5章:侵略


お前が、悪い。ゼーン。
お前が、最初に、妾を裏切った。

妾には、こうするしか、他になかった。
にもかかわらず、お前への執着を取り去ってくれた最愛のカーマインを。

お前は・・・

許さぬ。お前を。
妾から、唯一のものを奪ったお前を。

妾が、お前のすべてを奪う。そして知ると良い。
縁(えにし)ある者は万里を超えて巡り合い、
縁なき者は、ただすれ違うばかり。
妾と、お前に、縁はない。

無論、妾のカーマインと、お前のセリーヌソワにも。

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「で、オスカー。話というのは。」
リュミエールが退室したのを確認してから、ジュリアス様は手にしていたカップを置き、こちらを見上げた。
「それが・・・・」
俺は、例の神殿のホールで寝た日、リュミエールの様子がおかしかったことを報告した。勿論、何をされたかなんてことは言わないが。
「そうか。お前達が最初に送ってきた報告書の、水流の民と火の竜の一族の伝承と関係がありそうなのだな。」
俺は、こくっと、うなづいて、
「ゼーン、と名乗っていました。私も殴られたり突き飛ばされたりしたので、恥ずかしながら、気を失ってしまい・・・目が覚めた時には、リュミエールはまた眠っていて、起きたらいつものリュミエールに戻っていました。」
わからない、と首を振った。
「何か、一時的なものかもしれませんが、念のために、できるだけ早くご報告したいと思いまして。」
俺の報告に、うむ、と重くうなづいてから、
「よく報告してくれた。傷などはないのか?」
少し心配している表情で、聞かれて、微妙に恥ずかしくなる。ミスったのは俺なのに、心配をおかけするとは・・・
「いえ、俺はかすり傷です。リュミエールはあばらを折っているはずですよ。それに・・・今回、俺はほとんど働いてません。リュミエールが思ったより積極的に動いてくれて。クレバスに落ちたのも、俺の不注意がきっかけですし。」
恥ずかしいことはさっさと暴露しておくに限る。後からばれる方がよほど恥ずかしい。
「聞いた。軽率にスイッチを、それと知らずに押したとな。」
厳しい顔付きで睨まれる。・・・ええ、軽率でした。
「まあ良い。とにかく今日は疲労をまず回復せよ。」
ふっと美しい瞳が細められ、微笑まれる。お咎めなしらしい。単純に嬉しくなって、俺も微笑み返した。
「リュミエールの件は・・・そうだな。念のため、今から見張りを2人付けよう。明日からは、お前にそれを監督してもらおう。ああ、分かっていると思うが、この件は、詳細が分かるまで、他言無用だ。」
え・・・。しばらくリュミエール関係の仕事は・・・遠慮した・・・ぃ・・・
「どうした?」
「いえ、なんでもありません。明日から、早速。」
俺は姿勢を正して、一礼した。尻の穴がずきっと痛んだ気がしたが、根性で気にしないことにする。
「オスカー。」
帰ろうといつものように、マントを翻したところで、後ろから呼び止められて、振り返った。
「首から、血が出ている。他にも傷があるかもしれぬ。一応、医務室に寄ってから休め。」
首から・・・・ゼーンに噛まれたところだろうか。上から絆創膏を張ったから、噛み傷であることは分からないはずだ。
一瞬、躊躇してから、
「お気遣い有り難うございます。寄ってから帰ります。」
返事をして、俺は部屋を出た。

「完全に折れてますよ。それも2本も。何故熱が出てないんですか?炎症もほとんど起きてない。気持ち悪いなあ。」
医務室の前まで行くと、大きな声が外まで聞こえた。
「さあ。丈夫な質なんじゃないですか。いいじゃないですか。痛みも無くて、炎症も、熱もないなら、健康そのものってことですよね?」
リュミエールの声だった。あいつもか・・・俺はバッティングに舌打ちする。だが、あいつの方が重症なんだ。当たり前と言えば当たり前だった。
「良い訳無いでしょう!炎症が起きないってことは、直らないってことと同じですよ。不死身のゾンビじゃああるまいし・・・」
俺とたいして年が変わらないように見える、その若い医師は、相手が守護聖でも、言いにくいことを言うように訓練しているのか、それとも、もともとそういう性格なのか、なかなかきつい物言いだ。
外でずっと立ち聞きするのも悪い、コホン、と一度咳払いして、
「入るぞ。」
と中に入った。

「おやオスカー。ごきげんよう。」
外面の方で、にこっと、笑いかかけられる。さっきあったばかりで「ごきげんよう」はさすがにないだろう。
「私はもういいでしょう。熱がでたら、熱さましでも飲みますよ。」
そういって、医師が止めるのも聞かず、リュミエールはさっさと退室しようと席を立つ。
「あ、そうそう。心配性の秘書が、貴方を探してべそかいてましたよ。会いました?」
「いや?」
リョウが心配してるのか、先に執務室に寄った方がよかったかな、と思いつつ、奴が空けた患者用の椅子に座った。
「オスカー様も骨折ですか?」
医師は、俺を見て言った。俺は、他の分は見せる訳に行かないので、
「すまんが、後頭部を打ち付けたようなんだ。それだけ診てくれるか?」と聞いた。
「わかりました。他にもいっぱいお顔とか、ケガされてますけど・・・消毒しますよ?」
そうだった。顔も擦りむいていたんだ。すっかり忘れていた。俺の甘いマスクが・・・と、頬に手をやると、ザリっと痂が指さきにひっかかる。そういえばずっと鏡を見てないな。まあきっと、傷ついた俺は、傷ついた俺でなかなか良い雰囲気を放っているに違いないが。
「いや、いいんだ。家に帰ってそれくらい自分でやるさ。」
どんな傷がどこに付いてるか確認するまで、他人に見せる訳には行かない。
「そうですか?わかりました。それじゃあ、頭だけ検査しますので・・・・」

