序章:戦場の邂逅



一日の執務の終わりに、俺は、ジュリアス様の執務室に召され、出張について打診されていた。
「・・・大変申し訳ありません。今、なんとおっしゃいましたか、ジュリアス様。」
間違いなく。ああ、そう、間違いなく、聞き間違いだ。
俺は確信して、聞き返した。
「『出張に行ってくれぬか』と言ったのだ。」
いかにもさっぱりした調子で、ジュリアス様は繰り返した。
ああ、そうさ。ここまでは問題ない。出張?・・・いつものことじゃないか。そりゃあ今は新宇宙の女王試験の最中だ。だが、これまで試験中一度も出張がなかったわけじゃない。
「はっ。出張という件までは、理解したのですが。」
俺の答えに、ジュリアス様は視線をあげ、俺のそれと絡ませる。
デスクから俺を見上げる紺碧の瞳が、その人柄に似合わぬ、俺の様子を伺うような頼りなさをほんの少し滲ませていた。
形の良い赤い唇から零れでた言葉は。
「・・・嫌か。」
・・・・。
勿論、嫌だの、好きだのの問題ではない・・・という事はジュリアス様も百も承知だ。この「嫌か。」は、命を下す相手が俺の時のみ(それも極たまに)現れる、本心でない命を下す時のジュリアス様の癖のようなものだ。
直立不動の俺から、心中の溜め息が聞こえたはずはないが、ジュリアス様は、眉間に僅かに皺を寄せ、俺から視線を逸らし、
「いや、愚にもつかぬことを聞いた。忘れてくれ。これは、命令だ。」
小さく顔の前で手を振って、言い直す。
「はっ。」
さきほどの言葉が聞き違いだった事を祈りながら、俺は小さく答えて、その先を促す。
「お前には、先代の水の守護聖、リュミエールと出張に行ってもらう。引き継ぎ中の新たな水の守護聖、ソルも同行させる。良いな。」
「はっ。」
どうやら、俺の祈りは聞き届けられなかったらしい。俺は間髪いれずに返事をする。一呼吸置いてから、
「しかし、リュミエールは・・・その・・・。」
実質、極秘の囚人扱いのリュミエールを『外』に連れ出す方法についての心配を口にしようとすると、
「心配せずとも良い。対応方法は検討済みだ。詳細は追ってブリーフィングを行う。この旨、リュミエールとソルにも至急お前の口から伝えてくれ。」
案の定、ジュリアス様の淡々とした答えが返される。
そうさ、ジュリアス様が、そんな不用意なプランを提案する訳もない。俺は、これは冗談ではない。本気だ・・・等と詰まらぬ事を脳裏に過らせながら、姿勢をもう一度正して答えた。
「では、直ちに。」
俺の返事のよさに対し、ジュリアス様が一層眉間の皺を深くしながら、
「うむ。」
と重々しく返す。
気持ちよく行かせて頂きたいのですが。・・・一体、何があるというのですか?と、問いただしたい気持ちがないではなかったが。ジュリアス様がそれを言わぬということは、つまるところ、俺がそれを問うたところで、ジュリアス様を困らせるだけだ。それに・・・奴と一緒の出張命令なのだ・・・何かあるに決まっていた。
俺は、拳を握り直してから、退室を申し出て、ジュリアス様の執務室を後にした。

