秋ー玻璃ー




さらさら・・・
さらさら・・・

こまかくおどるは水晶の屑。

集めても、集めても
指先からあふれてはこぼるる


それは、おそらく。水晶の屑。








1.玻璃の腕輪

「珍しいモノを着けている。」
何気なく、目がいってしまった。
「?」
男は、その怜悧な性格に似合わない愛嬌のある仕草で小さく首を傾げた。俺は、男の手首に巻き付いているその珍しいものを指差しながら、
「それだ、その・・・」
アクセサリー、と繋ごうとして、
「あぁ、この装身具ですか。」
男の言葉に台詞を詰まらせる。『装身具』・・・ねぇ・・・。間違っちゃいないが・・・思わず、顎を撫でながら考え込んでしまう。
俺たち—俺とリュミエール—は、辺境の惑星のひとつに、出張で来ていた。文明レベルも主星ほどではないにしろ、それなりに進んでいるので、護衛等はつけていない。
任務は視察。ここの政治は立憲君主制だが、大衆の知識レベルに不安があるため、こうして市場をさまよってみたり、大衆文化の一端を覗いてみたり・・・まあ有り体に言えば芝居をみたり観光したりしているわけだ。既に王立研究院の研究員は既に何度か視察に来ており、レポートは上がっている。研究員のレポートはいっちゃあなんだが質がよく、専門の教育を受けた人間のやることに素人が口出しするのは俺の主義には反する。・・・のだが。
「陛下の気まぐれにも困ったものですね。」
隣を歩く男はみるともなしに市場の軒先に広げられた品々を眺めながら、なんの感情も読み取れぬ棒読みで言った。
「『気まぐれ』は言い過ぎだ。」
その言い様に、俺はつい顔を顰めて反射的に言い返す。
「・・・ではなんと表現すれば?」
男は小さくため息をついてから、歩みを止め、斜め後ろの俺を振り返って見上げる。・・・まったくムカつく野郎である。俺は指先で小さく顎を撫で、思案する。ここのところ、雑用続きで聖地の会議室に缶詰にされることが多かった俺とリュミエール(当然ながら、別件で拘束されていたので、俺とリュミエールが仲良く缶詰になっていたわけではない)を労って下さっているのだと思う。しかしながら、俺ならば休暇さえ頂ければもっと『俺好み』の惑星で羽を伸ばすわけであるし、リュミエールとて、休暇があれば庭の世話等して、存分に羽を伸ばすだろう。つまり、俺とリュミエールという、よりによって最悪な組み合わせで、こんな中途半端な惑星に、しかもプチ仕事付きで派遣する意味は到底俺には読み取れない。
「・・・まぁ、ただの『思いつき』だな。」
うむ、と断言した。その様子を胡乱な目つきで見上げていた男は、「同じでしょうに・・・」と小さく口先で言って、視線を何処へと彷徨わせる。青銀の余分に長い睫毛が伏せられて、濃紺の瞳が隠れ、出張用にか、いつもより短く顎のラインで切り揃えられた耳より前の毛が、しゃらりと顔にかかる。能面にやっと表情が乗ったと思えばコレだ。光の反射をコントロールする材料で洗髪しているため、ヤツの髪の色は今日はいつもの薄い青ではなく、ほとんど黒と言ってよい、濃紺である。俺の方も少し色味を弄ってブラウンと赤毛の間くらいに見えるように変えてもらっている。いくらなんでも、いつも通りのナリでは、雑踏に紛れるには目立ちすぎる。・・・が、そういや、睫毛までは配慮していなかったなと思い至る・・・ではなくて。
「って、なんの話だ一体。俺は、そのアクセサリーが、お前にしては珍しいと言ったんだ。」
知らぬうちに、いつもの調子で会話の筋道を妨げられていた事に気づいて、俺は苛立ちながら、人差し指を男の右手首のソレに突きつけた。黒髪で、髪型も耳より前と後ろのツーパーツ(後ろはいつも通りの長さだ)、それだけでもいつもと大分様子が違うのに、男は更に、白い袖なしボトルネックの白いシャツを一枚だけ身にまとい、黒いカーゴパンツ(とはいえ、十分丈のスリムなデザインではあるが)を履いている。似合わなくはない、似合わなくはないが、見慣れない光景である。筋肉が薄くついている、男にしては細めの二の腕と、肘から先だけ男らしく太くなった筋肉の動きに、ついつい目が行く。本当にコイツは海洋惑星の出身なのかと思う程に、その腕は白い。
アクセサリー嫌いのはずの男は、右の手首に、チラチラと細かく太陽の光を反射する、変わったデザインの腕輪を身につけていた。幅は指三本分程度のその腕輪のベースは、少し黒ずんではいるが、どうやら銀を使用しているらしい。その上に、びっしりと針の先ほどの小さな透明の粒が乗っている。つくりが全体に雑なところを見ると、貴石ではないようだ。
