そして、その血は暖かい
【Side: Oscar】
マスクが破れたその時に、頬が割けるかと思う程の痛みが襲った。
それが寒さだと言うのは、感覚というより理性で理解した。
一瞬の後。
俺の頬は、目の前の身体から噴出した液体に暖められた。
慣れた感覚だった。
頗る、慣れた感覚。
だが、未だにソレを何と呼べばいいのか分からない。
気持ち良いのか悪いのかすら、よく分からない。
・・・分からない。
・・・わからない。
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吹きすさぶブリザード。身体を動かさずにジッと待機している今は、マスクが無かったら息もできないだろう。
身体は最新の軽量装備で、体温を保たれてはいる。マスクとゴーグルの間はぴっちりと閉じられていて、隙間はない。
雪濠に身を顰め、只管、時機を待つ。
ゴーグルの左内側のモニターを確認する。チーム・オメガ(俺のチーム)のメンバーに、損害は無い。
だが、我慢比べのような、この硬直状態は、俺向きの戦場とは言いがたかった。
カリ、と最後のカロリー玉を奥歯で噛み締めて潰した・・・その時、派手な爆発音が上がった。
ドォ・・・・ン・・・・
巨人の足音のような、ソレ。
ガガッと、耳元で粗い通信の接続音。
「E-3にて着弾を確認。敵の姿、見えません!」
配属されたての、ランディの声。慌て過ぎて名乗るのを忘れている。
「チーフ・オスカー。各自安全を確保。敵が姿を現すのを待つ。」
「ランディ、了解!」
「ヴィクトール、了解。」
・・・・・続く返事が、全員分であることを確認したと同時に、また足音。
ドォ・・・ン・・・・
「7時方向に敵影発見!複数・・・3機!いや、4機!」
「オスカーより、全メンバーへ!発砲許可!戦線を維持しながら、撃墜しろ!!」
パラパラという威嚇乱射の音と、二人一組のランチャーの発射音、着弾音。
耳栓をセットして、二人で扱うランチャーを一人で担ぎ上げ、俺も雪濠から出るなり、敵影を確認する。
―――いた!
手早く発射準備を整え、構えて一秒で発射。1機を撃墜して耳栓を取る。
吹雪いているせいで、頗る視界が悪いが、墜落している敵機を数えれば3機。残り1機・・・。
「白兵戦だ!!撃墜した敵機から何人か出てくるぞ!!」
人影が動くのを認めて、俺はランチャーを置いて短銃をホルダーから引き抜く。ザワリと全身の毛が逆立つ。モニタでメンバーの位置と時計を確認する。
「あと1時間、戦線を死守する!」
「チャーリー・ヴィクトール、C-7の敵を挟み込め。」
「チャーリー、了解。」「ヴィクトール、了解。」
「ランディ、レオナード、E-2の敵を挟撃。」
「「了解!!」」
「後は・・・、俺がやる。」
最後は通信に入れずに独り言のように呟く。
それから30分の後。
視界から、全ての敵が、消えた。
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【Side: Lumiale】
「おい!チーム・オメガ、軽症1(イチ)だってよ!」
食堂に入って来た一人が、口笛を吹きながら、そう告げると、その場がザワリとどよめく。過酷な環境で、過酷な条件での任務は、何故かチーム・オメガに当たる事が多い。「死地に一番近いチーム」。かといって、配属されたメンバーから愚痴の類いは聞かない。寧ろ、人好きのするリーダーのお陰か、それとも、任務に似合わぬ無傷での生還率のせいか、配属希望者が定員の二倍になっているという噂さえあった。
チーム・オメガの常の「死地への近さ」を前提としたとしても、今回の任務は、厳しいものであろうことは、かなり知れ渡っていた。それが、軽症1名で帰還。誰が軽症なのかは、少なくとも、私にとっては、考えるまでもない。
食堂のモニタのニュースが、突然、組織内の回線に切り替わって、帰還したチーム・オメガのメンバーが大写しになる。白兵戦になったと聞いているのに、『軽症1』を実証するように、次々とヘリから出てくるメンバーは殆ど無傷なようだった。最後に、一人だけ別の戦場から帰って来たのではないか、と思わせるような、ボロボロの男が、下りてくる。
「ウワ・・・。」
ザワザワと再び食堂がどよめく。肩を貸したそうに既に下りたチームメンバーが近寄る。しかし、『ソレ』には誰一人近付けない。