1時間ほどああだこうだ色々と機械にかけられて、頭に異常がないことがわかると、頭の傷だけ消毒されて、包帯を巻かれる。
頭に包帯は嫌だとさんざんごねたが、聞いてもらえなかった。

しかも、運の悪いことに、執務室に向かう途中、オリヴィエに見つかってしまう。
「うっわー。アンタってば随分とまた、色男になって帰ってきたねぇ。」
オリヴィエがこういうってことは、つまりひどい有り様ってことだ。
「そんなにやばいか。」
「んー。たぶん、女王候補が見たらフランケンシュタインが出てきたと思って逃げちゃうんじゃない?そんくらいのレベル。アハッ☆」
そんなところで、軽やかに笑われてもな。
ジュリアス様が優しかったのは、顔がひどいことになっていたからなのだろうか。まあとにかく、指示に従って、今日はアホの相手はそこそこに、さっさと家に帰って休もう。
「今日は疲れてるんだ。お前とじゃれるのは明日以降に遠慮するぜ。あばよ。」
ぞんざいに挨拶して通り過ぎると、
「あばよってアンタ、一体いつの時代の言葉?」
やれやれ、と肩をすくめる気配がした。あばよって古いのか?気に入ってるのにな。俺は後ろ手に軽く、人差し指と中指をぴったりくっつけて、振ってやり、別れる。

執務室に寄って、残った仕事の確認だけしよう、と扉に手をかけた時に、リョウは後ろから現れた。バタバタバタバタッとけたたましい足音がして、
「俺がトイレ行ってる間にジュリアス様の部屋から出られるなんて!!ひどいタイミングです!オスカー様っっ!!」
よほど心配してたのか、ツバを飛ばしまくって俺につかみ掛かってくる、と、俺の頭の包帯を見てか、
「ややややや、やっぱり!酷い目に遭われたんですね!!何があったんですか!3、4メートル落ちたって!肋骨を折ったって!!熱と栄養失調が!!」
一方的にまくし立てる。情報がえらく交じってるが・・・と思いを巡らせて、奴の悪巧みだと分かった。
「落ち着け!リュミエールに何言われたか知らないが、俺は平気だ。それより、仕事の状況を・・・」
俺は睨み上げるような勢いで、それを制した・・・・つもりが。
がばっっっっ!!
「よかった・・・」
力強い抱擁と、涙声だ。
いちいち大袈裟なやつだな・・・リシアも大変な置き土産をよこしてくれたもんだ。暫く好きにさせてやってから、
「もういいだろ?いちいち大袈裟なやつだな。仕事の状況を報告してくれ。」
言いながら、抱擁を下からひょいと、身を捩って抜け出す。扉を開けながら、背後に向けて、一応言った。
「心配かけた。」
「オスカー様・・・・・っっ!!」
後ろから、だぁーーーーーっと涙の気配。なんだっけ。士官学校時代、こういうノリって多少あったなー、と懐かしく思い出した。体育会系のノリというか。基本的には暑苦しいし、鬱陶しいんだが、まあたまには・・・と、俺は包帯の上から頭を掻いた。

「お仕事は特に急なのは入ってません。明日いらしてからで十分です。それより、お身体を・・・」
やっと落ち着いたらしいリョウから報告を受けて、俺は明日朝イチで片付けたい書類を軽く目を通しながらより分けた。
「ん。分かった。」
話は聞きつつも、生返事をしながら、机の上にたまってた分を分け終えて、「そんじゃ、帰るか。」と、声をかけた。
「は、はい!」
予想通りの暑苦しい返事に、俺は苦笑した。

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「でででっ!」
体中の擦り傷を自分で確認して、消毒するというのも意外に楽じゃない。風呂上がりの身体を手当しながら俺は思った。
オリヴィエに協力してもらえば良かったかな、と考えて、以前あいつに盛大に迷惑をかけていた時の、あいつの辛そうな顔を思い出す。あいつも、心配性だからな・・・面と向かってあまり色々聞きたがらないからって、あんまり甘えちゃまずいだろ、と一応、自戒。
一人でできない訳でもないし。
鏡の前でへんてこなポーズをとり、脱脂綿と格闘する姿は、絶対、世のレディ達には見せられないが・・・
しばらく、自分の裸を鏡で確認して、頭の包帯はやはり付け直すのはやめよう。いくらなんでも大袈裟すぎる。

だいたい、全部消毒し終わったか、という辺りで、首の絆創膏を剥がす。どうみても、歯型にしか見えない跡がくっきりとついていた。ったく・・・それを消毒液で乱暴に拭う。
「イチチチッ!」
乱暴にやり過ぎた。痛い・・・。盛大に反省して、今度は押えるように脱脂綿を当てて、新しい絆創膏に付け替えた。これでおおかた完了だ。後はゆっくり寝て、明日に・・・と思って、鏡の端に、何か映ったような気がして、覗き込む。
なんだ?
部屋の明かりの加減か、自分の瞳が少し変な色に光った気がした。
んん?と思って、食い入るように見ると、いつもの「魅惑的」と評されるアイス・ブルーがそこにあった。反射の加減か?

