終わり逝く世界と聖夜の祈り



「この惑星では最もメジャーな神の聖誕祭だそうです。」
「メジャーってことは、やはり多神教か。」
「いえ、宗教混在です。件の神は、一神教の神ですね。」
「一神教とは珍しい。しかし、一神教で複数宗教混在とは難儀だな」
「難儀ですし、多神教も混在してますし。」
「宗教のバーゲンセールか。」
「不謹慎ですね。」
「身近な救いが求められている惑星なんだなと言ったんだ。」
「そんな風には聞こえませんでしたが。」
「耳が悪いな。」
「口が悪いよりは救いがあるかと。」

ボソボソと無駄口を叩いてカフェで二人、ガラス越しの街を見やる。
通り過ぎる幸せそうな壮年のカップル達。ジィっと見送ってから、ちらりと対面に座る、頭の先から指の先まで、この上なくきちりとした男に視線を戻す。
「なんでお前と二人なんだ。」
カフェテーブルに頬杖を付き、憮然としたまま問う。
「物欲しそうな顔をなさらないでください。守護聖様ともあろうお方が。」
男はコートもマフラーも手袋もきっちりと着込んだまま、カップを几帳面な手つきで持ち上げ、少し傾けて中身を一口飲む。象牙色の顔は、まるでそこには一滴の血液も通っていないのではないかと思わせる。
顔色と同じく温度のない淡白な声音で、
「任務中は真面目な方と思っておりました。」
と、小言が続く。
「研究員殿をがっかりさせて、申し訳ない限りだ。」
心にも無い台詞を棒読みで返す。任務中は勿論、真面目にやっているつもりだが、『そう見えた』というサイボーグの言に対し、言い訳するつもりはなかった。エルンストはカップをソーサーにきちんと向きを元の状態に戻し、腕時計にちらりと目を走らせると、
「ここから移動して、10分程遅刻となります。時間ですね。行きましょう。」
と言った。同時に立ち上がって、会計を済ませる。街は聖誕祭というだけあって、どこか浮かれた、華やかな雰囲気。様々にデコレーションされたショーウィンドウは、赤と白が踊っている。この惑星の仕様に合わせ、外観を変更した端末を手に、エルンストが前を進む。俺はその斜め後ろを人ごみの中で追う。黒いロングコートで迷い無く、姿勢正しく歩く様は、同じく惑星に合わせた出立ちであっても、やはりどこか、浮いているように思う。この惑星では、「若い」というだけで、周囲から浮いて見えるのかも知れないが。百貨店やブランドショップの並ぶ通りを抜けると、突然オフィスビルの群立する区画に出る。
ピタリと、取り分け背の高い大きなビルの前で立ち止まり、エルンストが振り返って言う。
「ここですね。」
俺は、目の前にそびえ立つビルを見やる。灰色の近代的なビルは、機能的で俺好みのはずだが、何故か暗いものを感じて、俺はふぅ、と息を吐いた。
「行こう。」
短く言うと、黙ってエルンストは小さく顎を引き、エントランスへと先に入っていく。エントランスは吹き抜けになっていて、高い天井が開放感を齎すはずが、四方を灰色のコンクリでできた回廊が幾重にも天井まで続いていて、これまた息苦しい印象。受付を済ませたエルンストが再び俺を振り返り、俺は『無個性』を絵に描いたようなブラックスーツの若い男性の案内人と、エルンストの後に続いてエレベーターに乗り込む。
それなりに高速なエレベーターの中で、それでも長く感じた沈黙をやり過ごし、最上階で箱から解放される。続いてセキュリティロックの掛かった全面ガラスの自動ドアを、何回か抜けて、やっと目当ての部屋らしき、重厚な木の扉を前にする。
「失礼致します。」
何も説明せずに案内人は踵を返す。隣に立つエルンストが、ちらりと俺を瞳だけで見やる。
俺は小さく両手を上げ、
「俺は準備オーケーだが?」
と苦笑する。
「では行きましょう。」
エルンストは『宜しい』とでも言い出しそうな顔つきで、着ていたコートを脱ぎ、腕に掛けてから、ドアをノックする。俺は黒革のジャンバーを着ているが、脱ぐつもりはなかった。自動で扉が開かれて、絨毯の敷かれた大きな執務室が露呈する。本来ならば、ここで立って訪問者は『陳情』するのであろうが、流石にエルンストも、そこは気にせず、さっさと前に進み、その執務机の直前で立ち止まる。
執務室に座っていた、口髭の初老の男が、手を止めて、俺達を見上げた。
「お待ちしておりました。」
両手を組んで、男は座ったまま言う。俺とエルンストは口を開かなかった。数秒見つめ合ってから、
「隣に応接室が。ご案内します。」
と、言って、男は席をやっと立つ。その後について、またも木製の両開き自動扉をやり過ごし、応接室に入る。
黒い革張りのなんの工夫も無い応接セットが、部屋の真ん中に置かれていて、
「どうぞ。」
と言いながら、男は一人がけに座る。向いの3人掛けのソファに奥に俺が、手前にエルンストが座る。俺は、ふんぞり返るように座り、足を組んだ。エルンストが一瞬チラリとこちらを見やってから、手元の端末に視線を落とす。
「それで、我々に何をせよと?」
と口髭の男は徐に、やや開いた足の上で、両手を組んで前のめりの姿勢で口を開いた。
エルンストが、端末から情報を取り出し、先方に向けてくるりと画面を提示しながら、説明を始めた。
「本来ならば、こうした事にまで、我々は口を出すべきではありません。が、あまりの惨状に、陛下が異例の対応を希望された為、我々は参ったのです。」
無駄無く、丁寧に説明し始める。

