第四章 孤独の肖像
ここは・・・どこだ・・・
町の喧噪の中。俺は完全に迷子だった。迷い人でなく、迷子。というのも、近くの商店で自分の姿をショーウィンドウに映したところ、何故か17か18くらいの、ガキっぽい風体に俺が成り果てていたからだ。頭髪が明るい栗毛に変色しているほかは、俺のちょっと若い頃そのままだ。
こうやってみると、俺ってちょっとランディに似てる?と思い、ニカっと笑ってみるが、俺はどうやら年齢に関係なく不敵な笑みの方が似合うらしい。さすが俺。この年ですでに男の色香を備えていたとは。坊やとは一味違うぜ・・・とひとしきり自分を褒めちぎっておいた。
後は、服装が貧乏くさい庶民風なのが気に食わなかった。あらいざらしの白Tシャツに裾がずるずるのジーンズ。左膝にはおおきな穴(お洒落であけてあるにしてはでかすぎる穴)があいていた。それもそれでしょうがあるまい。なんにせここは俺の大嫌いな奴の心の中の更に夢の中。まともに呼吸が出来ているだけまともってもんだった。半袖なので、つけられたバングルが剥き出しなのが目立つ他は、周囲の喧噪に溶け込んで居るだろうと思える。身体のあちこちについていた痣も、バングルの打ち身も、きれいさっぱり直っていて。みたところやたらにごついアクセサリーを身につけたただのガキってところだろう。怪我が直った(といってもこの世界の中だけだろうが)おかげで、身体が軽くなったのは有り難かった。
で、俺はこっからどうすりゃいいんだろーな、と今日既に何度目かのため息をつく。
店の前に立ちっぱなしなのも不審者扱いされそうなので、ひとしきり人の往来を眺めた後、ひとまずレンガづくりの道を「えいや」で決めた方向に向かって歩き始めた。
どうせこれまでだって行き当たりばったりだ。
しばらく歩くと、それまで緩やかだった傾斜がだんだんと増していき、やがて急な坂道になった。周囲が住宅地の景色で、道がきれいに舗装されているほかは、山登りといってもよいくらいになる。
・・・暑い。
この惑星(ほし)の季節感は分からないが、普通に考えて夏のような陽気だった。すでにじんわり汗をかき始めていた。逆向きに歩き始めりゃよかったか・・・と足をとめて今まできた方向を振り返る。
ザァァァぁぁぁぁっ
っと、一陣の風が街路樹を揺らしながら、坂の下から吹き上げて来る。髪が巻上げられ、額や首筋にかいた汗がすっと引くのを感じた。
「すげぇな・・・。こりゃ。」
絶景・・・だった。
見れば、ここら一帯の地形とすぐ下のそれほど大きくない港町が一望出来、その先は海だった。俺が最初にいたのは、あの港町に違いなかった。景色の右端、左端は海に山が突き出して居て、全体が大きな入り江になっており、その最も窪んだ部分に、レンガと街路樹の優しい色から構成されたさっきの街がゆるやかに突き出して居た。
そこからは深い群青色の海が果てしなく続き、まるみを帯びた水平線上で空の青と解け合い・・・その群青に浮かぶ無数の小さな島々。
暫く景色を堪能してから、ここは海洋惑星じゃないのか、と思い当たった。確か、リュミエールの生まれ故郷は海洋惑星だった。あえてあの野郎、ルゥが俺をここによこしたとしたら・・・
とは思ったものの、その先は何も思いつかなかった。
ま、いいか、とにかく歩こう。気持ちいいしな。
と、もう一度坂の上を向き直し、続きを行こうとした時、視界の隅をつい、と銀青色が掠めていった。あわてて視界に捕らえ直すと、年の頃は16、7歳にみえる。少し大きめの長袖の黒シャツ、それとは対象的なタイトな明るいベージュの綿パンツを着た長髪少年が、小脇に数冊の本を抱えて坂を上っている。その顔は守護聖になりたての頃のリュミエールに見えた。声をかけようとしたのだが、その表情のあまりの深刻さに声をかけそびれてしまう。どうやら小路からこの道に入り、このまま坂の上に向かうらしい。
仕方なく、後を追いかける。なんとなく、後をつけているような格好になった。
探偵気取りで推測するに、この陽の角度からして、今は夕刻。教科書小脇に学校帰りか。だとしたら私服の学校だろうか?
坂を上りきるかなと思ったところで、リュミエールはすいと路地を右に入った。
と、突然小さな黒い鉄格子の門が現れ、それをくぐると、それまでの住宅地の雰囲気が一変、森が現れる。すこし先に馬鹿でかい宮殿のような、教会のような建造物が見えている。その大きさたるや、聖地の宮殿なみだ。さっきまでのこじんまりした住宅地とのスケールの差に半ば唖然とする。ということは、この森は庭で、さっきの鉄格子はおそらく裏門のひとつだろう。
リュミエールはそのまま歩き続け、やがて建物のひとつの、通用口とおぼしき入り口に向かっていった。どうする、と一瞬迷ったが、いけるところまでついていくか、と覚悟を決めてその後に続く。
と、扉に手をかけたリュミエールがくるり、とこちらを向いた。もはや隠れるところもなかったので、目と目がばっちりあってしまう。
少し不審そうに、眉間に皺をよせ、リュミエールが口を開く。
「君は・・・誰?」
「え?えぇと・・・。俺はオスカー」
炎の守護聖、と名乗っていいのかわからず曖昧に答え、俺は頭をかいた。
「そうじゃなくて、ここがどこだか分かってますか?礼拝堂ならこちらではありませんよ?君みたいな人が・・・」
リュミエールは呆れたように言い、俺の顔のあたりをみて、はっと息を飲んだ。
「それ・・・き、君も?」
俺が頭にやった手を下げると、リュミエールの視線がそれを追う。それ?バングルのことか?