「そうですか?このあたりの品で私に必要な機能を有する物を求めたのですが。」
男はブレスをみやったまま、また小さく首を捻った。
「必要な機能?」
「そうです。例えば、一つはこれです。」
男のにやりとした笑顔に悪寒を感じて咄嗟に身構えると、俺の顎先めがけて切れている裏拳が繰り出される。間一髪でよけた・・・が、俺はその拳をみて、血の気を引かす。
俺の目の前にある拳の先には、さっきのブレスが装備されていた。さながらメリケンサックである。それも、ヤスリ付きの・・・。
「便利でしょう?裏拳の場合は、手首を引く動作で、一瞬で装備できます。正拳で入れたいときは、左手で少し触るだけで、きちんと装備できます。いずれにせよ、装着に時間がかからないところが利点です。」
にっこりと『優美な笑み』を顔に乗せる男に、俺の顔から更に血の気がひく。
「ここについている玻璃(はり)という石は、あまり固さはないのですけれど、ここまで細かく砕いてあると、さすがにこれ以上は割れにくく、顔等の皮膚の薄い部分に入れれば、それなりのダメージを期待できます。」
『いいでしょう。』と得意げな様子に、俺は子供の残虐性を見てしまったような気がして視線を彷徨わす。
「私は貴方と違って争いを好みませんので。」
男は、見ているこっちが痛々しくなる程に気遣わしげに顔を歪めると、
「やはり、一撃が重要なのです・・・。」
と、能面に戻って続けた。
「ほー・・・。」
『あぁ、リュミエール【様】の【優しさ】ってそういうことですか。なるほどぉ。』と、いっそ賞賛してやりたくなった。
「何か?」
訝しげに眉が顰められる。
「いーえぇ、別に。」
出していた舌を引っ込めながら、繕う。
繕いながら、ふと、そういえば、オリヴィエやコイツと一緒にこうやって視察してるときってのは、ジュリアス様と居るときとも、ランディやゼフェルと居るときとも、俺自身の気分が随分違っているなと気づく。細かな事を言い出せば、一緒にいる相手によって、その場の雰囲気が変わるのは、当たり前と言えば当たり前だ。けれど、そういったレベルとは違った、場の空気の違いを感じる。
しかし、何が違っているのかと言われると、よくは分からない。
「分からんな・・・。」
と、ごちた所で、不意に殺気を感じ、静かに身構えつつ、自然を装い、そちらに視線を流す。殺気は俺たちに向けられている訳ではない。リュミエールも、それに気づいた様子で、そちらに視線を投げていた。市場は、屋根付きの簡易テントを並べて形作られており、殺気の所在は、俺たちのいる通りのひとつ向こうからだった。
リュミエールが動こうとするより一瞬早く、殺気が弾けた。
「ギャッッ!」
人の声と思えないような叫び声と共に、鮮血が派手に散り、通り一つ向こうの店主が崩れる。俺たちのすぐ前で商売をしていた店主が「うるせぇな」といった顔つきで後ろを振り返る。目深に被ったフードで顔を隠して仁王立ちする男に気づき、次いで、その男が赤く色づいた刀を持っていることに気づく。ギクリと身体を強ばった。そして、視線を自分の足下にギクシャクと落とす。落とした先で、今度は、喉をかっ切られて絶命し、痙攣している、背中合わせで先ほどまで商売をしていた男を視界に納める。
「ヒッ!」
と、引きつった声を上げて、店主は尻餅をついた。そこまで込み合っていた訳ではないが、それなりに人通りのあった市場に不釣り合いな、赤い刀の存在に、周囲がザワ、と音を立てて、ジリジリとその男から距離を取る。
男は、集まる注目をものともせずに、刀を腰に着けていた革製の鞘にしまい、テーブルの上に広げられていた宝石類を、
持っていたズタ袋に一通り納める。納め終わると、勢いよくそれを振り上げて担ぎ、怯えて身体を強ばらせる市民達を押しのけて行く。
暫くの沈黙の後、やっと市民から、緊張が解けた。まるで、狐に摘まれたような顔つきで、さっきまでの日常へと人々のモードが変化する。斬られた店主の店と隣接して店を構えていた店主達だけが、腰を抜かした店主と同様に、何も出来ずに、ただ死体を眺めていた。
「追うぞ。」
俺はリュミエールにしか聞こえない声で、低く言って、先ほどの男を足早に追い始める。
「・・・。」
能面から、更に表情を無くして、リュミエールは俺の斜め後ろを遅れる事なくついて来ていた。


