【待雪草の悪夢を彷徨う】
【第1話:雪原の原風景】
雪原に、草臥れた平屋。その前で、薄汚れた子供がしゃがんで何かしている。
サイズの合っていないブカブカの汚れたシャツ。その上から綿の出たジャンパー。ブカブカのパンツ。裾を捲ってなんとか着こなしている。
太陽は出ているが、チラチラと粉雪が舞う中で、男か女かも分からぬその子供は、目の前の何かに熱中しているようだった。
俺は、ブーツを踏みしめて、その子供に近づく。
影が差して、子供が顔を上げる。フワフワとした巻き毛は恐らく金髪なのだろうが、これもまた汚れてくすんでいる。瞳の色はダークブルー。垂れた左目の瞳の下に、印象的な泣き黒子。長い睫毛で、顔立ちはまあ綺麗な方だ。年頃は、12、3といったところ。・・・だが、何処かで会ったような気もする。
子供は、子供とは思えぬ、妖艶な笑い方で、俺を見上げた。
「なぁに、オジサン?ウリはやらないよ。」
男だな、と直感した。
「ガキが。それより、何をしている。手が焼けるぞ。」
俺は鼻で笑って、隣にしゃがみ込んだ。「ほう?」と思わず声が出る。雪の中で珍しく、美しい白い花が咲いていた。雪に埋もれぬ様、子供はその周りの雪を掻いて、雪囲いを作っているらしい。雪を掻く手は、手袋をしておらず、既に紅く腫れている。
「アンタ、暇なの?」
暇・・・?そういえば、俺はなんでこんなところに・・・?思いかかったところで、子供が思考を遮るように続ける。
「なら、柵を作るから、何か使えるもの、取って来てよ。」
何で俺が、と思いつつも、頭を垂れるようにして、雪の中で健気に咲く花を見やり、
「分かった。」
と答え、立ち上がる。
「へぇ。いい奴じゃん。」
感心したように、子供が笑う。その顔は、さっきの妖艶さとは似ても似つかない、子供らしいものだった。少し空いた口から、生え変わりの時期なのだろう、欠けている前歯が見える。「フン。」と俺は、返事にもならぬ返事をしながら、そこを離れる。雪原の向こうに見えていた森には、ものの数分でたどり着いた。使えそうな細さの枯れ木と、蔦をいくつか森から拝借して、俺は子供の下に戻る。
俺の持ってきたものを見て、フンフン、と手に取ると、
「いいね。」
と、またニヤリと笑う。生意気なガキだ、と俺は思ったが、二人でそこにしゃがみ込み、やっと顔を見せた土に枯れ木を何本か突き刺し、倒れぬよう、それぞれ蔦で縛る。程なく、その白い花を囲う、即席にしてはなかなかの雪囲いが出来上がった。
「フフフッ!出来た!!」
子供は自分の膝に頬杖を付くようにして、愛しげにその様を見やる。
「何故・・・・。」
俺は、口をついて出た疑問を、そのまま言う。
「何故、この花を護るんだ?」
我ながら、変な言い方だな、とは思いながら。子供は、大きな瞳をこちらに向けて、
「フキツなんだってさ。」
と笑った。その笑い方は、まるで何かに同情するようなソレ。垂れた瞳に、その表情は似合っていたが、子供らしくはない。表情が豊かなガキだなと思いながら、俺は、
「不吉?」
と聞き返す。
「うん。家の中に入れると、『死を運ぶ』って。でも、こんなに綺麗なのに。」
子供は、また花に視線を戻す。綺麗な花だったが、そう言われると、首を深く垂れた釣り鐘型の花は、確かに不吉なもののようにも見える。
「オジサンは、どっから来たの?」
暫く二人で雪の中、白い花を眺めていたが、ブルリと不意に子供は身震いして、立ち上がって俺を見下ろし、尋ねる。
・・・どこから?
俺は、どこから来たのだろう。そもそも、此処はどこなのだろう?
「・・・分からない。」
子供は吹き出した。
「オジサン、迷子なの?」
迷子?
「・・・子供じゃない。」
ふて腐れたように言って、俺も立ち上がる。
「じゃあ、迷い人だ。」
知ったようなことを言う子供が、なんとなく小憎らしいと思ったが、「でしょ?」と紅い人差し指で指し示されて、言葉に詰まる。
「・・・かもな。」
俺はその指先を、両手で包んで、さすってやった。
「痛いよ。」
子供は不満そうに言うが、その顔が嫌がっているような感じもしなかったので、ぎゅ、と握る。俺の手も冷えていたが、だんだんと、互いの手が温まってくる。俺が手を離そうとすると、子供は、右手でギュと俺の左手の指を掴んだ。
「ねぇ、行くトコないの?だったら、ウチに来る?」
・・・行くところは、あった気がする。動こうとしない俺に、
「来れないんだ。」
子供が瞳を伏せる。俺は、なんとなく、すまない気持ちになる。
「でも、分かるよ。オジサンは、この花と同じ。ここにあっちゃいけないもの。」
呟かれた台詞は、やけに意味深だ。繋がれた手は、暖かい。なのに、俺は此処に居てはいけないのか。
子供が、泣くのではないか、となんとなく思って、俺は目の高さを合わせて、汚れた金髪をワシャワシャとかき混ぜる。
「また来る。泣くな。」
子供は、キッと視線を上げ、
「泣くもんか!バァカ!!」
と舌を出して、突然、家に向かって駆け出す。確かに、泣いてはいなかったな、と俺は笑って、それを見送る。子供は戸口の前で一度だけ俺をチラリと振り返ってから、「約束!!」と、喧嘩を売るような声で、謎の台詞を残し、すぐに扉の中へと姿を消した。
・・・約束?ああ、『また来る』のことか?俺はもう一度、喉で笑う。どうやって来たかも分からないのに、我ながら下手な約束をしたものだ。くるりと後ろを振り返ると、右に森、左はずっと開けた雪原。そしてその向こうに、この雪原を囲うようにして、それほど高くはなさそうな、山々。
来た事が無い場所だ。・・・けれど、あの子供には、何処かで・・・。
考えているうちに、視界が白く焼けて、やがて何も見えなくなった。
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【第2話:忘れられた花】
「オスカー。」
・・・・。
「オスカーってば!」
・・・・。
「ちょっと!起きなよ!!」
布団を引き剥がされる感覚に、突然、現実に引き戻されて、身体を起こす。窓の外は雪。そう・・・雪の夢を見ていた気がする・・・。
「もしもしー?ちょっと、まだ寝てるんじゃないだろうね!?」
俺を覗き込む、垂れたダークブルーの瞳。朝から全く、元気な奴だ。
「起きてる。」
寝起きの枯れた声でなんとか返事をするが、
「ハッ!どうだか!!」
と、男はベッドの側で仁王立ち、両腕を組んで器用に肩を竦める。
「で?いつまで裸でいるつもり?食いっぱぐれるよ!!後は知らないからね!!」
一方的に男は言って、踵を返して部屋を出る。奴と同室はこりごりだな、と俺は首を振ってから、頭を切り替えて、服を身に付ける。部屋を出て、食堂に出ると、アリオス以外はほぼ全員既に揃っていた。
「遅いぞ。オスカー。」
「ハッ。申し訳ありません。」
ジュリアス様の台詞に、しまったなと思いながら、腰を折って礼を取ってから着席する。向かいに座っているオリヴィエが、『ざまぁ』と言いたげに小さく舌を出した。
「アリオスは?」
と、行動をいつも共にしている様子のアンジェリークに尋ねるが、同室だったらしい、先日仲間に加わったばかりのチャーリーが先に応える。
「いやー。起きたら既に、もぬけの殻でして。」
「勝手な奴だな。全く。」
俺はトーストにバターを塗りながら呟く。マルセルが、
「オスカー様だって、夜に抜け出していることあるじゃないですかー。」
と、トーストを頬張りながら言うのに、
「正論ー!!」
と、自分も言えた義理ではない筈のオリヴィエがすかさず重ねて入って来て、「お前が言うな!」と、ギロリと睨む。
「静かにせよ。食事中だ。」