「あ?あぁ・・・」
とまた曖昧に答えると、
「そうか。僕だけじゃ、なかったんだね・・・」
と自嘲気味にリュミエールが笑った。
「行こう。リシュリュー卿のところでしょう?僕も行くところ、一緒ですから。」
どうやら、一緒に行ってよくなったらしい。リシュリュー卿。だれだろう。リュミエール近辺の人間関係の情報ぐらい、軽く押さえてあればな、とは思うが、あの状況ではいずれにしろ無理だった。
俺がうなづいたのをみて、リュミエールは扉を開け、先に立って歩き始めた。
斜め後ろから俺はついていき、リュミエールの顔色を伺った。室内に入ったせいかもしれないが、蒼白さがさっきより増している気がする。
狭い廊下をしばらくいくと、広く、赤絨毯が敷かれた廊下とぶつかった。
あ・・・
日の光りが差し込み、風も通っているせいか、あそこまで陰惨な雰囲気ではなかったが、リュミエールの精神世界でみた光景に似ていた。夜になって、燭台に火が灯ったら、おそらくそっくりになるだろう。
キョロキョロしている俺に気づいたのか、
「オスカー、といったね。君は、どれぐらい?僕はもう二年目になります。」
と、リュミエールが歩きながら声をかけてきた。
「二カ月・・・」
どれぐらい、とは、ここに来るようになって、という意味かなと考え、答えた。無論、適当だ。
「そんな感じがするね。まだそんなに汚れてないって感じが。」
ハハっと、リュミエールは失笑した。なんだか偉く、年に似合わない笑い方だった。聖地でのリュミエールも年に似合わないくらい爺むさい笑い方をするが、年端もいかないガキが何故そんな不健全な笑い方をするのだろう。
「そんな笑い方、やめた方がいいぜ。」
思わずたしなめてしまう。
「僕、そんなにひどい嗤い方してました?」
眉をよせ、苦しくてしょうがない、みたいな顔で、だが口の端だけは持ち上げて、リュミエールは立ち止まり、俺を見た。
言葉が繋げなかった。いつもの調子なら、嫌みのひとつでも来ると思っていたせいもあるが、なんだか見ていられない目だった。こんなとき、相手が女性なら抱きしめてやるが、相手が男性となると、どうすればいいのか分からなかった。
行き場がなく、泳いだ腕を、俺は腰の後ろへ隠す。バングル同士がぶつかって、カチン、と小さく耳障りな音がした。
「あ。いや、俺、余計なこと行ったみたいだな。行こうぜ。」
言いながら、俺はリュミエールの背中を、ぽん、と軽く押した。居心地の悪さに耐えられず、早く視線をそらしたかったからかもしれない。
「うっ・・・。」
しかし、叩かれた背中を丸め、リュミエールはうめき声を漏らした。
「リュミエール?お、おい、大丈夫か?」
俺、そんなに強く叩いてないぞ?
焦って俺がたずねると、リュミエールは一瞬驚いたように肩をすくめ、その後また自嘲気味に、
「僕の名前、知ってるんですね。当たり前か・・・僕がリシュリュー卿の息子だから?それとも、もうすぐ「守護聖様」になるからかな。」
といった。俺はしまった、まだ名前を聞いていなかったか、と思いつつ、頭の片隅で、もう守護聖への召し上げの話が来ているってことだな、と確認した。しかし、そんなことより今はリュミエールの痛がり方が気になった。
「そんなことより、背中、どうかしたのか?」
さすろうかどうしようか迷っている俺の腕をリュミエールは片手で制して、
「もう大丈夫。行きましょう。」
と、しっかりと言う。その言い方に、大したことなかったんだよな、と俺は少しほっとした。
どうも調子が狂う。ルゥとも、俺の知っているリュミエールとも微妙に違う人間と接している感触がするからかもしれない。リュミエールって、どんな奴だったっけ、と俺は漠然と思ったが、つまらないことで言い争ったこと以外、禄に思い出せることがなかった。
赤絨毯をしばらくいくと、今度は階段を下る。地下に入るのだ。地下に入ると、館内の温度がぐっと下がった。風の通りはなくなったが、日の光りが入らないせいか、少し涼しすぎるくらいだ。足元がぞっと毛羽だつ感じがするのは気温のせいだろうか。何個かの扉を素通りしてから、リュミエールは一枚の扉の前で足を止め、ふ・・・ぅ、と息を重たく吐いてから、遠慮がちに二度ノックした。
コツ、コツ。
返事を待たずにリュミエールは扉を開いた。少しかび臭い空気が中からはい出て、俺達を嬲る。あの赤絨毯を見てから嫌な予感が、俺の背中をいったりきたりしていたが、その臭いに、いよいよその予感が肯定された感じがして、俺は拳をぎゅっと握った。
「おぉ。リュミエールか・・・よく来たね。待っていたよ。」
しかし、俺達を迎え入れたのは、人の良さそうな初老の男性の優しい笑顔だった。白髪が少し交じった黒い短髪を、後ろになでつけ、よく手入れされた口ひげを蓄えている。細く長い眉の下の瞳は明るい鳶色で、リュミエールを見ると愛しい子供や孫をみるように細められた。
執務机に座っていたその人は、席を立つと衣服を整えながら、こちらに少し歩み出た。青と白を基調としたその服は、一目で聖職者のそれと見て取れた。
俺に気づくと、
「ん?そちらは・・・お友達かね?」
と聞く。
「え?リ・・・父さんの知り合いではないのですか?」
父さん?さっきの話と合わせて考えるにこの人が養父=リシュリュー卿・・・か?