2.海際の少年

人気のない海際の岩場まで、男は来た。途中から、男は俺たちの尾行に気づいた様子で、しかし、振り切ろうとはせず、ここまで俺たちを誘導してきたという訳だった。
男は、暫く岩場から、海を見下ろしていたようだったが、水平線の向こうに視線を投げてから、こちらを振り返った。
「アンタ達さぁ、何者?」
軽い調子で聞きながら、どさり、と男は担いでいたズタ袋を地面に落とした。
その声は軽やかで、思ったよりずっと若い。
にやりと口元に笑みを浮かべてから、男はフードを下ろす。ランディを思わせるような年頃、顔つきの、グレーがかった黒髪の少年が姿を現した。赤いバンダナで額を巻いており、浅黒い肌が、いかにも、この海洋惑星育ちといった風体だ。
「俺たちは、お前を叱りにきただけだ。」
俺は、間合いを詰めずに、ヤツの声音に答えるように、軽い調子で、だが確実に届くように、腹から声を出して告げる。ついでに、肩を竦めるジェスチャーをしてみせた。斜め後ろで突っ立っているリュミエールは、張りつめている空気を、和らげようとする俺とは逆に、一層警戒心を強めている。
「叱りに、だって?笑わせてくれるぜっ!」
アッハッハ、とそのガキは、実にガキらしく、邪気のない笑い声をあげる。少しばかりオーバーな手振りで、額に手を当てて、仰け反るようにして、笑った。
視線が俺たちから、外れた一瞬の隙に、俺は一気に間合いを詰める。・・・が。
「まっ、そこまでだな。」
岩場の上やら、木々の影から、わらわらとガキどもが湧いて出る。俺の間合いで、このガキは、剣も抜かずに、俺を見上げている。おそらく、俺の間合いだと理解できていない。寄ってたかっているガキどもも、俺の敵ではない。捻るのは簡単だ。
「諦めましょう、オスカー。やはり、人殺しの説教等、私たちには向いていなかったのではないですか?」
海風に黒く変色した髪を靡かせながら、リュミエールが声を張り上げる。『捻るな』という意味だろうか。
「帰りましょうよ。ね?」
リュミエールはくるり、と踵を返した。
「俺たちに喧嘩を売っておいて、タダで帰れると思ってンのか?」
ふふっとガキが嗤う。周囲のガキどももそれに合わせて、ニタリと嗤った気がした。不快感が背筋を這う。
「俺たちはさぁ、アンタらみたいな、平和ボケしてる連中が。イッッッッッッチバン、嫌いなんだよ。」
ヘラヘラと軽い調子で紡がれた台詞は、最後は込み上げてきた反吐を吐き出すように、剝き出しの敵意て締められた。
『どうするんだ?』
と言外に込めて、振り返ると、
『さあ?』
と肩を竦める小さなジェスチャーで返される。まさかリュミエールのやつ、ノープランじゃぁないだろうな?と訝しみながら、
「タダで帰してはくれんのか。それじゃどうするんだ?」
俺は腕を組みながら、その坊主を身長差を使って見下ろす。
「そうだな、多少痛い目をみて・・・。金目のモン、置いてってもらおうか。」
俺の眼光はそれなりに威力があるはずだが、坊主はニヤ、と口の端を上げてみせる。かわいくねぇ。異様にかわいくねぇ!俺は、背筋を這いずってた不快感が、ジワジワと全身に蔓延していくのを感じる。
「アッっ!おいっっ!」
ふと、取り巻きの一人が大声を上げる。リュミエールが、何を思ったのか、こっちに向かって突然突進してきているのだ。おいおい、捻るのは駄目なんじゃなかったのか。取り巻き連中数名が、リュミエールの背を追う。
「チッ。ひょろひょろしやがって。お前なんかに、俺が・・・。」
と、坊主が口上を述べながら、俺を人質に仕立てるように(無駄だが)掴み上げ、剣を抜いて首筋にあてる。その切っ先は「フリ」なのが丸見えだ。俺は気にせず、なすがままになっていた・・・が。
リュミエールは、突進の勢いを弱めず、俺ではなく、そのまま崖っぷちに向かって突進し続ける。
「!?」
リュミエールを追いかけていた連中が、その足を止める。俺を追い抜き様、確かに、リュミエールの口元が、笑みを形作ったような気がした。
「え!?」
「おい!?」
口々に戸惑いの声を上げる、取り巻き連中。リュミエールは、崖っぷちから、それはそれは美しいフォームで、海へ飛び込んで行った。ここから水面まで、多分、8メートル程度。死ぬような高さじゃない。まあ、「適度な水深」で「岩などの突起物が海底から突き出していなければ」の話だが。
だが、リュミエールの事だ、算段がなければ飛び込むまい。俺は、
『全く、よくやるぜ。』
と胸中でごちる。この惑星、海洋惑星デューンがいかに温暖な気候と言えど、季節は既に、秋である。水温はもう下がってきているはずだ。
「上がってきたか?」
俺の背中を掴み上げていた坊主が、俺を突き放すようにしてから、取り巻き連中に問う。
「いや、見えねぇ。」
「フン。切羽詰まったとはいえ、この季節の海に飛び込むとはな。アンタら観光客か?」
ペチ、ペチ、と刀先を自分の掌に打ち付けながら、行儀の悪い問い方をする坊主に、俺は至極真面目に答えてやる。
「まあ、そんなようなモンだ。・・・で?俺はこの後、痛めつけられる訳か?」
一つ質問に答えたら、一つ質問をしても良い。大概の悪党に通用するルールだ。俺は、顎を指先で一撫でする。
トン、と刀を担ぎ上げ、峰で肩を叩いてから、坊主は、ニタァ、と歯を見せた。
ソレを合図に、輪の様に俺を囲んでいた、取り巻き達が、ジリ、と間合いを一斉に詰める。
『リュミエールめ。』
俺はまた、胸中でごちた。

