8章:終わらない夢
夢を見た。
見渡す限りの、広い草原。透き通るような空。
山も海も建造物も何も見えない。あるのは、ただ。際限なく続く、緑色の地平線。
見たこともないような、開放的な風景。
此処は・・・?
強い風がザラザラと吹き、腰の丈ほどの新緑を翻し、私の服や髪を乱暴に洗う。
いっそ身を委ねてしまいたくなるような、強い力。
だが、私は風上に向かって立つ。向かってくる風に体重を預けてしまえば、心地よいバランスが私の身を支えてくれる。
目を伏せ、それでもなお目の奥を突き刺すような鮮やかな緑が、陽光と風に踊るのに見とれていると、不意に、途切れて優しくなった風が私の頬を撫ぜた。重力にしたがって落ちてきた髪を耳にかけて、なんとなしに、視線を巡らせると。
長身の男が、その身を緩く抱いてこちらを見ていた。
目映いくらいの緑と青の背景に、かえって映えている緋色の髪。
どこか、ヒトの物とは信じ難いような、薄い色の瞳、象牙色の肌。
白いシャツをラフに着こなし、肘の辺りまで捲り上げているのが、辛うじて、彼をヒトらしく演出している気がした。
「・・・・・。」
それまで、無表情に・・・何かを見透かすような視線を投げていた男は。突然、まるで悪戯を無理に謝罪させられている少年のような、不貞腐れた表情をつくり、何事かつぶやいた。
なんと言ったのか、わからない・・・と思ってから、突然、その唇の動きが、何を意味するのか閃く。
・・・と、理解するや否や、突然おかしさが込み上げてきて、堪え切れず、吹き出す。笑い始めたら、止まらなかった。
痙攣しかかっている腹筋を抱いて、私はほとんど蹲る。と、いつの間に近くに来たのか。まるで旧友の背中でも小突くように、男は一度私の背を叩き、肩の上から体重をかけてきた。
笑いは、まだ収まらない。だが、目尻に溜まった涙を指先で拭いながら。
脳裏でふと、こんなに笑ったのはいつ以来だろうと、つまらないことを思う。
・・・そんな、夢を見た。
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カタン、という何かの物音で、目が覚めた。
目を開けてしまうのが、勿体ないような感覚にとらわれて、瞼を開けずに、ベッドの中の温もりを探す。
「んん・・・。」
温もりにほとんど無意識に手をかけて、上がった小さな声に、脳がやっとで、覚醒する。
薄く目を開けると、眼前に、緋色の襟足が見えた。筋肉が細い首の両脇を美しい稜線を描きながら、肩に繋いでいる。
―暖かい。
身体のどこも、触れあってはいなかった。先ほど伸ばした手は、おそらく彼のわき腹の辺りを撫でただろうが、今はどこも触れていない。けれど、至近距離で背筋を規則正しく膨らませては萎ませている、その生き物の温もりが、空気越しに伝わってきていた。
いつからだろうか。この男が、こんな風に背中を晒して、傍らで眠り込むようになったのは。
いつからだろうか。どこか懐かしいような、安堵感をこの場所から得るようになったのは。
悪戯をするような、そんな他愛ない心持ちで、人差し指で首筋から肩甲骨へと筋を撫でる。触れるか、触れないかのギリギリの感触を楽しみながら、つつつ、と辿ると、一瞬、ぴく、と男の筋肉が反応し、
「ん・・・。」
と、寝言か吐息か判別しかねる声が漏れて、男は寝返りを打つ。自然、目の前に男の寝顔が現れて、向き合うような格好になった。
心地よい場所を探すように、男は頬を羽根枕とベッドの境目に擦り付け、顔を埋める。
肘をベッドについて自分の頭を支えながら、その様子を一しきり観察し、苦笑しかかったところで、「んー・・・。」という眠たい声を伴って、男の重量のある腕が私の腰の辺りに乗せられ、そのままシーツごと、ぎゅ、とやや乱暴に引き寄せられる。
―また、誰ぞと勘違いしているな・・・
面白くはないが、もう慣れてしまった反応に、呆れ半分に小さく息を吐きながら、重たい腕の下に自分の手を滑りこませ、それを退けようとする。
「・・・ミエール。」
小さく、掠れた声で名を呼ばれ。瞬間、固まった。
―いったい、どんな夢だ?
