3章:深淵の絶望
「彼らは、時空のポケットとでもいうべきスポットに、落ちてしまった。そして、私の手を離れました。」
彼は、私の前に膝まづき、ウェーブのかかった頭を垂れたまま、微動だにしない。
「貴方には、彼らを聖地に連れ戻す任を与えます。」
私は、ふと、いつものおどけたような彼の笑顔が見たいと思う。けれど、この状況下で、「ねえ、笑って?」なんて、言えるはずもない。
「必ず、連れて帰って。」
私は、語気を強めて、きっぱりと言った。
彼は頭を下げたままに、
「必ず。」
と、らしくもなく、かしこまった声音で応える。
ロザリアが、
「お願いしますね。」
と、念を押すと、彼はやっと顔を上げて、にっこりと笑って見せた。
まるで、あの二人に限って、何もないから、心配するなと言われたような気がして。
私も、内心の動揺を抑えて、
「私も全力を尽くすから。安心して、いってらっしゃい。」
と、笑顔を彼に返す。
彼が礼を取って退室する。それを見送ってから、ロザリアは、
「大丈夫。大丈夫。ある程度予測していたことでしょう?」
と、私の頭をあやすように撫でた。泣き出して甘えたくなるのを堪えていると、大丈夫、大丈夫よ、と、今度は抱き寄せられて、背を優しく、ポンポンと叩かれる。
大丈夫。わかってる。
大丈夫。
予想していた。そう、確かに予想していた。
彼を派遣したのは、あくまでも保険だ。ポケットの座標は完全に把握している。ポケットから離脱する条件だって、既に分かっている。オスカーとリュミエールは、そんな条件など知らなくても、確実にその条件を揃えて、帰ってくる。
彼らは問題を解決し、そして、必ず私の前に戻ってくる。
根拠などなくても、私は確信している。
だから、大丈夫。
けれど、どうして。
どうして、女王のサクリアなどと呼ばれる、万能に近い力を与えられているはずなのに。
どうして、全力を尽くしても、私の腕の中で、もっと楽に息をさせてあげられないのだろう。
「また、欲張ったことを考えているんでしょう。」
ロザリアの暖かな視線を感じて、肩に埋めていた顔をあげる。
「ほら、ご覧なさい。図星でしょ?」
チョン、と鼻先に人差し指が優しく当てられる。
「・・・ロザリアは、ずるい。」
再び、顔を伏せて呟いてから。
ああ。ロザリアが補佐官を受けてくれてよかった、と。いつものように、胸の中で反芻した。
時空のポケットに落ちた、二つの惑星。必要なのは、『鍵』と記される、何か。いつも確かなことは何もない。何もないけれど・・・なんとかできる。なんとか、してみせる。そのために、私達は、存在しているのだから・・・。
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『僕は、一体、どうやってオスカー団長の期待に答えたら良いのか、分からない。何故、此処に居るのかも、分からない。僕が分かるのは、僕が酷く、場違いだということ、それだけだ。』
見たことのない文字。けれども、内容は頭に入る。
僕は何度読み返したか分からない王子の手記の、その部分をもう一度、読み返した。
『何故、此処にいるのかも、分からない。』
聖地に居た時の、僕の気持ちが、そこに書いてあるかのような、不思議な手記。内容の理解出来ない会議。覚えられない宮廷作法。上達しない剣技。それらに対する、不思議な距離感。
でも、今の僕は知っている。
理解出来ないんじゃない。
覚えられないんじゃない。
上達しないんじゃない。
何故、理解しなければならないのか、覚えなければならないのか、上達しなければならないのかが、分からなかったんだ。
王子も、聖地に居た頃の僕も。
『オスカー』が、自分に期待を寄せてくれているのは分かっても。自分に何故、そんな期待をするのかが、分からない。彼が、僕に「できる」ということを、僕が「できる」ようになれる日が想像出来ない。
ただ・・・「何故、僕は此処に居るのだろう。」「何故、僕なんかに、この人は期待するのだろう。」という、疑問だけが、ふわふわと、いつまでも消えない。
『僕が酷く、場違いだということ、それだけだ。』
「君も・・・そうだったの?」
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・・・見られている。
「なにか?」
動きをとめた俺を不審に思ってかのアレンの問いに、「いや」と答える。気になる視線ではあるが、嫌な感じではない。
「王子、そろそろ城に戻りませんと・・・。」
店主にあれこれと質問を投げかけるソルを、そわそわとはしながらも、それまで邪魔はせずにいた侍従頭が、痺れを切らしたように小声で切り出した。確かに、予定の時間は既に使い切っている。城に戻る時間を考えれば遅刻だ。侍従頭の声に右手を上げて反応しながらも、店主との会話を切りが良くなるまで続け、
