4章:同期


お前が、悪いのだ。サータジリス。
お前が、最初に、私を裏切った。

私には、こうするしか、他になかった。
にもかかわらず、お前の呪縛から解き放たれ、授かったセリーンを。
私の民を。
お前は・・・

許さぬ。お前を。
私から、すべてを奪うお前を。

私が、お前のすべてを奪う。そして知るが良い。
縁(えにし)ある者は万里を超えて巡り合い、
縁なき者は、ただすれ違うばかり。
私と、お前に、縁はない。

無論、私のセリーンと、お前のカーマインにも、だ。

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すすり泣く、声。
誰の?
君の?
その、金色の生き物に近づく。
大きいね。虎?ではないか。虎に鬣(たてがみ)はないものね?
後ろから近づいて、その背をさすろうとすると、
『グァゥ!』
それは突然立ち上がって振り向いた。硝子玉さながら。大きな明るい色の瞳は、こちらを威嚇するように鋭く光る。
大きな二本の角のような牙。貫かれたら、死んでしまうだろう。
「何もしませんよ。」
私は笑う。けれど、彼の剣呑な視線は和らがない。
知っているのだ、私の言葉に、嘘があることを。
「何も、しない。ただ、背を・・・」
自分の発する言葉は、ますます嘘っぽい。自分で言って、自分で嗤う。熱い鬱陶しいものが、目頭に込み上げてくる。

パシッパシンッ
「おい、起きろ。起きろって!」
憮然とした、だが低く心地の良い声で、無理矢理に意識を引き戻される。
パシッ!もう一度、軽く。頬を手の甲で叩かれる感触で、視界に光が戻った。
「っっっうっっ!」
身体を起こそうとして、背中に激痛が走る。結局、わずかに身を捩っただけに終わってしまう。
「!」
上から覗き込んでいたオスカーの目が大きく開く。手早く上着の前を開かれ、
「ちょっと我慢しろ。」
と、短く声をかけられて、上半身をそっと起こされた。上着を取り上げられて、露出した背中を確認すると、オスカーは指二本で、トントンと、あちこち軽く叩き始める。
「いっっ!!」
右の肩甲骨の下当たりをつつかれた時、激痛が走った。
「背骨じゃないな。多分、あばらだ。立てるか?」
下半身は特に異状は無い。自分を抱えている腕を頼りに、立ち上がる。背中がえらく熱を持っているように感じるが、それ以外はかすり傷のようだ。
手渡された上着を上から羽織って、ほっと、息を吐き、周囲を見回す。
ひんやりとした、空洞。これまでの砂っぽさがない。粘土質の土を固めて作ったような壁と、床。明らかにヒトの作ったものだ。壁と床の角度は直角に近かった。
「ここは?」
「おそらく神殿の跡だ。俺達は、あそこから落ちた。」
オスカーが天井の大きな亀裂を指さす。亀裂の近くには、同じく粘土質の階段のようなものが見えるが、途中で断たれていた。誰も管理していなかったために、崩れたのだろう。あそこから落ちたとなると、3、4メートルは軽く落下したことになる。
一体動力はどうなっているのだろう?ここからでは仕組みがよくわからない。
「すまん。なんかのスイッチを押しちまったみたいだな。俺は。」
あまり済まないとも思って無さそうに、淡泊な声で、オスカーは言った。
「貴方は、どこも?」
見上げると、
「ああ。あちこち擦りむいているぐらいだ。」
確かに、顔にも擦り傷がある。頬に土と血が付いていた。無意識にそれに手を伸ばして、さっと土を払う。
「いてっ!何しやがるっ。」
顔をしかめられて、ああ、そうか。と思った。
結局、こういう顔を見せられると、私は混乱する。ただ、背を撫でようとしただけなのか、それとも、その顔がみたいから、私は手を伸ばすのか?