つまり、こういう事だった。
人口比の崩れたこの惑星の内政に、俺達は『具体的』な口出しを迫られていた。
惑星には寿命が来ており、どんなに繊細にサクリアをコントロールしようとも、終わりゆく惑星の運命を変える事はできない。にも関わらず、この惑星では、圧倒的な人口バランスの悪化により、惑星の移住計画が進められて来なかった。若い世代には移住計画を求める声もあるが、移住計画を立案するような指導者には、この民主主義国家では票が集まらない。結果、ただ、この惑星の人々は、滅びの時に向かって、『今』を贅沢に過ごすための政策に邁進していた。
再三の通達にも全く耳を貸さない、この惑星の権力者達に、ハッキリ言って、俺達守護聖は業を煮やしていた。
惑星の寿命に伴う天災により、ほとんどの人口が死滅してから、残った人々を俺達の力で救うことも勿論できる。それに、残念ながら、惑星の寿命に伴い、滅亡する民の存在は、枚挙に暇が無い。・・・のだが、陛下たっての「一度だけ、手を差し伸べたい」という希望により、俺達はこの惑星の最高権力者に面談を申し込むことになったのである。

「今更、我々が申し上げる事等、総て貴方はご存知の事でしょうが、改めて申します。移住計画を具体的に立案し、進めて頂きたい。再三の通達にもある通り、技術や計画の一部は、こちらが、その後の文明発展を壊さない範囲で可能な限り提供します。」
説明をそう言って締めくくったエルンストに、口髭の権力者は、ハッ、と笑い声を漏らした。
「せっかく足をお運び下さったのだ。綺麗事はやめ、私も本音で申し上げよう。そのような素晴らしい技術や計画があるのであれば、是非我々に新たな、より肥沃な惑星を提供して頂きたいものです。我々は、コストが掛からないのであれば、移住に依存はありません。ただ、今と同じか、それ以上の生活レベルの保証をしたいだけだ。この惑星の住人のほとんど総ては、60代以上なのです。老人が快適に過ごせる場所と安らかに眠れる時間を稼ぐ。これが我々の目下の目的なことは、貴方がたもよくご存知でしょう。私の立場から、ほとんど総ての民に対し、『仕事を捨て、富みを捨て、土地を捨て、僅かばかりの若い世代の為に残りの人生も捨ててくれ、死んでくれ』等という事が言えるとお思いですか?新しい惑星に降り立って、環境適応が見込めるのは、体力的に余力のある世代だけだ。貴方がたのおっしゃる『子供達』とて、どれだけ生き残ることができるか。結局同じ事ではないですか。このまま、この惑星が死に行くのを待つ事と。惑星の寿命は、あと20年から、長ければ30年。『ほとんど総て』が寿命を迎えるまでは、『持つ』のですよ。これは、神から我々への、天命だ。」
長い演説が終わるのを待ち、エルンストが何事か言おうとするのを、片手を小さく上げて制する。俺は足を組みかえた。この男の信じる神が、何者か、俺は知らない。けれど、『天命』。あるいは俺達守護聖よりも、陛下よりも、ずっと高次にある、運命を操る唯一の全能者が居たとして、本当に、『彼の者』は、望んでいるのだろうか。この、民の滅亡を。そして、その答えが、この惑星で女王信仰が浸透しなかった理由なのだろうか。
「子の親も、お前の言う『老人』には含まれるんだろう?それらの声がないとは言わせんぞ。」
俺はふんぞり返ったままに、重たい口を開く。再び、男は嗤った。
「ハッハッハ。この滅びゆく惑星で、子を設ける等、ごく一部の無能のみの所行。大勢に影響等ありません。」
この会話に、意味があるだろうか。陛下が意味があるというのなら、俺にとって意味はある。・・・だが。
「残念だ。お前は自分が木の股から産まれたとでも勘違いしているようだ。お前もヒトの子であったろうに。そして親の愛を受けて育っただろうにな。お前の親は、無能者呼ばわりされて、泣いているだろうよ。」
男は、口を引き結んで、ただ俺を睨んでいた。濁った瞳は、決断力等、到底期待できない。
けれども、どこかに意味があるはずだった。このやり取りに。俺はそれを探していた。尊大な態度とは裏腹に、おそらく、祈るような気持ちで。
「もう一度問おう。選択する気はないのか。『生きたい』『未来に命を繋ぎたい』というのは、ヒトの本能だ。その内なる声に応える気はないのか。」
俺と男のやり取りの、雲行きの怪しさにか、エルンストが生真面目に揃えた足の上で、ぐ、と拳を握るのが視界の隅に映る。
「畏れながら。『もっと良い生活がしたい』『今の生活を維持したい』『安らかに眠りたい』というのもまた、ヒトの本能です。」
男は苦しげに、初めて畏敬の念を滲ませて俺を見つめた。
もし・・・そうであるなら。
俺はゆっくりと笑んだ。
「そうか。」
それだけ言うと、はっきりと、男は怯えたような表情になる。そして、突然激しく頭を振り、