トントン・・・

危うく鏡と長時間にらめっこになりそうだったところに、部屋をノックされ、俺はあわてて放り投げていたバスローブを纏った。
出ると、リョウだった。こんな夜中に・・・
「あ。すみません。もうお休みでしたか?明かりがまだ漏れていたので・・・お休みいただかないと、と思って。」
珍しすぎる夜中のノックはそれか。相当、心配させたんだろう。
「少し気にし過ぎだ。今から・・・」
休もうと・・・と、続けたい言葉が、途中で繋がらなくなった。口が動かない。口元に手をやろうとして、それも適わない。
な・・・・・に?
突然。俺の意志とは無関係に、俺の右腕が、リョウの腕をつかんで引き寄せた。左手をその襟足に忍ばせ、下から覗き込むようにして、彼の鳶色の瞳を見上げる。俺の声が、俺の知らない妖しげな調子で、言った。
「お前・・・・・この、依り代に興味があるのか?」
自分の顔が、笑っていると分かる。リョウの顔は、困惑しきって、俺を呆然と見下ろしていた。
な・・・・・にやってるっっ!!
「はや・・・くっ!逃げろっっ!」
やっとの思いで、俺は、吠えて、リョウを突き飛ばした。よたよたと、俺の足が勝手に歩き始める。なんだこりゃ。どうなってやがるっ!!
「『チィ、小賢しい真似を!!』」
俺の口が、俺の言葉でない言葉をしゃべる。まさか・・・あんたは・・・
「ジュリアス様に連絡を!!サータジリスだっっ!!言えば分かるっっ!!ぐっるぁ!!」
「『小僧がぁっ!貴様ヒトの分際で妾に太刀打ちするつもりかっっ?!』」
自由にならない身体は、もんどり打って、床に転がる。
「お、オスカー様!!」
リョウが俺に手を伸ばす気配がする。
「行け!!命令だっっ!!れ、んらっっ」」
命令だ、という一言に、リョウは弾かれたように走った。
「すぐに戻ります!!ご無事でっっ!!」
こちらを振り向かずに、喚く。
その言葉に、俺もそれを願ってるよ、と胸で呟く。
手足の先に、勝手に異様な力が籠もる。血管がビシビシ浮き立って、先端が痺れていった。

何万年前の亡霊だか知らないが、未練たらしくウロウロしてんなっっ!
俺は、口が動かない分、脳みそでがなった。

『良い器じゃ。小賢しいが、力も形も申し分ない・・・』
瞼の裏に、火龍族にそっくりな姿の、美しい女が映った。その瞳が、銀色に輝いている。鰐の目のように虹彩が縦に伸びて、彼女の周囲にまで禍々しい雰囲気を漂わせていた。
あんたが、サータジリスか。
身に纏った真っ赤なタイトなドレスは、彼女のプロポーションを強調していた。こちらを一瞥して、彼女は後ろをむいた。腰まで入った切れ込みで露わになった背に、小さな対の翼がついている。
神様には見えなかった。確かにヒトではないが。変わった、生物だ。
『お前はそこで寝ておればよい。ゼーンを八つ裂きにしたら、お前にこの器を返してやろう。』
激しい憎悪が、斜め向こうの床に落とされた視線に滲み出ていた。
「なぜ、そんなに憎む。」
自然に俺の口から問いが発された。
『妾のカーマインを奪った・・・』
憎悪に満ちた目が、泣いているように思えるのは、声が悲しい色を帯びているから?
「カーマインは・・・セリーンを助けようとして、自滅したんだ。水流の王は関係ない。」
慰めるような声が出た。
『セリーヌソワはゼーンの子だ。あの女が、カーマインをたぶらかし、カーマインを殺したのだっっ!!』
長い爪のついた手をぐっと握りこんで、沸き上がった憎しみを堪えているらしい。
しかし、それじゃあ逆恨みだぜ。
「なんだか・・・逆恨みっぽいが。仮にそうだとしても、それならセリーンをターゲットにするべきじゃないのか?」
俺が呆れた声で言うと、
『黙れ、小僧っっ!!すべての元凶はあの男だ!貴様に何が分かる!!』
一喝されてしまう。きつい女は嫌いじゃない・・・ってそんな話をしている場合ではなかった。
『それに・・・そう、あの男をねじ伏せるのは、お前の望みでもあろう?』
一変して、ふふふ、と今度は笑いが漏れる。
「なんだって?」
急にこちらをしっかりと、見据えられて、
『器の方だ。あの、器を・・・』
妖艶な声で、誘うように呟かれる。その声は、脳に、直接響くように、聞こえた。
「リュミエールを?冗談じゃない・・・俺は、あいつに近寄りたくない。ただ、それだけだ。」
頭にガンガンと反響するような、その響きに引きずり込まれないように。理性をフル稼働させて、俺は言った。
『そうか?それはおかしい・・・、妾は、お前の心に呼ばれて、ここにきたはずなのだが・・・お前の片割れが、ゼーンの力に同調したように・・・』
リュミエールが同調した?俺が呼んだ?
戯れ言だ。引きずり込まれるな。瞳を逸らせ・・・
『近寄りたくない・・・・そうか、あの存在を滅したいのであろう?そうすれば、あの器に煩わされずにすむ。そうだな?』
煩わされずに?
ああ、これ以上煩わされたくない・・・
あの熱を帯びた妖しい瞳を覗くのは、もうこれっきりにしたい・・・
『そうじゃ。今のうちに叩いておかぬと、大変なことになる。妾の時がそうであった。初めに裏切られた時に、あの者を滅しておれば、カーマインを失うこともなかったのだ。』
頭がガンガンして、気分が悪い。
『妾にとっても、お前にとっても、これが・・・唯一の機会ぞ?』
吐きそうだ・・・

・・・今、お前はどこにいる。リュミエール・・・?