宿屋は大所帯なせいで、貸切状態となっているが、ジュリアス様が呆れたように溜め息する。ジュリアス様が、今日の予定をそれぞれ言い渡し、朝食が終わる。
俺と同様に買い出しを命じられたオリヴィエが、俺の側にやってきて、
「この雪の中、買い出しと情報収集だって、嫌になっちゃうね。」
と、溜め息する。
「お前、雪は得意じゃなかったか?」
俺は笑って、残っていたコーヒーを飲み切って、席を立つ。
「・・・・・。」
軽口が返ってこないのを、不思議に思って、振り返ると、オリヴィエが俺をまっすぐに見つめて、立ち尽くしていた。
「なんで、知ってンの?」
「・・・・?」
・・・なんで?・・・と、言われても。暫し、変な間を囲んで、見つめ合っていたが、やがて、オリヴィエは、フッと口先で笑って、
「ま、いいや。いこっか☆」
と、俺の肩を叩いて先を促す。そういえば、コイツは前の仕事の話なんかはするが、故郷の話ははぐらかしてばかりで、ついぞ聞いた事がないような気もする。だが、確か、雪深い国の出身だった筈だと俺は思った。何か、記録ででも見たのだろうか。
案の定、雪が薄く積もる街を、ヒールで危なげなく進むオリヴィエに、『やっぱり得意なんじゃないか』と俺は思いながら、後をついて歩く。フンフンと鼻歌を歌いながら、細雪の街を薄着で歩く男に、
「お前も少しはもっちゃどうだ!」
と後ろから悪態を付く。振り返って歯を見せて笑う男は、
「そういうのは、体力自慢に任せる主義ー!」
等と言う。
「おい。まさかこのまま情報収集に付き合わせる気じゃあるまいな。宿に一度戻るぞ!」
俺は腹立ち紛れにドスドスと足音を荒くして、オリヴィエを追い越す。
「まだまだ余裕ある癖に。仕方ない奴だねぇ。」
どの口が言う!と思いながら、宿に戻って荷物を預ける。重さもそれなりにあるが、それより何より、嵩張るのだ。丁度、昼飯時となっていたので、
「酒場で昼食を取りながら、情報収集するか。」
と提案し、
「はいよ。」
と返事を聞いて、また連れ立って出発する。昼飯を取りながら、周囲の話に聞き耳を立てていたが、不意に、ジーッと俺の手元を見つめるオリヴィエの視線に気づく。
「なんだ?」
視線を上げて、目を合わせる。オリヴィエは、困ったように笑った。
「・・・いや。」
何かを濁すような言い方に、俺は片眉を持ち上げる。
「・・・・?」
「うーん。ま、いいんだけど。アタシさ。アンタに、自分の出身地のこと、話してないよ。」
ああ、朝の事か、と俺は思い至る。
「そんな気もするな。・・・記録で見たのかも知れん。」
俺は、あまり美味いとは言えないナポリタンを、言ってからまた口に含む。
「アンタ、人の過去を記録で調べる悪癖が在る訳ぇ?!」
デカイ声に、俺は、
「静かにしろ。ただでさえ悪目立ちしてんだ、お前は。」
と、フォークの先を向け、睨んで言う。両手を小さく降参の形に上げて、
「怖い怖い。っていうか、アンタだって充分目立ってると思うけど。」
唇の先を尖らせる。それで俺はモグモグと口の中の物を再び片付けてから、
「そんな趣味はないがな。」
と紙ナプキンで口を拭いて続ける。
「じゃあ、なんで、知ってンの?」
まるで、出来の悪い生徒に、分かり切った答えを問う教師のような顔で、オリヴィエは瞳を合わせたまま、首を傾げた。
「知らん。それで?結局お前、雪とは縁深いんだろ?」
俺はコーヒーをウェイターに頼んでから、問い返す。男は曖昧に笑んだ。
「かもねぇ。・・・もう、忘れた。」
伏せられた瞳。
「お前こそ、何故、そう頑なに、過去を隠すんだ。」
立ち入ってほしくない事情に立ち入るのは、主義に反するが、コイツ相手ならば構うまい、と俺は単刀直入に聞いた。男は、カップの中身を弄ぶように、スプーンでかき混ぜてから、
「忘れたって言ってるのさ。」
少し怒気の混じった堅い声で応えて、俺の瞳をまっすぐに見つめると、
「じゃあ、アンタは、覚えてるの?」
と、謎の質問を寄越した。俺は、コイツ、泣くのじゃないか、と思った。それほど、ダークブルーの色合いは、切羽詰まっていた。
「覚えてるに決まってる。家族の事も、故郷の事も。お前にも話した事あるだろう?」
しかし、質問の内容は意味が分からないので、自然と俺は顔面にハテナマークを飛ばしながら応える羽目になる。男は、ハァッと大きな遣る瀬ない溜め息をついて、片肘をテーブルについて、グシャ、と色づいた前髪を潰した。
「・・・そーゆー意味じゃない・・・。」
明後日を向かれて呟いた言葉は、喧噪に紛れがちだったが、それでも聞こえてはいた。
「どーゆー意味だ?」
俺は奇妙に男臭い、珍しい夢の守護聖の顔つきを眺めながら問う。
「いい。」
何かを断るように、男は瞳を合わせないまま言って、その後は不機嫌そうに黙り込んでしまった。
情報収集もそれなりに済んで、宿に戻る途中。道ばたに、白い花を見つける。何処かで見たな、と思って、思わず足を止めると、後ろを無言で歩いていたらしいオリヴィエが背中に激突してきた。
「わっぶ!!」
「おっと、すまん。」
俺はつい癖で、オリヴィエを抱きとめてしまう。なんで男なんぞ、と自分で抱いておきながら、思いつつ、解放してやると、オリヴィエはまた困ったように俺を見上げていた。・・・なんなんだ、一体。
「突然立ち止まんないでよ。一体、何?」
気分を切り替えるように、荒っぽく髪を掻きあげるオリヴィエに、俺は、それはコッチの台詞だ、と思いながら、顎先で、その花を指し示す。
「アンタが花ぁ?」
と、吹き出して笑うオリヴィエを、溜め息一つで無視して、俺はそれをしゃがみ込んでじっくりと見やる。首を深く垂れて咲く、白い花。
・・・やはり、何処かで見た。
ケラケラと笑っているオリヴィエは、花をもう一度見やると、不自然に急に黙る。不審に思って見上げると、
「その花・・・。」
と、言いながら、隣にしゃがみ込んで来た。
「『死を運ぶ』・・・。」
急に思いついて、俺はソレを口にする。しかし、何処で見たのか、やはり思い出せない。「死を運ぶ」?やけに不吉な花だ。
「なんで、知ってンの?」
オリヴィエは、また同じ質問を口にした。けれども、その質問は俺に向けられずに、花に向かってボソリと投げかけられていた。返事など、期待しないと言うように。俺は、段々腹が立って来た。
「お前だって、あるだろうが。何処かで見たってことはあるが、思い出せないことくらい。」
人をボケ老人みたいに、と俺は憤慨してオリヴィエの横顔を見つめる。オリヴィエは、綺麗にグラデーションの掛かった瞼を晒したまま。こちらを一瞥もせず、花に向かって、顔を歪め、言った。
「・・・そうだね。」
俺は、その細顎を掴んで無理矢理こっちを向かせる。見た事も無いくらい、哀しみを称えたダークブルーに、一瞬怯んで、『何故俺が怯まなきゃならんのだ!』と余計に苛立つ。
「目を見て話せ。」
俺は噛み付くように顔を近付けて言った。瞳が合ったのは一瞬で、オリヴィエは両目を瞑ってしまう。それから、
「ごめん。」
等と言う。何でそこで謝る・・・。ますます意味が分からない。それで、俺は、チッと舌打ちして、奴の顎を解放し、再び花を見やる。雪の中でけなげに咲く花を見ていて、唐突に思いつく。
「何か、お前。俺に隠しているのか?」
いや、隠していると言えば、故郷の事か・・・?いや、しかしそれ以外にも、何か・・・。・・・何か。俺はやや混乱しながら、その花に手を伸ばす。すると、オリヴィエの細い指先が、俺の手を止めた。
「やめときなよ。」
今度は、俺の目を見て言う。俺は、その垂れ目を見つめ返して問う。
「何故だ?」