余りのことに、見開いてしまった瞳を一度瞬いてから。暫し、辻褄を合わせる努力を試みる。例えば・・・ヘッドロックをしてやろうと身体を引き寄せようとするジェスチャーだった。或いは・・・何かの緊急事態で・・・そう、例えば崖に落ち掛かった私の身体を引き寄せた、とか。これは、ありえそうだ。
真面目に考えてから、自分が余りに真剣に辻褄合わせをしているのが、おかしくなって、そっと吹き出す。
そのまま、そっと腕を持ち上げ、男の身体の近くに落してやる。トン、と指先で軽く肩先をつつけば、男は容易く、ゴロリ、と仰向けになる。微かに睫が痙攣したほか、何も起こらない。名を呼んだのが、寝言だったらしいのは間違いないようだ。思いながら、そっと、男の頭の上に腕をつき、顔を見下ろす。
重力につられて、シャラシャラと私の髪が、彼の首元をくすぐる。
普段男らしく精悍な顔つきは、寝顔になると途端に子供じみている。少し不機嫌そうに寄った眉の下に、通った鼻筋、薄いが鮮やかな色彩の、唇。
ふと、一体何人が、この寝顔をこのような心境で眺めたのだろうという想いがよぎった。そうか、この男の寝顔を眺めていると、時に妙な苛立ちを覚えるのは、或いは、このような感覚が原因だったのかもしれない・・・。そう思いつつ、腕で体重を支えながら、ゆっくりと、唇を唇に落とす。
そして、このような心境で、こうして、この男に口付けたのは、私で何人目なのだろうか?
くだらない事だと思っていても、一度言葉を見つけてしまうと、なかなかそこで思索を放棄するのは難しい。
そう、私とこの男では、「他人と肌を重ねた数は知れず」といっても、まるで意味が違うのだ。
軽く唇を触れれば、自然に、男の唇が綻ぶ。少し、深く口付ければ、当然のように、暖かな舌が私を誘う。それが「口付ける」ということだと、まるで私に教えるように。
「んっ・・・。」
小さく声が上がって、自分がまるで噛み付くように、唇を貪っていることに気づく。男は相変わらず半覚醒状態なのか、瞼が閉じられたままだ。些かほっとして、唾液にぬれた唇を舌先で拭う。
けれど。
けれど、これから先は。
この、フラフラと色や恋の音色に我知らず引き寄せられていく、この男は、此処(私)に留まり続ける。
何故なら、この男は、私に大きな借りがあるのだから。
どうして、こんなにこの男に拘るのか、自分でもよく分からない。
確かな手ごたえが欲しくて。
果たして、それが手に入って。
『今の私を、私はとても気に入っていますよ。』
やがて、此処(私)が、とても居心地の良い場所となった。
「暖かい・・・。」
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いつも、一歩先行されているようなイメージだ。
もっと言えば、・・・そうだ。出し抜かれている。
この俺が、イニシアティブの争奪戦で、負けているだと?
