【神の実から出づる英雄】
オレは知らない。オレが、果たして、どうやって生まれ出でたのか。
ただ、気が付いたら、この姿で、この山に、一人だった。体の大きさも、気づいた時には今のような様子だったと思う。人で言えば、20前後の頃だろうか。
覚えていたのは名前ひとつ。
食欲をそそられるのは、泉の側にある、大木のうす桃色の実。何故か年中、実を付けている。
特に生活に不自由は感じていなかったが、時折気分が悪くなり、暫く起き上がれないほど体調が悪くなることもあった。
それが、山の麓に散在する村々の状態により、もたらされるのだということは、いつ知ったのだろう。思い出せない。
村にオレが初めて降りたのはいつだったろう。それも思い出せない。降りれば、必ず、異形のものだと騒ぎになる。言葉は問題なく通じるにも関わらず、時には疎まれ、時には神だと崇めたてられた。どちらにせよ、遠巻きにされ、対等に扱われないことに変わりはない。
そんな中で、人と関わることそのものを、すぐに鬱陶しく感じるようになった。
だから、基本的に、里には降りず、人を遠ざけた。
けれど、治らぬ病に伏した者の命を奪ったり、気まぐれに災難にあった者を手助けしたりして、気が付いた時には、村の者から「ティキ様」と呼ばれるようになって居た。
胸にある、蒼色の珠が、キィィィィンと、鳴いて、強く発動する時には、体を奇妙な鎧が覆う。すると、人の力ではありえない事が起こった。大きな獣を相手にする時には、どこからともなく、大剣が現れ、水が湧いたこともある。
人は、その力を、「神通力」あるいは、「コトワリの力」・・・「理力」と呼んだ。
ほどなく、俺はその力を自分でコントロールすることを覚えた。
そうして、どれだけの時が経ったのか。一つの村で、大型の獣が作物を荒らし、オレの見ている村の中では、当時は一番大きく繁栄して居た村が荒廃してきたのを受けて、オレは里に降りた。
獣はすぐに仕留められたが、思わぬ大捕り物となり、オレの戦う姿を多くの村人に見られてしまった。獣の血にまみれたオレを見る、あいつらの目は、今でも忘れられない。別段、珍しくはない。人は、人と異なるものに、恐れを抱く。その事は、よく分かっていた。それは、村を荒らす見慣れぬ獣も、それを退治するオレも。変わりはないのだ。
懇願するように退治を依頼してきた当時の村長(ムラオサ)も、これはお礼ですと差し出された手や、膝は、こちらが笑ってしまいたくなるほどに大きく震えていた。そんな中、村の一人の娘が、
「これを、使ってください。」
と布を差し出してきた。年端もいかぬ、子供だった。大きな瞳でオレを見上げて、少し震えてはいたが、その瞳はまっすぐに俺の視線を受け止めていた。
「すまない。」
といって、それを受け取り、顔を拭うと、あっと言う間にその白い布は赤く染まった。これは村の者の反応もわからんでもない、と独り笑ってから、娘にその布を、
「使い物にならないかもしれないが。」
と返すと、娘は赤くなって、
「あ、ありがとう、ございます。あ、あの、本当に。」
と、布を握り締めて、頭を下げた。変わった娘だ、と思った。
「名は?」
聞いてしまってから、その時もオレは、自分で、せんないことを聞いているなと自覚していた。
「・・・・。」
胸でその名を繰り返して、オレは立ち去ろうと踵を返した。が、それを引き留めるように、事の成り行きをみていた村長は
「お気に召したのなら、その娘も、お礼にお持ち帰りください。」
などと言い出した。腹立ち紛れに足を止め、顔だけ僅かに振り返り、睨みつけると、村長はそれ以上何も言わずに、頭を垂れ、引き下がった。
数年後、村を再び、獣が襲った。その時にはもう、俺には分かっていた。村は、この山の規模に対して、栄え過ぎたのだ。それだけの所帯を維持しようとするなら、数年おきに頼る山を変えなければいけない。
俺は、村に降りなかった。
俺の体調はどんどん悪化し、村が困窮していることは分かっていたが、降りなかった。どれだけたったのか、起き上がれなくなってから、暫くして、ある日突然、体がふと、急に軽くなった。
久々に村の様子を見るために、山を降りると、村はもぬけのからだった。家の状態をみるに、何回かに分けて、村人は移住したようだった。
村の中心に、見慣れぬ祭壇のようなものが設けられていた。気になって覗いて、それから・・・。