触りたくて、手を伸ばしたのか。あるいは、壊したくて、触ったのか。

「おい?何をボーッとしてる?痛むのか?」
傾げられる整った顔。こちらを覗くアイスブルー。
「いえ。私の耳に入ってる音の探知機。もう使い物にならないようです。そちらは?使えそうなもの、何か残ってます?調査を終えたら、出る方法を見つけないと。」
自分でも、なぜこんなに冷静なのか分からない。身体も、頭も熱っぽくて、ぼぅっと、どこか麻痺しているような感じだというのに。
「あ、ああ。そうだな。」
オスカーは私の傍らを離れて、装備品で使える物が残っていないか、私達と一緒に落ちたのであろう、無数の土の固まりと格闘し始める。
使えなくなった音波探知機と、雑音しか返さなくなっているトランシーバを両耳から抜いて、私は自分の上着の胸ポケットにしまう。
上着をきちんと着直して、私も使えるものを探す。連絡がつかなくなって暫くしたら、当然救援が来るだろうが、その後の首座殿のお説教を考えると頭が痛い。なんとか自力で脱出したいところだった。

結局、使えそうなものは、ナップザック1つ、ロープ1本、ライトが2本、応急処置用の小さな救急ボックス、小型の水筒が1本、土にまみれた食料が少々だけだった。機械関係はすべて駄目になっている。オスカーが持っている護身用ナイフや、私がもってきた十徳ナイフくらいはあるが、大して役に立ちそうもない。
ライトが使えるのは不幸中の幸いだ。私達は、とにかく神殿の探索だけやることにした。あの文明レベルの地下神殿だ。どうせ大した広さはあるまい。

私達は道の続いている方向にライトを向け、歩きだした。
なんの変化もない。ただの四角くくりぬかれた空洞を二人、無言で歩く。文明レベルにふさわしく、ヒトが4人並んで歩けるかどうかの、細い道。天井もオスカーの頭上には、20センチも余裕がない。どれほど歩いたのか、わからなくなった辺りで、前を歩いていたオスカーが歩みを止めて振り返った。
「大丈夫か?息が浅い。」
言われて、自分が浅いリズムで呼吸していることに気が付く。
「大丈夫です。いいから、進んで。」
努めて平静を装って、私は笑った。まとまり切らなかった前髪が、汗で額に張り付いて気持ち悪い。それを払って、私は前を睨んだ。
困ったように、たじろぐ気配がして、オスカーも前に向き直る。

それから、いくらも歩かないうちに、洞窟は突然、天井が高くなり、広場のようなところに出た。しかも袋小路だ。早速ライトの光量を上げて、資料になるような物がないか探す。中央に、腰の丈ほどのポールのような物が二本たっており、その手前に石碑のようなものがそれぞれあった。
その石碑から、微弱だがサクリアに似た、何か不思議な雰囲気を感じる。
それ以外、目ぼしい物は特に何もない。

