幕間:インターバル



今朝も眠りが浅かった。だから、休めるときに休まないと・・・。
そう思ってはいながらも、俺は兄貴の埋まっている彼処へと向かう足を止められない。

結局、ほとんど毎日通ってるな・・・。

あの男の住んでいる、俺が働いている・・・そして兄貴が働いていた、あの屋敷が見下ろせる丘の上。兄貴はそこに埋まっている。
ほとんど無意識に丘を登り切って、小さく石を積んだだけ(俺達の一族に亡骸の上に墓標を作る風習はない。)の印をめざし、俺は歩みを進めた。
そこに近づいて、俺は何か大きなものが横たわっているのを発見し、ぎょっとする。

赤い髪の男が、目を瞑って、そこに仰向けに寝そべっていた。まるで、棺の中の死者のように、胸の上で両手を組んで。

『死んでるんじゃ、ないだろうな。』

風に草が揺れるのに合わせて、緋色の頭髪が揺れる。まるでそれが景色の一部に男を取り込んでいるようで、なんだか心が落ち着かない。おかしなものだ。日々、その背中に、殺してやりたいと・・・鋭い気を浴びせかけているというのに。
そう、例えば。今俺が、この男の喉元を指先で突いたら。
カンタンニ、コノオトコノ、イノチヲウバウコトガデキルノデハナイカ・・・・?
昏い妄想が、いつものように俺の背後に立ち上る。そして、俺自身をじわじわと飲み込んで行く。
・・・殺して何になる。いつもそう思う。
だが、この湧き上がる憎しみを断ち切ることもできずに。

ぱち、とその瞳が開いて、それを真上から見下ろしていた俺の瞳をじぃ、と見上げた。
「来てたのか。お前も。」
ともすれば、風にながれてしまいそうな呟き声で男は言い、むくりと上半身を起こした。
「お前は・・・たまによく分からん。」
俺の顔をぼぅっと見上げながら、男は寝ぼけた掠れ声で言った。
「最近時折感じる、殺気がある。お前なんじゃないかと思うことが多い。だが、お前をこうして見ていても、それを感じない。」
独り言のように男は呟き続ける。
「こうして寝そべって、リョウに聞いてみても、奴もうんともすんとも言わない。少なくとも俺には聞こえない。・・・俺が文句を言う筋合いじゃあないがな。」
ふっ、と微かに笑って、俺から目を反らさないままに言い、真剣な色を取り戻して、じっとこちらを見返してきた。
「お前は、何をしに、ここへ来る?」

答えに当たるような言葉は、胸の内を探しても、てんで見当たらず。代わりにあまり関係なさそうなことが、口をつく。
「俺達の・・・一族は。骨とか、遺体とか・・・そういうものは、埋めたり燃やしたりして、『終い』なんです。」
なんだろう。妙に、語尾が震える。
「だから、そういうものには執着しない。死後に、俺達が祀るのは・・・その人の魂です。だから・・・俺が、この場所に執着する意味が、俺にもよく・・・分かりません。」
どうして・・・。どうして、俺は・・・。
頬に当たる風の感触が、痛い。周囲の草をかき乱す音が、ザワザワと五月蠅い。

「『いつか、彼奴がここから起き出して、お前の肩を叩くに違いない』」

無機質な声がかかって、はっと我に返って男の冷徹な瞳を見た。かつて見たことがないくらいの、無表情さで、男は俺を睨んでいた。
「俺は、そう言ってお前を慰めればいいのか?」
低く、固い声と、その色のない視線に、背筋がぞっと冷え込む。薄すぎる色の瞳と、その無表情さと、整いすぎた顔の造形が。人じゃないモノに、ソレを見せる。神か魔物か・・・あるいは悪魔か。
ごくり、と俺は唾を飲んだ。

そして、背後を振り返った。この丘から見下ろせる、大きな屋敷が。じっと佇んで、俺を見上げている。
まるで、この男そのものが、そこで俺が落ちてくるのを、口を開けて待っているみたいに見えて・・・。俺はぞぉっと足下から這い上がる悪寒に耐える。

途方もないバケモノに、俺は立ち向かおうと・・・いや、そんな格好いいモンじゃない。
途方もないバケモノに、俺は無茶な喧嘩をふっかけようとしてるんじゃないのか、と思う。だが、もう俺はこの道を引き返せない。
ぐっと拳を握りしめて、必死に歯を食いしばる。

何故って・・・此奴は、俺から、兄貴を奪った。
俺にはそれだけで十分だ。譬え、それが無茶であろうと、なんであろうと。俺にとっては、ふっかける意味は十分にある。
兄貴は還ってこない。そんなことは分かってる。だが、「そういう風に兄貴を変えちまった」のは、他ならぬ、アンタじゃないか!!