3.砂金の迷夢

白い鎖骨が、俺に覆い被さっている。体温が伝わってきて、互いが裸なのだと知れる。俺を見下ろしているのは、瑠璃色の瞳。奈落の底を思わせる瞳が、今はうっすらと潤んで、俺を熱っぽく、縋るように、見下ろしている。いつもの能面は、少しだけ眉が寄っている他、変わりないのに。その、磁気の様な肌も。なのに、分かってしまう。
コイツが、心底、怯えているということが。
『怖がるな。』
と言ってやりたい。大丈夫だ、安心しろと。そうだ・・・。大丈夫だ、安心しろ。『俺は、此処に・・・。』言おうとしたところで、奴の瞳が伏せられる。
「黙って。」
短い命令。
俺は、奴の熱い唇に、唇を塞がれて。仕方なくそれに従う。吐息も舌も、熱い。熱すぎて、何故か切ない。両肘が、俺の顔の両脇に付けられ、俺の頭は抱えられるように、奴の腕で覆われる。貪るようなキスを繰り返されて。息が苦しくなっては、顔を上げて、互いの唇がつくかつかないかの距離で息を整え。また長く苦しい口づけがなされる。慰めてやりたいのに、慰め方が分からない。そうだ、俺は男を慰めてやりたいなどと、思った事はないのだと、そう思ってから気づく。するり、と指の背を使って、奴の陶器の頬を撫でてやる。何か言ってやろうとして、奴の唇に阻まれる。どれだけそれを繰り返しただろう。仕方なく、舌をこちらからも絡げて、上顎や舌や歯茎、ありとあらゆるところを優しく刺激してやる。こういうやり方もあるのだと教えてやるようなつもりで。なのに、時折捉える奴の瞳は一層、昏さを増していく。
どうして、お前は、そんな孤独な瞳をする?
誰にも、声を上げてこなかったのか。お前が声を上げれば、誰だって、お前を振り返るのに。どうして、そんなにお前は他人を拒絶する。

ああ、そうか・・・。

俺は、お前の、そんな顔が見たかったのかもしれない。
お前が決して触れさせない、心の中に。本当は、耐え様のない孤独と共に、そんな熱っぽさが潜んでいるのではないか・・・と。そう思って・・・。