石碑には、文字はかかれておらず、先程のスイッチの竜のような、紋章風のタッチで、片方に大きな竜が。片方には波模様を二本縦に組み合わせたような絵が描かれている。
「感じるか?」
それをじっと見たまま、短く聞かれ、
「ええ。不思議な感じですね。」
と返した。そして、
「まるで、墓碑ですね。」
つい、縁起でもない言葉が漏れる。だが、あながち的外れでもないように思える。祭壇のようなものも、儀式の形跡も何もない。ただ、石碑と石柱が二つ。例の話に関わるものだとしたら、ドラゴンは火の竜の一族の、もう一方は水流の民のシンボルだろうか?
「ひもちわふいころいふなよ。」
床に座り込み、ライトを咥えて、石に何か細工がないか、懲りもせずに手でベタベタ触りながら調べて始めた、オスカーが言う。
結局、何も他には見つけられず、先にオスカーが音を上げた。
「だめだ。取れる情報は全部とったんじゃないか?」
まあ、おそらくそうだろう。かなり念入りに探索した。ヒトの五感で出来る限りは。
「問題は出る方法だ。」
そう、私もそれを考えていたのだが・・・ライトを当ててオスカーを見ると、彼も肩をすくめる。
「救援待ち、ですか。」
最悪だが、他に方法は見つからない。私達が連絡を断って、まだ半日程度。丸一日連絡がなかったら、さすがに向こうも察してくれて、そこから出動。探索と救出に1日。順調にいって、トータル2日。
その間、水は500cc程度、食料は砂まみれのカンパン少々。十分乗り切れる、が。やれやれ、と私はため息をついた。
「ここの方が休まります。今日はここで過ごして、明日移動しましょう。亀裂の下まで。」
正直、背中と頭が熱っぽくて、一旦休みたかった。
「ああ。わかった。ライトのバッテリーをだいぶ使ったし、一つは温存しよう。貸せよ。」
「結局延長戦か」などと愚痴を言わないのか、と私は少し意外に思う。少しくらいは、自分の責任が大きいとか殊勝なことを考えているのだろうか?
言われた通り、ライトを渡すと、オスカーはそれを自分のズボンのポケットにしまう。自分の持っていたライトも光量を最小にして、二つの石碑の前あたりに置いて、ザックから救急ボックスを取り出した。
「おい。ここに座れ。」
とんとん、と床を指先で叩かれて、私は、気怠い体を引きずって、地べたにあぐらをかく。
「上着脱いで、背中見せてみろ。」
その犬にでも命令するような口調に腹が立ったが、反論するのも体力の無駄遣いだと諦めて、上着を脱いで、背を向ける。
「解熱剤や鎮痛剤くらい、入ってても良さそうなもんだが・・・これしかない。」
後ろからぬっと顔のわきに突き出された手には、ぴらぴらと、大きな湿布がつままれている。
「消炎剤は好きじゃない。」
「わがまま言うな。死にそうなツラしやがって。」
座り込んだら、安心したのか、余計に頭が朦朧とする。背をさすっていた、骨張った長い指が、最も熱を持っている部分を見つけて、そこに冷たいものを張り付ける。その冷たさに、思わずぴく、と身体が小さく反応した。
「は・・・」
思わず息も出た。と、私の数十倍は大きなリアクションで、ビクッ!と背後で身体の撥ねる気配がする。
「へ、変な声出すな。」
その裏返った声に、くす、と自分の口から笑いが漏れた。
疲れた。本当に。
ふと、身体の力を抜いて、そのまま背中から後ろに倒れる。オスカーのあぐらの中に、顔がすっぽりと嵌まって、熱っぽくぼんやりとした・・・いや、少ない光量で見えにくいだけかもしれない、その視界で、オスカーの顔を見上げる。
「お、おい?」
見下ろしている顔付きは、ただ訳が分からなくて困惑している、という感じだ。この体勢なら、背中も床に当たらない。私は、横向きに寝返りをうって、そのふくら脛に頬を当て、その膝を抱いた。
「熱が上がって、私の意識がなかったら、私の上着のポケットから、解熱用の薬草が入っているので、それを奥歯に仕込んでください・・・」
「なんだ、解熱剤持ってるのか。」
ほっとした声。
「このまま、少しだけ・・・」
急速な眠気が、襲って来る。

瞼の裏の、暗闇の中。
『少しだけ?少しだけで良いのか?』
「誰です?貴方?」
どこからともなく、声が聞こえる。
『そんなことはどうでも良い。そんなことでは、コレは、お前の元には止まらぬぞ。結局、何度捕らえても、その手を擦り抜けて行く。』
「そう、何度この手に抱いても・・・」
擦り抜けて行く。
『息が詰まるだろう?』
「息が詰まって、苦しい・・・」
そうだったかもしれない。苦しかったのか・・・私は?
『よい方法がある。奪うのだ。穢すのだ。力づくで。』
「そんなこと、もうとうに・・・」
そうしたところで、アレは手に入らない。だから私は・・・
『本当か?最後の最後まで、お前は喰らい尽くしたのか?その瞳が、二度と光を見ることが、適わぬ程に?』
「・・・」
・・・目眩がする。
『私は、それをためらったことで、より多くを失ったのだ。考えられぬほどに、より多くを、な。』
『・・・お前は、そうなる前に、喰らうが良い。』
・・・ああ、目眩がする。

・・・オスカー!!