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「こんな夜中に一体何の用な訳・・・」
アタシは化粧を落として、寝ようとしてたところに、宮殿に呼び出され、再度フルメイクを強要されて、ヒッジョーーーーーーに不機嫌だった。
しかも、守護聖フルメンツ+教官・協力者フルメンツ+陛下+ロザリアっつーこの豪華な集まりはなんなの。まさか、ミッドナイトパーティもたまにはいいわよね、なんて言ってたアンジェ女王のご乱心が実現したなんて言わないでしょうね?!
カリカリしながら、フロアを見回すと、フルメンツには守護聖が2名ほど足りないことに気づいた。
それも、二名足りないとしても、「その組み合わせで」足りないって事はないでしょう、という気持ちの悪い組み合わせだ。いや、もしリュミちゃんがオスカーを無理やりかっ攫ったってんなら、あながちありえなくもないけど。
「オスカーとリュミエールは?」
考えながら、手っ取り早く済ますため、ジュリアスに聞く。返事は、
「今から話す。そのために呼んでいるのだ。」
と苛ついたものだった。その声の尖り方と、それまで奥で二人で話していた陛下とロザリアが神妙な顔付きで、こちらを向いたのをみて、アタシは何か・・・悪いことが起こったのね、と悟った。

ジュリアスは、思い思いの呟きでざわめく聴衆に、
「聞け。」
と一歩踏み出して、短く低く言った。それだけで、一瞬にしてフロアはシン、となる。
「緊急事態だ。オスカーとリュミエールは、何者かに身体を『乗っ取られた』らしい。発展の仕方に問題のある惑星の原因調査に、二人を派遣したのだが、その時に何かあったらしい。オスカーの報告から推察するに、ゼーンという、その惑星に伝わる古代民族の王と、サータジリスという、その惑星に伝わる神話に出てくる火龍が彼らに取り憑いている可能性が高い。」
それにしては元気そうだったけど。あの後、異変が起きたということだろうか。
アタシが冷静に思いを巡らせてる間、年少組は心配そうな顔で息をぐっと飲んでいる。大丈夫よ、あいつらはちょっとやそっとじゃ、どうにもならないって。と言おうとして。
いや、ひょっとすると、アタシは高を括ることで自分の不安を紛らわせているだけで、アンタ達とは不安の処理の仕方が違うだけかもしれない、と思いなおす。

ジュリアスは、話を途中でやめて、私達に「ちょっと待ってくれ」とでも言うように片手を上げて、片耳にもう一方の手を当てた。同じく、その周囲に立っていた、護衛と思われる見覚えのない男たち3人も、同時に指を当てる。が、ふと、その中に知った顔を見つけた。
オスカーの秘書じゃないっけ、あの子・・・。私は、記憶の中のオスカーの執務室で何回かみかけた黒髪短髪の男と、その子の顔を比べた。
「今、リュミエールは森の奥に向かっている。目的は不明。数名で追わせている。オスカーは現在、行方が分からぬ。最後に確認されたのは、1時間ほど前にオスカー邸のエントランスだそうだ。」
耳に、トランシーバを入れてる訳ね、と私は納得した。
「それで?アタシ達は、ここでガンクビ並べて何をすれば良いの?」
肩を竦めて言った。
「うむ。まず、どれくらい危険があるものか、分かりかねている。そこで、これを皆に装着してもらい、住宅区に住む者達を、必要に応じて、非難させるのを手伝ってほしい。」
ガラガラっと、護衛の男の一人が、キャスターのついた台をアタシ達の前に引きずる。その上には、小さな補聴器ほどの、物体があった。トランシーバだろう。
「だが、オスカーの事前報告によると、オスカーらを乗っ取った者は、『凶暴で桁違いの怪力』の持ち主らしい。オスカーですら腕力で歯が立たなかったというから、余程だ。よって油断は禁物。」
禁物ってーか、それってアタシ達がその二人に遭遇したらアウトってことじゃないのぉ?
「すでに非常事態であることを告げて、家から決して出ぬよう、徹底して周知を始めている。問題は、そやつらが住宅区に近づいた場合だ。ここに、担当区域の地図を作った。お前達は、警備スタッフと共に・・・」
と、高くジュリアスが作った地図を掲げたところで、
ギィと、ホールの大きな扉の開く、重たい音が響いた。

皆が、一斉にそちらを振り返る。
そこに、ぴっちりとした黒革のパンツに、白い袖のないシャツを纏ったオスカーが居た。家宝の剣が、その格好には些か不釣り合いにぶら下がっている。

「その必要はないぞ?」
うっすらと、口元に妖しいほほ笑みを浮かべたオスカーは、艶っぽい、という言葉が似合うような色を滲ませていて。そのことが、確かに、そのオスカーに見える者は、オスカーでないのだと、アタシ達に緊張を強いる。
誰もが、ソレから、目を話せずにいた。
「お前が、サータジリスか。」
憎々しげな、ジュリアスの高圧的な声がホールに響いた。
サータジリスと呼ばれたオスカーの姿をした者は、手を顔の前に掲げて、ゆっっくりと拳を握り込んだ。まるで手袋を手に、ぴったりと密着させる時のように。
そして、うっとりと、邪悪に光るシルバーの瞳を細め、唇を一嘗め。コツコツとブーツを鳴らして、こちらに歩み寄り始めた。
「いかにも。妾がサータジリスだ。お前達は、この器の仲間か?この器を、返して欲しいのだろう?」
歩みながら、クスクス、と伏し目がちになって、それは嗤った。
「妾の目的はな、ゼーンただ一人だ。そして、ゼーンの目的も、妾ただ一人。ゼーンの居場所を教えよ。奴を葬り去ったら、この器に用はない。返してやるぞ?」
よく知っている男から漂う、その男には似合わないタイプの色香に、アタシは気分が悪くなりそうだった。
「お前だな、リーダーは・・・」
ジュリアスの前で、それは歩みを止めた。
果たしてオスカーの身体に、本当に切りかかることができるかどうかは疑問だが、護衛や、ランディが、ジュリアスに何かしたら切りつけてやる、という姿勢を作る。