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「は?」
例の白い部屋で、唯一の色彩として存在している、その青銀色の髪の男は、世にも珍しく、ぽかん、としたあどけない表情を見せた。さらり、と窓を模した壁から送り込まれる、人工的な風が俺たちの間を通り過ぎ、奴の長い髪を僅かに嬲る。
お前もたまには可愛らしい反応をするじゃないか、とは口に出さず、
「『は?』じゃない。いいか、これはジュリアス様からの指示だ。お前の意志は関係ない。」
と、厳しく言い切る。よりにもよって「は?」・・・だと??それは俺の台詞だ。
「はぁ。」
男は、状況を理解したのかしていないのか全く分からない吐息のような返事ともつかない返事を返す。
が、思ったよりもずっとその態度は反抗的でなかった。俺は若干の肩すかしを食う。
「詳細はジュリアス様からの指示があり次第、ブリーフィングで共有される。出張中のお前の扱いについても、対応方法があるとのことだ。」
男は止めていた手をハープに戻し、調律を再開しながら、
「それはそれは、お手数をおかけして恐縮というもの。」
嫌味っぽく笑ってみせた。ようやく調子が戻ってきたらしい。
「あの、サクリアが扱えない不安定な坊やも一緒だ。いい機会じゃないか。せいぜい、道中にお前が指導してやれ。」
俺が肩を竦めてみせると、再び男はピクリ、と手を止め、水底の青をギラつかせてこちらを睨む。
「それは、貴方の一方的な決めつけのように思いますが。言ったはずです。彼の・・・。」
早口になる男の台詞を遮り、
「それは聞いた。お前にサクリアが滞留しているお陰で、あの坊やのサクリアは精錬や放出に十分ではないんだったか?」
問いながら、俺は振り返って大きく手を振る。
「お前のその思いつきで、研究員も俺も、今はほとんど寝ずに、水のサクリアの移行の不具合について、原因を追及している!・・・だから、お前はお前のできる事をしろ。あの坊やにも、あの坊やにできる事をやってもらう。」
途中、激高して早口になりながらも、最後は、言い聞かせるように、ゆっくりと言ってやる。奴は、一瞬、自嘲するような、小馬鹿にするようないつもの表情を浮かべつつ、ふっ、と小さく笑ったが、
「貴方もその原因の発端ではないのですか。・・・まあ、いいでしょう。下らぬ言い合いをしても仕方がありません。」
視線を逸らしたままに、静かに締めた。
リュウの事を言っている事は察する事ができたが、俺もそれ以上言い合いをする事にメリットを見出せず、すっかり嫌になって飲み込んだ。
「それで?話は終わりですか?」
俺も視線を逸らし、ああ、終わりだ・・・と言いかけて、すいと近づいてきた男に、音もなく唇を寄せられ、固まる。さらり、と錦紗の髪がまた風に嬲られる。
ー・・・何が一体、スイッチだ。
いつものように、俺は混乱をきたす。腕を掴まれ、呆けているうちに、ベッドに追いやられ、ばすっ、と半ば突き飛ばされるようにして、俺は、背中からベッドに倒れた。漫然と、男を見上げる。俺を見下ろすのは、この上ない無表情。不意に、無表情が、首を僅かに傾げる。
「色気のないことですね?」
ーどっちがだ!!
憮然と返すのは、あくまで胸中であって、すぐに口からは出てこない。代わりに、伝え損ねた内容を、口の端に上らせようとして、失敗した。
「ブリー・・・フィング・・・はっぁ・・・」
睨むように見上げれば、奴の両腕が、俺の顔のすぐ脇にあって、いつもの妙な威圧感と閉塞感が沸き上り、息が詰まる。見下ろしている無表情と、奈落の底のような蒼が、あるいはいけないのか。此奴との行為に、反射的に、下半身に血が集まっていくようになってしまった自分の身体が、恨めしい。苛立と同時に、羞恥や官能が押し寄せてきて、俺はまた混乱する。
「黙って。」
どうせ黙らざるを得ないのだ。観念して、口腔を探る舌に応える。
やっと目が笑った気がして、
ーくそったれ。
俺は胸中で男を罵った。

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カパラ、カパラ・・・

と、優雅な白馬の足取りは、男の後ろに整然と並んでいる軍隊の醸し出す物騒な雰囲気とはまるでかけ離れている。
龍を想起させるデザインの白銀の具足。白馬の着けている装備は全て青と白で統一されており、男のマントも真っ青で、それが渇いた砂の交じった風にはためいている。ここが戦場でなかったら、きっとこの男は、眠り姫を迎えにくる白馬の騎士以外のなにものでもあるまい。周囲の広大な草原と点在している林も、あるいは、戦場よりもよほどそういったシチュエーションの方が似合うに違いない。
男は、一メートルほど、俺の馬から距離を残して、馬の足を止める。

ガチャン、

と、マスクが上げられ、思いがけず、美しく、見慣れた顔が露見する。青銀の髪が顔の脇に少々覗いている。その藍色の瞳は、間違いなく・・・

「リュミエール・・・。」

俺は知らず、呟いていた。
その呟きが、果たしてこの距離で、この風で届いたかどうか。男は、作り物ののように、綺麗に微笑してみせた。
「私と貴方が、このような形で戦うなど。思ってもみなかったことですね。」
およそ、場違いな笑みを惚けるように見返し、言葉の意味を取るのが遅れる。
「誤って、私を殺したりなど、しないで下さいね。まあ、私はこういったことに不慣れなので・・・、流れ矢に当たって呆気なく、というようなこともあるやもしれませんが。」
まっすぐにこちらを見据えていた視線を少し落とし、らしくもなく、最後は、はにかむように笑った。
流れ矢?戦う?殺す?一体なんのことだ、お前・・・と胸中で疑問が渦巻くのとは反対に、俺は自分の声が答えるのを、他人事のように聞いていた。
「せいぜい、生き残れるよう努力しろ。生憎、俺の方はこういったことに慣れていてな。状況はお前に有利だろうが、俺は生き残る事にかけては自信がある。」
ニヤリと、自分の片方の口の端が、勝手に上がる。今度は向こうが、一瞬、呆けたような顔になり、フッ、とまた少し視線を下げて、眉を寄せ、まるで少年のような笑顔を見せる。
「貴方は、やはり、こういった場の方が、ずっと活き活きとしますね。書類と格闘しているいつもの姿が、本来の貴方でないと実感します。」
ふと視線が下がり、自分がとてつもなく、毛並みの良い黒馬に乗っている事に気づいた。赤い衣装で丁寧に装飾されている。俺の意志とは無関係に、視線がまた男に戻る。
「さぁ、せいぜい、頑張って生き残ることにしましょう。私は、力押せで前進するようにと宰相閣下から指示を受けています。可能であるなら、私が折りをみて、撤退する隙くらいは作って下さいね。」
まるで吸い込まれるような、濃い、藍(アオ)の瞳。
じっと見返していると、男は、「さて。」と軽い調子で言って、馬首を翻す。
「それでは、宜しくお願いします。黒騎士団団長殿。」
男は、軽く、右手を上げ、ゆっくりと進み、途中から駆けた。俺は、自軍に駆け始める白馬を見届けてから、馬首を巡らせる。そこには、黒い甲冑の騎士、赤い旗が整然と並んでいた。先ほどの向かいに並んでいたリュミエールのものであろう部隊に比べるとざっと見ただけでも4分の1に満たない。
馬の足が速まっていく。
リズムを刻む馬と同化していく自分を感じる。隊に合流するなり、俺は再び馬首を巡らせ、剣を抜き、切っ先で天を指す。眼前に広がるリュミエールの部隊であろうそれに向かって振り下ろす。
「突撃!」
腹の底から怒鳴っていた。
隣に居た騎士が呼応するように「突撃ーーーー!」と叫び終わらぬうちに、背から鬨の声が上がり、一斉に馬が駆け出す。