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「んっ・・・・・ふぅ・・・・・んっっ!」
息苦しさに、ぼんやりとする。暗い・・・だるい・・・熱い・・・
誰だ・・・ってここには、あいつしか・・・。
「んーーーっっ!」
口内を荒々しく弄る舌の感触に、正気に戻った。
突き飛ばそうとして、がっちり上から押さえ込まれていることに気づく。両の手首を上から全体重で押さえられて、手の甲がぎりぎり地面に押し付けられる。病み上がりっつーか、熱出てるんだろ、お前!!この怪力はなんなんだ・・・。いっそ怒りより、恐怖が先に立つ。それくらい、異様な力だった。
舌に噛みついてやろうと、口をあけたところで、その顔がすっと引いた。奴の裸の上半身が、少ない光にぼぅっと白く浮かぶ。
「クックック。最初から、こうすれば良かった。」
普段より、若干低めの声で、うっとりしたように奴は言った。俺は背中から襟足まで、ぞくっと悪寒が走るのを感じる。
「誰だ。お前・・・」
「私を忘れたか?」
ふふ、と妖艶な笑みが、その女のような顔を彩った。リュミエールじゃない。
「俺はお前など知らない。」
腹の底から吐き出すような、ドスの効いた声が出た。
「無理もない。私達は、長く眠り過ぎた。そうだろう?サータジリス。」
サータジリス、だと?
俺は、自分が昨夜まとめた資料を必死で脳内で繰った。
火竜、サータジリス。ヒトに味方して、3兄妹を水流の民討伐に派遣した・・・物語の主人公、カーマインの母。だが、その名はほとんど話に出てこない。
「フン。まだどうやら本調子ではないらしいな?だが、それはそれで好都合と言うものだ・・・。」
俺を見下ろす瞳は、いつもよりもずっと厭らしく細められ、口の端は、ぐぐぐ、と見たことも無いくらいに吊り上がった。見慣れた顔が、得体の知れないものに、侵食されるようで気持ちが悪い。吐き気がこみ上げてくる。
ぐい、と密着した下半身を擦られて、俺は視線をそらす。
こいつと関わってから、本当にろくなことがない。
割り入れられている足を外に追い出したいが、どうしようもない。腹筋や、腕に力を込めるが、どう頑張ってもびくともしなかった。
ふふ、と笑い声がして、精一杯顔を逸らした代わりに晒すことになった項に、思い切り噛み付かれる。
いてぇっ!!意識を散らそうとするのに、そこを広げるように舌先で舐られて、チリチリと痛みが続く。
何を言われた訳でもないが、この先の展開はなんとなく察しがついてしまう。
「くそったれがっっ!!」
言い終わると同時に、
バシィィィッ
容赦なく頬を張られる。挙動は軽い感じなのに、首がもげるんじゃないかと思うくらい、勢いよく顔が吹っ飛ばされた。
なんなんだ。この怪力は・・・化け物か?