何を感じたのだったか、思い出せない。
少し周囲より高く盛られた土の上に、白い祭壇が設置され、その前に、年頃の若い娘が、仰向けに横たわっていた。胸に、深々と短剣を突き刺されて。
やや窶れてはいたが、いつぞやの、娘だった。成長して、所帯をもち、娘が一人くらいいてもおかしくはない、姿だった。
だが、その装束は、巫女のそれで。
その時、何を感じたのだったか、思い出せない。
ただ、俺が、名を聞かなければ、こんなことにはならなかった。それだけは、理解した。村人たちの俺に対する失望を一身に受け、この娘は死んだ。
俺の代わりに、この娘は死んだ。
それ以来、俺は、里に降りても、ただ、そっと命を奪うか、人に見えぬところで、救うに止めた。俺が関わった者が、俺の意図の及ばぬところで、不条理な不幸に見舞われぬように。
その時のことを忘れた訳ではない。忘れられるはずもない。
なのに、何故。あいつには、関わってしまったのだろう。
なのに、何故・・・。
フェニックスは、なんとしてでも、村に戻さなければ。
あの時に、殺さなかったのだから、戻すしかない。
もう十分すぎるほど、俺はアイツが、人として、普通に過ごせたはずの時間を、奪ったのだから。
−−−−
「ここも、外れか・・・。」
山は広いが、拗ねたフェニックスが俺と距離を取りたくなって、籠もるのに使えるような場所は、それほど多くない。夕暮れが近くなったにも関わらず戻らないフェニックスに焦れて、心当たりを数カ所探したが、空振りに終わった。もう日は暮れてしまって、歩き回るのもそれほど楽ではない。
日が落ちても帰って来なかったことはなかったと思いながら、奇妙な胸騒ぎを自分の髪を掻き毟ってやり過ごす。
何かあれば分かるはずだ。第一、この山で暮らしてあいつも相当経つ。素人じゃあるまいし、迷うなども考えられない。危険な場所も分かっているはずだ・・・。不安になることなど何もない。何もないはずだ・・・と、考えとは裏腹に募る胸騒ぎに苛立っていると、突然、俺の胸の珠が、まるで戦闘を意識した時のように、激しく鳴動し始め、光り始めた。
「クッ・・・・ゥッ・・・・。」
キィィィィィィィィィィィッッッ
理力を制御できるようになってからというもの、意識に反して、こんな風に力が暴走したことなどない。熱が溜まるような感覚に、思わず胸元を掴んで耐える。
カッッッ
不意に訪れた一瞬の閃光は、稲妻のように、瞬きの短さで、真昼の明るさを齎す。何事かと顔を上げると、すぐに戻った暗闇の中で、木々の向こうに真っすぐに天に向かって伸びる、光の柱が目に止まる。緑色の光の柱が、真っすぐに、夜空に向かって伸びている。胸の熱溜まりと明滅はそのままに、痛みだけが収まっていることを意識しながら、俺は、知らず、その光柱に向かって歩み始めていた。
森は静かだが、いつもと変わらず、生き物の気配に満ちている。ただ、胸の珠の青い明滅と、緑の光柱の明るさだけが、世界を現実味のないそれに変えている気がして。
木々の透き間を縫うように、最短の距離で光柱の下にたどり着くと、果たして、そこに探し人が横たわっていた。不思議な、緑色の光に抱かれて。土気色の顔、紫の唇で。
・・・・・・・・。
「何故だ!!何故食べた!!」
聞き馴れない乱れた声は、俺のそれか。
見慣れた、柔らかな果実が、フェニックスの頭の近く、投げ出された左手の側に、齧り跡を残して、転がっていた。人が齧ったら、死んでしまうと、あれだけ言ったのだ。食べるはずがない。何かの間違いだ。
「馬っ鹿野郎ォッッッ!!」
そうだ、何かの間違いだ。
あの木にしか実らない、桃の実に良く似たそれを投げ捨てて、俺はフェニックスの体を掻き抱いた。ピクリとも動かないソレは、だが、まだ暖かい。フェニックスの胸を自分の耳に押し付けるようにして、抱き締める。
こいつがずっと幼かった頃から、毎晩聞いてやっていたはずの、心臓の音が、聞こえない。
「な・・・・ん、で・・・・・だ。な、で・・・食・・・・た・・・・。」
胸が苦しい。
頬が熱い・・・。
ああ、これが、涙というやつか。俺も泣けるのか・・・と、どこか他人事のように思った。
「ティ・・・・キ・・・・?」
終
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