アァアアァアアアァアアアァアア・・・・

重なり合う人間の声は、戦場(いくさば)のそれと分かっていても、どこか歌声のようにも聞こえる。

奇妙な高揚感に鼓動が高鳴る。睨んでいるのは、正面ではためいている青い旗・・・そして、その先頭にいるであろう、リュミエール。何故だ、俺は何故こんなことをしている・・・と疑問が脳裏を掠め、やがて、消えて行く。

『力押せで前進するようにと・・・』

不意に、男の涼やかな声が耳に再び届く。
ーお前に力押せだと?お前にはもっと、狡猾な策が似合うだろうに・・・
迫り来る軍馬の群れに、姿勢を低くして突っ込みながら、胸中で笑った。

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手慰みにリラをつま弾き始めてから程なくして、男は唐突に目を覚ました。
「ッッ!!」
ベッドの上の男は、いつもの寝起きの悪さが嘘のように、がばりと身体を一気に起こす。悪夢を見ていたのか、目元を一度、その大きな手で隠し、フゥと溜め息を吐く。が、その後は、いつものオスカーだった。
「・・・まさか、寝ちまうとは。大失敗だな。今何時だ?」
無言で肩を竦める私に、男はごそごそと裸のままに、脱ぎ捨てた服を探る。やがて懐中時計を探し当てると、手慣れた所作でそれを開き、「うぉ!」とまた小さく喚く。
私に構わず、バタバタと服を身につけ、洗面所で身なりを確認するなり、部屋を出ようとするオスカーに、なんとなしにムッとして。オスカーの片手を乱暴に引き寄せ、「忘れ物です」と告げつつ、そのまま勢いを殺さずに連続した動作で唇を奪う。この身長差が曲者で、いつも調整するのに苦労する。
驚いたように目を見開いていた彼はやがて観念したように力を抜き、目を瞑る。その様子に知らず、目を細めてしまう自分が居る。
「はっ・・・ンッ!!」
歯列をなぞり、上あごを擽っても、相手が反応を返してくるのにすっかり良い気になり、深く深く咥内を堪能しようとすると、ぐっ、と胸元を押し返され、唇が糸を引き、名残惜しげに離れてしまう。
男は、数センチ高い位置から、どこか明後日に視線を逃がしつつ、
「そこまで『忘れて』ない。」
と、小さくごち、既に赤い顔を更に赤らめる。両手は体の脇で、ぐっと硬く拳を作っている。
―『そこまで』?
呆気に取られて私が思わず固まっているのを見て、
「五月蝿い!!お前のはな、なんつーか、その先とセットになってるやり方なんだよ!加減を覚えろ!!いい加減っ!!」
五月蝿いのは貴方ですよ、といつもなら返している所で、私の手は振り払われ、彼は勢いよく部屋を飛び出していった。
「か、加減・・・。」
まだ事態を測りかねて、どこかぼんやりとしたまま扉を見つめつつ、自分の口元に指先を持っていく。そのうち、ふっ・・・フフ、と勝手に唇から笑いが漏れ、そこからはあまりの愉快さに声を失ってしまう。クックックッ・・・と、やっと笑いが収まってきても、喉が笑うのをやめないのに、またひとりでにおかしさがこみ上げてくる。


あぁ、もう随分遠くへ来た。
ベッドに腰掛け、後ろにゆっくりと脱力すれば、長い髪が気ままにシーツに舞う。
こんなに満ち足りた囚人があっていいはずがない、と私は思う。
だから恐らくこれは束の間の夢。

それでも・・・
束の間の夢を見ることが叶うなどと、思ってはいなかった。

あぁ、本当に分からないものだな・・・

私はもう一度、唇を指先で触り、何かをかみ締める。
唇はまだ、じんわりと熱を持っているようで、私はまた、人知れず笑んだ。


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