「アンタが言ったんだよ。その花は『死を運ぶ』。不吉な花なんだ。・・・だからさ。」
最後は、いつもの調子を取り戻して、男はニパッと軽く笑って、肩を竦めた。俺は、伸ばしかけた手を引っ込める。なんとなく、釈然としない。けれども、何かオリヴィエから奇妙な必死さを感じて、俺はそれに従い、気まずいままに、宿への道を辿った。
夕食に入る前に、ジュリアス様から提案があった。
「今日は再び、ここで宿を取るのがいいだろう。部屋割りはそのまま、良いか?」
同じ宿でいちいち部屋割りを変更するのも面倒で、だいたい同じ宿に連泊するときは部屋が固定になっていた。ジュリアス様の合理的な判断には、特に異論はなかったが、なんとなく、またオリヴィエとか・・・、と小さく溜め息を吐く。向こうもきっと同じ思いだろう。何も今日でなくていい、そういう気分だった。
特にアイコンタクトも何もなく、食事を終えて部屋に移動するが、何故かこんなときはタイミングが被る。普段は軽口の耐えない俺とオリヴィエが、口を利かずに連れ立って歩く事を不審に思ってか、ゼフェルやランディが『面倒事に巻き込まれたくない』と顔に書いて通り過ぎて行く。
「先に入るぞ。」
特に目的語も主語も無く、俺は装備を解いて、シャワーを先に浴びる旨を告げる。返事はなかったが、了承の意味を読み取って、先に普段より熱くしたシャワーを浴びた。熱いシャワーで身体をサッパリさせているうちに、なんとなく、詰まらない事で腹を立てている自分を反省するような気分になってきてしまう。
シャワーを出て、バスローブを巻き付けながら、部屋に戻って、
「終わったぞ。」
と、声を掛けると、ベッドに腰掛けていたオリヴィエが、顎を上げて、「ん。」と気のない返事を寄越す。すれ違い様に、肩を掴んで、向き合ってから、
「お前がそんなだと、調子が狂う。俺も・・・、その。・・・。」
言葉を探すが、結局、行き着く先は一つだ。やはり、これしかないだろう。
「・・・悪かった。」
俺なりに、誠意を尽くして言ったつもりだったが、俺をやる気無く見つめ返していたオリヴィエは、一度目を見開くと、俺の胸元を、乱暴に掴む。突然の動きに、奴の両肩を掴んでいた俺の手が外れ、俺は一歩後ろに下がる。
「『悪かった』・・・?」
オリヴィエは、唇の端を捲り上げるようにして、悪辣な顔で笑った。
「『悪かった』・・・だって?」
もう一度言ってから、オリヴィエは鼻頭に皺を寄せ、クッと喉を詰まらせて嗤った。
「オスカー。アンタ、何に対して謝ってる訳?アンタは何にも分かっちゃいない!分かっちゃいない癖に!!」
華奢な身体を、引き剥がすのは簡単だ。・・・が、俺は何故か、オリヴィエの泣きそうな顔を、ただ、不思議なものを見る心地で、見つめていた。ドン、と俺の胸ぐらを掴んでいる手とは反対の手が、拳になって、俺の胸を容赦なく叩く。
「・・・・バァカ。」
小さな、泣きそうな、絞り出される声。なんでか、慰めなきゃならない気がして、その背に両手を廻し、さする。
「・・・泣くなよ。オリヴィエ。」
「ハッ!泣くもんか。」
見上げてくる瞳は、けれど、潤んでいる。ドン、と突き飛ばされて、俺は背後にあったベッドに背を預ける羽目になった。上から俺を見下ろすオリヴィエの瞳から、今にも涙が溢れそうで、手を伸ばして、目尻を拭ってやる。
「泣く、もんか・・・。・・・バァカ。」
とうとう、再び絞り出された声と共に、ボロッと、大粒の涙が俺の頬に落ちてきた。やはり、身に覚えはないのだが、それでも、俺は相当コイツを傷つけているらしい、ということだけは理解する。男を慰める術等知らないが、俺は幼子を宥めるように、オリヴィエを抱きしめて、頭を撫でてやった。
「悪かった。悪かったから・・・。」
『何に対して謝ってる訳!?』『アンタは何にも分かっちゃいない!』確かに、何が悪いのか、全く分からずに謝ってるなと俺は思った。
ずり、と腕の中のオリヴィエが這い上がって来て、真上から再び見下ろされる。
「・・・?」
真剣に見つめる顔に、どうした?と聞こうとして、ゆっくりと瞑られた瞼のメイクに目を取られている内に。暖かな感触を唇に覚える。
「・・・・!!」
呆然として見上げていると、クッと喉を鳴らして、またオリヴィエが偽悪的な顔つきになる。
「ハッ。・・・傑作。」
鼻先に、色づいた長い爪が当てられて、やっと我に返る。思わず、ギュッと眉根が寄る。
「なんだ??今のは?」
「教えてやらない。シャワー浴びてくる。」
不機嫌そうに低められた声。ギシ、とベッドにオリヴィエは一度手をついて身体を持ち上げ、さっさと踵を返してシャワールームに向かう。俺は身体を起こして、呆然と猫の様にしなやかな動きでシャワールームに消える背中を見送る。
ぐしゃり、と風呂上がりのまだ湿り気のある頭髪を潰す。
「全く・・・なんなんだ。一体!」
ふと、白い花を悼むような顔つきで見つめるオリヴィエの横顔を思い出す。あんな顔は、オリヴィエには似合わない。なのに、奇妙な既視感があった。
雪、白い花・・・それから・・・それから・・・。
そう、・・・子供。
ふと、今朝みた夢を思い出していた。雪原と白い花。それから、一人の子供。
『でも、分かるよ。オジサンは、この花と同じ。ここにあっちゃいけないもの。』
あの子供には、どこかで会った事がある。
だが、何処で?
ここまで出かかっているんだが・・・。
俺は、小さく溜め息を吐いた。
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【第3話:酷い悪夢】
それは最早、夢だったと考える方が妥当であろう記憶。
まだ、自分の人生が何一つ自由にならなかった、ガキの頃の記憶。
雪原の中で、アタシは紅い髪の男と出会った。
何を話したのか覚えていない。だけど、毎年咲く、家の前のスノードロップ。それを見つめて、アタシはその男と何か話した。男は雪の中で、シャツの上から風よけのコートのようなものを羽織っていて、だけど、見た事も無いくらいに、その立ち姿は綺麗で洗練されていた。
美しく可憐なスノードロップを、アタシは物心つく頃には、愛していた。だから、その『オジサン』は、氷みたいに薄い色の目が合った一瞬、スノードロップが連れて来たように見えた。
見るべきものなんて、ほとんど何もない、ど田舎。だけど、雪の中のスノードロップ・・・それだけは、本当に綺麗で。
けれども、その不吉な曰く付きの花は、人々には歓迎されていなかった。美しいものは、美しいだけで、それだけでいいのに、時に疎まれる。
幼い頃の原風景は、そんな小さな『美』を護ろうとする自分と、唯一、そのささやかな抵抗を受け入れてくれた、不思議な・・・赤い髪の幻のような男から成っている。
それは、何故か。叶わなかった初恋のような、小さな胸の痛みを伴っている。その痛みは、スノードロップにまつわる逸話を知った時の、胸の痛みに似ている気がした。
『また来る』と約束をした。その事だけは覚えている。けれども、ただの夢でしかないかもしれない、そんな頼りない約束。そんな約束が、護られる筈も無く。既にアタシは10代を終えて、主星に移り住んで仕事をしていた。・・・仮にアレが夢でなかったとしたところで、最早会える筈も無い。
・・・だけど。
人混みの中で移動する度に、時折、その姿を探している自分に気づく。馬鹿げている。こんなところに居る筈も無い。第一・・・アタシが物心つく頃には、既に『オジサン』だった訳だから、もう『ジイサン』になっているかもしれない。そう思って苦笑して・・・だけど、『それでも、会いたい』と思った。
