【神の実から出づる英雄】
「ねぇ、じーさん、なんでお供えするのは、いつも桃なの?」
「口の聞き方を知らぬなぁ、小僧。」
「いいから教えてよ。なんでなんだい?」
「そいつはな、話せば長くなるのじゃが、昔むかし・・・。」
「昔むかしっていつ頃だい?」
「さてなぁ・・・。わからんくらい、昔のことじゃ。」
「そりゃあ、随分昔の話だ。・・・それで?」
「争いがあった。村は、鬼どもに荒らされて、そりゃあひどい有り様だった・・・。」
「へぇー。そんなことがあったのか。」
「そうだ、そんな時にな、どこからともなく、英雄が現れたのだ。」
「ふんふん、それで?」
「英雄はな、額に白いハチマキをしとってな。それはそれは、凛々しい若者であった・・・。」
−−−−
良くないことが、起こっている。それは自分の体調がすこぶる悪いことを考えれば分かる。もう、関わるのは、やめにしよう。そう随分前にも、同じ決意をして、オレはここに居る。
なのに・・・
あぁあああああぁ・・・・ん。あぁぁぁあああああん。
微睡みの中で、遠く遠く、歌声のような、泣き声のような音が、高く低く、オレを呼んでいる。
・・・オレを?
―んなわきゃねーか。
瞼が痙攣して、視界が戻る。木漏れ日。近頃オレが塒にしている大木のウロの中は、おそらくオレが住まう以前には獣が使っていたのだろう気配を僅かに残している。あるいは、獣というより神獣。そう、オレのように理の外にいるモノかもしれない。
あぁあああああぁ・・・・ん。あぁぁぁあああああん。
声。
まだ聞こえるな。こんな山の奥に、人の子の声に聞こえる。もしそうなら、口減らしだろうか。良くないこと・・・飢饉・・・?
興味もない上に、身体もダルイことこの上ないというのに、暇すぎるこの生活のせいか、オレは自分の足が自然に声の下へと向くのをやや呆れ気味に自覚した。
―オレも、懲りねーな・・・。
いや、十分に懲りている。そうさ、オレは赤子の口をふさぎにいくだけだ。そう、命を取り去ってやった方が、その赤子のためになる。もし、口減らしに山に置き去りにされたのなら、尚更・・・。生きる道など、ソイツには、残されていないのだろうから。
随分歩いたような気がするのに、一向に声が近づかない。聞こえてくる方角はかわらんのに・・・と思ううち、ついには里に出てしまった。
「こいつは・・・ひでぇな。」
異変はすぐに分かった。眼前に広がる小さな集落。この、世帯で言えば10世帯そこそこの小さな村のあちこちで、煙や消えかかった火が燻っていて、田畑も焼かれた後の無残な姿となっていた。前に訪れた時より、少し規模が縮小している。子に恵まれなかったか・・・。煙と炎の原因も少々気になりながら、オレは久しぶりの里を記憶の中のそれと重ねる。
あぁあああああぁ・・・・ん。あぁぁぁ、あああああん。
略奪者によって、収穫物を巻き上げられ、恐らく労働力になりそうな人間はつれ去られ・・・?戯れに、火を放ったのか・・・?そのせいか、死体はあまり見当たらない。
あぁっ、あああっああぁ・・・・ん。あぁぁぁあああああん。
「お前か。」
赤子と言うには、そいつは年を取りすぎている。
っく、ひっく・・・。
「お、お兄ちゃん。だっ、誰っ・・・?」
ここにはオレの古い記憶が正しければ、村長の家があったはずだ。大黒柱の残骸の前で、座り込んでいるのは、年の頃は4、5歳の子供だった。焦げの匂いに交じって、血の匂い。側には、後ろから刃物で切りつけられたような、男の死体。父親にしては、若すぎるような気もする。下男だろうか。
「『お兄ちゃん』と来たか。」
見下ろすオレの視線は、コイツから見れば恐ろしい色合いをしているはずだ。人とは違い、オレの眼は青い。化け物と呼ばれ、恐れられることを覚悟して降りて来たはずだが、コイツは、オレの目の色にも、黄金の、オレの髪の色にも恐れをなした様子がない。