ピン、と張り詰めた空気の中、誰も予想してなかったことが起きた。
それは、ジュリアスの顔に手を伸ばし、その横顔を顎からこめかみにかけて、ベロリ、と嘗め上げたのだ。

・・・

結局、誰ひとり、ピクリとも、動けなかった。
アタシはと言えば、オスカーが知ったら大変。切腹しちゃうかも、と今考えるべきこととは遠すぎるだろうことを頭によぎらせていた。
だけど、ジュリアスは、意外にも冷静だった。
ぐい、と手で、たっぷりと付けられた唾液を拭うと、挑戦的な瞳でそれの瞳を見つめ返し、
「売女は、礼儀を知らんらしいな。物乞いをするなら、その身体以外を使ってやることだ。全く、心を動かされぬ。その身体は、お前のような下種ではなく、誇り高き者に似合う。」
頬に添えられていた、腕をパシッと払った。
その顔を興味深そうに眺め、ソレはニィッと嗤って、
「そうか。それでは、こういうのはどうだ?」
踊るような足取りで、ジュリアスの傍らで剣を構えていたランディにすり寄り、自分の腕を、その剣に翳して、ジュリアスに向かって小首を傾げて見せた。
「なんの、つもりだ。」
今度は、ジュリアスの声に焦りが滲んだ。

ランディは、あわてて剣を引こうとしたが、「おっと」と軽い調子で、剣を掴んでいる両手ごと、片手で握り込まれた。
さすがにオスカーも、ランディの両手を片手で制するのは無理だろう。相当の怪力、というのが化け物地味たものであることを、その様子が物語っている。
ランディは、
「止めろっっ!!」
と、身体を震わせながら言った。
そんなランディの声を楽しむように、ニヤニヤしながら、ソレはジュリアスを見つめたまま、ゆっくりと、刃先を自分の腕に近づけていく。じりじりと、その鋭い刃がオスカーの手首に当たり、そこから染み出した血が、フロアに一滴、二滴、と落ちて床を濡らした。その様子に、動脈は外しているんだ、アタシは少しだけホッとする。
ランディは、蒼白になりながら、震えていて。
ジュリアスは、音が聞こえそうなほどにギリギリと固く、歯を噛み締めて、その様子を睨んでいた。
「ふふふ、このまま、切り落としてやろうか?」
唇を舌でもう一度濡らして、楽しげに、それは更に刃を進めた。
パタタタタっとそれまでより滴る血が盛大に落ちたところで、発言権のない男の声がした。
「・・・りだ。」
オスカーは、いや、サータジリスは、きょとん、と一瞬間抜けな顔をして、声の主を視線を彷徨わせて探しつつ、尋ねた。
「なんだと?」
「森だ。リュミエール様は、森の奥の、泉の方に向かってる。ここから真南だ。その方の身体を、傷つけるなっっ。」
オスカーの秘書だった。
なに考えてんの。この子!?
あんた馬鹿!?こいつらは殺し合いしたがってるんでしょーがっっ。リュミエールもオスカーも余計危険になるでしょ!?そんなことも分からないのっ!?
怒鳴りたい衝動に駆られるが、そんなことをすれば、それが本当のことだとサータジリスに教えてやるようなものだ。彼女がその情報を罠か何かと疑ってくれるのを願って、アタシは拳をギリッと握った。
サータジリスは、秘書の顔をみとめて、言った。
「お前か・・・余程この身体の主に入れ込んでおるな。助かったぞ。礼を言う。」
願いは、あっさり破れたらしい。
サータジリスは、ランディの手を掴んでいた手を、乱暴に突き放し、オスカーの傷ついた腕を舌先を使って、つつつ、と厭らしく嘗めた。誰かの息を飲むような声がする。
アタシは、これ見よがしに周囲を誘うような目付きに、猛烈に腹を立てていた。
「クククク、ハーーーーーッハッハッハッハッハッ!!待っていろ、ゼーンッッ!!」
きっちり血を舌で拭ってから、サータジリスはオスカーの声を使って高く嗤い、肩をいからせた。そして、人間離れした敏捷さで、ホールの大きな窓を割って外に飛び出していった。

ホールは一瞬、沈黙し、
「あやつを捕らえるぞッッ!多少手荒な真似をしてもかまわん!拘束して、必ず引きはがすっっ!!」
ジュリアスの怒号でその沈黙は破られた。怒りにブチ切れてるのは、誰の目にも明らかだ。が、ブチ切れつつも、その指示出しに狂いはない。各自に、追跡班、陛下とロザリアの護衛係、連絡係、引きはがす方法の調査班等を割り振って、自ら率先して部屋を出た。護衛3人組とランディがあわててそれに続く。
「ちょっとアンタッ!一体どういうつもりなの!?」
見過ごせず、アタシはホールを出ようとする秘書の肩を引っつかんでこっちを振り向かせた。
けど、あろうことか、その男はアタシに怒鳴り返してくる。
「お叱りは覚悟の上です!リュミエール様も、オスカー様も、傷つけさせません!!必ず俺が守ります!!」
はぁーー??なんの根拠よ、それは!!ド真剣な瞳に余計腹が立つ!どんだけ「有能」な秘書雇ってんの、あのスットコドッコイは!!
「こっっんのイカレ野郎!!」
あまりお上品ではなかったが、アタシはあまりな、その能天気さに頭に来て、そいつの股間を蹴り上げた。間髪いれず、台の上のトランシーバを引ったくるようにして身につけ、ジュリアスに続いた。