不本意、極まりない。
追いかけるのも、絡め取られるのも、俺は御免だ。
けれど・・・この手を離してはいけないとも、感じる。
吹く風の心地よさに任せ、俺はリュミエールの肩を抱いていた腕をやや乱暴に引き寄せ、その身を掻き抱く。
何故、こいつの存在を無視できないのか。
まだ、その答えも出てはいない。
奴は苦笑しながら、俺の腕をのけようし、俺はそれを無理矢理に封じ込める。
「リュミエール・・・。」
腕の中の、確かな手ごたえ。
金紗の髪に鼻を埋め、瞳を閉じる。観念したのか、奴が脱力するのが分かる。
なのに。
腕の中の奴は、クスクスと鼻で笑いながら、段々と手ごたえがなくなっていく。
『だから嫌なんだ。』
俺は思わず顔を顰めて目を瞑ったままに、胸で独りごちる。
自分で眉間に皺が寄っているのがよく分かる。
『だから、お前を追うのは、嫌なんだ。』
空を抱いたままに、不貞腐れている俺の唇に、撫でるようなキスの感触。
ほとんど条件反射で、俺は唇を少し開く。
開いてから、これじゃあいかんと思い直す。が、身体の方は俺の気持ちとは裏腹に、暖かな舌を求め、柔らかく、奴の唇を吸った。それに答えるように差し入れられる舌に、知らず、自分のそれを絡める。
奴の唇が、貪るような動きになるのに、大して時間はかからなかった。
「んっ・・・。」
あまりのキツさに、声が上がる。
まるで与えられることを拒否しているようにも思える、奴の貪欲さに、俺は脳裏でため息を吐く。
仕上げに、唇の際をやわやわと、尖らせた舌先でなぞられて、全身の毛が逆立つような感触に襲われる。
「暖かい・・・。」
その安堵したような声に、ふと背に、暖かなシーツの感触を覚える。
ぼんやりとした視界に、上から瞳を覗き込むようにする、リュミエールの顔。
―眠って・・・いたのか?
しゃらしゃらと首元で踊るのは、月光を薄く返す銀色の髪。
奴の顔は、珍しくも、満ち足りたような笑顔。
―なんだ、そんな顔も出来たのか、お前。
起き抜けの気だるさからか、舌が動かない。もし舌が動いたとして、お前は、その顔も『あの件のお陰』と言うのだろうか。
『どこで間違ったんだか』を、俺は思い出したいというのに。
お前が混乱させるから、何を失って、何を得たのかも段々分からなくなっていく。
「私の、完璧な硝子玉。」
まるで女のそれのように紅く膨らんだ唇が、度々口にする意味不明の台詞を紡ぎ、やがて俺の瞼に落ちる。焦点が合わない。視界が水色一色だ。
「ふっ・・・。」
そのまま耳を吸われ、俺はやっと我に返る。くすぐったさに身を捩ろうとして、それまで俺の身体の両脇についた腕で支えられていたらしい奴の体重が、俺の身の上に降りかかる。俺よりは大分軽いとは言え、男一人分の体重に、胸が圧迫される。密着した肌で、互いが全裸なことが知れ、カッと顔に血が上った。
「重たい・・・んっ!」
退けよ、と言いかかった所で、耳裏を舌先でくすぐられ、続きを飲み込む。奴の両肩を下から両腕で持ち上げるべく、肩を掴んだ指に力を込める。・・・と、
「っィタッッ!」
控えめながら、掠れ声で上がった悲鳴に驚いて、しまった、力を入れすぎたか・・・と慌てて目を開け、握力を抜く・・・が。
ニィ、と悪ガキのように両の口の端を上げ、細められた奴の瑠璃と、視線がかち合ってしまった。どうやら、勿論の付く、態とだったらしい。
「〜〜〜〜っ・・・。」
―俺は・・・もしかして、学習能力がないのか?