仕事を終えて、ふらりとバーに立ち寄り、馴染みのバーテンに目で注文する。程なくやって来たテキーラサンライズ。それに口を付けようとして、目の端に、赤い髪が過った気がして、また凝りもせずにそちらを見てしまう。
「紅い髪の誰かを探していらっしゃる?」
バーテンがグラスを拭きながら、囁くように話しかけて来て、アタシは苦笑する。ここでも、アタシは紅い髪が目に付く度に、そちらを見やっているということだろう。
「かもね。」
と返しながら、グラスを傾けつつ、そちらを見ていると、その紅い髪の長身の男はバーテンに向かって手を上げた。その横顔に釘付けになる。ガラスみたいな淡い色の瞳。骨張った大きな手。
・・・間違いない。
余程、凝視していたのか、何事かバーテンと軽口を叩いていたらしい男は、ふと視線に気づいたように、こちらを見やる。黒いサテンのシャツを大きく開衿にしている、その男は、僅かに首を傾げた。
『もしかして、覚えてる!?』
・・・と思ってから気づく。おかしい。幼い頃の記憶から、その男は僅かにも年を取っていないように見え、もはやアタシと大して年が違わないように見える。せいぜい、2、3コ上。単純に考えて、同一人物にしては、若すぎた。・・・でも、あまりにも似ている。何も語らず、ジッと見つめるばかりのアタシに、男は苦笑して、バーテンに視線を戻す。
バーテンがアタシの前に戻って来て、手早く注文されたらしいドリンクを作りながら、
「少し、見つめ過ぎでは?」
と向こうには聞こえぬ小さな声で語りかけ、苦笑する。アタシはハッと我に返り、
「いや、ちょっと・・・。知り合いに、似てて。」
と返す。まるで口説き文句だとでも思ったのだろうか、声を発さずに、けれどもバーテンはハッキリと笑い、ドリンクを仕上げて、紅い髪の男の下にそれを届けに行く。アタシは、グイ、と手元のテキーラサンライズを飲みきってから、男に近づき、声を掛けた。
「隣、いい?」
男はかなり吃驚したように、暫し目を見開いてから、
「構わないが。」
と顎を引いて、首を傾げ、可笑しそうに笑った。その様子は、初対面のソレだ。当たり前だ、だって、どう考えても別人。だけど、どう考えても、似過ぎている。アタシは一度、唇を噛んで。それから、気を取り直して、バーで初対面の男達がするような世間話をし始める。酔いに任せた不躾を装い、ややフランクな口調で。
やや一方的に話すアタシに対し、板に付いたニヒルな笑い方、役者ぶった仕草や台詞回しで返す男。鼻につくような、けれども・・・いやだからこそ、心が奇妙にざわつくような。・・・誘われているような・・・?と思ってから、まさか!と自分で混ぜっ返す。
アタシの手を暖めてくれた、ちょっと憮然とした、けれども時折拗ねたような態度を取っていた『オジサン』と、この態度は似ているような、似ていないような・・・。
話をしながら、そんなことを考えていて・・・知らないうちに、口が止まっていることに気づく。
「・・・なんだ?」
何の話をしていたのか、思い出せないまま、アタシはなんとなく口を開いた。
「ここへは良く来るの?」
その時、なんだか時が止まったように思った。男は、骨張った右手で持つロックグラスを見つめるともなく、見つめていて、その視線は定まっていない。数瞬の、沈黙があった。・・・また、消えてしまうんじゃないか、と知らずアタシは焦る。男は、無表情にそのまま、ポツリと言った。
「・・・分からない。」
『オジサン、どっから来たの?』
『・・・分からない。』
『オジサン、迷子なの?』
『・・・子供じゃない。』
『じゃあ、迷い人だ。』
『・・・かもな。』
不意に、唐突に、そんなやり取りを思い出した。眼前に故郷の雪原と森と山々。そこに場違いに佇む紅い髪の男が、瞬きの一瞬、フラッシュバックする。そして、今、目の前にいる男の表情は、途方に暮れているような、そもそも、この場に居る事自体が何かの間違いなのではと思わせるような、その時の表情にそっくりで。アタシは、祈るような気持ちで、問うた。
「『オジサン、迷子なの?』」
男は、目を見開いて、アタシの顔をマジマジとみやり、二度、ゆっくりと瞬いた。それから、さっきまでのニヒルな感じではなく、可笑しさと嬉しさがそのまま形になったような、笑顔がその顔全面に広がる。
「その黒子・・・。お前は・・・。」
何事か言いかかって、男は一度唇を引き結ぶ。それから、何かを諦めるように、一度首を振ってから、もう一度口を開いた。
「そうか・・・。お前は、『あの時の子供』か。」
アタシは、思わず右手で、自分の顔を隠す。自分が、泣き出すのじゃないか、と思って・・・。ハァー、と深く域を吐き出し、なんとか気持ちを落ちつけて、もう一度、男のガラス色の瞳を見つめた。それでも、やや震えてしまっている声で続ける。
「『ねぇ、行くトコないの?だったら、ウチに来る?』」
男は、ちょっと困ったように、眉を寄せた。アタシは、ギュッと胸が締め付けられるような感覚を覚える。・・・けれども、男はゆっくりと手を伸ばして、アタシの頭にポン、と下ろす。グシャ、とセットした髪を掻き回す手。
「泣くなよ。そんな顔をさせたい訳じゃない。男の家に上がるのは趣味じゃないが。『また来る』と約束したしな。付き合うさ。」
『ん?』と覗き込むように、男は顔を近付けて苦笑する。男の目には、まだアタシが小さな子供に見えているのじゃないかと思った。アタシは男の右手を掴んで頭から下ろして、なんとか、笑った・・・と思う。
「泣くもんか。・・・バァカ。」
そのバーから自宅は、それほど離れていない。ものの10分も歩いて、今住んでいるフラットに到着してしまう。道中、なんでこの人は年を取ってないんだろう、やっぱり、人間じゃない?これも夢??いや、思い出してもらったってことは、アレは夢じゃなかった?いや、アレは夢じゃなかったけど、今回のは夢?・・・いやいや、やっぱり全部夢・・・?なんでも良いから、終わらないで、消えないで、と思う。それで、何度も隣を歩く男の姿を目視で確認してしまう。あまりに可笑しかったのか、ドアの前にたどり着くと、男は、
「迷子にならずに、たどり着けたな。」
とアタシを見下ろして笑った。アタシははっきりと自分の鼓動が反応する音を聞く。『ヤバい』『何が?』と思いながら、革のパンツに両ポケットに手を突っ込んだままの男に、ドアを開けて、中に入るように促す。玄関から廊下をまっすぐ進むと、ダイニングキッチン。スタンドライトとスポットの照明をいくつか付けて、アタシはキッチンのカウンターのハイチェアに座るように指で示し、自分はキッチンに廻り込んで、
「何飲む?」
と聞く。まるで、気の置けない友人のような自分の言い方に、少し可笑しさを覚える。
「何があるんだ?」
返る応答も、まるで付き合いの長い連れ。アタシは笑って、安月給でも揃えられる範囲のワインと、いくつかリキュールをカウンターに並べる。男はそれを一通り眺めて、「コイツにしよう。」と赤ワインの一つを選ぶ。食器棚からマヌカン仲間達が勝手に置いていくワイングラスから、対のものを選んで、カウンターに置いて、適当に注いでから、冷蔵庫からオリーブの酢漬けを取り出して皿に盛って、使い捨てのピックを刺してやってから、互いに目の高さにグラスを上げ、口を付けた。聞きたい事は、色々あった。けれども、そのどれも、口に出したら、この時間が終わってしまうような、そんな気がして、口に出来ない。やや早いペースで一杯目を空けて、アタシは男の隣のハイチェアに腰を落ち着けて、二つのグラスに、またワインを注ぐ。トクトクと、静寂の中、ワインがボトルからグラスに流れ落ちる音だけがする。男が、不意に口を開いた。