装着仕立てのトランシーバには、「・・・だっ!!あるものすべてだっ!!催涙弾、麻酔銃、捕獲に役立ちそうなものは、すべて持って来るのだっっ!!」というジュリアスの怒声と、「捕獲・・・?」異議ありげに呟く、誰かのクールな声がノイズに交ざって聞こえた。

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野球場のナイター施設を連想させるような、まばゆい光を放つライトが、泉に急遽設置された。その明るい光の中、二人は泉の前で、10メートルほど離れてじっと、対峙していた。

アタシ達が二人に追いついてまだ一時間も経たないというのに、周囲には屋根だけの簡易テントやら、椅子・テーブル、捕獲用の機材や設備がところ狭しと準備され、さながら最前線のキャンプ地の様相を呈していた。

「こういう状況で、一番役に立ちそうな男なのにね、オスカーって・・・」
アタシはテントの一つの中で、二人の様子を気にしつつもひっきりなしに資料と文献のページを捲っているルヴァの後ろに仁王立ちしつつ、独りごちた。
資料だしはエルンストが仕切っていて、オツム関係は特に手伝えることもないし。女王候補二人を宮殿に送り届けるって任務も終わったし。いっそのこと、宮殿警備班のクラヴィス達に混ざろうか・・・と思ったところで、
「オリヴィエ様。ジュリアス様の作戦がほぼ固まりました!手持ちの仕事が終わったらこっちのテントにお願いします!」
ランディにテントの外から大きな声で呼ばれ、アタシはルヴァに頑張ってよね、と一声かけて、ジュリアスのテントに向かった。
「呼んだ?」
ジュリアスのテントに入ると、比較的大きめの真四角のテーブルを、ヴィクトール、ジュリアス、メル、ランディ、その他警備スタッフ達が囲んでいた。テーブルには泉の地図が広げられ、線やら印やらが付けられている。
「先程一度、猛獣用の麻酔をセットしたラチェットボゥ(注:数人がかりで動かす馬鹿でかい弓矢)でゼーンを攻撃したが、衝撃波のようなもので跳ね返され、失敗している。あの調子では、催涙弾やガス関係はほぼ無力だ。そこで、これから二人の近辺、被害の最小化も考えて、泉の中が良いと思っているのだが、そこで、大規模な爆破を行う。二人が気を取られたところで、再度、麻酔を発射。これで無理なら、ルヴァの策が固まらない場合、お手上げだ。」
お手上げ、というのは、つまり・・・
「その場合は、二人の狙いが互いに決着をつけることだと分かっている以上、彼らに決闘をさせるしかない、ということですか。」
ヴィクトールが駄目押しの確認をした。
「そうならないための作戦だ。」
ジュリアスは冷静に言い切った。
聖地を守る、という意味では、当面は第三者に被害が及ばなそうな状態だということを、アタシ達は喜ぶべきなんだよね。多分。誰もそんなことは言わないけど。
「爆破では、二人は注意をそらさないと思います。・・・俺が、囮になります。」
それまで、じっと話を聞いていた例のアホ秘書が、ジュリアスの目を見て言った。相手が守護聖の首座で普段だったら口を聞くこともほとんどないとか、そんなことはきっと今、彼の沸騰した頭には微塵も浮かんでいないだろう。
「お前・・・先程も勝手な行動を取っていたな。今すぐここから出て行け。邪魔だ。」
ジュリアスは冷静に、そして冷酷に退場を迫った。その目の群青は見る者を圧倒する、いつものパワーを2倍増しで漲らせている。だが、それが普通の反応ってもんだ。アタシは、ジュリアスに珍しく心から賛同していた。
「先程は、本当に申し訳ありませんでした。けれど、お・・・私は、オスカー様がサータジリスに乗っ取られるところを見てたんです。オスカー様は、必死に戦っておられて、時折、サータジリスを押さえ込んでご自分の言葉で話してました。俺に、ジュリアス様に報告に行けと言ったのも、サータジリスを押さえながらだったんですよ!」
冷静とは言い難かったが、彼の必死さは誰の目にも明らかで、だから、時間を惜しむ中、皆黙って聞いていた。
「俺に、やらせてください。さっきみたいに、もう一度話ができるかもしれない。お願いです!!」
テーブルに両手をついて、その男は低く、頭を下げた。
「オスカーの、悪いところばかりがお前は似たようだな。気持ちは買うが、今は精神論の話をしている場合ではないのだ。そのようなこと、リスクに見合う効果が見込めぬ。」
呆れたように、ジュリアスは言った。切れたいのも、自分が説得したいのも、ジュリアスだって同じ気持ちに違いない。多分、ランディだって、アタシだって同じだ。でも、そんなことは・・・
「俺は、守護聖様とは違います。」
考えていたことに、直接反論したような言葉が、低く、響いた。はっとして、顔を上げると、ジュリアスも、困ったように目を細めている。
「君は、死ににいくつもりか?」
意外にも、ヴィクトールが口を開いた。ヴィクトールは、腕を組み、冷静な瞳で、じっと彼をみていた。
「そういう訳では・・・ただ、最悪そうなっても、守護聖様方のお命を危険にさらすのとは、訳が違います。今もこの瞬間も、オスカー様とリュミエール様の命は危険にさらされています。一刻も早く、止めないと。よしんば当たったとしても、麻酔が効くかの保証もないですし、もう既に一度失敗しています。もしまた失敗したら、チャンスそのものも潰されてしまうかもしれません。ならっ、説得と麻酔のための隙を作るのと、同時にできる方が成功の確立は高いはずですっ!」
必死に話続けていたら、辻褄がたまたま合いそうになってるだけのような気配がプンプンする。でも、思ったほど頭が悪い訳でも、口が立たない訳でもないようで、こちらも反論もできない。いつまでも二人が睨み合っているとも思えないから、早く、結論を出さないと・・・
「ありえない。陛下からお預かりしてる命を、そんな・・・俺に行かせて下さいっ!」
それまでぐっと唇を噛み締めて話を聞いていたランディが、我慢の限界だ、という調子で言った。
「俺は、守護聖様でもありませんが、一般の聖地の住人とも違います。オスカー様を命をかけてお守りするのは、俺の、仕事です!!」
「わかった。」
言い終わるか終わらないかのうちに、ジュリアスが口を開いた。
「すぐに鎖帷子と、衝撃波吸収用のジャケットを用意!この者に着せてやれ。残りのメンバーはこれから作戦を説明する。」
念願かなったはずの、秘書はどこか、ぽかんとして、ジュリアスを見つめた。
「時間が惜しい。とにかくやってみよう。お前が仕事だというなら、それもいいだろう。ただし、私が『退け(ひけ)』といったら、退け。それが条件だ。」
ジュリアスは自分の耳のトランシーバを指さした。
「・・・は、はいっっ!!」
その、満面の笑みに、アタシはすっと一瞬、胸に冷たい水が差し込むのを感じた。なんだろう、この感じ・・・
秘書は、大きな手を握りしめてガッツポーズを作ると、アタシの方に向き直った。
「あの。オリヴィエ様。先程は喝を入れて下さって有り難うございます。それで・・・オリヴィエ様に、ひとつお願いがあるのですが・・・」
「え。・・・何?」
人懐っこい笑顔は、心の底からあの金的を喝だと信じているらしい。アタシは、へら、と愛想笑いを返して、嫌な胸騒ぎを必死で振り払った。