コイツだけは・・・と思いながらも、滅多にやらないタイプの自分への問いが、思わず発生する。
瑠璃を青銀色の睫で半分隠しながら実に嬉しげに細めたままに、奴は俺の体の両脇に手をついて、ずりずりと後退する。
「なんなんだ、その得意気な顔は・・・。」
と顎を引いて、恨みがましい視線を送るのと共に、低く唸る。奴はそんなことは意に介する気配もなく、試すようにこちらに笑顔をよこしたまま、俺の左胸の印を舐め上げる。奴の無彩色の顔の中、紅い舌と唇だけが、やけに強烈な色を放っていて・・・。
―だから、エロの守護聖に転向しちまえと・・・。
見ていられず、思わず目を伏せたが、逆効果だったのは間違いない。左胸を吸われながら、右胸の先端を指で急に強く摘み上げられ、
「んゥッ!」
身体が小さく跳ね、掴んでいた奴の両肩に爪を立ててしまう。
ジン、と下半身に熱が沸くのが分かる。キリキリと痛いほどに摘み上げられるのと同時に、緩く反対側を吸われ、ますます熱が高まっていく。例のブツは取り払われ、もうとうに穴もふさがっている。なのに・・・。
奴の尖った舌先が、胸の印から下へ下へと筋肉の隆起を辿って下がっていく。変な声が上がりそうになるのを、右手で唇を強く塞いで堪えるが、身体が反応して震えるのだけはどうにもならない。
『臍は止せ・・・』
と、必死に脳内で唱える(声を伴ったら、嬉々として実行されるに決まっている)が、空しい。奴の舌先は易々と臍にたどり着き、胸の先を指で潰すのと同時に、擽るように愛撫してくる。
「ンンンッッ!!」
そこが繋がれていた時の刺激を勝手に身体が思い出し、ズキンと二箇所が同時に熱く脈打つ感覚に襲われる。ビクビクと情けなくも大袈裟な痙攣が起こり、目頭がジワと熱くなる。クソッッ、碌でもない条件反射を覚えやがる・・・。わが身ながら、恨めしい。こんな後遺症も織り込み済みで奴はあんなブツを俺に寄越したのだろうかと考えたくないことまで脳裏を過ぎる。
「おや、もう?」
笑みを含んだ声。やっと右胸が解放されたのは良いが、今度はいつの間にかすっかり頭を擡げている中心に手が添えられる。
「誰のせいだと・・・。」
いつもの恨み言に混ぜ睨んでやろうとして、目を開けたのが、またしてもマズかった。
海の底のような深い青に、例の熱っぽさが加わっている。僅かに伏し目がちにしているせいで、青銀の睫が、それにかかっている。緩く結ばれた真っ赤な唇が濡れているのを見て、俺は何故か生唾を飲み込む。
ゴクという派手な音に、俺は自分で『ウルサイッ!』といっそ喚きたくなった。
ついでに奴の顔のすぐ側に在った、すっかり屹立した自分のイチモツまで視界にばっちり入って、俺は何を言っていいのか分からなくなり、視線を逃がす。
「はぁっ・・・ぁっ!よ、止せっ・・・。」
ねっとりとした口内に包まれる突然の感覚に、全身が震える。油断して緩んでいた左手に力を込め、自分の口を塞ぐ。右手で奴の頭を押し返そうとするものの、力が篭らない。焦らされるのが当たり前になっているせいで、直接的に与えられる刺激に、身体が素直に反応しすぎる。
このまま一気に上り詰めてしまうなんつー惨めなことは・・・とは思うものの、体温が勝手に高まっていくのをどうしようもない。
「は、ぁ・・・ぁっクッ・・・。」
くちゅくちゅと水音をさせて左手と口でそこを攻めながら、奴の右手が、俺の腰に回る。おそらく、口でしやすくするが為に右手を腰の下に入れたのだ。分かっているのに・・・。
「ぁ、アアっ・・・。」
尻に手をかけられた瞬間、勝手に背中が蝦反りになる。驚いたように、奴の舌と手の動きがぴたりと一瞬止まった。
「チガウ。」