「お話、よく、理解、できました。」
ソルは言って、「ありがとう。」と、席を立った。視察に行く前に多少、俺相手に練習したことを割り引いて見ても、及第点の振る舞いだ。店主は事前に王子のお忍びの視察を知らせてあった人物で、その人選は侍従頭と俺で行った。
店主が、ほぅ、とため息をついて、ソルの後ろ姿を見送るのを、視線の端に収め、俺はソルの後に続いた。
・・・悪くないな。
素直な感想が胸中で漏れた。
車中に戻り、馬車が走り出して程なく、早速侍従頭が切り出す。
「この後は、政治学の講義です。アズレイ先生が既にお待ちかねでしょうな。」
「講義の後は、確か、今日は、特に、予定は、入っていなかったはず、・・・ですね?」
ソルの言葉に、おや、と俺は内心で反応する。
「オスカーは、今日の夜は、時間がありますか?」
ソルが言い終わらぬうちに、侍従がわざとらしく、ため息をつく。
「はい、今日は団の演習も私の担当ではないので。」
「では、私の部屋に、来てください。今日の、視察について、少し意見を、交換したいと思います。」
「光栄です。何時頃伺いましょうか。」
「講義の後であれば、いつでも、結構です。」
やれやれ、と侍従は諦めたように首を振って、しかし諦めたのか、何も言わずに押し黙った。俺は、お前も苦労するな、といつだったかのジュリアス様の台詞を侍従に内心で投げかけてから、
「はっ。それでは、講義後すぐに。」
と応えた。
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王子の(座学講義に使われる)学習室に、ソルは俺を呼びだした。
部屋の前に立つ部下は俺に視線を流すと、俺に向かって略礼し、「オスカー団長がいらっしゃいました。」とドアに向かって声をかける。中からの返事を待って、入室する。
部屋に入ると、何やら書き物をしていたらしいソルが、机に座ったまま、視線を上げた。ソルは、この短期間で、すっかり板についてしまったように見える、主に部屋着として使用している豪奢な濃紺の提灯パンツ姿だった。早くもその姿はこの少年に馴染み始めている。ペンを走らせていた手を止め、椅子から立ち上がって、俺を迎える。
「オスカー様。」
俺は、手を大きく振って言う。
「二人きりの時もオスカーでいい。お前も混乱するだろう。とっさの時に出てはまずい。」
「は、はい・・・。」
すぐに返事をするも、やはり二人きりの時は呼びにくいのか、暫く間をおいてから、意を決したように、ソルは俺を呼んだ。
「では、オスカー。」
「なんだ。」
「市中の、視察の、ことです。僕は、オスカー様に、教えていただいたこと、出来て、いたでしょうか。」
少し視線を落として、ソルは聞いた。「様」が再度ついているのも気になったが、それをやり過ごして、
「俺の感触を言うと、文句はない。お前はよくやっている。店主も、お前・・・王子に対して尊敬の念を感じたようだったし・・・。あるいは、お前のその、ゆっくりと区切る話し方が良いのかもしれん・・・」
言い終わらぬうちに、ソルが、ゆっくりと微笑した。俺が呆気に取られ、続ける言葉を見失っていると、
「オスカー様に、褒められると、嬉しい、です。」
ソルは俯き、小さな、蚊の鳴くような声で言った。そりゃ良かったな、と俺は見当違いな返答をしようとして思い止どまり、奇妙な形に開きかかった口を無理やり閉じた。
・・・懐かれている・・・?・・・まさかな。
「あの・・・。こういうのは、よくない・・・でしょうか。」
知らぬうちにため息でもついていたのか、俺はソルの意気消沈した声音に、はっと頭を上げる。ソルの頭は俯いていて、自分のつま先辺りを睨んだままだ。
「いや・・・。そんなことはない。お前がそういうことを言うと思わなかったから、驚いている。」
ソルの顔が、ぎこちなく持ち上がり、俺を再び、仰ぎ見る形になる。そこには、相変わらず、何も映ってはいない。・・・だが、それは本当だろうか。本当は・・・
「オスカー様。僕は・・・。」
ソルは、俺を虚ろな瞳で見つめたまま。
「僕は、いつまでここに居られるか、分かりません。」
俺は黙って続きを待つ。
「分かりません、が。・・・僕は王子の、代わりを、頑張って、続けます。」
「ああ。そうだな。」
「例えば。今日の視察で訪れた、織物のお店ですが・・・。今までオスカー様から、そして他の講義から、学んだように・・・。この国の織物は、デザインは良いのですが、技術の力で、他国に、劣ります。この、ネリスも、ギリスのように、工場で、織物を作れるように、できるでしょうか。」
「・・・。」
余程、呆けた面でもしてたのだろうか。
「・・・あ、あの。」
少し眉を寄せ、困ったような顔になるソルに。
「可能でしょう。どれだけ時間がかかるか、分かりませんが。王子がお望みなのであれば。」