「こういう部屋に、住んでたんだな。」
男は、クルリと座ったまま、チェアを回転させて、部屋を見やる。それほど広くない、けれども、それなりに過ごしやすいと思っている、自分の見慣れた部屋。遅れて、『住んでた』という過去形の表現に気づく。
「住んでた?」
男は、静かにアタシを見つめた。アタシの問いに返事はなく、代わりに。
「そういう・・・ことだったのか。」
と、奇妙に感慨に溢れる台詞。どういうことなのか、サッパリ、アタシには分からない。また、徐にアタシの頭に手が伸びて、アタシの額の左側から、髪を掻きあげるようにされる。デカイ手がアタシの頭に添えられるのに、幼い頃に掴んだ太い指の感触を思い出す。
男は、懐かしいものを見るみたいに、目を細めて、アタシの顔をジッと見ていた。誘われている・・・そんな気が、した。吸い寄せられるように、アタシは顔を傾けて、男の唇に、自分の唇を落とす。軽く触れて、それは再び離れる。紅い髪の男は、唇が離れるなり、クスクスと笑って、アタシの髪を両手でかき混ぜた。なんだか小馬鹿にされている気がして、ちょっとムッとする。
「お前、今、いくつだ?」
まるで親戚のオッサンに尋ねられてるみたい、と思いながら、「ハタチ。」と憮然としたまま答えると、ハッハッハと声を上げて笑った。
「そうか。なら、いいか。」
フッと台詞の終わりに、男臭い笑み。ドキン、とまた心臓が跳ねる。『何がいいのか』なんて事を尋ねる余裕は、その瞬間に霧散した。アタシは、両手で男の顔を掴んで、もう一度口づける。今度は、貪るように。性急に唇を割って、舌先で中に押し入る。だけど、男相手も、女相手も、それなりに経験はあるつもりなのに、舌を絡げて応える男に翻弄される。
「ハ・・・。ん・・・。」
どちらのものか分からない吐息を漏らして、暖かな唇が離れてしまう。我慢できずに席を立って、チェアに座ったままの男の身体を抱きしめるようにして、もう一度。今度は、教えられたもので仕返ししてやる。アタシの背に廻った男の手が、ピク、と時折反応するのに、余計に煽られる。
ハイチェアに座ったままの男と、立ったアタシとは、丁度目の高さが一緒で、アタシは唇を一度離し、コツリと額と額をくっつけて、酩酊感に耐える。少しだけ上がった息で、だけど、男は、フッとまた男臭く苦笑して見せた。
「なんつー顔してんだ、お前は。」
優しくアタシの目尻に当てられる指先。言われなくても自覚がある。多分、物凄く、『欲しがってる』。薄暗い部屋で光る、『しょうがないな』と言いたげな薄い色の瞳。
全然アタシらしくない。だけど、アタシはギュッといつかのように、男の右手の指先を掴んで、寝室に連れて行く。くるりと振り返って、男の胸を、ベッドにトン、と突き飛ばす。身を任せるように、男はベッドに腰を下ろして、アタシを微笑んで見上げる。
「靴、脱いで。ベッド上がって。」
アタシは羽織っていたショールとブラウスを脱いで、床に捨てる。やっと靴を脱いで、ベッドに上げられようとしている男の足を跨ぐようにして、ギシリとベッドに乗り上げる。男は、またアタシの顔に手を伸ばし、髪を一房掴む。
「まだ・・・前髪染めてないんだな。」
仕事で色んな色に染めることもある・・・けど、『まだ』?と少し引っかかる。だけど、その内容にツッコミを入れられる程、身体の方に余裕がなかった。アタシは、アタシの髪を触る男の手を好きにさせてやりながら、男の黒いシャツのボタンに手を掛ける。想像していた通りの、締まった筋肉の、厚い胸。
ホゥ、と溜め息をひとつ。そのまま身体を倒す。そこからは、よく覚えていない。吸い付くように熱い内側。男の低音が、苦鳴に時折高まるのに夢中になって。ただ、心のまま、貪った。
・・・この夢は、いつ終わるの。
終わらないで、終わらないで・・・!と祈るように。何度も、何度も。やがて力尽きて、指を動かすのにも倦怠感を覚える頃合いに、アタシはバッタリと男の胸の上に倒れ込んだ。暖かい身体。心臓の音。汗ばんだ肌。こんなにリアルな夢が在る筈が無い。それでも、何か不安で。アタシはギュゥと強くその身体にしがみつくようにして、目を閉じた。
優しくアタシの頭を撫でる、デカイ手の感触。眠りたくない・・・。眠ったら。
幼い頃の記憶では、一度閉じた戸をもう一度開けた時には、足跡すら残さないで居なくなってしまった。だから、眠ったら・・・そう、思っているのに、瞼が重くてもう開かない。
「いつからだ・・・?」
と、掠れ気味の男の声がした。確かに其処に居る、その事に少しホッとする。けど、質問の意味はよく分からない。それでも、アタシは瞼を閉じたまま、なんとか応える。
「・・・スノードロップの前で・・・約束した、時・・・。」
「そうか・・・。そいつは、悪かった。すまない・・・、オリヴィエ。」
男は、悼むような声音で、何故か、名乗っていない筈のアタシの名前を呼んだ気がした。・・・そうだ。アタシ、アンタの名前を聞いてない。名前を・・・聞かなきゃ・・・。
案の定、朝起きたら、男の姿はなかった。アタシの髪を撫でる男の手の感触も・・・掌には、まだ汗ばんだ肌の感触が残っているのに。脱ぎ散らかしたアタシの服だけが、部屋に散乱していて。靴も掃かずに、下半身だけもどかしい思いで服を身につけ、ダイニングに戻ると、ワイングラスも、一つしか汚れていなかった。
「・・・夢・・・かな?・・・ハハ・・・、どっちにしろ、酷い・・・話。」
−−−乙女が愛しい人の回復を願い、彼の胸にスノードロップを添えると、彼の身体は雪の雫となって消えました。そこには、乙女だけが、残されました。−−−
ハッ、とアタシは声を上げて、瞳に手を当てて天井を仰いだ。クックックと喉が鳴る。
「ホント。酷い話。」
ポツリともう一度。誰かの憔悴した声が部屋に響いた。
数年後。
なりたくもない『夢』の守護聖とやらの任を任ぜられて、聖地に入ると、アタシは名も知らぬ男と再会することになる。男は、相変わらず年を取っていなかった。
「お前が、新しい夢の守護聖か。俺は、炎の守護聖オスカーと言う。」
『初対面』と顔に書いて、紅い髪の男は、手を差し伸べてきた。知りたくて仕方が無かった筈の名前は、尋ねる前にその唇から唐突に溢れた。
差し伸べられた手を、アタシは見つめた。もう一度、この手を取って・・・それで、どうなるんだろう。もし、この世に神が居るなら、そいつは酷く残忍な性格をしているに違いない。アタシはそれを、よく知ってる。
それでも、小さな声で、馬鹿なことを呟かずにいられなかった。
「『オジサン、迷子なの?』」
「・・・何か言ったか?」
怪訝そうに片眉を持ち上げて、ズイ、と無遠慮に更に突き出される右手。
迷子なのは、アタシの方だ。酷い悪夢の中を、随分長い事、彷徨い歩いてる。
アタシはパシ、と左手でそれを払いのけて言った。
「何も!アンタみたいなタイプ、正直苦手なんだよね。」
ガラス色の瞳を睨みつけてから、踵を返して。
『泣くもんか。』
と、思った。
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【第4話:もう一つの逸話】
馬鹿みたい、と思った。何の為に、ギリギリで踏みとどまって、悪友やってきたと・・・!!アタシは、シャワーを頭から被りながら、壁を思い切り拳で叩く。
最初はちゃんと距離を置いて・・・・、だけど、こんだけ長い付き合いになって、なんで、今更・・・今になって、スノードロップなんか見つける訳・・・。なんで、今になって・・・まるで昔のアタシを知ってるみたいなことを言い出す訳・・・。なんで・・・なんでッッ・・・!!