「し、死んじゃっ、っく、ひっく。死んじゃっ、た・・・。」
示された指先には死体が転がっている。
「ああ、死んでるな。」
「お、オニがきて・・・。み、みんな・・・。連れて、った・・・。じ、ちゃんも・・・連れて、た・・・。ふ、ど・・・。っく、っく。僕、隠して、くれた、けど。ふ、ども・・・死んじゃ、た。」
大きな漆黒の瞳に、うるうると大量の涙が溜まる。
あぁあああああぁ・・・・ん。あぁぁぁ、あああああん。
近くで聞くと、壮絶な威力がある。オレは、うるせーと、片耳を指で塞ぐ。
−オニ・・・。鬼ねぇ。
「ふど」というのは、この死体の名だろうか。
この子供の言い分に、どれだけの信憑性があるかは分からない。だが、オレの縄張りを荒らされるのはオレにとってもあまり喜ばしいことではない。
何もオレが問わないのに、コイツは事情を説明しようとする。警戒心のなさが気になるが、頭は悪くない証拠だ。
「お前のじーさんが連れ去られたのは分かったが、他の者はどうした?」
「わ、わかんな、いぃ・・・ぼ、僕、ふ、どに、隠されて。出て、きた、ら。だ、誰もっ、居な・・・っっ!!」
悔しくなって来たのか、頬に涙を伝わせながらも、今度は一丁前に男泣きをし始める。オレは、少ししゃがんで視線を近づけてやり、ぽん、と長い黒髪の上に手をおいた。
「悔しいのか。」
子供は、男泣きをしたまま、ゆっくりと頷いた。
「そうか・・・。」
言いながら、ふと、その首元に、子供がつけるにしては、大仰な首飾りが光っていることに気づく。大きな、深い緑色の、珠・・・。
この村に似合わない、高価なものだと、一目で分かる。
「それはどうした。」
オレの問いに、子供は一瞬、きょとん、と泣き止んで、オレに視線を合わせる。オレの視線の先に気づくと、
「これは、チキ様の、コトワリの、タマだよ。」
涙で濡れた大きな瞳はそのままに、知らないの?といった感じに首が傾げられる。それにしても・・・チキ・・・あんまりな発音に思わず脱力する。しかし、その珠には覚えがない。オレの珠の色は青。だが、確かに・・・コイツにとっては、一体、何世代前になるのか、検討がつかないが。随分前にも、この村の者を、少し助けたことがある。祀られるのは、オレが人として扱われない証。だが、何故か悪くない気分だった。年を取ることすらできず、ただ、村の移ろいを、横目で眺めることしかできない、オレにとって、出会ったこともなかった幼い子供に、こうして名を呼ばれることが、あるいは、「確かに自分が存在していること」を証明しているように感じるのかもしれない。
「そうか・・・。」
オレは、もう一度、その小さな黒髪の頭を撫でた。
「お前、名は?」
問うてから、馬鹿なことを、と自分で自分に呆れ返る。
「ふぇに!」
泣いてたこともまるで忘れたように、力に満ちた瞳で、自慢気に答える子供に、重ねて問う。
「フェニ?変な名前だな。」
「変じゃない!!フドが言、てた!!火の鳥で、とても、とても強いんだ!!」
むきになって食い下がる子供に、ああ、なるほど、と少し笑ってしまう。
「フェニじゃない。それは、フェニックスという鳥だ。良い名だな。」
もう一度、頭を撫でてやると、子供は、少し顔を赤くして、不満そうに俯く。
「そうか。さては、知ってはいたけど、言えなかったんだな。」
ハハハ、と高く笑う。
「言えるよ!!ふぇにく、す!!」
あまりに必死なその表情に、焼け焦げた匂いの中、オレはますます高く笑い上げるはめになった。
−−−−
「ティキー?ねえ、ティキー??起きたぁーー??」