何を尋ねられたわけでもないのに、何故か蚊の鳴くような声で弁解している俺が居る。暫し、居心地の悪い沈黙。
クスッ、と鼻先で静かに笑った後、
「・・・待てませんか?」
またしても、こいつお得意の笑みを含んだ声。
「違うと言ってる。」
精一杯冷静な声を作って、俺は言ったが。奴は右手の指先を既に唾液と何かでびしょぬれになっている俺自身に擦り付け、後ろの入り口の淵をやわとなぞる。
「フッゥッウッ・・・。」
ゾクゾクと何かが腰の奥から首筋に向かって、何かが走りぬけ、俺は再び背が反るのを息を吐きながら、必死で最小限に抑える・・・が。クチャ、と不謹慎な音を立てて、指先がもぐりこむと、最早どうしようもなかった。
「ぁっんっ・・・。」
背中がグィと仰け反ると同時に上がった、甘えたような声は、俺の声ではない・・・なければいいと思う。
「違わないようですが。」
クツクツと喉の奥で笑われ、中を緩くかき混ぜられる。ほんの入り口だけの刺激は、異物感に対する悪寒と、これから与えられるであろう快楽への期待とで、全身をピリピリと痺れさせる。
だが、それまでこれまでない程に、直接的に与えられていた刺激は、此処へ来て、ぱったりと止んでしまった。指先で漫然と入り口をかき回すほか、何も刺激を与えられず、前は僅かばかりの液を漏らしたまま、後ろは奇妙な収縮を繰り返すばかりだ。
高まった熱のやり場を求めて、枕に顔を半分埋め、身を捩る。奴を恨みがましい目で見たところで、厭らしい笑い方をしているに違いない。
「フッ、フッ、フッ・・・。」
全身をピリピリと駆け巡る、甘い痺れから気を反らす為に、必死で浅くなってしまっている呼吸を整える。そんな俺の苦労を、分かった上で楽しんでいるに違いない男は、
「あまり意固地になられると、こちらも引くに引けなくなるのですが。」
相変わらずの同じリズムで、後ろを小さくかき混ぜながら、困ったような声で言った。どうやらオタノシミの領域は越したらしい。ざまぁみろ、と思いながら、枕に右半分、顔を埋めたまま、俺は薄く目を開けた。背に薄い羽根布団を掛けただけの奴の裸体は、相変わらず、白く細い。窓から差し込む青白い月光に照らされると、その瑠璃色の瞳と、紅い唇以外、まるで色が抜け落ちてしまったかのようだ。俺の薄く開いた瞳を見上げなら、空いた左手で、思わせぶりにその長い髪を緩く掻き上げてから、
「言わないのなら、このままですが。」
とほとんど囁くように告げた。サラサラと、俺の腹の上に落ちる髪に、月光が踊る。
「抜か、せ・・・。」
チリチリと、襟足が焦げるような感覚は、何に起因しているのだろう。
この、緩く曖昧な刺激に?
それとも、このやり取りに?
あるいは、この奇妙な、現実感のない存在に?
「身体は、こんなに素直だというのに。」
呆れたような声で、奴は内部をかき混ぜている指をもう一本増やし、グィと奥へ押し込む。
まるで待ちかねていたかのように奥がジン・・・と熱くなり、逃がさないとばかり、ギュッと入り口が締まる。
「あぁっはっ・・・んっ!」
思わず声が上がって、身体の両脇で、シーツをグッと握り締める。与えられた熱の逃げ場を探すように、勝手に腰がずり上がって、指先をある場所に誘導したがる。それを分かっているかのように、指先を近くで泳がせながら、
「言わないのですか?」
もう一度、今度は笑みを含んだ声で、問われる。
「は、やくっ、シ、ロッ・・・。」
ジクジクと身体の奥で熱が溜まっていく。ハヤクッ、ハヤクッッ・・・。段々と、身体にこもった熱で、脳の芯がボゥッとしてくる。チガウ、ソウジャナイッ・・・・。
「何を?」