脳震盪を起こして、気が遠くなってる間に、なけなしの荷物のうちからロープを使われたらしい。意識が戻った時には、もう後ろ手に拘束されていた。背中に冷たい石の感触。例の石碑だ。
真上から喉仏を押さえ付けられて声が出ない。
空いている左手で、俺の上着のジッパーを一気に引き下げ、インナーを引き裂く。露わになった胸元を、ライトの方向に向けて、そいつは言った。
「お前の豊満な胸が味わえないのは、残念だな?」
ぞろり、と舐め上げられる。一体、何を勘違いしているんだ。こいつは・・・
「っっ!!」
出来ることと言えば、身を精一杯捩るぐらいで。
酸欠になりかかって、俺の目尻に涙が浮かぶ。いっそ、気を失ってる間に全部終わらせてくれりゃあいいものを。
ふと、喉を押さえていた力が弱まる。
「ヒトの身体では、お前の力もその程度か。下手をすると、あっさり殺してしまうかもしれぬな。」
ケラケラと軽やかに声を上げてそいつは笑った。
「がはっ!!・・・はっ、はっ、はっ・・・」
急激に入ってきた空気を調整して、俺は吼えた。
「リュミエールっっ!!正気に戻れっっ!!」
そいつは、興味深そうに、まじまじと俺の瞳を覗き込んだ。
「この身体の持ち主の名か?なかなか心地が良いぞ。この器は・・・。それに、お前の器を、欲しておる。」
身体に、かっと血が上る。俺は、睨め付けていた、瑠璃色の瞳から目を逸らした。
「俺をじゃないっ!」
反射的に言い返して、息を飲んだ。一体何を・・・馬鹿な。
「ほぉ?そうか。まあ、どちらでもよい。器などに興味はないわ。サータジリスよ。私はお前の瞳が、私に屈するところがみたいのだ。」
「だから・・・俺はサータジリスじゃないと・・・。」
言いながら、はっとした。「瞳が屈するところ」確か、お前も前にそんなことを・・・
「思い出せないのなら、教えてやろう。我が名は、ゼーン。流水の民の王。お前が最も、憎むべき相手だ。そしてお前は、私が最も憎み、忌み嫌う者。」
ゼーン。そんなの居たか?流水の民の王ってことは・・・ヒロインの・・・
「セリーンの父親・・・?」
「思い出したか?だが、その名をお前の汚らわしい口で呼ぶな!!怖気がするわっっ!」
ドンッッ
一度前髪を掴み上げられて、そのまま後ろに荒く突きとばされる。後頭部が石に当たって、また気が遠くなりそうになる。
「ッリュミ・・・」
絞り出した声は途中で途切れた。
「脆いな。手加減してやらねばすぐに壊れてしまいそうだ。おい、起きろ。」
無理矢理上半身を起こされて、さっき噛み付かれた項を吸われる。後頭部の痛みのお陰で何も感じずにすむ。反って有り難いくらいだ。
下着ごとズボンを脱がされ、足で遠くにそれらを蹴飛ばされる。上着とインナーの残骸がかろうじて肩に掛かってるだけの、自分の間抜けな格好を想像して、俺は目を伏せて微かに笑った。
「なかなか良い体躯ではないか?」
俺の両足を抱え上げて、ゼーンは言った。
何もせずにつっこむ気かよ。まあ・・・そうだろうな。俺はぼんやりと思う。
力任せに俺の身体を持ちあげ、自分の猛ったものを下にあてがう。ずりっと一度、中に入らず逸れたのに苛ついたのか、むりやり俺の腰を固定して力任せにねじ込む。
「ぐぁっっぁっ!」
入り口が裂けて、血が尻を伝う。あまりの痛みに、下肢が痙攣を起こしていた。
「っんう!痛むではないかっ。力を抜け!」
お前の何倍痛いと思ってやがるっっっ・・・
入り口は、感覚が麻痺したのか、もはや何も感じない。
「ドヘタクソッシンジマエッ!」
声ならぬ声でついた悪態は、何故かその耳に届いたらしい。痛いとか抜かしてたくせに、無理に腰を使い始める。内臓を根こそぎ外にひき出されるような感覚で、力任せに抜かれ、入り口の血の力を借りて、奥まで突かれる。
がくん、がくん、と突かれる度、後ろの石碑に背や縛られた腕が叩きつけられて、激痛が走る。
「ふっ・・・ふっ・・・」
小刻みに、息を吐く音がする。最初から萎えているこっちはお構いなしで、一丁前に感じ始めたらしい。なんて都合のいい野郎だ。睨み付けてやろうと、固く閉じていた瞼を開くと、いきなり、瑠璃色の瞳と視線が絡まった。落ちてきた後れ毛が、さらり、と俺の胸をなでる。
ぞわっと身体に何かが走って、俺は身を竦めた。
「んんっ!どうした・・・急に締め付けるな。」
違う。締め付けてなど。
そいつは動きを止め、瑠璃色の瞳は少し熱を孕んで、俺を覗き込む。
「っはっぁ!」
ぐわり、と身体の中がうねるような感覚に、思わず上がった声。俺は顔をしかめて、唇を噛んだ。
やめろ。
「どうした?」
『どうしました?』
やめろっっ。
「瞳が潤んでいるぞ・・・」
『瞳が・・・・濡れている・・・・』
ヤメローーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