だから、お前のそんな顔が、見てみたかったのかもしれない。

4.終焉の隣人

ざり、という不快な感触で、目が覚める。岩の床に、頬を擦り付けていたらしい。適当に、できるだけダメージのないように、急所を微妙に外させながら、適度に「やられたフリ」をするのは成功した。後ろ手に縛られて、その後、引きずられるように、ここに連れてこられたのは覚えている。その後、退屈で寝てしまったか、と思い至る。もし寝ていたとしても、数分だろう。あり得ない夢を見たような気がするが、深く考えない事に決める。よりによって、リュミエールと。仮に、夢の通りに、奴に熱っぽさが潜んでいたとしても、俺にはどうにも出来んぞ・・・、と、決めたにも関わらず、チラリと考えてしまう。
寝転がったまま、体勢を楽なものに変え、自分の状態を確認し、周囲を伺う。ほとんど素人のような連中かと思ったが、流石に縄抜け出来るようなロープの使い方はしていないようだ。両腕は、肩甲骨の後ろで二の腕を重ねるように拘束されている。位置が高すぎるのか、少しでも力を入れると、肩が抜けてしまいそうだった。両腿、両足首もぴったりとくっつけて纏められており、力を入れても、縄が緩む気配がない。周囲は暗く、よく状況が確認できないが、少なくとも柵のようなものはなさそうで、周囲から、人の気配も消えている。大方、適当な洞穴に転がされて放置されたってとこだろう。ガキどもが・・・と胸で毒づく。
リュミエールは、あの海っぺりで、俺を追い抜き様、確かに笑んだ・・・。ということは、何かしら、考えはあったはずだが。
俺は、舌を唇の外に出して、空気の流れを確認してから、芋虫宜しく、出口と思わしき方向に向かって、岩場を這う事に専念する。
ひたすら伸びたり縮んだり、転がったりを繰り返し、息を殺すのに疲れ始めた頃。突然、聞き慣れた声が視界の外から掛けられる。
「これはまた、素敵な格好ですね。オスカー。」
ぴたり、と俺は動きを止めた。誰のせいだと・・・、と言いたいのは山々だが、迎えにきただけ、上等である。どこから現れたのかは知らないが。奴が声を上げるという事は、本当に近くには誰も居ないのだろう。ごろり、と声をした方向に転がって、俺は奴を探す。人の気配は感じるので、距離は分かるのだが、あまりの暗さに、姿が認められない。
足音をさせずに、リュミエールは俺に近づき、さっさと拘束を解きにかかる。痺れてはいたが、残っていた感覚でも分かった。皮の手袋をしている。それに、この暗闇でもこれだけ的確に行動できるという事は、言わずもがな。
「ナイトスコープか。」
「えぇ、片目ですが。」
痺れを取るため、痛みをこらえながら、無理矢理に手先を揉んだり振ったりする。足も適当に強く揉み込んで、俺は立ち上がろうとした・・・が、暗さと、痺れのせいでうまく立てない。ふらついていると、リュミエールがすかさず俺の腕を取って、自分の首に回す。密着する身体。けれど、リュミエールが革の服を着ているせいか、体温が伝わってこない。これでは熱さなど分からんな、と思ってから。やはり夢が奇妙すぎたせいか、気にしているらしい自分を内心で嗤う。
リュミエールに支えられるようにして、奴のナビゲーションに頼りながら、なんとか俺は洞窟を脱出した。
途中で、一人くらい見張りと遭遇するかと思ったが、運が良かったのか、奴らは俺の持っていた金で飲み会に夢中なのか、一度も遭遇しなかった。考えたくはないが、例の、玻璃の腕輪で、リュミエールが予め片付けているという可能性も高かった。
外に出て、ほっと一息つく。ふと視線を巡らすと、全身、黒尽くめのリュミエールが、外したナイトスコープを腰に着けたポーチに入れている所だった。
「それで?俺は、なんのためにこんな目に遭わなきゃならなかったんだ?」
タバコでも吸いたい気分になりながら。俺は、はぁ、と溜め息に混ぜて吐き出した。
「彼らのアジトを知りたかったので。」
俺に地面に座るように、手振りで促しながら、奴が淡白に答える。
「お前が囮になっても良かったんじゃないのか?」
完全な皮肉だが、リュミエール相手に気を使うなんてナンセンスな事は俺はしない。遠慮なく言ってやる。
「打ち合わせするタイミングもありませんでしたし・・・それに。」
奴は、長座姿勢にさせた、俺の腰の辺りを弄ると、ボタンのような小さな部品を、俺に見せる。発信器だった。
「リーダーの彼を二人で追っているときに、付けさせて頂きました。はぐれる可能性があると思ったので、念のため。だから、早かったでしょう?」