リュミエールは驚いてこちらを振り返り、俺の腕をとって、バングルをリシュリュー卿に見せた。バレるならバレろ、とある意味開き直っていたので、俺は特になにも言わなかった。
卿は片眉を一瞬上げて遠めにバングルを確認し、
「ほう。私は知らぬが、私でないなら兄のところのモノだろうな。」
と、にっこりと笑う。幸か不幸か、また勝手に辻褄があったらしい。
「そうだ良いことを考えた。今日は、その子と一緒に話をしようか。」
その言葉に、リュミエールの肩が、ビクッと大きく揺らぎ、細かく震え始めた。なんでこんなに怯えてる?と俺が不審に思うと、リシュリュー卿が柔らかい笑顔をそのままに、こちらに歩みよってきた。そして、リュミエールの目の前にたつと、
「返事がないぞ?リュミエールっ。」
突然人が変ったように、その細い顎をぎりぎりとつかみ上げた。長い爪が白い顎に食い込んで行く。
こいつっ!!
何を考えるまでもなく、反射的に俺は卿を突き飛ばしていた。
二人の間に割り込むように体を入れ、何故こんなことをする、と卿を睨みつけた。そして、何故抵抗しない?と、振り返ってリュミエールも睨む。リュミエールはどこかぽかんとして、俺を見上げていた、がその瞳がはっと一瞬見開かれ、その後ぎゅっとつぶられる。
だがそこは強さの守護聖の俺である。俺の後ろで卿が殴り掛かろうとしていることなど分かっていた。そのまま振り返らず、後手にその腕を掴む。
「貴様ッ!躾がなっていないようだな!」
その声を無視して、手に力を込めながらゆっくりと振り返り、鳶色の正体を剥き出しにするつもりで、その瞳の奥を見た。が、予想どおりだったのはそこまでだった。
「くくっ・・・良い目だな。兄もなかなかのものを掘り出す。」
野卑な笑い方をした後、卿は俺に片腕を掴まれたまま、執務机に空いた手を伸ばし、片手で呼び鈴を鳴らした。
そのクラシカルな見た目とは裏腹に、
ビィィィィィィィーーーーーーー
と、けたたましい電子音が響き渡った。
とっさに俺はおっさんの手を離し、リュミエールの腕をとって、扉から外に飛び出そうとした。
が、開かない。くそ、自動ロックか、と思い当たって、けやぶろうとしたが、その扉が木製なのは見た目だけのようだった。他に出口は!!と、部屋を振り返る。
まじか・・・
振り返ったその時、壁に備え付けられた本棚や食器棚が、まるで自動ドアのようにすべらかにスライドし、中から屈強な、白いローブの男が5人出て来るのをみて、俺は自分のからだが本格的に戦闘モードに入っていくのを感じていた。
男どもは当然のように手に得物を持っている。
俺は部屋を見回して、唯一武器になりそうな鋤を暖炉脇にみつけると、横転してそれを掴みとり、リュミエールの元に戻る。背後にリュミエールを隠すようにして、ローブの男たちに構えた。
どう考えても多勢に無勢だな。しかもどうやら相手が素人なのは服装だけのようだ、と間合いの取り方で判断する。背後の男は戦うつもりもないようだし、ひとりずつ、全員のしていくしかない。腹をくくって、間合いを取りながら隙を伺っていると、
「勇ましいことだ。だが、いいのかね、リュミエール。」
と哀れむようにな声でリシュリューが言った。
「お友達は事情がよくわかっていないようだ。お前から説得した方がいいのではないか?お前の母さんのためにも。」
この一言で、俺にも、大体事情が呑み込めてきた。
背後から、諦めたような力無い声で制止がかかる。
「ありがとう、オスカー。でも・・・抵抗しないで下さい。」
俺の右肩に、力無く、ぽす、と手が置かれた。「お願い・・・です。」と呟くように駄目押しされて、俺は一瞬、戦意を失った。
次の瞬間、5人に一斉に飛びかかられ、俺は呆気なく御用となってしまった。
−−−−
本棚のひとつに隠されていた通路から、俺達は薄暗い別室に連れ込まれていた。外の暑さとは正反対に、半袖には寒すぎる部屋だった。その寒さをやわらげるためか、ベッドの向こう側では、季節外れも甚だしいが、暖炉に控えめに火がくべられている。
部屋のど真ん中に、どこの皇帝のベッドかと思うようなどでかい豪奢な天蓋つきベッドが置かれているが、それもやけに場違いに感じた。というのも、壁や天蓋から吊り下げられたごついチェーンがそこここにブラブラしていて、この部屋からその悪趣味なベッドを除けば「拷問部屋」と名付けるほか無さそうだったからだ。
チェーンの先には、大きいのから小さいのまで、細工の施された銀色の輪がつけられている。きっと近くで確認すれば俺が今つけられているバングルと同じようにルベーブの葉と三本の矢尻が彫り込まれているだろう。ルヴァの予想どおり、それらは俺につけられたものとは違い、みな一部が欠けていて、欠けた部分に黒い革ベルトがつけられていた。
あの柔和な顔の下に何が隠れているのかが透けてみえて、気分は最低だった。
俺はといえば、体の右と左から例のローブ男に羽交い締めにされ、むりやり床に膝をつかされ、リュミエールとリシュリューを無理やり視界に収めさせられていた。後頭部の髪を乱暴に掴まれているのがひきつれ、思わず顔をしかめる。
「こっちへおいで、リュミエール。」
差し伸べられる腕。
「・・・」
何もかも諦めたような空虚な海色の瞳。
わかってる、これは故意にみせられた夢だ。今、目の前で起こっているようにみえても、これはルゥが俺に見せている幻。
きっと似たようなことが昔、本当にリュミエールの身の上に起こったのかもしれない。でも、もうそれは過去の話で、今この目の前のリュミエールを、例えば救いおおせたとしても、何一つ、変わらないに違いない。