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ドン!!!

花火が上がった時のような爆音がして、突然強風が俺達のテントまで吹き付けて来た。俺は用意してもらった鎖帷子のまま、風に逆らうように足を踏ん張りつつ外に出た。
先程までなんともなかった、リュミエール様と、オスカー様の周囲の土が、二人を中心に半球状に凹んでいた。
おそらく、衝撃波がぶつかり合ったのだ。
始まったか!!
俺はあわててジャケットを取りに戻り、上から羽織って、トランシーバのスイッチを押して、叫ぶ。
「ムライ、出ます!!」
耳のトランシーバに、「了解。こちらも準備オッケーよ!!」と、麻酔班のオリヴィエ様の声がした。その声は、この衝撃波の影響なのか、ノイズが少しひどくなっている。
二人から、強い風が竜巻のように吹き付けてくる。周囲の小枝や砂利、枯れ葉が巻き上げられて、頬や腕を傷つけていく。俺は顔を腕で守るようにしながら、じりじりとオスカー様に近づいていった。
距離にして、わずか500M程。それを詰めるのに、エライ体力の消耗を強いられている気がする。
俺は、残り100Mは半ば這うようにして近づいていった。
俺に気づいたのか、二人から吹き付ける風が、ふ、と緩んだ。
「お前か。何をしにきた。」
いつものオスカー様の声。だが、それは頭に、直接響いてくる。俺はトランシーバのスイッチを入れっぱなしに切り替えた。
オスカー様の顔がこちらを捉える・・・が、その瞳はいつものアイスブルーより、更に色を失って、銀色に輝いていた。
「オスカー様、正気に戻って下さい。」
俺は丸腰を強調するように両の手の平をサータジリスに向けて開き、身体からできるだけ両腕を話して、更に近づいた。
サータジリスは、相手が丸腰だろうが関係無いのだろう、
ちゃき、と、腰からオスカー様の剣を抜いた。その剣を、まるでフェンシングの剣でも扱うかのように、片手でピュンピュン、と音がする程速く、切っ先でインフィニティのマークを描くように振り回して、俺の喉元につきつけるようにして、逆手に構えた。
「刺激するな!」
ジュリアス様の声がトランシーバで低く響く。ここで死んでも意味はない。俺も無駄死には御免だった。
「・・・」
俺が黙ったのをみて、サータジリスは、ニィ、と笑った。あの人は、そんな笑い方はしない。でも・・・
「今からあの男をやっと始末するところだ。そこで見ておけ。事が終わったら返すと言っておろうに。」
フン、と笑って、剣の切っ先をリュミエール様の方に向けなおした。
俺は、その隙をついて、オスカー様の身体の背後に回り、後ろからがばっと羽交い締めにする。その瞬間。
ドンッッッッッ!!!
すさまじい衝撃波がその身体から放たれて、俺は両頬がビシビシィッ!と音を立てて深く裂けるのを感じた。だが、胴体は吸収用ジャケットで無傷だ。
「何やってんの!その体勢じゃこっちから打てない!」
オリヴィエ様の悲鳴のような声。そうだろう、俺の身体が邪魔になるはずだ。
「いるんでしょう。そこに。オスカー様。」
俺は、羽交い締めにした腕を緩めずに、耳元に囁いた。
「黙れっっ!!」
ぐぐぐ、と俺の腕の中で、腕をねじって、その長剣を背後に向かってギリギリと捩ってくる。刺されるだろうか。俺はぼんやりと思った。
「いるんでしょう。起きて下さい。オスカー様。」
ドゥッッッ
もう一度、衝撃波。今度は、腕が何カ所か裂ける。足にも痛みが走った。
「退けぇっっ!!!」
ジュリアス様の声がトランシーバから耳をつんざく勢いでがなっている。戦闘中の命令違反は、その場で降格処分。不服申し立てがある場合は・・・俺は内規を頭に巡らせる。
緩んだ腕の中で、腰を低くして彼の細身はぐるっと回転した。剣が、その回転の勢いを利用して、俺のあばらの辺りを狙って斜め下から一度、凄い力でぶつかる。鎖帷子で、それはただの打撃になった。
「賢しい奴っっ!」
致命傷にならなかったのをみて、サータジリスは剣の握りを変える。今度は、鎖帷子を着込んでいない、下腹部を剣の突きが襲った。
重厚な剣は、きっと俺の身体を貫通しているだろう。俺は、痛みを感じないのを不思議に思った。腕の中で、俺を「してやったり」と睨む銀色の目が、見上げている。