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起きたときには、既に態度がおかしかった。
「どうしました?本当に大丈夫なんですか?」
肩を掴もうと伸ばした手を、手の甲でバシッと強く払われる。
「本当に、何も・・・覚えてないのか。」
どこか疑わしいような目が、私の瞳を探るように、だが真っ向からは視線を受け止めないように、ぎくしゃくと見た。
いつも自信満々のアイスブルーが、どこか鈍く光っているような。
「何を?」
意味が分からない。目が覚めてから、ずっとこの調子で、ちっとも要領を得ない。何かがあったのは、間違いなさそうなのだが。
「私が寝ている間に何かあったのですか?」
熱が下がって、だいぶこちらの頭も身体もすっきりしていた。オスカーの貼ってくれた湿布のお陰かもしれない。
「なんでもない。とにかく、お前も動けるなら、亀裂まで移動しよう。」
視線を合わせずに、オスカーはそう言って、ザックを背負った。私は忘れ物がないかを確認するために、ライトの光量を上げて、龍の石碑の上に、赤い液体が少し、こびりついているのを見つけた。
「なんでしょう、これ。昨日はこんなの、ありませんでしたよね?」
ギクッ、とオスカーの身体がこわばるのを見た。
しかも、石碑の下には、結構な量がついている。私はそれを指先で触って、臭いを嗅いだ。サビの臭い。血?
「オスカー、どこか怪我を?」
「あ、ああ。いいんだ。もう止血したし。問題ない。それより早く行こうぜ。今日の夜には、助けが来るだろう。」
言われて、しぶしぶ言うことを聞く。
何かを隠しているのは間違いないが、自分が怪我をしたのを、恥じているのだろうか?上着をぴっちり喉元まで閉めているのもそのせい?
が、歩き出した私を、オスカーはぼんやりと見るだけで、付いてくる気配がない。
「オスカー?」
早く行こうといったのは、貴方でしょうに。振り返って、その顔をじっと見ると、オスカーははっとして、
「あ、ああ。お前・・・・。」
さっきの、探るような視線を再び投げてよこす。
「お前、リュミエール・・・だよな?」
はぁ????
「何言ってるんですか?私が寝ている間に何か変なものでも食べました?」
眉をしかめる私に、
「ああ、いや。そうだよな。すまん。」
何かを振り切るように、歩き始める。
言いたくないなら仕方がないが、隠しきれないなら説明して欲しい。この中途半端な感じは一体なんなんだ、と少し憤慨しながら、私は先に立って、帰路をたどり始めた。

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小径から聖地に戻ると、自然と、ほぅ、とため息が出た。
亀裂の下で救援を待っている間に、すっかり資料をまとめ終えたため、ジュリアス様に帰還報告をするついで、資料も提出することになった。
私たちが直接行ったことの意味といえば、神殿でサクリアに似た雰囲気を感じ取ったくらいのものだが。他のことはきっと王立研究員のスタッフでも、やろうと思えばできただろう。
まあ、個人的にはあの歌の出所が分かったり、実際の歴史と関係があるらしいことが分かって、少し興奮したし、珍しく楽しい出張ではあった。これで、この後の説教さえなければ完璧なんだが、と眉間を抑えながら、重い足取りで廊下を歩く。
「どうした?行くぞ?」
その、何故か重厚な雰囲気を感じる扉を、オスカーは慣れた調子であっさりとノックし、返事を待って、中に入った。