「服を脱いで」
言葉のまま、こちらに背を向け、リシュリュー卿と向かい合うようにして、リュミエールはその大きめの黒シャツのボタンを外し始める。
はらり、とシャツが床に落ち、その白すぎる背中が露出・・・するのかと思っていた。
俺は息を飲んだ。
その背中に、皮膚が破れた後のような大きなミミズバレが無数に走り、あちこちにつけられた青黒い痣と交じって、得たいの知れない模様をつくっていたからだ。
生生しすぎる拷問の跡。
「貴様、何をしたぁっ!!!」
考えるより先に、分かりきったことを叫んでいた。
四肢をめちゃくちゃに振り回そうと、体中に力を込めたが、背中に馬乗りになられ、前につんのめっただけに終わった。
「うぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーー!!!」
頬を床に押さえ付けられ、口が動かなくなり、今の俺にできることと言えば、相手を目で威嚇することだけだった。自分の虹彩が怒りでキュウと締まるのを感じる。
わかっている。だが。
その視線を、陰鬱な笑みを含んだ目で受け止めながら、リシュリューの指は、すい、とその痛々しい背中を撫ぜた。リュミエールは苦痛に声をあげた。
「うっ・・・」
さっき、俺が背中に手をやったときと同じ反応。夏の日差しの下で、黒い長袖のシャツを着ていた意味。
「やめろと、言ってる。」
低く唸る。
「やれやれ、まるで猛獣だな。友達は選べと、いつも言っているのに。いや、友人ではなかったのだったな。とにかく、その子は少しうるさすぎる。ヒトにはヒトに。獣には、獣にふさわしい扱いというものがある。」
リュミエールの髪を指で弄びながら、リシュリューはこちらに、正確には俺を拘束している男たちにチラリ、と視線を投げた。
と、男の一人が、俺への戒めを解かないように注意しつつ、ローブの中からごそごそと何かをとりだす気配がした。リシュリューがそれを確認し、うっすらと笑みをもらして、うなずいた。
戒めが強くなったと同時に、左腕に何か針のようなものを突き刺される感触がした。身体が痺れ、四肢に力が入らなくなっていく。
おそらく、麻酔か・・・
俺を拘束していた男どもが身体の状態を簡単に確認し、離れていった。身体は自由になったが、指一本動かせない。声ひとつ出せない。俺はただ床に転がっていた。
「目は見え、耳も聞こえているはずだ。せいぜいそこで、君も楽しむが良い。」
言いながら、リュミエールを乱暴に抱きすくめると、リシュリューは床にリュミエールを押し倒して凌辱し始めた。
リシュリューの口元に浮かぶ残忍な笑み。ただひたすら、相手の精神を痛めつけ、屈伏させることだけを目的としたような。その行為には覚えがあった。いや、寧ろ、それをもっとひどくしたような。
リュミエールの表情が見えない。
お前、今、どんな顔してる。何を考えてる?
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「お前もだいぶ自分の立場がわかってきたようだな。殊勝なことだ。」
命ぜられた通りに行動し続けるリュミエールに満足したのだろう。一通り抱き終えた卿がバスローブを羽織りながら満足そうに、ザーメンまみれになって、壊れた人形のように床に四肢を投げ出しているリュミエールを見下ろした。
「躾にはだいぶ苦労したが、苦労のしがいがあったというものだな。」
言い捨てて、おそらく、シャワーを浴びにいったのだろう、リシュリューは部屋を出て行った。
パタン、と部屋の戸がどこかで締まる音がした後、耳に痛いような沈黙が訪れた。沈黙に耳が慣れ、なんとも感じなくなった頃合いに、四肢をほおりなげ、こちらに背を向けたまま、リュミエールは「聞こえる?」と問いかけてきた。
聞こえてる、と答えたいが、相変わらず声は出ない。
「よくある、話なんだ。事故で、家族が死んでね。母さんと僕だけが残って。でも、母さんはショックで、もともと身体が弱かったから、入院してね。お金が足りなくて。それを援助してくれるって申し出たのがリシュリューで。いわば、これとか、養子縁組はその対価ってやつかな・・・」
確認してから話始めたわりに、俺が聞こえているかいないかなんて、知ったことか、と言葉は淡々と紡がれていく。
「一生、このまま僕は飼い殺されるのかなって思ってたところで、守護聖の話が出て、正直助かったって思ったよ。僕が守護聖になった後は、僕の裁量で母さんの治療の援助もできると確認できたし。」
事情をそのまま話せば、現時点からリュミエールの裁量で援助は可能だろうと思えたが、そうはしなかった、したくなかったということだろう。
「でも、笑えるでしょう。こんなのが、守護聖様、だなんてさ。しかも優しさを司る守護聖、だって。」
クックック、と喉の奥から笑いが漏れる。
「いつも。今この瞬間も。あいつを殺すことができたらなって思う。毎朝、あいつを殺す夢をみる。爪の先まで、めちゃくちゃに引き裂いて、血液っていう血液を浴びてさ。ああ、清々したって思ったところで。でも母さんがこっちを見てるんだ。あいつの体液にまみれた僕を、母さんが、傷ついた目で見てる。」
控えめな笑い声が、そこで途切れた。
「僕にはもう・・・母さんだけなのに。」
俺にはかけるべき言葉がみつからなかった。みつかったとしても、今の状態では語りかけることは叶わなかったが。
「こんなことしゃべるの。初めてだ。何故君に話すんだろう。」
湿った声を振り切るように、明るく作られた声が続けた。
