ。流れていた理由不明の涙はどうやらおさまったらしい。
さっきみたいに半裸で登場されるのも色々と困るが、ボロボロ意味不明に泣かれるのも別の意味で困る。
俺は、食事中に不謹慎なものを思い出して、それをメモリーから追い出すように、頭をブンブンと振った。食欲が何か別の欲求にすりかわっちまいそうだ。
「その変なもの、なんていう食べ物?」
変なものとは、ご挨拶なっ!!
「何って焼き飯だけど。アンタも米食わないと、調子崩すよ?」
なーんちって、本当はブドウ糖のアンプルだけでも十分らしいが。
「そうなの?マスターは炭水化物と、大豆だけは毎日食べろって。だから食べてるよ。ほら。」
と、キッチンのカウンターの端を指さされる。チビたフランスパンと、大豆水煮のパウチの束らしきものが目に入った。よくそんな食生活で満足出来るよな。いや、マスターがそれで満足しろって言うなら、喜んで満足するのが俺達だけど。
つくづく、俺ってついてるんだなー、と思う。いいマスターに拾われなかったら、最悪、虐待されて廃棄になってても文句は言えない。
「ねえ、食べ終わった?」
見れば分かるだろうに・・・
片方の眉をちらっと上げ、片目だけでカイトの視線を確認して、俺は小さく息を吐く。
あー、はいはい。今食べ終わりますっ!!
俺は残った米粒を、皿に直接口を付けてかっ込むと、口をゆすぎにキッチンに戻る。腹の虫がようやく収まった程度の食事だったが、仕方ない。
カイトの前で、恭しく一礼してから、俺は姿勢を決める。
一番新しいスコアを頭で繰った。声質は、太めで。
新作はロシア語だ。巻き舌の音を再現するのに苦労して、マスターにも結構、手間をかけさせちまった。歌いながら、二人で微調整してた時のことがすーーーっと頭に浮かんだ。自然に顔の筋肉が緩んで、声が気持ち良く伸びていく。
歌い終わって、ふぅ、と息を吐き、余韻に浸りながら、無意識に伏せていた瞼を開ける。
また。カイトが音もなく、泣いていた。
「やっぱ、いいね。レンの歌。」
・・・・・・。
瞬間。
俺の大好きな余韻の感触が。千々に吹っ飛んでしまった。
その低く響く、耳に残る声に。その顔付きに。
しどとに濡れている青い瞳と長い睫。どこか虚ろなその表情。微妙に傾いている首筋。はだけた胸元。
ついさっき、出入り口でもろに見てしまった半裸が急にフラッシュバックする。俺の頭はパニクった。
すげぇ痺れる曲を聴いた時と、同じ速さで、だが全く違う音色で。
心臓がバクバクと、鳴った。
「なんだ・・・これ・・・」
やはりいつもと同じように、俺は冷静な声で、言った。だが、ちょっと遅すぎた気がする。何故って、その声が出た時には、もう俺はソファに座っているカイトにのしかかっていたから。
カイトの首元で息を吸い込む。さっき玄関先で鼻腔を撫でた、カイトの香り。
「アンタが、悪い。」
なんつぅおっさん臭い台詞を、吐くのか、俺は。
マスターとみた時代劇の悪人面が思い浮かぶ。「おまえが誘ったのだぞ、娘よ。」だっけ?心では失笑しつつ。
だが、その香りが。俺とカイトを縛り付けてしまったように、俺はそこから離れられない。
おれの骨格より少しだけ男らしい肩が、そこにあった。ああ、やばい。きっと俺、コンサート後で疲れてるんだ。だから、カイトのコンフュが伝染ったのかも・・・
いやそんな馬鹿な・・・バグでもなけりゃ、ありえない。
ソファの背もたれに突っ張ってた腕が、カイトの肩を抱く。胸の下から背中に差し入れた腕が、肩に丁度かかった。まるで、そこにぴったりとあてがうために俺の腕が設計されてたみたいに。
「止まらない。・・・嫌なら、ぶっ飛ばしてもいい。」
冷静な声、のつもりが少し熱を含んだ。浴衣の中のカイトの肌は、冷たいのに、少し汗ばんでる。いや、もう汗ばんでるのが、俺の腕なのか、カイトの肌なのか、区別は付かなかった。
俺は、首元に顔を埋める。欲求に突き動かされるまま、喉元に舌を這わすと、カイトの息を飲むような声が舌に伝った。
嫌ならぶっ飛ばせ、と言った割に、俺はカイトの空いた左手首に自分の指を絡めて動きを拘束する。
ああ、まずいぞ・・・これはまずいな。と俺はどこか冷静に考えつつ。だが確実に目を覚ました、自分の衝動を抑え切れず。
肩に回していた左手の甲でで、浴衣を肩から落とす。たったそれだけで、カイトは、ほぼ全裸になってしまう。磁器のようにきめ細かな肌。細身だが、きちっと筋肉のついた四肢。
・・・なんで抵抗しないかな。・・・俺は知らんぞ。
「抵抗、しないの?」
目を覚ました衝動の方は、すっかり調子に乗って、笑みすら含んだ声で、高圧的に。台詞を吐く。
カイト背に回した腕で、カイトをソファに押し倒しながら、俺は自分のパンツを必要最小限、下げる。カイトのそれと、既に自分のそれを一纏めにきゅっと握りこんだ。
「んっ!」
初めて音を伴って上がったカイトの声に、自分の中の衝動が一層猛るのを感じる。ふっ、と笑みだか吐息だか区別のつかない声が俺の口からも漏れた。下を弄びつつ、額をカイトの胸につけて、そこかしこに思うさま、舌を走らせる。
「くっぅ・・・んっ!」
よく分からない呻き声を上げて、カイトが身を捩る。俺は額を胸に、左手を肩先に延ばして、それを上から押さえ付けた。
諦めたように身体の力が抜かれ、でもまた刺激に耐え兼ねて身体が暴れだそうとする。そのやりとりに、俺は自分の口の端が上がって、笑みを形作っていることに気づく。
チラリと合間を縫って顔を上げ、カイトの表情を盗み見る。いつも、どこか退屈そうにしている顔が、頬を上気させ、悩ましげに眉を寄せていた。
ああ、いかん。面白すぎる・・・面白すぎる?