冷静に浴びせられる声とは裏腹に、奴のも熱を持って、俺の足に当たっている。ダカラ・・・。内部をさっきよりは積極的に掻き回され、だが、決してその一点にだけは触れないで刺激され、むず痒さが沸点に達する。だのに、腰は両腕でがっちりと挟み込まれていて、最早、身を捩ることすらままならない。
「サ、ド、ヤ、ロー・・・・。」
目尻に溜まった熱いものは、意思に反して僅かばかり頬を伝ったが、最低限のプライドを守るために、俺は必死で恨み言を搾り出す。上ずりまくった声は、せっかくの俺の美声が台無しには違いないが。
「全く・・・。」
とうとう逆鱗に触れたのか、吐き捨てるような短い台詞と共に、指が一気に引き抜かれる。
「ひぁっ・・・。」
悲鳴とも嬌声とも付かない声が、思わず漏れる。
腰を抱え直され、指の換わりに熱く猛ったものが入り口にあてがわれる。ゾクッと背筋を抜ける甘やかな痺れるような感触に、まだ何も起こってないというのに、下半身がジクジクと高ぶってしまう。ハヤク、ハヤクッ・・・。女のような細腕に抱え上げられて、俺はこの上、一体何を期待してるというんだ。脳裏で囁く冷静な叱咤とは裏腹に、身体の中で行き場を失ってグルグルと駆け巡っているこの熱をどうにかしたいという気持ちが募って、身体のそこかしこでハヤクハヤクと喚き散らす。
「は、や、ァッ・・・クッ・・・。」
奴の先走りと先ほど与えられえた潤いを糧に、ズッ、と重たい感触で、一気に奴が侵入してくる。鈍痛と同時に、やっと与えられた熱に内壁が吸い付くように絡んでいく。
「ハッ・・・。オスカー、息を吐いて。」
相変わらず息を詰めていたらしく、奴も俺を見下ろしながら、眉を寄せ、苦悶の表情を浮かべている。その情けない顔に、笑ってやりたい気持ちが一瞬襲うが、俺が息を吐くまで待てなかったのか、性急に耳朶を吸われ、
「ンはっ・・あぁっ・・・。」
吐息に紛れてそれは適わない。後ろが緩んだ隙に、奴がゆっくりと中で円を描くように、動き始める。
「アァッ・・・フッ・・・。」
圧迫感に、胸に何かが競り上がってくるような感覚を覚え、目頭が、熱を持つ。奴のべとついた指の間接が、俺の目尻をぬぐった。拭いてるんだか、汚してるんだか、分かりゃしないぜ・・・。薄目を開けると、そこに、例の満ち足りたような笑顔があった。
「ンッ・・・ふっ・・・暖かい。」
うっすらと汗ばんだ白い顔は、いつもより大分人間らしく見える。温度がないように見える、コイツの身体は、だが、その実、誰よりも熱い。
シーツを力いっぱい掴んでいた両腕を、リュミエールの背に回し、身体を起こす。自重で自然、結合が深くなって、圧迫感に声を上げる。
「ぅっん・・・。」
息を吐き出しながら、なんとか最奥まで奴を飲み込むと、奴の根元で、互いの肌がピッタリと合わさった。
「こう深くては、欲しいところに当たらないのでは?」
クスリ、と俺の首の辺りで、リュミエールが笑う。息が僅かにかかるのに、ゾワ、とまた何かが背を這い登っていく。ハヤク、ハヤクと喚き散らす衝動の方が、また騒ぎ始めるが、俺にも言いたい事があった。
「この方が、暖かい。」
互いの身体はしっとりと汗ばんでいて、寧ろ熱いくらいだったが、俺はリュミエールの身体を引き寄せるようにして、一度抱いた。ドクン、ドクンと俺の内部でリュミエールが脈打っている。或いは、脈打っているのは俺の方で、リュミエールを絞り上げているのだろうか。
おずおずと俺の背に回された腕が、一度、キュ、と俺の身を抱く・・・が。
「しかし、これでは動くのが面倒すぎます。」
淡々と続いた台詞に、俺は自分が繊細な心を持ち合わせていたことを呪った。そうだろうよ、俺はお前より大分重ぅございますからなっ!!
