序章 おだやかな時代・1
高まる期待に、比例するように、鼓動が高まっていくのを感じていた。
タッタッタッタッタッ
と、図書館前の煉瓦造りの階段に、リズムよく足を繰り出すと、鼓動もそれに応答するように早まっていく。
そのまま、王立図書館のゲートをジャンプして走り抜けようとすると、
「オスカー様!危ないから走らないでください!」
と、背の高い男性の司書が叫び、走り去ろうとする俺の腕を掴んだ。
「水の守護聖って俺と歳が近いって聞いた!!ちょっと会ったらすぐ戻るから!!」
と、我が儘は知りつつも、捕まれた腕をふりほどこうと藻掻く。
「だーめーです!!貴方は人の上に立つ方なのですから、ルールを守ってください!」
う・・・
はやる気持ちを、押さえながら、なんとか平静なふりで、
「ん・・・すまなかった。以後、気をつける。」
と、繕う。
「かしこまりました、オスカー様。リュミエール様でしたら、奥のブラウジングルームにいらっしゃいますよ。」
司書は微笑み、俺の瞳を真摯なまなざしで、じっと見つめながら、腕の力を緩める。
「・・・そうか!!じゃあ、行って、挨拶してくる!」
しゅたっ、と片手をあげて挨拶しながら、そこを離れる。
リュミエールというんだ、と教えてくれた司書に感謝しながら、「走らない」程度の小走りで、ブラウジングルームに急いだ。
ブラウジングルームに入ってすぐ、「その人」と分かった。
ブラウジングルームの長机に姿勢良く座り、大きな革の装丁の本を広げ、細く長い指がページにかかっている。
透き通るような白い肌に、美しいけれど、まだあどけなさの残る横顔。女・・・じゃないよな・・・
少し細められた目は、じっとその書物に注がれていた。
見事な白銀の細く、長い髪。
まるで清涼な滝が、音なく流れているみたいだ・・・
ブラウジングルームでは、館内で唯一、私語が許されているので、辺りはそんなに静かではないのに。彼の周りだけ音がしていないような印象を与える。きっと、集中しているんだな・・・
「・・・・・・・」
話しかけてもいいのか、戸惑っていると、
ふと、視線に気づいたのか、その人、リュミエール、が顔をあげ、こちらを見た。
海のように深く澄んだ青色の瞳・・・
はっと我に返り、挨拶しなくては、と、俺も精一杯背筋をただして、口を開いた。
「俺は炎の守護聖、オスカーというんだ。君は?」
うん。我ながら堂々とした挨拶だ。
「わ、私は・・・」
がたん、と椅子から立ち上がり、リュミエールが答えようとした、その時。全面ガラス張りの壁の向こうから、太陽が顔を覗かせたのか、急にさぁっと光が差し込んできた。
急激な光量の変化の中、一瞬彼の姿を見失う。次の瞬間に、認められた彼の姿は、逆光で、後光が差しているみたい見えた。
彼はうつむいていて、光のせいで、表情は全く見えないが、頭髪が細やかに、錦紗のように、きらきらと光る。
ぼんやりと見つめていると、彼は急にわなわなと肩をふるわせ始め、左手を拳にして、ぐっと握りしめた。
「???」
気分でも悪いのかい?と、聞こうとしたその時、
ダッと、何も言わずに彼は俺の横を通り過ぎ、走り去っていった。
おいて行かれた俺は、自分がされたことがよく分からず、立ちすくんでいた。妙な喪失感だけが黙って俺に寄り添っている。
しばらくそうしていると、「なんのことはない、いきなり嫌われたのだ」と唐突に理解した。理解するやいなや、不愉快な気持ちが胸の奥からわき起こってくる。
ちぇ!なんだ、あいつ。お高くとまって・・・面白くない!
こちらは、きちんと挨拶をしたってのに!!
歳が近いと聞いたから、せっかくこちらから、仲良くしようと思ったのに!
と、心の中で一通り奴を罵ると、少しすっきりするのと同時に、なんだか自分がすごくつまらない、ちっぽけな人間のように思えてきてしまう。
開かれたままに放置された革本が、じんわりとにじんでいるように見えた。
ちぇ・・・。
終
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