思うままに、気持ち良さを、カイトの声を求めて彷徨っていた手や舌の動きは、だんだん、一定のリズムに収束して行く。俺が、そのリズムを選んだんじゃない。
多分、カイトの吐息や、身体が、それを選んだんだ。
「すっげぇ、気持ち良さそう・・・」
どこかにトリップしかかっているようなカイトの潤んだ瞳を、俺は盗み見て、思わず熱っぽく呟いた。
カイトの頬が更にかっと赤くなり、ソファの背もたれの方をぷいと向いて、ほとんど瞼を綴じる。
ちっ、勿体ねぇ。
俺は絶頂間際にも関わらず、きっちりとカイトと俺を結び付けていた右手を離し、身体をずり上げて、その瞼をなめ上げる。開けろよ、と抗議するように。
他所を向いたままではあるが、煩わしそう目を開いたカイトに満足して、俺は続きに戻った。
「んんぅっっ!!」
その瞬間を迎える時、カイトはそれまで、指が白くなるほど、強い力で掴んでいたソファを手放して。口元に手の甲を押し当てて震えた。
「アンタ、いつもそうしてりゃあ可愛いのに。」
クス、と笑いが抜けた。いつもの退屈そうな顔は、はっきり言って、むかつくぜ?
俺は身体を起こして、脱力したカイトの身体を馬乗りになったまま、眺めつつ。手についたそれをペロリ、と嘗め上げる。
多分、腹が減ってたからで、他意はない・・・はずだ。
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正気が戻ってきた。こんにちは、いつもの俺。いや、そんなアホなことを考えている場合ではない。
ハハ、と乱れた服をなんとかしつつ、俺は乾いた白々しい笑い方をした。
「お、怒ってる?よ、な?」
やっぱ。と。使い捨てのタオルその他で俺が綺麗に処理した時のまま、ぐったりと浴衣をはだけたままで、ソファに寝転がって居るカイト様子を、俺は窺った。その格好、全裸の方がいくらかエロくないと思いますよ。なんてこの上忠告できやしないが。
俺は、ちょっと汗っぽくなった髪を掻き上げて、今更ながら格好をつけてみる。
「いやほら、なんてーの。お年頃?だから暴走しちゃったみたい?でさ。」
こういう機能があることは知っていたが、まさか男のマスターに飼われている俺が、使う日が来るとは思わなんだ。
しかし、自分でもよく分かってない事態を取り繕うのは難しい。つけたポーズとは裏腹に、台詞はしどろもどろ。・・・かっこわるっ。
「別にいいよ。それより、喉が乾いた。」
鬱陶しそうな声で、カイトはゆっくりと身体を起こす。別にってアンタ・・・。と固まりかけた俺に、ジロリ、と睨むような視線。
はいはい。
カイトはすっかりいつものつまらないモードに戻っている。この家で飲み物と言えば水でしたね。
俺はあまりの暑さに、肌にまとわりつくシャツのボタンを外しながら、調理場に向かう。エアコンの触媒も変えてやらないと。夏を越す前にこの人、熱暴走で更にイカレそうだしなあ。
「ところでアンタ、金はどうしてんの?室井さん、だっけ?アンタのマスターから預かってる金、足りてるの?」
グラスにいれた水を渡しながら、俺は聞いた。まさか俺のマスターに「他人の家の冷房触媒買いたいから金を出せ」等と言える訳もなく。
「僕、口座もってるから。そこから。多分僕がもう一台買える程度は入ってたと思う。」
ま、まじで・・・
たまに愛玩用ロイド名義の口座を作るアンポンタンがいると聞いたことはあったが、それはすげぇな。しかも、アンタがもう一台買えるってことは・・・札幌(ここ)の一等地に豪邸が買えますっ!!