「では、どうせよとおっしゃるのですか!先程も言ったように、我々は未来等ないのです!ならばッ、ならば何故、こうなるまで私共を放って置いたのですか!!貴方がたに、慈悲があるなら!何故!!何故ッッ!!」
鬱積した不安が吹き出したとでも言うように、喚き出した。
「何故・・・?」
俺は、片眉を上げる。
「お前達が、自分で選んだのだろう。この惑星の技術力、学問、知識、制度・・・これだけの文明の発展があれば、数十年前の時点で、そう、お前が若者だった頃合いには、まだこれほどの悲壮な決断を迫られてはいなかったはずだ。少々の苦労を買って出る、勇気と強さが、お前達にあれば。俺達は十分入念に、サクリアの統制をした。その上で、お前達の勇気と強さが、別の事に消費されただけだろう。」
俺は、厳しい顔で言い放ち、
「・・・あるいは、『天命』によって導かれた結果だとでも言うのか?」
と、聞いた。男は、ほとんど泣きそうな顔で、唇を噛み締めて呻いた。
「我々だって、努力・・・したのだ。努力して、未来を予測し、努力して、技術を発展させ、力を尽くした。向上して来た。今も、惑星の寿命を伸ばすべく、これだけ努力しているのに・・・尽くして・・・尽くしたのに・・・。何故・・・何故・・・。神は我々をお見捨てになる・・・。」
ふと、何故、リュミエールやルヴァでなく、俺とエルンストだったのだろうと俺は思った。俺とエルンストでは、この憐れな小男に、一欠片の優しい言葉もくれてやれない。
「もし、貴方が、移住計画を実行すると宣言した場合、貴方の命の保証はない。それが、怖いのですか。」
エルンストは、淡々とした声音でまっすぐに、男を見つめていった。男は下を向いたまま、再び小さな声で呻く。
「そうやって、皆、私に死ねと言う。たった一人の、私に責任を押し付けて。」
「我々が今考えている移住計画では、貴方が決断して下されば、移住が落ち着くまでの間、我々が貴方の立場を守る予定です。移住が落ち着いた後は、どうしても、惑星の自治に委ねることにはなってしまいますが。そうでなければ、今の貴方がたの文明を徹底的に破壊する事になってしまう。新しい惑星の治世が、女王陛下の直轄領のようにして齎されるのは、陛下のご意志に反します。」
クックック、と生真面目なエルンストの声に、男の喉が鳴る。
「いつだってそうやって、最良の結果は齎して下さらない。貴方がたは無慈悲だ。力があるのに、我々を決して救わない。統治して頂いても、民は文句等言わないでしょう。今だって、万能で超然のリーダーを・・・救世主を求めてやまないのだから。」
自虐的に言う男に、俺は身体を起こして応える。
「陛下は、慈悲深い。何が正しいのか等分からないが、お前達、この惑星の民のために、最良のご判断が、直轄領でないというだけのこと。お前にとっての最良が齎されないからといって、駄々を捏ねるのは止めろ。不敬だが、あえて言おう。陛下の使命は、お前の使命と同じと言える。『民のため』。ただそれだけの為に、陛下はあらせられ、お前も存在する。そうでないなら、何故お前が『ここ』に座っているんだ?」
男は、自失したような顔で、俺をただ見つめていた。一度目が合ったら、もう視線を逸らす事すらできなくなった、とでも言うように。
「お前が言うように、お前が決断しても、しなくても、この惑星の民は、間もなく未曾有の危機を迎える。しかし、『決断しない』というのも、結果的には大きな決断と言える。お前が若者だった頃の治世者が、その時の民の概ねの総意が、この悲惨な状況を齎したように。」
ただ、項垂れる男を前に、沈黙を数えてから、エルンストに言う。
「話は済んだ。そうだな?」
エルンストは、数瞬、逡巡して、俺を見やっていた視線を、前方に座る男に戻して、それから、
「ええ。」
と言って、端末を小脇に抱え、席を立った。俺も続いて席を立つが、男は身じろぎもせず、そのままぼぅ、とローテーブルに視線を落としたまま。
「失礼します。」
とエルンストの口跡のはっきりとした声が、部屋に響き、俺達はそこを後にした。内側からはセキュリティロックはかかっておらず、俺達は互いに黙ったままに、長い廊下と幾重の扉をやり過ごし、エレベーターに乗り込んで、ビルを出る。堅牢で、重厚で、機能的。けれども、圧迫感のある、灰色の箱。
「帰る前に、もう一度、先程のカフェに寄っても良いでしょうか。」
斜め前を歩いていたエルンストが、マフラーに顔を埋めるようにして、控えめに切り出す。俺は、普通はこういう時は、酒を飲むものじゃないのか、と思ってから、任務終わりとは言え、この男はまだまだ任務中なのだろうな、と思い至って、
「別に構わないぜ。」
と応じて、先程来た道を共に辿った。