「悪夢の中を彷徨う、『夢の守護聖』・・・か。」
床を見つめたまま、喉を鳴らしてアタシは笑う。
『・・・泣くなよ。オリヴィエ。』
『泣くなよ。そんな顔をさせたい訳じゃない。』
『また来る。泣くな。』
どうせ、シャワールームの外には聞こえない。そう思ったら、泣けてきた。
やっと・・・思い出に・・・出来る気が・・・してきたところだったのに・・・。
きっとこれは友情になる、本物の友情になるって・・・思って・・・。
唐突に吐き気を覚えて噎せ込む。身体の前で両手を上に向けて、熱いシャワーを当てる。ブルブルと震える指先。重なった唇と唇に、信じられないものを見るように、見開かれたガラス色の瞳を思い出して、それを追い出すように目を瞑る。アンタが、アタシをそんな風に見てない事くらい、よく知ってる。分かりすぎるくらい。アタシは自分の身をキツく抱いた。
ザーザーとアタシの身体を叩く、熱い雨。震えが収まるまで、そうしていると、段々頭の芯がボゥッと痺れてくる。初恋は実らないもの。愛しい男は雪の雫に消えるもの。ジンクスも、御伽話も、趣味じゃない。
趣味じゃない。趣味じゃないけど、瞼を閉じれば、いつでも。大嫌いな故郷の風景の中で、佇んでいる紅い髪、薄い色の瞳の男の姿が浮かび上がる。そして、それは必ず、雪の中で霧散する幻。
大丈夫・・・。ちゃんと、何食わぬ顔で、戻れるさ。
アタシは見慣れた幻に苦笑して、シャワーを止めた。
バスローブを羽織って、腰紐を締めながら、洗面台に移動する。旅先じゃしょうがないけど、オンボロのドライヤーでなんとか髪を渇かして、ノーメイクのまま、『寝てれば良いけど』と思いながら、部屋に戻った。
男は、バスローブ姿のまま、ベッドの上で胡座を組んでいた。
「まだ起きてたの。」
普通に呆れた声が出るのに、ホッとしながら、オスカーを無視して、奥のベッドに廻り込む。どうせ眠れやしないだろうから、男が寝付いてから、付け爪のデザインでも変えようかと思いながら。
なのに、男はベッドに入ろうと室内履きを脱ぎかかってるアタシの腕をグッと強く掴む。その、デカイ、骨張った手で。アタシは掴まれた腕を鬱陶しく思いながら、苛立ちを隠さずに、空いている方の手で、洗いたての髪を掻きあげる。
「何?」
「さっきのは、何だ。」
語尾を上げない、高圧的な問いと、殆ど睨み上げるみたいに、アタシをまっすぐに見つめる瞳。
『どーでもいーじゃん!そんなこと!減るもんじゃ無し!』と、肩を竦めて言ってやって、デコピンでもかますべきだ、と思った。のに、アタシは、偽悪的な顔を態と作って、返した。
「なんで知りたいの?」
「・・・。」
沈黙に、アタシはハッ、と声を上げて嗤う。
「知らない方が良い事だって、忘れた方が良い事だってあるでしょーが。」
何も言い返せない癖に、強い力でアタシの腕に絡み付く、男の忌々しい手をアタシは左手で引き剥がそうとする。なのに、突然、男は強い力でアタシを引き寄せる。バランスを崩して、オスカーのベッドに倒れ込んでしまって、
「ウワッ!何する・・・ッ!」
何するのさ、と言いかけて、途中で止まる。両手でアタシの両頬を掴んで、マジマジとオスカーがアタシの顔を見やる。
「お前・・・どこかで、会ったな?」
ナニイッテンの??・・・あまりに頓珍漢な台詞に、さっきまでの凶暴な気持ちが、どこかに逃げてしまう。ハーとアタシは遣る瀬ない溜め息を吐いた。脳裏で、どこかホッとしてるアタシが笑ってる。
「そりゃ、毎日会ってるしねぇ。」
呆れて、肩を竦めて、その鼻先に右の人差し指を当ててやると、
「そうじゃない・・・。その黒子・・・。お前、あの・・・子供・・・か。」
ビクリ、と全身が震えた。
『その黒子・・・。お前は・・・。』
『そうか・・・。お前は、「あの時の子供」か。』
アタシは、なんとかそのガラス色の瞳から、目を逸らす。
「子供?・・・何の、話・・・?」
「あの・・・夢。・・・・死を運ぶ・・・白い花・・・。」
思い出しているのか、辿々しく続く声。ドキン、ドキン、ドキン、と喉元で心臓が鳴っている。・・・夢?・・・夢でも良い、もし・・・オスカーが、あの二度の出会いを、覚えているなら・・・。そんな奇跡が、あるのなら・・・。
「夢を見た・・・。雪原に、あの花が咲いていて・・・お前が・・・。」
言いかかるオスカーの先を引き取るように、アタシは言葉を重ねる。
「『オジサン、迷子なの?』」
オスカーは驚いたように一度目を見開き、それから、プッと吹き出し、穏やかな笑みを見せて、アタシを至近距離で見つめた。幼子を相手にするように。そして口を得意げに開いて首を傾げる。
「『子供じゃない。』」
アタシは感極まって、ガバリとオスカーに抱きついた。それから、勢い込んで、オスカーを押し倒し、夢中でキスをする。唇、顎先、耳それから、また唇、そして、薄く開いた唇を良い事に、そのまま舌を入れて、中を貪る。一通り、咥内を味わって、やっと顔を上げると、何故か、オスカーが困惑した顔でアタシを見上げている。
「・・・な、なんでそうなる・・・?」
え・・・?ギシリ、とオスカーの顔の脇、アタシの両手の下で、ベッドが軋む。アタシは、思わず眉を寄せ、
「え、だって・・・。思い出して・・・くれたんじゃ、ないの?」
聞くのは怖い、そう思いながら、でもオスカーの両目を見下ろしたまま、なんとか続ける。オスカーの手が、アタシの頬に伸びる。
「・・・そんな顔をするな。俺が見た雪原の夢を、何故かお前も見た。そこまでは分かったが・・・おい?」
聞きながら、オスカーの胸の上に身体を落として脱力する。はだけたバスローブの間、肌から直接伝わる、心臓の音。アタシはこれを聞くのは二度目だっていうのに、この男は、それは知らないって?
「アタシ、守護聖になった時、アンタと会うのは、三度目だと思った。」
「三度目?」
オスカーの声が、肌を使って直接耳に流れてくる。胸の上で目を閉じる。トクン、トクン、と規則正しく、力強く打ち鳴らされる、心臓の音。アタシは問いには答えない。
「でも、アンタは、まるで初対面で。だから、ずっと酷い悪夢だと思ってたよ。」
「悪夢・・・?」
「そ。悪夢。だってそうじゃない?夢か幻か分かンない、そんな相手に恋してさ。そんで、相手は全くそんな事知らなくて、だけど同僚で、同じ場所で息吸ってる。」
アタシは、瞑った目から、涙がじわりと、溢れるのを感じた。
「でもやっぱり、悪夢かな。アンタは、あの人とは、別人なのかも。アンタのこと、好きだと思う。だけど、もう分からない。あの人に恋をしたのであって、それはアンタじゃないの?それとも、やっぱりアンタなの?」
言いながら、また、ジワリと涙が溢れて、鼻頭を伝って、オスカーの胸に落ちる。
「・・・・。」
男は黙って、アタシの頭の上に手を乗せた。それから、慰めるように、アタシの頭を撫でて、
「泣くなよ、オリヴィエ。その表情(かお)は、苦手だ。」
と、ボソリと呟く。腕に力を入れて、少しずり上がり、オスカーの瞳を見下ろす。オスカーは、困りきった顔で、嗤っていた。オスカーの両手が、クシャリとアタシの耳元の髪を潰す。優しい仕草とは対照的に、オスカーの瞳は真剣なものになる。
「お前が、恋をした相手が、俺か俺じゃないかなんて、俺に分かる訳ないだろ?」
真摯に、問われている。それはよく分かった。残酷な神様みたいな、鋭い眼光。
「好きだよ。オスカー。」
ただ、まっすぐに見つめて、自然に漏れた言葉。オスカーは、笑って、
「そうか。」
と言い、少しだけ身体を持ち上げて、アタシの唇に自分の唇を軽く当てる。
「こういう意味でか?」
問うように、再度傾けられた顔は、誘っているように見える。素直すぎる下半身が、ズキン、と痛むように熱くなる。思わず、唇の先が尖る。
「そういう意味で、だけど。・・・抵抗、ないの?」
ちょっと、考えるみたいな顔つきで、オスカーは片方の眉を上げ、自分の顎先を一撫で。
「男同士でキスして、嫌じゃないってことは・・・。お前が特別なのか?」
自分で自分を訝しんでいるような顔に、アタシは、プッと吹き出して、瞳をやや伏せてから、
「アタシがアンタにとって特別かそうじゃないかなんて、アタシに分かる訳ないだろ。」
と、鼻先をまた指で触って言ってやる。オスカーは、ちょっと吃驚したみたいに目を丸くしてから、また穏やかに笑んだ。
「お前は、そういう顔してる方が、ずっといい。」