俺は、笑った。
「オスカー様・・・良かった。戻ってらして・・・」
してやったり、と上がった口の端が、虚をついたように、下がっていく。そして、その口が、ぽかん、と開いた。その瞳の色は・・・
「リョウ・・・・?」
ほっとしたら、痛みが沸き上がってきた。大丈夫ですか、と言おうとして、声でなく、血が口から飛び出した。
「ゴボッ、ボッ」
あーぁ、血がお顔に・・・すみません、オスカー様。俺は苦痛を感じつつも、オスカー様に笑いかける。
あぁ。血が下がってきたみたいだ。
視界が狭まって、お顔が・・・・よく・・・せっか、く・・・

「リョウ・・・・おい?」
サータジリス、アンタのこと。俺嫌いじゃないぜ。
俺に、この方の為に命を張るチャンスをくれたこと、かえって感謝してるんだ。

でも、もういいだろう?
俺の命をやるから・・・
俺の命じゃあ不満だよな、でも・・・
やるから、さ?

「リョーーーーーーーーーーーーーゥッッッ!!」

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ここは、どこだろう・・・
真っ暗だ。
「オスカー?どこです??」
リュミエールの声。俺は唇を噛み締めた。
「俺ならここだ。」
俺はふてくされたように言った。なのに、リュミエールの声はさっきより若干遠ざかったところから、かかった。
「オスカー?居ないのですか?」
聞こえないのか?
「おい!俺はこっちだ!」
腹から声を出す。聞き慣れた自分の声が低く、暗闇を這う。
「ああ、こんなところに居たのですか・・・手間をかけさせますね。相変わらず。オスカー。」
ひどく遠くで、リュミエールの親しげな声がして、その足音が遠ざかっていく。
「違う!俺はここだ!そっちじゃない!」
チガウ、オレハソッチジャナイ・・・・俺の声は固いコンクリートの壁に跳ね返されたかのように、反響する。その声が、誰の耳にも入らなかったことを、証明するみたいに。
俺は・・・・?

ザザッッッ
耳を引き裂くような大きなノイズが短く聞こえた。

『美しい、私の瑠璃・・・』
『バーミリオンは、カーマインに継がせるぞ。センドール。良いな?』
『なぜ来なかったのだ!ゼーンッッ!!』
『カーマイン、妾の子。お前の瞳は不思議な色じゃ・・・海の底を覗いているような気分になる・・・』
『バーミリオンと命を失った?!セリーヌソワの為に!?』
『愛おしい、私の瑠璃・・・』
『なぜ、誰も彼も、妾を裏切るのだッッッ!!私が、これほど・・・』

ザザッッッ

『どうしたら、いい。』
『僕にはもう・・・母さんだけなのに。』
『そのまま、息を詰めないで。後少しで、終わるから。』
『性欲処理の相手に選んでいただいて光栄です。』
『次は、土の曜日に。』
『もう、来ないと思ってました。』
『何故、この間は来なかったのか、と聞いているのですが。』
『逃げるんですか?オスカー。』
『・・・・・・・・・・・・・勝手なことを。』

ザザッザッ

『黙って聞いて下さい。ちっとも話が進まない。』
『カーマインは誰かに・・・』
『水浴びしているところに遭遇すると、人は恋に落ちるのかもしれないですね?』
『冗談ですよ。』

ザーーーーーーーーーー

『愛おしい、私の瑠璃・・・』
『美しい、私の瑠璃・・・』

サータジリス。
お前はただ、怖かっただけだ。
ゼーンの気持ちを信じるのが、怖かっただけだ。
カーマインを殺したのは、お前のゼーンへの気持ちだ。
わかってるんだろう?
信じるのは、怖いな。サータジリス。

どうして感情は、自分の扱える容量を遥かに越えて、増長していくのだろう?
ただ、波に揉まれる藻くずのように、翻弄されるだけだ。
そんなのは楽しくない。
楽になるためには、どうすればいいんだ?
もういくつも分岐を踏み越えてしまって、俺はどこからやり直せばいいのか分からない・・・

どうすれば・・・・

『いるんでしょう。そこに。オスカー様。』
誰だ?オスカー?
『起きて下さい。オスカー様。』
俺は・・・・?
「オスカー様・・・良かった。戻ってらして・・・」

「リョウ・・・・?」
どうして、お前がここに?

霧が、掃けるように。暗闇が退いて行く。
ああ、だが・・・手に生暖かい液体の感触が。絶え間無く、伝ってくる液体の感触が。

リョウ、なんて顔してやがる。顔が真っ青だぜ?
変な冗談はやめてくれ。

「ゴボッ、ボッ」
誰か。


『俺が一緒に行ければ、全力で守って差し上げますのに。』


「リョウ・・・・おい?」
誰か、嘘だと言ってくれ。

「リョーーーーーーーーーーーーーゥッッッ!!」


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