現地は雪だったはずだ。なのに、マスクやゴーグル等の頭の装備は取られている。脱ぐ時に付いてしまったのか、あるいは戦闘中に千切れたのか、彼の髪も顔も、ベットリと赤黒く血で汚れ、ただ、目だけが。アイスブルーの・・・ガラスのような瞳だけが・・・まるで未だに戦場に居るかのように、ギラギラと光っていた。
まるで、手負いの獣。
知らず、口の中が苦くなって、私は自分が唇を血が出る程、噛み締めていたことに気づく。水を一口飲んで、その苦味を喉に押し流してから、サラダの続きへとフォークを伸ばした。
味がしなくとも、食べなければ。私にも、次の現場がある。体調管理は最も重要な仕事の一つだ。
モニタには、その男にツカツカと事も無げに近寄る医師の姿が写っていた。ヒラヒラとヘリの風に舞う白衣は、ポケットに入れられた両手でなんとか身体に張り付いている。
長い金髪と、派手な色の前髪は、オリヴィエ。
オリヴィエが手を広げると、手負いの獣・・・オスカーは、虚ろな目を上げる。ポン、と血塗れの赤い髪にオリヴィエの細腕が落ちると、オスカーは、ゆっくりと目を瞑った。淡白な戦況解説の音声が上から流れている為に、彼等が何を話しているのかは分からない。
それでも、手負いの獣が、その手の感触に、『人間』を取り戻した事は、映像から十分伝わって来た。
既に唇の血は止まっている筈なのに、レタスの味がしない。それを不思議に思いながら、なんとか味のしない食事を終えて、私は訓練後の汗を流すべく、シャワールームに向かった。
『チーム・ラムダと、チーム・オメガは犬猿の仲。』
そんな噂が立つようになって、どれほどだろうか。確かに、訓練生時代から、私とオスカーの仲は『良い』という訳ではなかった。どちらかというと、意見が合わずに、対立することが多かったのは事実。けれども、オリヴィエという共通の友人がいたこともあり、仲が『悪い』という訳でもなかった。互いに与えられた部屋を物の貸し借りで行き来することもあり、共に『外』で酒を呑む事もあった。
ただ、訓練課程を終えて、内部からストレートで軍人に採用されると、互いに業績がそこそこ良かったこともあり、別チームに配属になって、それなりに仕事を任されるようになり、接点がなくなった。今となっては、情報戦を中心とするチーム・ラムダのチーフと、時代遅れの白兵戦も辞さないチーム・オメガのチーフ。1つの案件に関わることが仮にあったとしても、それぞれの担当が違い過ぎて、現場を共にすることはない。
青い髪の私と、紅い髪の彼。部下と一定の距離を保つ私と、まるで家族のように接する彼。正反対な印象で、かつ、互いのチームの成績が頗る良いということもあってか、いつの間にか、私達は『犬猿の仲』になっていた。
もし、オリヴィエが、医師になっていなかったら・・・。
少し思って、私は頭を振って、その想像をどこかへと押しやった。
シャワールームに入ると、先客がいた。腰の辺りを申し訳程度に隠している半透明のガラスは、そこに居るものが誰なのか特定するのも容易い。先程まで食堂のモニタに写っていた男だった。壁に身体を預けて、身体を洗うでもなく、ただ頭からボーっとシャワーを被っている。
隣のブースに入ってシャワーコックを開く。
「医務室には、行かないんですか?」
壁越しに声を掛ける。軽症だということは、分かっているが、あんなに血を浴びたのだ。少なくとも、切り傷や打撲はあっただろう。そして、何も処置せずにここに駆け込んだのでなければ、時間の計算が合わない。
「ん・・・。いい・・・。」
寝ぼけたような応答は要領を得ない。何故、こんなにイライラさせられるのだろう、と思いながら、私は只管、自分の汗を流す。髪を洗い終わって、シャワーを止めるが、まだ隣はザーザーと一定のリズムで水の流れる音がしていた。共有スペースから持って来たバスタオルを腰に巻き、結局、放置しかねて、隣のブースを開ける。
私がいくら鍛えても、なかなかこうはならない、という恵まれた体躯が描く、美しい曲線。シャワーで上気した肌。
壁を向き、背を丸めてシャワーに当たっている彼の肩に手をかけ、無理矢理こちらを向かせる。片手を伸ばして、シャワーを止めると、
「あ・・・。」
やっと誰かの存在に気づいた、というような惚けた声を上げる。