俺がもし、このことを、知っていたら。
俺でなくても、ジュリアス様や他の誰でもいい、誰かがこのことを知っていたら。無理やりこいつをあの男と引きはがして、お母さんのことと合わせて対策をとっただろう。
でも、実際にはそうはならなかった。こいつが、一人で我慢したから。精一杯抱え込んだから。
どこか憎めない、とおもいはじめていた、ルゥを。俺はもう許してしまっている自分に気づいていた。ルゥは、リュミエールで、リュミエールはルゥ。元々一人だった二人は、何かのきっかけで、この暗い過去を引き受けるルゥと、暗い過去を忘れて生き直すリュミエールになった。
ルゥはきっと、一人では抱え込めなかった。背負いきれなかったのだ。あれは、その彼の、ヒステリー。
その時。パチ、パチ、パチ。芝居がかった拍手がして、俺達の間に流れていた湿った空気が緊張したものに変わった。
「素晴らしい。はじめての、お友達か?リュミエール。そこまで私を想っていてくれたとはな。胸が熱くなる告白だ。」
いつから聞いていたのか、バスローブ姿のリシュリューが立っていた。
「ちょうど良い。まだ麻酔が切れるには時間があるが、その獣じみたお友達のことだ、そろそろ体力が回復してきた頃だろう。お友達をベッドに『繋いで』あげなさい」
リュミエールはけだるそうに、汚れた身体を起こし、床に手をついてゆっくり俺を振り返った。
なんの望みも持っていないような、焦点のあっていない瞳。絶望に慣れ親しんだかのような、無表情な顔。一瞬、その顔が困ったな、とでもいうように歪められたような気がした。
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バングルにチェーンを繋がれ、下半身だけ裸に剥かれて、俺はベッドの上に転がされていた。あの細腕で、しかもあれだけ体力を奪われた後にも関わらず、リュミエールは俺を丸ごとひょいと抱え上げてベッドに運んだ。
「私はもう汗を流した後だからな。汚れるのもかなわん。リュミエール、お前が楽しませてあげなさい。やり方は、わかるだろう?」
信じられないことを実に嬉しげにのたまう卿は、サイドテーブルでワインをグラスに注ぎ、ベッドの縁に腰を降ろした。
リュミエールは、愛撫のあとと、ナイフや鞭でいたぶられた後が痛々しいその身体で、俺の両の脇の下に手をつき、瞳を覗き込んでくる。上でひとまとめに繋がれた腕が、チリチリと痺れるのを感じていた。麻酔が、そろそろ切れるのだ。だが、そのタイミングは最悪といえた。
俺を覗き込んだ群青に近いその青色は、あまりに空虚で、感情を排していて、その瞳に俺は恐怖していた。
なんて目を、しやがる。
半開きになった誘うような濡れた唇が、俺の顔の脇におち、耳殻の縁をつつつ、と舌でなぞる。
なんで、こんな・・・と俺は渾身の力を込めて、目を瞑った。
「オスカー、麻酔が切れてきたら感じているふりをして。でないと、今度は催淫剤(クスリ)を打たれる。」
小さな早口の囁きが、耳に直接語りかけた。耳から舌が離れ、顔が俺の正面に戻る。目を見ると、意外にもしっかりとした瞳がそこにあり、少しだけ、ほっとする。
感情を排したようなあの瞳は、リュミエールなりに身につけた処世術のようなものなのだろう。
しかし、感じているふり・・・ねぇ。
やさしい、ついばむようなキスが、額、眉、瞼、頬、鼻、唇の端、とゆっくり繰り返される。さっきのリシュリューとリュミエールとの情事とは、まるで正反対だった。
顎先をチウ、と音をたてて吸われ、そのまま首筋へとキスが落ちる。Tシャツの襟刳りまでついばんだところで、リュミエールはそれを上へとまくり、腕のバングルのところに巻き付けた。
鎖骨、胸の脇、肋骨の上、と胸の印を回避するように口づけられる。焦らしたように、チロリ、と印を舌が嬲った。
少しだけ身体が撥ね、カチャン、と足につけられたチェーンが鳴った。
ワインを飲みながら見物を決め込んでいたリシュリューの細い眉が、おや、と上がる気配を感じていた。
麻酔が切れかけているのが余計悪い。身体中が痺れを感じていて、触れられたところすべてがパニックを起こしていた。
「ふっ・・・」
舌がまだ痺れていて、悲鳴は悲鳴にならず、ただの吐息になる。感じているふり?それどころじゃない。痺れている身体は、軽く触れられるだけでジンジンと痛みを発していた。
そうこうするうちに痺れはどんどん激しくなり、左胸の突起を突然指でつぶされて、痛みは限界値を越えた。
「うぁああっ!!」
目尻が熱い。歯を食いしばっているのに、勝手に涙が滲み出る。
「ははは。本当に獣だな。このままではあまり楽しめないか?」リシュリューの問いかけは、おそらく俺に向けたもの。俺は反射的に瞳をそちらに動かし、ギリッと瞳に憎しみを込める。麻酔が完全に切れてきているのか、動作が感覚についてくるようになっていた。
「その瞳の色は、美しいのだがな。薄い色がまるでガラス玉のようだ。」
ふふふ、と卿が怪しげな含み笑いを漏らすと、突然、リュミエールが顔を上げて激しく口づけてきた。
「んーーー!!」
上げた悲鳴も空しく、顎を細い指で痛いほどに固定され横から圧迫されて無理やり口をこじ開けられる。そのまま歯列を割って舌が入りこみ、少しだけ痺れの残る咥内を暴れまわられ、身体の奥が、突然の激しい愛撫にジンと熱を持つのを感じた。唾液が口の端からこぼれ出る。
「んっ・・・んはっ・・・」
最後に歯茎と歯の間を一通りなめ上げられ、やっと解放された時に上がった息が、変な上ずった音を伴ってしまう。