にっこりと、奴は外面の方で笑った。俺の隣で両膝をついて、ほとんど正座をするような格好になり、俺と顔の高さを合わせると、切れた唇や、頬の打撲、首の状態などを手早くチェックし始める。
「それに、気になりました。」
手は動かしながら、表情には、能面が戻る。
「『平和ボケ』か?」
俺の問いかけに、リュミエールは、口惜しそうに唇を噛んだ。「同じ事を、考えていましたか・・・。」口の中で何やら潰している台詞は、細部が聞き取れない。やがて、気を取り直したように、
「えぇ。市場で、人が殺されました。なのに、周囲の人々は、それを受け止めて対処できていませんでした。あれだけの衆目で、ほとんどの人が、です。」
少し瞳を伏せて言う。
「確かにな。あの坊主の言う事が、もしかしたら、当たっているところがあるのかもしれん。」
リュミエールは、俺のボロと化しそうなシャツの前を開き、鳩尾などの打撲のチェックに入った。
「私は、ヒトはそんなに愚かではないと、信じたいのですが。」
長い平和に浸りきると、どうしても、死が遠くなる。死が遠くなると、生きている感覚が麻痺する。生きている感覚が麻痺すると、日々が虚ろになり、判断力が鈍る。共和制や立憲君主制で怖いのは、そういう、静かな、密かな精神の腐敗だ。もし、この惑星デューンで。こんな長閑な港町で、そんなことが起
こっているとしたら。
「俺は・・・。ヒトは愚かだと思うぜ。」
リュミエールが、唇をまた、軽く噛む。だが、状態把握の手は休めずに、黙ったまま、俺の話を聞いていた。
「だが、原因は『平和』じゃないんだろうな、多分。・・・おそらく、『何も起こっていない』という妄信が、原因だろう。」
ぴたり、と手が止まった。
「妄信、というのは?」
「どんなに平和な世の中だって、ヒトが死なない訳じゃない。不幸な事故だって起こる。今日みたいに、目の前で殺人が起こる事だってあるかもしれん。問題は、『けれども、それは私には関係のない世界の出来事だ』という妄信で、やり過ごす事ができるということだ。」
リュミエールは、切り傷が胴にないことを確認すると、また、シャツのボタンを閉める。小さな水筒と白い布を肩から斜めに掛けていたバッグから取り出すと、布に水を染み込ませ、俺の口を拭った。面を変え、もう一度。俺は、面倒で、なすがままになっていた。
「誰でも、死ぬ。」
ぽつりと言うと、リュミエールは、ジィと俺の瞳を覗き込んでから、継いだ。
「それは明日かもしれないし、もしかしたら、一瞬の後かもしれない。それを、どれだけ現実として理解できるかが問題だという事ですね。」
言い終わる頃には、視線が逸らされていたから、遠慮せずに、こちらもその能面をまんじりと見てみたが、相変わらず、表情を読む事ができない。だから、どの程度、奴が実感を持って、その言葉を紡いだのか、表情からは分からなかった。だが、俺よりもずっと、コイツの方が理解しているのではないかと感じた。
「そうだな。」
俺は、仕方なく、曖昧に笑った。
「その事を、いくら『理解した』と思っても、理解には深さがあるので、終わりはありませんがね。」
リュミエールも少し、表情を崩す。その言い様に、やはり、俺よりコイツの方が理解しているに違いないと思った。頬の擦り傷を、少し乱暴に拭われ、俺はイテテ、と小さく抗議する。
「だが、それに気づくと、一秒が長くなる。」
俺が得意げに言うと、
「変な言い方ですが。言いたい事は、分かる気がします。一瞬一瞬の、経験を噛み締められる、味わえるということですね。」
苦笑が返った。俺はそれをフッと吐息で笑いながら、よっこらせ、と立ち上がる。打撲が少し痛むだけで、痺れは取れたようだ。リュミエールに確認してもらいながら、自分でも確認したが、内出血も、深刻なものはない。
リュミエールも、取り出して使った道具をテキパキとしまってから、立ち上がった。
「で、あいつらどうすんだ?」
パンパンと、服についた土埃をたたき落としながら聞いてやる。
「決まっているでしょう。領内警備隊にアジトを教えるんですよ。」
この領内では、若年者向けの規程がない。罰則は、成人と同じだ。
「厳しいな。お前。」
ホテルの方角に向かうのだろうか。俺の前を横切りながら、リュミエールはムッとしたような声で言った。
「では、どうしろというのですか。」
スタスタと歩き始める。俺はその後ろを付いて行きながら、
「どうしたらいいかなんて、分からねぇよ。勿論な。」
思わずうんざりした声で返す。
音がした訳ではないが、リュミエールは、そんな俺の声に、笑っているような気がした。