「慰めなど・・・要りません。」
男を振り返って、俺は嗤って見せた。
「我ながら・・・未練たらしく此処にのこのこ通い詰めるのは・・・仰るとおり、まだ俺が、兄貴の死を消化できていないからでしょう。だけど、貴方の慰めなど、要らない。俺は、貴方の・・・忠実な部下であって、友人ではない。」
貴方は、俺の主であって、敵であって、友人ではない。胸中でもう一度繰り返して、俺はぐぐっと力一杯拳を握り込んだ。
男は、冷徹な無表情を少し緩めて、俺を漫然と見返しながら、
「そうか。」
とやはり小さく呟いた。ざざあ、と俺と男の間の草を、一陣の風がなぎ倒す。
「そうだな。」
もう一度男は呟いて、少し笑った。微笑みの意味が、俺には取れない。
「さっきな、例の・・・水流と荒野の惑星で取れた「生命の水」で作った酒を、リョウに飲ませてたんだ。」
声の調子を突然変えて、男は、ごそごそと草の根を探り、コルクで封をされた瓶を拾い上げて、こちらに見せた。三分の一ほど残っている透明な液体が、手の動きに合わせて揺れる。
「結構イケるぜ?飲むか?」
にっと男はこちらに笑いかける。俺達は友人じゃないという話をしたばかりで、酒を勧められるとは・・・。俺は男の思考回路に半ば呆れて、首筋に手をやる。
そんな俺にはお構いなしで、コルクをすぽん、と軽快な音をさせて開け、男は一口それを飲んで手の甲で口を乱暴に拭った。再度コルクを締め直して、俺に瓶ごと放ってくる。
仕方なしに俺はそれを受け取って。
「『飲め』よ。忠実な部下なんだろ?」
挑戦的な物言いに、眉を顰めつつも、コルクを開けた。無色透明な液体なのに、何故かフルーティな香りがする。俺は申し訳程度にそれに口を付けて・・・
「へぇ・・・。」
と少しだけ感心した。確かに、うまい。甘くなくて、すっきりしているのに、舌当たりが柔らかい。
「うまいだろ?」
得意げに眉を上げて、男は喉を詰まらせて短く笑った。
「はぁ、まぁ。」
俺は適当に答え、肩を竦めて続けた。
「ところで、兄貴は酒が飲めないんですよ。」
その台詞に、男は一瞬瞳を大きく見開く。そして、ふっ、と鼻の頭に皺を寄せ、肩を寄せて笑い始めた。
「ふ、ハッハッハッハッハ!!そうか。リョウは下戸か!そいつは、悪いことをしたな・・・。クッ!今頃きっとアルコールの香りに噎せてるに違いないっ!」
膝を一度大きく叩くと、草むらに寝ころんで腹を抱えて笑い始めた。笑い事なんだろうか、と俺は思いつつも、快活な笑い方に少しつられて、顔が緩む。
笑いが収まるのを待って、男はごろん、と仰向けになった。長い四肢を投げ出して。
雲の影が、その象牙色の顔の上を素早く掠めていく。
男は、目を瞑り、どこか清々しい顔で、言った。
「俺は、『許してくれ』等とは、言わない。俺が思いつくのは、それくらいだ。」
その言葉に、なんとなく、気づいてしまう自分がいる。
憎む対象を与えるというサービスを、この男は俺に提供しているのだ。怒りをぶつける対象を与えるというサービスを。そんなものには気づきたくない。気づかずに、ただそれに甘えるだけ甘えて、俺はただ純粋に、アンタを憎みたいのに。それに気づいてしまうのは、アンタが悪いのか、俺が悪いのか。
いいや、もっと言うなら・・・俺は・・・何もかもを、早く終わりにしたい。

憎しみも、怒りも、悲しみも・・・全部置き去りにして、俺は早くここから逃れたい。
だが、一向に逃れる方法が、分からないでいる。

「そうですか。・・・オスカー様。ここは冷えます。そろそろ館に戻りましょう。身体に障る。」
俺は、風上に一度顔を向け、目を伏せてから、ゆっくりと男に手を差し伸べた。
男は、じっとその指先を見つめ、困ったように笑って、ぐっとその手を握り返し、身体を起こした。
「あぁ、帰ろう。・・・いや、・・・帰るぞ、リュウ。」
立ち上がって背を向けてから、男は言葉を代える。
くす、と俺は笑ってしまってから、
「えぇ。」
とその後に続いた。


終。
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