先とは違い、野菜ジュースを頼んだ男の向かいに座って、俺は奴が口火を切るのをコーヒーを啜り、先程と同じくガラスの向こうの世界を見やって待つ。
ジュースを半分程飲んでから、奴は口を開いた。
「どうしようも、ないのでしょうか。」
男の沈痛な面持ちに、俺は、サイボーグにも一片の憐れみありだな、と少しばかり口の端を上げ、
「分からん。」
一言で応じる。きゅ、と眉根を寄せて、
「分からん・・・とは?」
少しばかりの非難を混ぜて、問われる。
「言葉通りさ。分からない。」
俺はカップを取り上げて、けれども男の真面目さに答え、正直に返した。足を組んで、ガラス張りの向こうの世界を見やる。滅び行く世界の中を、揺蕩う(たゆたう)人々。壮年期から高年期の人々がほとんどの中、チラチラと若者が混ざっている。幸せそうに街を行く高齢のカップルに対し、たまに紛れ込んだ若者達は、まるで異邦人のようで。どの顔もどこか決然としている。エルンストのデータによれば、20代の若者達の間では、何故か子供を産んだり、養子を迎えたりするカップルが増えている。一筋の希望を、自分の子供らに託そうとでも言うのだろうか。

『未来に命を繋ぎたい』
『安らかに豊かな最期を迎えたい』

ガラスの向こうから、切なる、素朴な願いが、聞こえてくるようだった。
終わり逝く世界に、ささやかな願いが降り積もっていく。祭の日。
「今日、生まれ落ちたという、この惑星でメジャーだという神は。」
俺は、独り言のように口を開く。エルンストの視線を横顔に感じながら、俺は笑んだ。
「この世界が終わる日を、どんな顔をして待ってるんだろうな。」
視線をエルンストに戻すと、
「はぁ・・・。」
と溜め息のような、訝しむ声のような、微妙な声で応答する。俺は、少しばかり声を漏らして笑った。
「変な顔をするなよ。・・・・ただ。」
「ただ?」
「・・・誰も悪くない。誰も悪くないんだ。俺は、それが哀しい。」
再び、緩やかに笑む。暖かなコーヒー。暖房の効いた室内。快適な生活。
新たな惑星に移住したとして、暫くの間は、民が享受できなくなるであろう、幸福な空気。
「・・・私は。」
エルンストは、姿勢正しく、ジュースを見つめ、それから、俺の瞳をまっすぐに見つめて、言った。
「私は、構いません。何を失おうと。『今』を大事にする、ということは、『今ある生活を維持する』ということではないと思います。今、この瞬間に、予測よりも早く、地殻変動が発生し、この幸せな世界は、もしかしたら消し飛んでしまうかもしれないではないですか。データはかなりの精度です。けれども、万全ではない。そこには必ず誤差があります。5年後の安らかな死を望むよりも、今、与えられた命を慈しむことをしたい。」
その様に激しい感情は全く見受けられないのに、それは男の情熱を形にしたような言葉だった。今この瞬間、炎のオスカーはこの男に、情熱の度合いで負けているとでも言うのか、とせんない感想を過らせながら、俺は静かに応えた。