指の背で、頬を触られると、もう我慢できなかった。アタシは、吸い寄せられるように顔を近付け、オスカーの唇を吸う。右の肘から先をオスカーの顔の横について、体重を支えながら、顎先を左手で取って、ねっとりと舌を絡める。最初ちょっと躊躇うような間があって、けど、オスカーの舌が答え始める。覚えのある動きに、温度に、泣きそうになりながら、必死に口づけていると、やんわりと胸を押し戻されて、しぶしぶ唇を離す。
「はっ・・・・。」
詰まった息を吐き出すようなオスカーに、一度目を伏せて、唾液にめちゃくちゃに濡れている顎を、尖らせた舌先で拭ってやる。ビク、とオスカーの身体が反応して、欲に濡れたみたいな色合いのアイスブルーを窺うように見下ろす。余裕が無い。どうしよう・・・。熱に浮いたみたいなオスカーの目が、こっちの目と合った一瞬、ギョッと見開かれて、
「・・・こんな事を言いたくはないが、男は初めてなんだ。お手柔らかに頼むぜ?」
ちょっと身体を引くみたいに、僅かにオスカーの身体がずり上がる。アタシは、その先を塞ぐように、肘の位置をオスカーの頭の上に付き直す。ハァー、と熱い息を一度吐き出して、冷静さを取り戻して言ってみる。
「・・・ん。頑張る・・・。けど、あんま自信ない。」
けど、思った以上に声は切羽詰まった心情を表すように、既に掠れている。
「十代のガキじゃあるまいシッ・・・ンンッ!」
おいおい、と色気のないことを言い出しかねない男の唇を無理矢理に塞いで、深く再び口づけながら、オスカーのバスローブの腰紐を左手で解く。ちょっとだけ反応してる下肢をやんわりと握ると、ビクッとまたオスカーの身体が反応する。何か言いたげに口元が動いているけど、無視してアタシは下肢を触りながら、息を吐く間も忘れて、オスカーの歯列をしつこくしつこく味わう。下にか、口の中か、どっちに反応してるのか分からないけど、オスカーの反応は良好で。アタシは焦らすこともせずに、反応の良いところばかりを集中して狙う。オスカーの舌の反応が鈍って来たところで、左耳にキスして、耳の中を味わう。オスカーの上がった息が、耳たぶをピアスごと吸ったところで、詰まったのに、また耳たぶばかり、しつこく嬲る。チャラチャラと音がするのが、奇妙にやらしくて、尚更煽られる。
オスカーの右手が、アタシの左腕をギュッと掴むけど、アタシは左手も緩めない。
「ハァッ・・・クッ・・・ンンッ・・・!・・・シツコ過ぎるッッ!」
避けるように顔を背けられて、晒された項に噛み付くように唇を落として、思う存分吸い上げる。ビクン、と身体全体が跳ねて、クス、と思わず鼻が鳴る。顎を引いて、こちらを見やる気配に、こっちも上がった息を隠せないまま、だけど、ニヤリと笑う。
「フッ・・・。反応が良すぎるのも、考えものだよ。」
ビク、とオスカーの雄身が、左手の中で反応して、カッと一気にオスカーの顔が赤くなる。チッとオスカーの舌が鳴って、顔が背けられ、
「お前が、こんなに荒っぽい奴だと思わなかった。」
下唇を出すようにして言うのに、ズク、とまた下肢が熱くなる。アタシは顎先を濡れた左手で掴んで、こっちを無理矢理向かせる。目が合った一瞬、またオスカーが固まる。
「できるだけ、優しくしようとは、思ってるんだから。あんま、煽ンないでよ。」
余裕ぶって笑おうとして、うまくいかない。獣みたいな熱い息が、収まらなくて。オスカーが、ちょっとだけ潤んだ瞳はそのままに、アタシと目を合わせたまま、顎にかけられたアタシの手を取って、指先にキスを落とす。それから、はっきりと誘うように、舌で指を舐る。ギョッとして、アタシは自分の身体がビク、と跳ねるのを止められない。オスカーの左手が、アタシのバスローブを割って、アタシの雄身を直接触る。
「アックッッ・・・。」
既に爆発寸前、なんとか寸でで達するのを耐えて、アタシが睨むようにしてオスカーを見つめると、オスカーが、ハッと声を上げて笑った。
「知らないよ?」
思わず低く唸るような声になるのに、オスカーが、ニヤリと笑う。
「好きにしろよ。俺は丈夫だからな。」
さっきと言ってる事が違う。だけど、ああ、駄目だ。大好きすぎる、とアタシは思って、獣のように突き上げてくる衝動に身を任せて、ガブ、とオスカーの肩先に歯を立てる。
「イッッ・・・!!」
身体を震わせ、涙目になってこっちを睨むオスカーは、だけど、萎える気配はない。アタシは猛然とあちこち手当たり次第に、オスカーの肌に吸いつく。乳首を派手に吸うと、「ハッンン!」と、明らかな艶声が上がる。オスカーの足に自分の雄身を擦り付けるようにしながら、アタシは強く乳首を吸って、舌で押しつぶして、それから軽く歯を当てる。ビク、ビク、とオスカーの身体が痙攣して、オスカーの下肢を嬲る手の動きを早める。ギュゥ、とオスカーがアタシの腕を強く掴んで、断続的に放たれる熱い白濁がアタシの手を汚す。
イッてるとこを見れば、少しは落ち着くかと思ったけど、一向そんな気配はなく、寧ろ脳みそが焼けるみたい。右手で太ももを掴んで、足を上げさせ、濡れた左手をそのまま後ろに回すと、
「ちょッ!待てって!」
焦るような声が上がって、僅かに身体がばたつく。
「暴れないで。手元が狂う。」
低まった声のまま、叱るように早口で言って、ぐるりと、入り口を指先で擦る。付け爪にしてる時期で良かった、今なら指をそのまま入れても大丈夫、とアタシは思いながら、そのまま、中指を一本だけ、中に潜り込ませる。オスカーの放ったもののぬめりを借りても、まだキツい。オスカーと二度目に会った時、こういうことに、苦労した覚えはなかった。夢って都合がいいのかもしれない。そんな変なことを思いながら、
「力抜いて。」
と、怒ったような声で言う。
「んな事・・・言われ、ても・・・。」
痛みに耐えてます、と顔に書いてオスカーが言う。
「息吐いて。」
こっちも限界ギリギリで。このまま押し入ってしまいたい衝動を抑えるのに必死で。ハァ、ハァ、ハァ、とお互いの吐息ばかりが耳につく。
「はぁ・・・・・ぁ・・・・・ぁ・・・。」
オスカーが上がった息を整えるように息を吐き出すのに合わせて、アタシは押し進む。ようやく一本。
「んん・・・。」
オスカーが何か違和感に慣れようとか、頭を振るって、アタシの指が中で動く。
「んックッ!」
僅かな反応。指先の感覚を頼りに、アタシは前立腺を探す。異物感に耐えるようなオスカーの苦鳴が、「アウッ」と高まり、すぐさまソコを強く続けざまに擦ると、オスカーはアタシの肩を縋るように強く掴む。ビク、ビク、とイッた時みたいに、派手に身体が跳ねて、太ももの筋肉がブルブル震える。軽く、ドライ?素質がありすぎるんじゃないの?チラリと思ったけど、それを口にする程、こっちには余裕がない。ハー、ハー、と自分の息の音が、やたらと五月蝿い。もう一本、まだ余韻も収まっていない様子のオスカーの身体に、押し入る。ほんとはもっとゆっくり感じさせたいけど、アタシは欲望のまま、前立腺を二つの指先で思い切り押し込む。
「アァッ!!ヤメッ!!・・・ヴィエッ!!!」
いつもの余裕なんか一欠片も感じないその声と、ツッとオスカーの頬を流れる生理的な涙に煽られて、アタシはゴリ、とそこを引っ掻くようにしてから、指を一気に引き抜く。ガクガク痙攣してるオスカーの両足を掴んで、はだけたバスローブのまま、中に性急に押し入る。先走りで既にヌルヌルのそれが、ズッ、と、一気に半分ほど入り込んで、それだけで、ブルッとアタシの身体が歓喜に震える。ギュ、と締めつけられて、「ハッ・・・ンンッッ・・・・!」声を上げてしまってから、吐精感と奥歯を噛み締めて戦う。ペチ、とオスカーの太ももを叩いて、意識をコッチに向けさせてから、
「息、もっかい、吐いて・・・。」
なんとか口にする。ギュ、と両眉を寄せてから、オスカーが、「ハ・・・ァ・・・・ぁ・・・。」また、ゆっくりと息をぎこちなく吐き出す。ず、ず、ずと、最後まで押し入って。アタシは息を吐いた。オスカーの左手を取って、入り口を触らせる。
「・・・入ったよ。」
既に紅潮している頬を、カッと、またオスカーが一段と紅くする。潤んだ目が、かわいい。・・・なのに。
「おま、え・・・。めちゃ、くちゃ、だ・・・。」
潤んだ目のまま、オスカーはアタシを見上げて、悪態を付く。捩れ出るように出かかった舌先が欲しがるように震えている。ズク、とこれ以上熱くなる筈もないアタシの半身が、オスカーの中で更に腫れ上がる。「ン!」オスカーも感じたのか、小さく声が上がって、ピクン、と身体が反応する。グッ、とアタシは身体を折り込んで、顔を近付ける。
「ねぇ。酷くされるの、好きなの?」