頬が上気するのを感じる。さっき目尻に溜まっていた涙が、抵抗の甲斐もなく、つう、と滑り落ちていく。
みるな、と腕に顔を隠そうとすると、リュミエールの手は俺の顎を引き戻してそれを阻んだ。
瞳がかち合う。ざわ、と恐怖に毛が逆立つ。
その目は、やめてくれ。
思わず情けないことを言いそうになる。
「そんな感じ。あまり反抗的な目をしては駄目。かえって火に油を注いで、長引くことになる。」
俺の不安を感じ取ったのか、耳に舌を入れ、耳たぶを吸いながら、その合間にリュミエールは俺に告げる。
「はっ・・・あ・・・」
俺は舌に翻弄されながら、脳裏で、そんな感じってどんな感じだ。と途方に暮れていた。
リュミエールの愛撫が再び身体の下へと降りていく。
背中を両腕で抱えるようにして持ち上げられ、リュミエールは身体を俺の足の間にぐっと入れ込む。胸を突き出したような格好になり、思わず俺は顔を逸らした。背中をなであげられながら、胸を吸われて息があがる。
「あぅ・・・ん!!」
唇を力いっぱいかみしめているってのに、なんなんだ、この声は!!自分で自分の女みたいな声にビクリ、と肩をすくめる。
少しだけ、リュミエールが驚いたような様子をみせ、もう一度、今度は胸への愛撫なしで俺の肩甲骨を優しく撫で上げる。
「う・・・。んっ・・・」
もともと、背中は弱い。でもこんな風に感度を確かめるみたいな愛撫のされ方は今までされたことがなく、羞恥に顔から火が出そうだった。なんで・・・。こんな・・・。何故こんな目に有っているのだ、という理不尽な気持ちは。むくりと持ち上がっては、もっと理不尽な目にあっているだろう、この男の前で途中で萎んでしまう。
くそ。確かに早く終わらせるのが一番良い方法に違いない。
俺はできるだけベッドサイドのリシュリューの視線を無視することに決めた。意識したら、絶対に睨みつけてしまうし、こんな声やら顔やら、絶対に見せたくない、という気持ちがすべてに優先して、うなり声をあげてしまいそうだったからだ。
愛撫が、背中から臀部へと落ち、そっと、やわらかく俺の茂みの中のものをリュミエールの手が掴む。もはや頭をもたげ始めているそいつを、リュミエールは躊躇することもなく、ぱくり、と口に含んだ。
そんなことまでするのかよ、と俺は身じろぎする。
ルゥにされた時とは違って、相手に憎しみの感情を向けることができない。そのことがより一層俺を追い詰めている感じがした。
チロリ、先端を舌が擽り、小さな穴を舌先がつつく。その敏感な部分をやわらかく吸われて、思わず腰が浮く。
「や・・・めっ・・・。」
やめてくれ、と言ったところで無駄だ。途中で唇をかみしめてこらえる。ジリジリと身体を這い上がってくる快感が理性を追い詰めていく。
緩く、きつく、咥内で弄ばれ、俺は自分の限界が近づいているのを感じていた。
その間に、腰の上当たりを支えていた腕が、ずるずると腰骨の当たりに下がってくる。やさしく撫でられるような指の動きが、舌で翻弄されている前の感触とないまぜになって、チリチリと理性を焦がす。
「あ・・・はっ・・・うんっ!」
唾液がわき出て、口からまたあふれ出す。恐ろしいことに、いつもとは違った快感が俺を襲っている。いや違う。早く終わらせるためだ。早く終わらせるためには・・・と言い訳がましくなけなしの理性が言う。
「あ、も・・・ぅだめ。。だ。離しっ!!」
と俺が気をやる直前で叫ぶと、リュミエールはその口をすっと俺のものから離した。
外気にさらされた瞬間、奥から沸き上がってきたものが一気に解放される。
「んっ・・・んんっ・・・。」
身体がビクビクと飛び上がるのを止められない。足先まで筋肉が緊張と弛緩を繰り返す。
唾液を口から溢れさせ、目を潤ませ、息は上がり、陰部は精液でベトベト、さぞ今の俺はアホな顔をしていることだろう。最悪だ。思いながらも、顔を逸らす気力もなく、俺は息を整えようとしていた。
が、チュゥッと、精を吐き出したばかりの俺をまた舌先が捉える。
「ふぁ・・・。あああっ!」
過敏になりすぎたところを追いかけられ、嬌声とでも言うべき自分の高い声に俺は焦った。
その声に微笑を含んだ視線をリュミエールが送ってくる。舌の動きはそのままに、周囲の精液を右手の指先に絡めると、俺の腰をぐいと、上に引き上げ、その指を後ろに近づける。
赤子がお締めを代えられる時のようなあまりの格好に
「待て待て待てっっ!!!」
と、現実に引き戻された声を出し、身をよじって抵抗した。
「黙って。」
冷たい声が返され、俺は顔を背けて口を噤んだ。
その指が、つぷ、とゆっくりと挿入される。濡らされているとはいえ、やはりきつい。
「ぐぅ・・・ぅ。」
俺はくぐもった声を堪えながら、その圧迫感に耐えた。身体が知らず知らずのうちに逃げ、痛みに息を吹き返してきていた高ぶりも収まっていく。唾液をまぶしながら、前への愛撫が再開され、痛みから無理やり気を逸らされる。
「んぅ!」
再生するのが早いのは、俺だからなのか、思春期の身体を与えられているからなのか。後ろの圧迫感になれ始めたところで、細い指が中でクリクリと細かく妖しく動き始める。
内蔵を直接嬲られているような感覚に、胃の底がぞっと冷えるように感じ、その異様な感触に全身が毛羽だっていた。
「うぅ・・・。う・・・」
その感触に身震いしながら耐えていると、ぐぃと、不意にリュミエールが指を曲げ、中のしこりのような部分を刺激した。
「がぅっっ!!」
突然のきつい刺激に、全身がこれまでないような異様な跳びはね方をして、チェーンがジャララッッ!!とけたたましく鳴った。
なん・・・だぁ?