ザッ、ザッ、ザッ、と周囲の枝葉を揺らしながら、遠くからオレを呼ぶ声が急激に近づく。また、一段と移動速度が速くなったなと、ぼんやりと目を瞑ったまま、気配を追う。ほどなく、ピタリ、とうまく勢いを殺して、オレの側で気配は動きを止める。オレは、不機嫌に、
「たった今、起こされたトコだ。」
眉間に皺を寄せ、片方の瞼をじわり、持ち上げる。ふわ、と長い黒髪がオレの顔にかかり、鼻先が触れそうな距離で、少年から青年のソレへと変化しつつある顔が、オレの瞳を覗き込む。
「まーた眉間に皺寄せて。」
フフ、と何故か満足気に唇の先で呟いて、
「ほら。いつもの。探して来たよ。」
と、鼻先に甘い香りの果実を突き出す。まだまだ横になっていたいのを我慢して、オレは枯れ葉でつくった寝床から背を無理やりに引きはがす。秋から冬へと移行しようとしている空気が背を撫でて、知らず、ぶるりと身震いする。
「自分の分は、自分で採るからいいと言っただろーが。」
言いながら、その薄く桃色に色づいたものを受け取る。
「そんなこといって、放っておいたら、いつまでも何も食べない癖に。」
プゥ、と両頬を膨らまされて、オレはその子供らしい様に少しばかりほっとして、苦笑しながら肩を竦める。
「お前と違って、毎日食べなくても平気なんだよ、オレはな。」
オレの隣に座り込んで、黒髪の主も、どっさりと拾って来た、堅そうな木の実を一面に広げる。先の尖った石を使って、いつもながらのやや不器用な手つきで、だが、慣れた様子で次々と割っていく。オレは、その様子を眺めながら、片膝を立てて、手渡された、その柔い実に、ぷつり、と歯を立てる。じわ、と果汁が口に広がって、乾いた身体に染み渡る。一瞬遅れて、身体の内側を嬲るように焼かれるような感覚が襲う。目をきつく瞑って、そのどうしようもない痛みと熱に耐える。数秒をかけて、それをやり過ごしてから、果汁に濡れた指先をなめ、もう一度かぶりつこうとして・・・視線に気づいて、そちらを見やる。
「・・・・。」
呆けたような顔は、やや頬が上気して瞳が潤み、口元だけがムズムズと、何か言いたげにしている。
「あンだよ?」
ごきゅり、と唾を飲み込む盛大な音をさせてから、
「そ、ソレって、美味しいの?」
おそるおそる、といった感じに問われる。
「前にも言っただろ、お前にとっては猛毒だと。簡単に死んじまうぞ。」
目を合わせずにそれだけ言って、食事の続きに戻ろうとすると、思いがけず、強い力で腕を掴まれる。
「いてぇだろーが。」
稽古の時間以外で、こいつが力を使うのは珍しいな、と考えながら、条件反射のように悪態をつく。俯いてしまった、黒髪の主に視線を戻すと、これまた思いがけずに、ゆっくりと持ち上げられた顔は、真剣そのものだ。
「僕ももう子供じゃない。ごまかさないでよ。」
ふ、と吐息のような、失笑のような音が、オレの唇から漏れた。それから、顔を引き締めて、
「本当に、猛毒だ。お前ら人間にとっちゃな。」
鼻先を近づけ、噛み付くようにして、言ってやる。ブル、と顔を横に振ってから、
「ティキだって、人間じゃないか!僕と一緒だ!!」
バン、と右の掌で、自らの胸を叩く。
「違うさ。髪の色も、目の色も、そして、体もな。」
フン、と鼻先で笑いながら、呆れて言う。どこから、どうみたって、違う。
「違わないよ!!僕はティキの裸だってじーっと見たことあるんだから!!」
ますますムキになる言い分は、恥ずかしいことこの上ない。
「じっと見るようなモンじゃねぇだろーが!!」
こちらまでムキになって言い返せば・・・。
「そっ、それはっ!!もしかしたら、ティキは女の人かもって思ったからっっ!!」
プチ、自分の脳の血管が切れる音がした。黒髪の主は、慌てて口元を抑えているが、もう遅い。
バキッ!!ドカッッ!!!ゴキィッッッ!!