ジュリアス様は、執務机の向こうで、立ったまま、カップを傾げ、窓の方を眺めていた。
その前に立ち、
「ご心配をおかけして、すみませんでした。」
開口一番、オスカーは謝罪して、頭を深く下げた。それをゆっくりと振り返り、
「いや、無事でよかった。」
ふわりとオスカーに微笑みかけた。へぇーーーー!!と、「へぇボタン」なるものがあれば、軽く20回は押しているような勢いで私は感心した。
「すみませんでした。」
遅ればせながら、私もぺこりと頭を下げる。その謝罪を聞いていたのかいなかったのか、ジュリアス様は続けた。
「ルヴァが早速、救援スタッフから話を聞いて、かなり成果が上がったのではないか、と興奮していたぞ。神殿を見つけたそうだな。」
「いえ、それが。確かにサクリアのような、微弱な力を感じたのですが、よく分からないままなのです。なにせ、機材関係をすべて駄目にしてしまった状態で調査したものですから。」
面目なさそうな声で、オスカーは報告した。まあ神殿の位置を見つけたのはオスカーではありませんが。しかも機材がおシャカになったのはほぼオスカーの軽率な行動のせいですが。と私は心でつっこみを入れつつ、面目なさそうな顔を作って、黙っていた。
「そうか。では、早速その報告書を読んで吟味しよう。お前達も、疲れたであろう。明日以降、追って話を聞く。今日は下がって休め。」
報告書を受け取って、机の上の書類の上に、ぱさっと置いた。私達がさがったら、すぐに目を通し始めるつもりなのだろう。それを視界の端に収めながら、オスカーが仕事熱心なのは、彼本人の属性なのか、それともこの男に取り入るための手段なのか、どっちなのだろうな、と考えていた。
「はっ、有り難うございます。」
恭しく頭を下げた男は、その頭をゆっくりと上げて、妙なことを言い始める。
「ジュリアス様、少しだけ、お時間いただけますか?5分ほどで結構です。この後、少しお話ししたいことが。」
ちらり、とこちらに視線を投げてくる。
ほっほー。出て行けと。今すぐにか。
「良いが・・・急ぎか?」
首座殿の視線もこちらに流される。
「では私は、ご用件が終わったようですので。先に失礼させていただきます。オスカー、ゆっくり休んでくださいね。」
ふふふ、と笑い顔を作り、私は踵を返した。

苛立つ心を、せいぜい抑えて、ゆっくりとその忌々しい扉を開くと、更に不愉快なものが目の前に現れた。
「あ!オスカー様っっ!!・・・あ・・・リュミエール様でしたか・・・」
ばっと駆け寄られて、2メートル近いのではないかという大きな身体、全身で「がっかりだ」とばかりに肩を落とされた。
「オスカーなら、ジュリアス様とお話していますよ。じきに出てくるでしょう。」
にっこり、と愛想笑いが顔に出る。オスカーの部下だろうか。主人に似て、失礼な奴だ。
「あ、有り難うございます。リュミエール様。私、オスカー様の秘書で、リョウ・ムライと言います。」
ぺこり、と頭を素早く下げて、
「失礼な態度を取ってしまってすみません。その、ご無事かどうか心配で・・・」
本当に心配なのだろう、心ここにあらず、といったところだ。
「オスカーが男の秘書を雇うとは。青天の霹靂ですね?」
にこっと、上司の嫌みを言う。これは失礼な言動の仕返しだ。
「ええ、はい。前秘書から引き継ぎで。その、オスカー様はお怪我とか、されてませんか?丸二日ほど、地下で食べるものもなく過ごされたと伺っています。」
嫌みを流されて、おもしろくない。それに、怪我をしたり、不自由な思いをしたのは私も同じだが。
「そうですねぇ。怪我をして、血を流していたみたいですし、なにせ3,4メートルもある崖から落ちたのです。ただでは済みませんでしたよ。あばら骨も数本折っていたようですし。食べるものなど土まみれのカンパンが二切れでした。栄養失調もあるかもしれませんね。大事になさってください、とリュミエールが言っていたと、お伝え下さい。」
見る間に、その秘書の顔色が悪くなっていく。この心配性の秘書に、きっと安静にしろだ、なんだと言われて、しばらく炎の守護聖は、窮屈な思いをするに違いない。
ざまーみそらしど、というやつだ。
言っていて、自分があばらを折っていたことを思い出した。あの後、発熱がいきなり治まってしまったが、骨がいきなりくっつくということはないだろう。一応医務室で確認するか・・・と私は医務室に向かった。
絶句している秘書を残し、すっきりした気持ちで。

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