「それはまた・・・の、割にはボロッチィ家だよな。ここ。」
俺のマスターの家とは大違いだ。マスターの家は近所でも有名で、形は1千年ほど前のなんちゃらという城を模して作ったとか。隠れた観光地みたいにもなっているようで、よく旅行者が外から写真を撮っている。
・・・が、建てようと思えば、此奴のマスターも同じようなものは建てられる財力はあるってことだ。
「さあ?趣味じゃない?畳の部屋だけは拘って作ったらしいけど。」
カイトはどうでもよさそうな顔をしていう。今に始まったことではないが、奇妙な感じだ。
「アンタ、自分のマスターの事をどうでもいいみたいに言うんだな?普通、マスターのことはなんでも知りたいってのがロイドじゃないか?」
俺はまあいいんだけど、と、乱れた頭を気にしつつ、聞く。本当に、アンタは変わってる。
「僕ってやっぱり変なのかな。マスターのことは好きだよ。スコアをくれる、唯一人の人だし。もっとも、ちっとも入力してくれないし、構ってももらえないけど。」
ため息をつきつつ、カイトはソファのサイドテーブルに、乱暴にグラスを置いた。
タンッ
と少し剣呑な音がする。
マスターの文句を言うとは。無礼なロイドも居たものだ。
「まあいいや。アンタの混乱に付き合ってると俺までおかしくなる。」
俺は深く考えないことに決めて、カイトが変なのかどうかを検証しようとする思考を遮るように、頭を軽く振った。
結論は見えてる。『変に決まってる。』さ。
「金持ってるなら、今度俺が来たときに、エアコンの触媒、買って。交換するから。・・・あ・・・っと、そろそろ帰らないと。マスターが心配する。」
「あぁ?うん・・・。」
カイトはだるいのか、心ここにあらず、だ。
「時間は?」
ホームサーバに問い合わせるように、俺は大きめの声で聞く。
「現在の時刻は、午前、2時、47分、です。」
三時間ほど出掛けます、と言って出て、もう既に2時間半ほど消費している。生身で帰るなら、今ダッシュで戻らんとやばいな・・・とは言え、夜更けに出歩くのはなかなか物騒だ・・・俺は結局、費用対効果を考えて、タクシーを使っても良いと言ってくれたマスターに甘えることにした。タクシーなら15分もあれば帰れる。
「あと10分ほどしたら、俺、でるわ。」
調理場から、もう一つ、グラスを拝借して水を飲み干し、使った食器と調理器具をシュートに入れて洗浄した。一度食器ラックとツールラックを引き出し、油汚れがきっちり落ちていることを確認する。
よし、と。
確認し終わって、顔を上げると、
「なんか知らないけど・・・、マメだねぇ。」
じいさんが孫に感心するみたいな声で、ソファの背もたれの上から顔を覗かせて、カイトは呟いている。
俺はキッチンの片付けを終わらせると、ソファの前に回り込んで、カイトの隣にどすっと、腰を降ろした。
隣に座ったのは、なんとなく、身体が吸い寄せられて。・・・これも言い訳じみているだろうか?
カイトは怪訝そうな顔で俺を一瞥したが、突然。すっ、と上半身を倒して、俺の膝の上に頭を乗せた。
コ、コレハトツゼンドウイッタカゼノフキマワシデ・・・
ワキワキと、所在をうしなって、両手が宙を掴む。俺は、見てもいいものか、戸惑いつつ、自分の膝の上の横顔を見下ろした。白い顔に、青い髪が重力に負けて乱雑にかかっている。長い睫が、伏し目がちにされた瞳を出し惜しみしてるみたいだ。
「人肌が、恋しいだけ。」
どこか舞い上がっていた自分が馬鹿に思える台詞を呟かれる。いや、衝動にまかせてエロいオイタをしでかした俺が言えることではないんだが。
でも、声は喘いでなくてもかっこいいぜ。
いやいや、俺は何を馬鹿な・・・
「何を赤くなってるの?」
カイトの不思議そうな声。睫の透き間から、瞳がこちらを覗いている。俺はますます頬が上気するのを感じつつ。
アンタ、一体何者なんだ?と胸でその瞳に問いかける。
俺は、どうなっちまったんだろうか。これってある意味故障?
望まれてもいない行動をするなんて、ロイドとして、ありえない。
と、短くふぅ、と息を吐きながら、天井を仰ぐ。
マスターに、ちょっとイカレたロイドと、公園でしばしば会っていることを話した。
マスターは、「色々経験するのは良いことだ」っていった。
だから、これもそのコマンドの一貫ってことで。
あり・・・・っすかね?マスター?
終