***

「おい、ウォルター。アイツら、行かせていいのか?」
「どーせ、あんなデカいの置いといても、使い道なんかないか
らな。」
「フゥン。でも、アイツら、どっかにタレ込むかもしれねー
ぜ?」
「そうだな。まッ、暫く、ヤサを変えるか。」
「変えるって言ってもなぁ。」
「・・・早く、出テェなぁ。」
「ヤサをか?」
「ちげぇよ。このシケた街を、さ。」


5.熱病の帰還

「だから無茶だったんだ。」
帰りの航路を確保し、自動操縦に切り替えてから、俺は、
リュミエールを寝かしつけた客室に戻っていた。
「少し、熱っぽい、だけ・・・です。かまわ、ない、で。」
しゃべっている側から、目が潤み、焦点が怪しくなる。体温は四十度前後をウロウロしており、声を出すのにも消耗しているのが見て取れる。
「いいから、しゃべるな。」
俺は、ベッドサイドに用意した椅子に腰掛け、氷嚢の上に置いていたタオルを差し替える。
「・・・・。」
リュミエールが押し黙ったのを確認し、小さく息を吐く。
やはり海水の温度が低かったのだ。思えば、聖地でよく水浴びをしているのは見ていたが、視察中に同じ感覚で潜らせたのは不味かった。聖地とは違い、こっちには未確認のウィルスだってあるかもしれないというのに。俺も、リュミエールの段取りが良いので、油断していたのかもしれなかった。気づいていれば、できるだけ早く身体を温めさせたのだが。
きっと、秋口の海で冷やした身体のまま、革のスーツを着込んでいたとはいえ、動き回ったのがいけなかったに違いない。
リュミエールの赤い顔を眺めながら、ケミカル系の氷嚢シートより、氷で冷やした方が、かえって効くかもしれないと思い直す。
キッチンに氷を取りに行こうと席を立とうとしたとき、リュミエールの手が布団から出て、泳いだ。
「馬鹿、じっとしてろ!」
俺がそいつを掴んで、布団の中に戻そうとすると。
「なんで、貴方なんですか・・・。」
本来の色に戻った、奴の髪が、白いシーツ、枕の上で、清涼な川の流れのように、舞っていた。いつもは磁器の様に白い顔は、今は、赤く熟れている。いつも、俺を吸い込もうとする瑠璃は、今日は熱く潤み、焦点を失って、頼りなく、俺を捜していた。
「いいから・・・。」
俺は、指先で、奴の額、頬を撫でてやる。
「なん、で。私を、理解して、しま、うんですか・・・。」
ツゥ、と目尻から、耳に向かって涙が伝う。
『行か、ないで・・・。』
最後の台詞は声を伴っていた訳ではないが、顔に書いてある。駄々っ子かよ、とは思いながら、コイツの言っている支離滅裂語を、なんとなく理解する。俺たちは、対等なのだ。そして、俺とリュミエールは、どこか、分かり合っている。おそらく、普段、互いのやり方を認められないと躍起になってぶつかっているから。だからこそ、分かってしまう事がある。その安心感なのだ。『・・・でなくてはならない。』『・・・であるべきだ。』という、それを捨てた、どうしようもなさを、共有できるかもしれないという、安心感。それが、俺とオリヴィエ、リュミエールの間には在って、リュミエールと俺は、それを言葉にせずに、共有しようとする。オリヴィエとリュミエール、オリヴィエと俺は、友人関係だ。だが、俺とリュミエールは、あくまで同僚で、友人ではない。だから言葉では通じ合わない。通じ合おうとも思っていない。言葉で通じ合わないのに、張りつめたライバル関係の裏で、妙な安心感と、妙な期待感だけが息づいている。
『もしかしたら、コイツは俺になら、本当の意味で、心を開くんじゃないか。』
『もしかしたら、この男は私を理解するのではないか。』
例えば、そんな。
リュミエールのこめかみや首元を行ったり来たりさせていた俺の指先を、リュミエールが熱く、細い指で捉まえて、熱っぽい唇を押し付ける。暫く好きにさせてやってから、俺は自分の唇を、奴の額に落とす。すぅ、と安心したように、上がっていた息が安定したのを見届けてから、俺はリュミエールの側を離れた。
奴は、気づいていない。
今は熱に浮かされて、混乱しているだけだ。
リュミエール自身にとっても、そんな気持ちなど、気づかない方がずっと良いはずだ。女性で、奴をきちんと理解する人が現れ、そういう人に、心を開く方がずっといい。
そうだ、ずっといい。