奴は無理矢理圧し掛かるようにして、再び俺を下に組み敷くと、今度は俺の片足を抱え上げるようにして、
「これなら動きやすい上に、貴方が欲しがっている所にも当たりますよ?」
にっこりと邪気のない笑顔を送って寄越した。
知るか、と言おうとして、狙い済ましたように、その場所を奴の熱い先端が擦り上げる。
「ゥアアッ!!」
「ほら、ね?」
突然の刺激に、内部がまだギュゥギュゥと収縮を繰り返している。ジン、と前立腺が刺激され、前も再び熱を帯びる。最早再び騒ぎ出した内部でトグロを巻いている熱に、俺が抗う術などない。
「わ、かった・・・からっ!は、ヤクッ・・・!」
クス、と笑いとも、吐息ともつかない息を漏らしてから、奴は深く浅く、リズムを刻み始める。
「んっぁ、ぁっ、アッ・・・ハッ!」
圧迫感と、鈍痛までも、やがて快感の波に揉まれ、攫われていく。
自分自身をこそぎ取られていくような感覚に、目頭が再び熱くなる。
『追いかけるのも、絡め取られるのも、俺は御免だ。』
散り散りになる思考の欠片で、俺はもう一度、思った。
『けれど・・・。』
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「起きているんだろ?」
喉の奥から出すような、二枚目然とした声。
さりげない一言一言が、いちいち芝居染みているその男のしゃべり方に、まだ慣れずにいる自分に気づいて、胸で失笑しながらも、事後の気怠い感覚の中、薄く瞼を開ける。この気怠さが、今は嫌いではない。
窓の向こうから差し込む月光に浮かぶのは。
出会った頃、まるで聖者だと思った瞳だったが、月光にその瞳が透けると、寧ろ聖者というよりは、狼といった方が近い。
思ってから、どちらも似たようなものか、と思い直す。
赤髪の人狼は、何やらドリンクを飲んでいる。特に何も言わずに寝転がったまま、手を差し伸べると、「ほら」と、彼は自分で口をつけていた、冷えきったステンレス製のタンブラーを渡す。
受け取ったものの・・・冷たすぎる。指先がさっそく凍るような冷たさに痺れ始め、悲鳴をあげる。このような器、此処にはなかったはずだが・・・と不審に思いながらも、体を起こし、一口だけ飲むと、
「そうブスくれるな。俺は冷えてないと嫌なんだ。」
どうやら、持ち込んだものらしい。しかも中身はよりによって、黒ビール。しかもこの味の違和感は・・・。
「ノンアルコールだ。」
全く、趣味を疑う・・・とタンブラーに口を付けたまま、ちろり、と男に視線を投げる。
男は無言で肩を竦める。
『俺の勝手だろ?』を言外に込めての、『知るかよ。』だ。
その様子に苦笑してから、まるで、これでは友人のようではないか、と思い当たり、例の夢を思い出す。
「そういえば・・・夢を見ました。」
ふと気が付くと、口にしていた。指先が凍える前に、男にタンブラーを返しながら。
「夢?」
「えぇ、とても綺麗な・・・見たことのない場所に私と貴方が居て。何か・・・変なことを言うんです。貴方が・・・。」
思い出しながら、笑んでしまう。
「それで、私は笑ってしまって。」
「何て・・・言うんだ?」
・・・。
聞き返されて、知らず、口元に手をやり、ここではない何処か遠くに視線を投げる。そう、あの、眩しいような新緑の草むらに。
自分の口から失笑が漏れた。
「それが・・・。」
ねぇ。
貴方は知っていましたか。
私は、信じてなどいなかったのですよ。
あの深く淀んだ澱の中で。
信じてなど、いなかったのです。
まさか、こんな日が来ようとは。
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「それが・・・。」
笑んだ口元のままに、奴が何事か告げようとするのを、その口に人差し指を当てて、阻止する。
「・・・だろ?」
口の形だけで、憮然と、夢の中のそれを告げると、案の定、一瞬驚いたように目を見開いてから、プッとリュミエールは吹き出し、声を出さず、吐息だけで笑い出す。俺もそれにつられて笑う。
どこで間違ったんだか、だって?
間違ってなんか、ない。
笑いながら、俺は自分がらしくもない考え方に取り憑かれていることに気づく。このまま、お前のペースのままなんて、俺はゴメンだ。
方法を考えよう。
この状況から、お前を救い出して、溜まったツケをまとめて返す方法を。
寧ろ、この状況は、借りをノシつけて返すチャンスなんだ。
そうだろ?
見渡す限りの輝かんばかりの新緑。
振り仰げば、透き通るような空。
ザラザラと身を洗う、強い風。
それは・・・終わらない夢。
いつか、お前を、彼処に連れて行こう。必ず。
俺はそう、思った。
終。
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