俺があまりのことに、半ば呆然としかかったところで、今度は細い指が、そこをグリグリと遠慮なく刺激した。
「んんんっっ!!な・・・。にっっ!?」
ぶわっと一気に身体が火照る。根元から、前のものがジンと、甘く痺れるのを感じて、何がなんだかわからなくなる。
あまりの刺激に混乱する中、熱いものがつつつ、と目尻から溢れる。
挿入された指はいつの間にか3本に増やされていたが、前から伝ってくる唾液を潤滑剤にして、俺の後ろはそれをなんなく受け入れていた。
正気を取り戻そうと闇雲に頭を振るうが、甘い感覚はひどくなる一方で。刺激を与えている当人に視線を戻すと、いつの間にか、空虚な瞳だったはずの瞳が、熱を孕んで俺を見上げていた。
「リュ・・・ミエールッッ!」
息をつくのもやっとで、俺は思わず助けを求めた。
ずっ、と、その声に反応するように指が一気に引き抜かれる。
「はぁ・・・ぁっ!」
舌が空気を求めて捩れ出て、意志とは裏腹に中がギュウと締まる。
「ん・・・ふっ・・・」
熱く高ぶった身体の火照りを覚まそうと、息を整えた、その時。
「ぁっあぁぁぁぁっっっ」
ぐい、と腰から身体を持ち上げられ、そのまま一気に最奥まで貫かれた。突然の身体を裂かれるような衝撃に、思わず目を瞑ると、瞳の奥がチカチカして、身体の異常事態に警報を鳴らした。恐らく、昨日の夜にもルゥに同じような仕打ちを受けているはずだ。だが、薬を使われていたせいもあり、身体が痛みでなされたことを訴えるほかは、記憶が定かではなかった。でも、今は。
リュミエールのうっすらと汗ばんだ肌が、入り口でぴったりと密着する感覚も、首元の熱い息遣いも、異常に鮮明で。
「んっ。きつ・・・い。力を、抜いて。」
優しくかけられた耳元の囁きに、ぎゅっと瞑っていた目をうっすらと開ける。そこには、恐れていたような空しい瞳はなく、光を取り戻した目が、労るように俺を見つめた。坂からみた、あの海のような群青が。その奥で不思議に揺らめいている。
その間、リュミエールがじっとしていたお陰で、腹部の圧迫感が幾分やわらいできた。安心したのか、自分の鼻から、スゥ、と息が抜けた。
「そのまま、息を詰めないで。後少しで、終わるから。」
小声で早口に言われ、その声の親身さにつられて、言われた通り、今度は口からゆっくりと吐き出す。
両腕で抱いていた腰を片手で抱き直され、リュミエールは俺の腰の上の背骨を軽くなぞる。
「んっぅ!!」
優しい刺激に丸まっていた背中が反れる。その動きに合わせて、リュミエールが腰を使い始めた。さっき捜し当てられたしこりを器用につきながら、中を緩くかきまぜられ、奥を強くつかれ、背中を責められ、胸の突起を吸われ、前を擦られ、痺れるような甘い疼きが、だんだんと激しく、尖った快感に変わっていく。
くそっ、なんで、こんなに・・・
目尻を熱いものが伝い、脳みそが酸欠で暴れ狂う。
抱かれる側というのは、こんなにも追い詰められるのか、と俺は快楽の波に呑まれながら思った。目の前で行われた、リシュリューとリュミエールのそれとは違い、俺はたぶん、労られている。それもかなり慎重に。それなのに、自分の手の内をすべて相手に委ねてなお、心まで丸裸にされるような、自分を根こそぎ相手に奪われるような感覚に襲われていた。追い詰められて行く。自分の中を、自分でないものが支配していく。
熱く息切れしていく身体とは裏腹に、心がザワザワと寒く騒ぎ立てていく。恐怖感?寂寥感?畏怖?そのどれとも違う。
こんなモノ。力任せに屈服させられた時には感じなかった。
「んっっっくっ!!」
二度目の絶頂は、リュミエールが中で弾けるのとほぼ同時だった。身体が快感の余韻に戦慄く。
リュミエールも俺の上で一度ぶるっと体を振るう。
眠気が、俺を襲い、すいと気が遠のいていった。
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「ふっ。まるで恋人同士、だな。そんなに気に入ったのか?」
意識的に見ないようにしていた一画から声がかかり、ばさり、と背に大きなタオルケットがかけられた。
最初はとにかく、この男がある程度満足して、自分もこの少年もできるだけ苦しまない方法を考えて、ただそれを淡々とこなそうと思っていた。
けれど、妖しく揺らぐアイスブルーの瞳が、時折奥から強い光を放つのが気になって、途中から変に熱が籠もってしまっていた。
それをリシュリューに見透かされた気がして、内心で密かに狼狽する。しかし、この男はそういった、人の感情の揺らめきを、異常な執着心でズタズタにするのを好むのだ。その習性に、もはや慣れ切った自分は、なんなく無表情を決め込んで、そのタオルケットを栗毛の少年、オスカーにかけ直した。その寝顔は、さっきまでの艶さとも、その前の荒々しさとも違う、どこにでもある少年のそれだった。
