第一話:接触不良



【??】

白い壁。白い廊下。
とても清潔なその風景は、なのに何故かその景色に不釣り合いな喧噪に包まれている。
『・・・麗なお顔・・・ね?』
ノイズで声が聞き取りにくい。
『一緒に来て。私が・・・』
『・・・プロジェクトは、成功の・・・低・・・』
『そ・・・でも、・・・この子を・・・』
何かの、割れる音。
『きっと、うまくいくわ。』

いつ、見たのだろう。いつ、聞いたのだろう。
これは本当に、僕の記憶?

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【KAITO-NP401SA00T: 01.07.2508】

夢を見る。
同じ夢を繰り返しみることもあるか、と以前訪ねたら、マスターは、そんなのしょっちゅうよ、と軽やかに笑った。だから多分、これは病(異常)ではないと思う。人間を模して作られたのなら、きっと人間の非合理的な癖を再現していてもおかしくない。
僕は、名残惜しいシーツから身体を引きはがして、むりやり足を床におろした。裸足に、フローリングがひんやりと冷たい。
冷蔵庫には、何か残っていたっけ・・・
ダイニングをつっきって、キッチンの大きな図体をもてあましている冷蔵庫をパカリと開けると、昨日そこに入れて冷やした水以外、何も入っていなかった。
昨夜、僕はこの冷蔵庫を見たはずだ。なのに、そんな簡単なことも覚えていないなんて、やっぱり少し変じゃないか?と思う。だがこの家には僕以外誰もいない。僕がおかしいか、おかしくないかなんて、確認のしようもない。
しかたなく、食器ラックを引き出して、その中からグラスを取り出して、水を入れて乱暴に飲み干す。何か食料を買いに行かないと。だいたいなんで、ボーカロイドに食料や排泄が必要なんだか。愛玩用のアンドロイドで家族ごっこをオタノシミするんならともかく、歌さえ歌えればいいってもんじゃないのか?
ボーカロイドを作った人間を恨みつつ、僕は少し大きめのパジャマをダイニングに戻りながら、脱ぎ捨てる。

歌を、歌いたい。歌だけを歌う物になりたい。
食べ物も、脳みそも、目玉も、記憶も、身体も、何もいらない。声と、それを響かせるための筐体だけに、何故しなかったのだろう。ボーカロイドの設計者は。僕が設計者なら絶対にそうする。そして、スコアを自分で書ける能力も。
マスターが僕にくれたスコアはもう2年も前のものだ。あれ以来、僕はマスター会っていない。どこで何をやっているのかも知らない。僕はそれなりに高価なおもちゃのはずだが、それにハウスキーパーの真似事をさせ、放置したまま、彼女は旅に出ている。変わり者の部類の人間なんだろう、と思う。
歌が、歌いたい。
僕は、記憶の中から、些か退屈な2年前のスコアを一つ選び、4小節分、なぞって歌った。家の中では声が面白くない反響の仕方をする。スーパーに行った帰りに、どこか開放的なところで歌おう。
歌を歌いたい。これは不思議な欲求だ。他の欲求と違って、綺麗な気がする。いや、歌いたいと思うように設計されているのだから、当然か?やはり僕は少しおかしい。
マスターが僕に買い与えた流行遅れのゆるめのチノパンに、パーカーを羽織り、お気に入りのブルーの麻のスカーフを巻いて、僕は外に出た。

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パパパパパーーーーーーーーーーッッ
キキキキーーーーーーーーーーーーーィィッッ
ドンッッ!!

買い物を終えて、マーケットを出ると、出入り口で事故に遭遇した。車が、人をはねたのだ。有人自動車の事故は決して珍しくないが、目の前で「その瞬間」を見るのは初めてのことだった。
「まま、まじかよっっっ!!」
車から人が飛び出してきた。車から6,7メートルは離れたところに、青い髪をした少年が壊れたおもちゃのように、転がっていた。腕や足が変な方向に向いている。
その髪の色を見て、僕ははっとした。たぶん、ボーカロイド。僕と同じ、KAITOモデルだ。
「な、なんだロイド(※アンドロイドの意)かよ。びっくりさせやがって・・・・ああ、でもどうしよう。この髪、たぶんボーカロイドだよな。損害賠償いくらだろ。対物は確か制限ついてたよな・・・。」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、男は携帯をポケットから取り出し、救急に電話をかけ始めた。あの勢いでぶつかられたら、もう再起不能だろう。ボーカロイドは、ロイドの中では最も脆い。構造も複雑すぎてリペアも難しいらしい。人間みたいに、リペアが難しくても、せめてパーツのリプレイスが簡単だったらいいのにね。
僕は、横たわって動かないKAITOになんとなく近づいて、そこにしゃがみこみ、かっと開かれた瞳孔の中を覗いた。ちらっと見上げると、加害者の男は電話の相手と話に必死で、こちらには見向きもしない。
ボーカロイドは人そっくり。あまりにそっくりすぎるから、区別するために髪の色が奇抜だ。
『でも何故?何故ボーカロイドは人そっくりに作られるの?他のアンドロイドよりも。』
一度マスターに聞いたことがある。返事は・・・どうだったっけ。さあ、とか。なんでだろうね、とか。多分ろくな答えじゃなかった。人間もあまり当てにならない。ただ、マスターは「あまり良い趣味とは言えない」と言った。
それにしても、本当にそっくりだね。血の臭いまで。本当に君はボーカロイド?実は人間がボーカロイドのコスプレをしてるとか?僕が死ぬときも、本当にこんな風な臭いがするだろうか?
瞳の奥に問いかけても、返事はない。
僕は膝に抱え込んだマーケットの紙袋を抱えていた腕にぎゅっと一度力を込めて、そこを立ち去った。