俺は、熱を持った指先に、唇をあてた。


6.一握の玻璃

「おかえりなさい。」
陛下のとびきりの笑顔で迎えられる。帰りの航路で、報告書を上げておいたので、その甲斐があったということだろうか。ロザリアまで、いつにも増して、穏やかな表情だ。
俺とリュミエールは謁見の間にいた。だから、さすがにその和やかな雰囲気に合わせて態度を崩す訳にも行かず、「はっ」と俺は、ひたすら畏まって頭を垂れる。
「いいから。顔を上げて。立って頂戴。」
「はい。」
顔を上げ、直立する。
「何が一番の収穫だった?」
邪気のない笑顔で聞かれる。俺は、小さく後ろを振り返る。すっかりウィルスがナリを顰めたらしく、正気に戻ったリュミエールは、俺の態度に、訝しげに眉を寄せ、極小の動作で、首を傾げる。帰りの航路の、可愛気は、ウィルスと共に全て飛び去っていったようだ。
『何故そこで沈黙ですか?』
と男の顔にはありありと書いてある。『うるせー、この病み上がりっ!』と胸で罵ってから、
「そうですね。大衆レベルの問題を、私は素朴に感じました。報告書にも書きましたが、宗教学か、倫理学か・・・。彼らの体質に合う学問を、少し促進してやる必要性を感じましたが。」
陛下の御前だ、と堪えつつ、答える。
「そうね。有り難う。他には?」
いっそ、リュミエールの熱病っぷりをチクってやろうかとも思ったが、
「いえ、特には。」
と答えておいた。
「リュミエールは?」
陛下の視線が、リュミエールに移る。
「そうですね・・・。あの惑星の、玻璃という鉱物は良いものの様です。特に、細かく砕いた後の、強度が良い。」
リュミエールの伏し目がちな視線が、床を突き抜けて、どこか遠くへと彷徨う。うっとりとした口調が、妙に寒々しい。
「まあ、なんでそんなことに気づいたの?」
驚いたように言う陛下に、
「露店で、アクセサリーを求めたのです。このような・・・。
落としても傷つかない、素敵なものですよ。」
にっこりと笑うリュミエール。出されたのは、例の玻璃の腕輪・・・別名、メリケンサックである。あーぁ、と舌を出してやりたくなるのを、必死で堪える。
「あら!リュミエールったら、アクセサリーは好まないんじゃなかったの?もしかして、良い人への贈り物?」
目を輝かせる陛下とロザリアに、
「さぁ、どうでしょうか。」
意味深に言い、男は完成度の高い、爽やかな笑みを見せる。
「あ、良い人と言えば。二人は、今回の件で、少しは仲良くなれた?」
「そうですわ。それも今回の出張の一つの狙いだったのですから。」
リュミエールの爽やかな笑みのダメージは、俺には(逆の意味で)絶大だが、陛下とロザリアにはそれほどではないらしい。あっさり話題を変えられる。・・・が。その話題に俺は、今度は砂を吐きそうになる。いや、違った。砂になりそうになる。
「仲良く?私とオスカーが、何故仲良くならなければならないのですか?」
真顔で聞き返すリュミエール。
あー、うん。良いと思う。やっぱり、お前、その方が断然『らしい』わ。あの可愛いのは、やっぱ俺の盛大な見間違いだな。
「そりゃあだって、リュミエールとオスカーは使いやすいもの。できればもっと二人で出張に行って欲しいと思ってるわ。」
あー、なんというか。そうですか。今回の出張の意図って、そういう・・・。労っているとかではなく、今後のハードワークの為の、コンビネーションのお試し期間&助走期間ってやつでしたか・・・。ハハハハハハハ・・・。内心の笑いは、どんどんと渇いて乾涸びていく。
「リュミエールをうまく扱えるのはオスカーだけよ。頑張ってね。」
陛下が、声を低めて、小声で俺に告げ、バチン、と少女のようなウィンクが付け加えられる。陛下には、何が見えていて、何が見えていないのか、分からなくなって俺は混乱する。もしかして、もしかするのか。いやしかし・・・。だー、もう。考えるだけ無駄だ。俺には到底分かりそうにない。
「はっ。全力を尽くします・・・。」
俺はめでたく、思考停止に至って、胸に手を当て、最敬礼する。
「それじゃ、オスカー。早速、病み上がりのリュミエールをお願いね。」
「お願いしますわ。」
ひくり、と流石に俺の口の端は、反応してしまったかもしれない。
「はっ。早速。」
回れ右をして、リュミエールを伴って退席しようとするが、リュミエールは訝しげに眉を跳ね上げて、「一人で結構ですが?」と俺にしか聞こえない声で囁く。「陛下の御前だ、良いから退席しろ。」俺もにっこり顔を崩さないように注意を払いながら、リュミエールに囁く。
フゥ、と溜め息を吐かれるが、溜め息を吐きたいのは、寧ろこちらだ。

ああ、そう。
けれど。

こういう日常を。陛下の無茶な出張命令を。跳ね上がった奴の眉のカタチを。ひとつひとつ、噛み締める事が、きっと幸せなのだろう。
だから、リュミエールを、俺は捉まえられなくても構わない。

きっとそうなのだ・・・と、感じた。




さらさら
さらさら・・・

さらさら
さらさら・・・

こまかく踊るは水晶の屑

手を伸ばさずにはいられない
けれども決して掴まらない

ただ
掬い上げては
取りこぼす

こまかく踊るは水晶の屑

今度こそはと思いこみ
ざっくと掬って握り込む
そうして拳を開いてみても
決してそこにそれはなく・・・

けれど魅せられずにはいられない







それは
おそらく・・・






水晶の屑。



終。


玻璃(はり)
仏教で七宝の一。水晶のこと。
又は、ガラスの別称。

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