「なかなか面白かった。」
その、人を人とも思わない言い草。
「気が・・・済んだでしょう?」
汗ばんだ肌に張り付いている髪を掻き上げて、低く冷静な声で言った。この少年の正体は不明だったが、とにかく解放してほしかった。まるで僕が巻き込んだみたいだ。そう思えたから。
顔を逸らし、鼻の頭に皺をよせて、リシュリューが笑った。暖炉の朱色がその顔にうつりこむ。色素の薄い瞳の奥の網膜が、暖炉の明かりに照らされ緋色に光る。
赤は、嫌いだ。攻撃的で、高慢で、残虐な色。
だから、緋色の瞳は人間じゃないみたいで、お似合いだ。いつも、この色の瞳をみて思っていた。この瞳は、ベッドでめちゃくちゃになぶられる時によく目につく。最も嫌いな色。
その目をえぐりとって、火にくべたら、どれだけ気持ちが良いだろう。
そんなもの。消えて、なくなればいい。
身体の底に溜まった暗い欲望は、汚れ切ったこの身体に相応しく、ただ濁った澱のようにその濃度を増していく。
もう、この昏い気持ちを抱えて、ポーカーフェイスを決め込むのにも慣れ切って、慣れ切ったことでより一層、自分の中の澱みが深まっていく。
それももう、あと1年で、いや、1年を待たずに終わりだ。
母の存在だけでは均衡を失いかけていた心が、その期限を頼りに、狂気の縁で、辛うじて正気を保たせていた。
「お前が、『守護聖様』とはな。」
リシュリューの指先が、不意に僕の顎の下に添えられる。そのまま、指を持ち上げられ、喉が露になる。
僕はもう、この男に染まっているのだ、こうやって思考を先回りされる度、思わずにいられない。
「ふふ。お前のような売女が、聖なる存在だと?嗤わせる。」
全く同感だ。リシュリューのもう片方の腕が、喉に添えられた。
これは、この男のくせのようなものだった。首を締められながら、身体を突かれるのは、いつものことだ。
だが、今日はリシュリューの表情がいつもと違う。妙に本気地味た、その目。
「いっそ、このまま死んでみるか?」
殺してくれるのか、とこちらが聞きたいくらいだった。掴まれた喉に、力が込められ、血管が圧迫されて、血が溜まっていく。ゆっくりと目を閉じる。
このまま、何もかも、消えてなくなれ。
醜く汚れたこの身体も。
この心も。
未来も、過去も。
何もかも。
「消してやるよ」
突然、すぐ背後からハスキーな声がかかった。
え?
と、目を開く。
目の前で、リシュリューが、喉を短剣で突かれ、絶命していた。
自分の右肩の後ろから腕が伸びていて、その短剣をぐい、と捻った。
「ぐぼっ」
人の声とも思えない奇妙な音を発し、そのままリシュリューは後ろに倒れる。鮮血が盛大にそこから吹き上がった。
血の滴る短剣を持つ、その腕には、バングル。恐る恐る、身体ごと後ろを振り返る。
髪が、燃えるような赤色になった。オスカーが居た。
いつの間に外したのか、チェーンの戒めから解かれ、一糸まとわぬ姿にバングルだけをつけ、片膝をたてて、ベッドの上に座っていた。
どこから取り出したのかわからない、その短剣をびゅっとスナップを効かせ、振るう。びっと、血がシーツに飛んだ。
「オス、カー?」
確信をもてず、語尾が頼りなげにあがる。
暖炉の明かりを受けて、朱色にその身体が、髪が、輝いていて。強い瞳が、こちらを射貫いた。あの昏い緋色と同じように、暖炉の明かりを受けた瞳。だが対照的な、力強い、鮮烈な、赤。
「来い。」
肩を抱きすくめられたと同時に、周囲がどっと炎に巻かれるのがわかった。シーツが、暖炉が、毛足の長い絨毯が。この暗い煉瓦造りの部屋のすべてが。そしてオスカーの腕に嵌められた、プラチナのバングルが。激しい炎にさらされて、焼き尽くされていく。
誰か、助けて。
誰か、僕を助けて。
今まで思いもつかなかったような言葉が、脳裏を過ぎった。
誰か、僕をここから、助けて。
母さん、僕を、助けて。
母さん、僕に気づいて。僕の話を聞いて。
でも、嫌わないで。逃げないで。
僕には、もう、貴方しかいない。
そんな瞳で僕を見ないで。
分かってる。あれ以上、僕は母さんを追い詰められなかった。
だから助けを求めようなんて。そんなこと。
だけど・・・
何もかも燃やし尽くした炎が、やがて自分をも骨まで焼き尽くしていく。自分が声を上げて泣いていることに気づいた。
これは夢だ。
いつもと同じ、夢だ。
起きてしまえば、なんだ、夢か、と思う。夢。
でも、夢でもいい。
こんなに、いい夢を見たのは久しぶりだ。
心がザラザラと乱暴に洗いながされていくようで、この夢がずっと冷めなければいい。そう、思った。
終
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