歌を歌いたい。帰りには公園に寄る。あそこには野外コンサートにも使われる、石のステージがあるんだ。
だからそこで、今日は歌を歌う。
帰ったら、さっき買ったバケットを食べる。面倒だから、ナイフでそのまま食べよう。
あと、大豆を食べる。大豆と炭水化物だけは毎日食べろと、マスターが言ったから。

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【LEN-NP401SA12T: 01.07.2508】

先客かよ。俺はがっくりした。あそこはお気に入りの場所だってのに。
しかも、先客もボーカロイドらしい。随分だっせぇ歌を歌っている。声は、悪くないが。
俺は、階段状になっている野外ホールの、ステージから一番遠い席に座って、そのつまらない歌が終わるまで、待つことにした。

・・・アイスアイッスアイスアーイスーアーイスアイーーーーースアイスーーーーアッイス・・・・

聞いていて、途中で歌詞がすべて『a/i/su』なことに気づく。おいおいおいおい!!どんだけケオティックな歌だよ!!あいつのマスターのやる気は0(ゼロ)らしい。いや、なんかこれはこれで、聞き慣れると微妙におもしろいけど・・・
気持ちよさそうに声を伸ばしていた割に、歌い終わるとそいつはどこか不満そうな顔で、ふぅ、とため息をついて、ステージの縁に座った。少し物憂げなその表情は、見た目重視の初期型に似合う。
俺よりずっと年上の見た目、おそらく24才位?をモデルにしているだろうに、子供のように、足をぶらぶらさせてぼーっとしている。
用が終わったんならさっさと立ち去りな、そこは俺が使うんだ。俺は心で呟きながら、ステージに向かって、客席を下った。
「おい、そこのボーカロイド。俺もそこ使って歌いたいんだ。用が終わったならどいてくれよ。」
きょとん、とそいつは、こちらを見て、
「ボクも歌いたいの?」
と聞いた。今度はこっちがきょとんと、いやカチンとする番だ。
「ボク」ってもしかしなくても、「俺」のことか?
ほほぅ。出会い頭から喧嘩を売るのが、そちらの仕様ですか。良い根性してらっしゃいますね、初期型の作り手さんは!それともマスターの教育の賜ですか!
「歌いたかったら悪いか?いいからそこを、さっさと、どいて下さいやがりませんか?」
俺は慇懃無礼の極みで、跳び箱に似た要領でステージの上に手をついて飛び乗り、その青い瞳を睨み付けるように、覗き込んだ。
近くで見ると、陶器みたいに白い肌が目を引く。愛玩用かセクスロイドの方が向いてそうな顔立ち。
それは、ハハ、とまるで俺なんか相手にしていない、といった明るい調子で笑った。
「ここで聞くよ。どうぞ?」
にっこりと毒もなく言われて、非常に不愉快だった。

だが、まあ歌い始めたら、こんなもん気にもならないか、と俺はため息をつく。
ステージのど真ん中で座り込んでる変な奴がいるのは、この際気にしないことにしよう。
俺は目を伏せて、昨日入力された新しいスコアを記憶からひっぱりだす。声の調子を変えてやってみろ、と言われている。昨日教えてもらった発声方法を思い描きながら、俺は立ち方を調整して、声を出した。
歌は、気持ちがいい。
人間にあるエンドルフィンが、俺にもあったら、きっとこういう感じに違いない。

歌い終わって、俺は、余韻に浸っていた。
良い感じだ。昨日より。帰ってマスターに今の感じで聞いてもらおう。

「いい歌だね。」

足下で声がした。まだ居たのか。
そいつの上半身は、ばさ、とそのまま後ろに倒れた。大人の男のくせに、どさっと音がしないのは、そいつが華奢だからなのか、なんなのか。片手を開いて、目元を隠している。
「いい、歌だね・・・」
俺はしゃがみ込んで、その手をどけた。
陶器のような白い肌が、少しだけ上気して、そこに涙が伝っていた。
俺は起動されて6年だが、泣いたことがない。俺も人間のように泣くことができる、ということは知っているが。
「初期型は情緒不安定だってやつ。本当なんだ?」
俺は、妙に淡泊な自分の声を聞いた。
「君は落ち着いてるね。見た目は子供なのに。」
言ってくれるねぇ。
「ロイドが情緒不安定なんて、俺はKAITOモデルの他に聞いたことがないけどな?」
「・・・そうだね。」
沈黙の後、そいつは、それまで泣いていたとは思えないほど、冷めた声を急に出し、身体を起こすと、ステージの下に飛び降りた。
「楽しかったよ。有り難う。君はまたここで歌うの?」
にこっと、最初に会ったときのような愛想笑いをされて、俺は面食らった。怒ったんだと思ったのに。
「あ、ああ。平日の昼は大抵ここにくる。」
面食らったついでに、素直に答えてしまっていた。
「そう。」
短く答えると、地面においていた紙袋をとりあげて、振り返らずにそのままどこかへパタパタと走り去っていった。
「変な奴。」
ザ、ザ、ザ、と風が枝をならす音が響く。
ステージには、もう誰の気配もせず、俺の好きな木と土の香りだけが。
彼奴の歌い終わった顔つきさながら、少しつまらなそうに残されていた。


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