「どっからどうみても男だろうが・・・。」
例のほの赤い実を食べ終えて、それでも収まらずにボソボソと口の中で、言い続けていると、
「ふぁい、てぃきさまは、オトコの中の、オトコです・・・。」
腫れ上った顔で、不明瞭に返されて、フン、とやっと気持ちが収まった。
「お前、いくつになった?」
ふと思いついて聞くと、
「ティキとあったのが、12年ほど前だから。17かな。」
複雑に指を折り曲げて、視線をくるりと巡らせる様は、まるでコイツを拾った時と変わりない。けれども、身体の印象は大きく違う。確かに幼児のものだったそれは、胸の筋肉も腕の筋肉もその年頃の男の平均よりは少し張っていて、村ではもう一人前として十分すぎる体躯だ。ただ、その女顔と長い黒髪、幼いような仕草と表情が、コイツの印象を柔らかくしていて、「ゴツい」といった表現には程遠い。
拾った当時はオレとコイツは、親子ほど年が離れているように見えただろうが、今では大して年が変わらないように見えるだろう。
「フェニックス。お前も、もう大人だ。そろそろ、どこぞの村に根を下ろして生活することを考えた方がいいぞ。」
瞳を知らず、逸らせてから言うが、間髪いれずに、
「前も言ったけど、ティキも一緒じゃなきゃ嫌だ。」
一息に返され、その顔を睨みつけるはめになる。
「嫌だじゃない。」
「嫌だ。」
「お前なぁっ!!」
「嫌だっっ!!」
「オレは年を取らん!!もう分かってるだろうがっ!!髪も目も、村の者達とは違い過ぎる!!オレは村では暮らせないんだ!!」
オレの剣幕に瞳に涙を溜めながら、それでも、こっちを見据える視線は揺らがない。
「嫌だっっ!!それなら僕も山に残る!!」
結局、以前とほとんど変わらぬ押し問答に陥った。ぐしゃ、と前髪を潰して盛大に溜め息をつく。
「それに、ティキの髪も目も、奇麗な色だもん。村の人達もきっと好きになるよ・・・。」
ボソボソと継がれた台詞に、ぴき、とこめかみに青筋が立つ。
「馬鹿な事を言うな!!」
「馬鹿じゃない!!ティキの方が馬鹿だ!!」
「なんだとっ!?」
ばっと勢いよく立ち上がり、フェニックスは、
「知らない!!ティキのドアホ!!冷血漢!!」
踵を返して走り去る。「おい!」と呼び止めるが、全く意に介さずに、背中が遠ざかり、やがて、オレが教え、奴なりにアレンジを加えた身のこなしで、木々に飛び移り、姿が見えなくなる。
―なぜ、殺さなかった。
髪を掻き乱していた手を止めて、ふと、指先をみやる。里に降りる時には確かに赤子の命を奪い取るつもりで、降りたはずだ。
思いの外、育っていたから?
その瞳が、輝いていたから?
なぜ、名を聞いたりした・・・。なぜ、拾って育てたり・・・。
キィン、と。胸の珠が、小さく疼く。
―こうなることは、分かっていたはずだ・・・。
ギリ、と唇を噛み締めてから、苦労して、息を吐き出す。
「フェニックス・・・。」
唇から、勝手に、吐息と共に、名が漏れ出て行った。
終
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