駄目だ。笑いが堪え切れず、思わず顔が歪む。
「あ、あの・・・。」
「プッ・・・・、ククッ・・・。フッ・・・。」
堪え切れなかった笑いを、曲げた人差し指でやる気なく隠す。
「あ、あの・・・。」
戸惑いの色をますます濃くするソルに、俺は手を振って応じながら、
「ひとつ、聞いていいか?」
笑いを収めて問う。
「聖地と今で、お前は随分違うように思う。しかし、何が原因だ?自分で説明できるか?」
口元がまだ笑ったままだが、まあ仕方あるまい。ソルは、寄せた眉を少しほどいて、緩く俯いた。
「・・・多分。王子の手記です。」
「手記?」
ええ、と応えて、ソルは頭を上げた。
「王子も、王子の役を、するのが、大変だったんです。僕も、守護聖の役をするのが、大変だった。なんで大変だと思うのか、その時は、分かりませんでした。」
言葉を切って、不安そうにこちらを見やるので、俺は頷いて先を促した。
「でも、王子の手記をみて、王子の振りをしている内に、少し分かりました。・・・僕は、『何故、聖地に自分が居るのか』が、分かって、いなかったんです。」
「ほぅ。」
『守護聖に選ばれたから』では、いかんのか・・・と、思いながらも、俺は再度先を促した。
「『聖地に、自分がいるのは、何故か』答えは、簡単、でした。僕が、今回、王子と入れ替わったのと、同じです。・・・それは、事故だった。事故ですから、意味など、ないんです。」
俺は、ソルの懸命な様子に、『なんだそりゃ』という突っ込みを必死で堪える。
「でも、僕は、今、王子の役割を、果たせるように、努力してます。今日一日。明日も事故の状態が続けば、明日も一日。いつまで、続くか、分かりませんが、その役割が、終わるまで。先のことは、分からなくても、一日、一日で、役割をしなきゃ、いけない。それが、今日や、明日の、僕の命や、オスカー様の命を、守ることだから。」
「・・・。」
いつのまにか、ソルの視線は、俺などそこに居ないかのように、俺を通り越して、どこか遠くを見ていたが、俺の沈黙に、ふと気づいたかのように、
「あ。ご、ごめん、なさい。あの・・・。」
また眉を寄せて、俺の瞳に視線を合わせる。
「いや・・・。なんとなくだが、おそらくお前の言いたいことは伝わった。」
この極端な環境は、ソルに非常に効果的に作用した。それは、今の経過を見る限り明らかだ。
しかし・・・。
「しかし・・・、ふむ、そうか。お前は俺を守ってくれている訳だ。」
俺の顔が、相当に意地の悪い笑みでも形作っているのか、ソルは一瞬怯んだような表情を見せ、それから、視線を逸らして、なんと、少しだけ赤くなって、
「そう、です・・・。貴方が、僕を、守ってくださるように。」
と小さな声で言った。
「ありがとう。」
少し屈んで、視線を下げてから、頭をわしゃわしゃと掻き混ぜる。ソルの耳が更に赤くなった。銀色の髪は、さらさらと手触りがいい。ふと、その感触に、ある男を思い出す。
「どうか、しましたか?」
かき乱された頭越しに、ソルの瑠璃色の瞳がこちらを伺うようにみやる。ソルの頭を弄ぶ手が、自然と止まる。
「いや・・・・。」
「リュミエール様の、事ですか?」
知らず、片眉が不機嫌に跳ね上がる。
「何故、そう思う。」
「・・・。」
しばし黙り込んだ後、ソルは下を向いて、呟くようにして言った。
「オスカー様が、リュミエール様のことを、考えている時の、独特の、お顔だったので。」
・・・・・・。
「・・・どんな顔だ。」
「・・・ぅまく、言えません。・・・すみません。」
ソルはますます俯いてしまう。
「怒っている訳じゃない。それに、当たっている。」
俺は、もう一度、ぐしゃぐしゃとそれを掻き混ぜてから、元の姿勢に戻り、
「お前も、リュミエールも、俺が聖地に連れて帰る。だから、お前も、その日まで、引き続き、努力しろ。」
いいな、と念を押すように、ソルの頭を上からポンポンと軽く叩いた。
「はい。」
いつもよりもはっきりとした声音でソルは答えた。ソルの瞳は、いつものように輝きには欠けていたが、俺をしっかりと捉えている。
リュミエールの居場所は知れた。けれど、向こうの行動の自由度はどの程度か分からない。・・・そうである、以上は・・・。
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ここは、どこだったか。
「ああ、ずっと。こうしてみたかったのですよ。団長殿。」
私は、何者だったか。
『リュミエール。一目見たときに、私は理解したのだよ。』
ああ、けれど、確実なことが、一つだけ。
「貴方には、酷くこういった姿が、似合いますね。」
『ク、クク。お前は、こうされるために、生まれてきたのだと。』
いつも、原因は、私にある。
終
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