「高齢者の命もまた、慈しむべきじゃないのか?命が等価だとしたら、彼等のソレの方が、量が多い。相対的にみて・・・。」
おそらく出会って初めて、エルンストは俺の言を遮ってみせた。
「いえ。命は等価ではありません。」
それも、俺の瞳を見つめたまま、きっぱりと。驚いて言葉を失う俺に、奴が続ける。
「より年若い者の命が高価だと一概に決めつけることは私には出来ません。けれども、この状況で、子の為に親が犠牲になるのか、親の為に子が犠牲になるのか。どちらかしか選べないなら、私は前者を選びます。」
俺は、クック、と喉を詰まらせて笑った。
「全く同感だがな。残念ながら、エルンスト、それは正解じゃない。」
再び訝しむように顔を顰める男に、
「正解はないのさ。そいつは価値観の問題だ。そうだろ?どちらを選ぶかは、そいつの価値観による。エルンスト。お前と俺と、陛下の価値観は揃っている。おそらく、守護聖のほとんども、悩みはありこそすれ、近い考えだろう。だが、正解はない。・・・なあ。本当に俺達は、あの男に『死ね』と言って良かったのか?」
問うてから、頭を振って、肩を竦め、自分でおどけたように答えてやる。
「分からん!分からないんだ。だがいいさ。俺達はどうせ全知全能じゃない。何が正解かなど分からなくても、己の価値観で、最善を尽くすだけだからな。」
エルンストは、珍しくも、吊られるように笑って見せた。
「ふ、ふふ。守護聖様も、そのように悩んでおられるのですね。」
いつものサイボーグが、突然、人らしく見えて、その柔らかな様子に、俺は再び驚きに言葉を失う。
それから、我を取り戻して溜め息して言った。
「あのな、お前、守護聖を一体なんだと思ってるんだ?」
きょとん、と顔に書いて、男は言い退ける。
「それは勿論、サクリアという、いくら分析をしてもし足りない、不思議な力を持った異能の方々、と尊敬申し上げております。」
俺は、ハッ、と笑って、テーブルに肩肘をつき、身体を斜めに向け言い返す。
「人を珍獣か何かみたいに。言ってくれるぜ。言っとくが、俺達はお前の実験動物じゃないぜ!」
慌てたように、エルンストは少々頬を染めて、弁解する。
「そんなつもりはありません!尊敬申し上げている、と言っているではありませんか!」
ミスター・サイボーグの二つ名は、そろそろ返上だろうか、と俺は内心で好ましく思いながら、
「ハン、どうだか。」
と、急に表情豊かになった男をチラリと一瞥をくれてから、明後日に視線を逸らした。

カフェを出て、開口一番、エルンストが中空に手を伸ばし、空を見上げる。
「雪です。」
チラチラと街に降り積もる、細雪。
俺は首を竦めた。
「どうりで寒い訳だぜ。」
「帰りましょう。オスカー様。」
「そうだな。」
応じながら、俺は『できることは、なんでもするから』と、何者かに祈る。

ーーー民に幸いあれ。

ただ、それだけを。