ますます低まった声を、耳元に吹き付けると、オスカーの身体がビクッと盛大に揺れた。『なんつー、分かりやすい身体・・・。』アタシは、あまりの愉快さに、思わず唇が捲れ上がってしまう。なのに、オスカーは信じられないものでも見るみたいにアタシを見て、右手をアタシの胸に当てる。
「ちょっと、待て。落ち着けっテッ!う、あぁ、アッ!!」
言い終わらないうちに、アタシは腰を大きく一度打ち付ける。ギュゥ、と中が絡み付いて、溜らない。あまりの快感に、我慢できずに、アタシは中に放ってしまう。ビク、ビク、ビク、と互いの身体が、まるでシンクロしてるみたいに震えた。ハァ、ハァ、ハァ、と息を吐きながら、オスカーを見ると、オスカーは泣いてた。生理的なものだと分かっていても、その様子にまた下肢が熱くなる。オスカーを貫いたまま、膝で今一度にじり寄り、身体を折って、オスカーの涙を指先で拭い取る。ビク、とオスカーが反応して、顔は横を向いたまま、瞳だけがこちらを見る。ガラス色の、潤んだ瞳。
多分・・・。
雪原で、どこか場違いに、佇んでいた男。
どこか甘さのある声。
目の前のものを破壊する・・・躊躇無く凍てつく色を纏う、ガラス色の瞳。
力強くしなやかな筋肉。
暖かな手。
それらに、出会った時には、手遅れだった。
私は、クスリと自嘲の笑みを漏らしてから、誘うように光る瞳と唇を指先で軽く擦って少しばかり首を傾げる。
汗で顔に張り付いた僅かな髪以外が、しゃらりと動きに合わせて揺らぐ。
「悪いけど。まだ、終われない。」
「あのさぁ。もうそろそろ、起きた方がよくない?」
アタシは既に身繕いを終えて、靴も履いて、だけど、オスカーのベッドに腰を下ろし、身を捻るようにしてオスカーを見やる。布団と枕に埋もれるようにして、辛うじてこちらに目をやるオスカーは、頗る機嫌が悪そう。
「先に、行け。」
唸るような声。だけど、昨夜の嬌声の名残か、声が掠れていて、なんだかそれも・・・まあ、つまりイヤラシい。ちょっと昨夜を思い出しそうになって、鼻の頭を誤摩化すように、付け爪の先で掻く素振り。
「今日は隊長不良で動けないってジュリアスに言っとこうか?」
気を利かせて言ったつもりだったけど、オスカーは、
「黙れ。」
と短く言って、枕に顔を埋めてしまった。まあ、とにかく、今度ばかりは、オスカーは消えてなくなったりは、しなかったのだ・・・。アタシは、その事に、なんだかとてつもない幸福感を覚える。
ドアを開けるなり、やたらと眠そうに大きな欠伸をするチャーリーとぶつかる。
「おっと!ごめん!」
慌てて手を出して倒れそうになるチャーリーの手を取ると、恨めしげな目でアタシをチロリと横目でみやり、そろりと耳に口を近付け、耳に手を添えて、アタシに吹き込む。
「オリヴィエ様。言いにくいなーとは思うんですが・・・・。明日以降は、もう少し『声』抑えた方が。いや、たまたま隣が俺とヴィクトールさんだけやったからえーんですけどね?いやー、ほんま、隣からセクスィな声聞こえて、寝るのに難儀するって、ここ何処やねんって・・・!っと、失礼!」
突然何かに気づいたように黙り込んだチャーリーは、固まっているアタシなど気にする様子もなく、アタシの両肩を右手で深く抱き込むようにして、ポン、と手を置いて、
「いいんです、いいんです。ちょっと、オスカー様があないなセクスィな声を上げられるのは、意外な気もしましたがぁ・・・。」
更に小さい声で続ける。チャーリーと同室だったヴィクトールが、部屋から出て来て、アタシ達をギョッとした様子で見つめるなり、ボン、と体中の皮膚を真っ赤にして、「あ、あの・・・お、おはよう、ございま、す・・・」瞳を床にまっすぐに落として言うのに、アタシはハァ、と前髪を少し掻き上げ、他所を向いて溜め息を吐く。
すれ違い様、アタシとは目を合わせないまま、
「おい、チャーリー!行くぞ!」
と、食堂へアタシにへばりついてたチャーリーを引き剥がして連れて行こうとする。
「あ、ヴィクトールはん。やっぱり、オスカー様でビンゴ!俺の勝ちぃ!・・・むごっ!!」
等と宣うのを、無理矢理口を塞ぎながらズルズル引きずるヴィクトールは、
「賭けてないわ!!」
等と低い声でボソボソとチャーリーを叱りつけている。・・・・かなり、マズい・・・ような・・・。いや、ランディとかゼフェルとかじゃなくて良かったか・・・。うん。・・・良かったかな・・・?
ポリポリと誰かの様に頭を掻きながら、食堂に降りると、食事が終わりの頃合いにやっとオスカーが(それでも何かを庇うようなゆっくりした動きで)降りてきた。既にジュリアスの仕事の割り振りは終わっていたので、オスカーは待機だ。アタシはリュミちゃんと買い出しと情報集めに行く事になった。
まだ朝食を食べているオスカーを尻目に、リュミちゃんに声を掛ける。すぐに出ようということになって、宿を出る時、まだ食堂に居たオスカーをちらりと見やる。オスカーは、ヤレヤレだ、とでも言いたげに肩を竦めてみせた。
「なんです?何か良い事でも??」
付いてこないアタシを振り返るリュミちゃんに、アタシはニヤニヤしながら答える。
「ううん。何も。」
買い物の終わり際。
「おや。」
リュミちゃんが足を止める。それは、昨日、オスカーが見つけた道端のスノードロップ。
アタシは笑う。
「その花の言い伝え、アタシ、知ってるよ。」
自然と、声は穏やかに、何かを悼むようなソレになる。・・・けれど。
「そうでしたか。やはり、貴方のところでも『雪解けの前にスノードロップを見つける果報者』の逸話が?」
リュミちゃんは小首を傾げて歌うように言い、目を細めて私を見た。
「え?」
「・・・え?」
お互いに顔を見合わせる。それから、スノードロップに瞳を落とし、何か懐かしむような雰囲気で、リュミエールはゆっくりと語った。
「どうやら、・・・違う話のようですね。私の故郷では、雪解けの前にこの花を見つけた者は、必ず幸せになると言われているのです。かい摘んで言うと・・・。ある日、運命の恋人が生まれ落ちるのですが、出会うのが早すぎるために却って不幸になってしまうと運命の女神が嘆き、片方を雪の精に変えてしまうのです。けれども、人間のまま過ごして来た男性の方が、雪の中に埋もれるようにして咲くスノードロップを見つけるのですね。すると、雪の精が現れて、暫しの逢瀬の後、やがて雪の精は人の姿になって、二人は結ばれる・・・そんな、少々ロマンチックが過ぎるような話です。・・・ですから、スノードロップを雪が解ける前に見つけた者は、必ず幸せになると・・・。」
それから、またアタシに瞳を戻して問うた。
「貴方の故郷の逸話は、どんなものです?」
アタシは、その逸話に呆然と聞き入ってしまっていて。
「・・・オリヴィエ?」
首を傾げるリュミちゃんに、アタシは苦笑した。
「アタシのとは、随分違う。ある男女が居て、恋の話なのは一緒なんだけど。そのカップルが、駆け落ちをしようと雪山で、待ち合わせするんだ。そしたら、男が待ち合わせ場所で死んでいる。駆け落ちの日程を、一日間違えて、男はそこで一晩を明かした後だったって訳。それで、乙女はまるで眠っているように見える彼の回復を願って、近くに咲いていた白い花ースノードロップーを彼の胸に置く。すると、男の遺体は雪の雫に姿を変えてしまって、そこには、乙女だけが残される・・・。そんな話さ。」
リュミエールは、クスリと笑った。
「それは・・・・。なんだかまた、別の意味でロマンチックな話ですね。けれども、それはそれで、この花の佇まいに似合っている気がします。」
リュミちゃんの視線は、再びスノードロップを見つめている。何故だか。アタシは愛しい男の遺体が雪の雫に変化するのを、哀しく微笑んで見送るリュミちゃんを幻視する。
「・・・?どうかされましたか?」
再びこちらを見やる海色の瞳には、その幻視の欠片はなく、いつものそれだ。
「・・・ううん。」
アタシは小さく首を振って、リュミちゃんの手を取って、無理矢理歩き出す。
『スノードロップを雪が解ける前に見つけた者は、必ず幸せになると・・・・。』
それなら、私はきっと幸せになるのだろう。
何せ、雪解けの前にスノードロップを見つけるのは、得意なのだ。
いや・・・もしかしたら。
もう充分、幸せなのかもしれなかった。
「オリヴィエ!痛いですよ。」
「あー!ごめんごめん!」
慌てて手を離すと、背後から、リュミエールが苦笑して付いてくる来る気配。
「そんなに急いで、どうするのです?」
「早く用事終わらせて、ご飯にしよー!!」
アタシはリュミちゃんに先んじて雪の街を歩き進み、右手の人差し指を高く挙げた。
終。
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