いくつかの大きな打撲痕。いくつかは既に腫れているが、これからますます腫れ上がってくるだろう。鎖骨と頬に極浅い裂傷。手が、隠すように下半身に当てられていて・・・。しかし、ソコが完全に起ち上がっているのは、隠しようもなかった。
「わ、りぃ・・・。ほっ、といて、くれ・・・。」
急に少し我に返ったように、顔を赤くし、男は掠れたような声で言って右手を伸ばして私の胸を押しやるようにする。けれど、その手には全く力が入っていない。
「イケないんですか?」
その手を掴んで、片手で彼を引き寄せて言うと、ビクリ、と肩が揺れて、
「い、から!ホッとけっ、て・・・ッ!」
ギュム、とソコを私が右手で握ると、大人しくなった。私より少しばかり大きい身体が、力が入らないのか、ほとんど半身、私の身体に密着している。
「・・・に、考え・・・てんだ、リュミ、・・・ルッ!」
握っただけでは、また五月蝿くなるようだったので、緩く擦る。大人しくはなったものの、むずがるように、男は呻いて、もがいた。
「ん・・・ふ・・・。だ、め・・・だ。イケ・・・・ね・・・。」
これだけ直接的に刺激をしているのに?と思いながら、身体を強く抱き直して、触りやすい体勢に変えようとすると、
「う、ンンッ!」
急に反応が返って来た。抱き直した際に、打撲した腰の部分を強く触ってしまったらしい、が。
「イィッテッッッ!!!」
私の肩にギュゥと捕まった男は、伏せた睫毛を切なげに揺らす。
「・・・?」
もう一度、そこをギュゥと力を込めて触ると、下肢には触っていないのに、突然、ビュル、と勢いよく白濁が噴出する。
「あぁッッ!!・・・・ハッァッ・・・・。」
熱い息が私の胸元に掛かる。溜っているものを全部吸い出すように、下肢を触って追い立てていると、
「も・・・嫌・・・・嫌・・・だ・・・。」
ほとんど啜り泣くようにして、男は刺激から逃れるように、ズルズルと頽れて行く。そのまま、床に腰を下ろしてしまった男と自分を洗うべく、私はまたシャワーコックを捻った。ザァ、と流していると、自分も何故か兆していることに気づく。
厄介だな、と思った所で、床に座ったままの男が、立ち膝になって、私のソコを突然口に含んだ。突然敏感な部分が、暖かく滑る感触に包まれて、やや慌てる。
「オス、カー・・・?。んッ・・・!」
百歩譲って、戦闘後の高ぶりを自分で鎮め損なっている同僚を『手伝った』までは良いとして、この状況は、いくらなんでも行き過ぎている。
なのに、熱を思う存分吐き出して、いくらか意識がはっきりしたのか、私を咥えるオスカーの上目遣いの視線は、はっきりと挑戦的なものだ。
『借りは作りたくない。』
とでも言うかのような視線に、チリ、と胸の奥が焦げるような感覚は一瞬。
上り詰める直前、私は彼の頭を両手で固定して、達した。もがくような気配はなく、長い放出が終わると、彼の舌先と喉奥が震える感触。男はノロノロと立ち上がり、口元を手で拭ってから、シャワーを独占して、口の中を濯ぐ。
「苦ぇ・・・。」
それはそうでしょうけれども、と思いながら、狭いシャワーブースで男を横から見上げる。薄い色の瞳が、ギョロリと瞳だけコチラを向き、それから、ほんの少しだけ、泳ぐ。
「あー。自分では出来なかったから、助かった。」
ギュ、と両手を使って濡れた髪をオールバックにする彼からは、先程までの気配は微塵も無い。少々呆れて溜め息を吐き、
「まさか、毎回こんな状態になっているのですか?」
少しばかり興味を引かれて、聞いてみると。
「・・・わからない。今回はちょっと酷かったが。ちょっと高ぶっただけだ。」
不自然に事務的な返答。
「というより、痛みがない・・・。」
『痛みが無いと、達せないのでは?』
という疑問は、ドン、とやや乱暴にシャワーブースの壁を私の頭越しに叩かれて、遮られる。至近距離から、
「ちょっと、高ぶった、だけ、だ!」
と睨みながら、吐息に混ぜて吐き捨られた。必死さを感じて、思わず苦笑してしまう。
「心配せずとも、誰にも言ったりしませんが。」
口先で言い、
「貴方が筋金入りのマゾヒストだなんて事は。」
と続けると、
「ハッ!良く言うぜ、サディストが。」
と不機嫌な声。・・・そう言う事に、なるのだろうか。ついぞ考えた事はなかったが、確かに、彼が痛がって感じる様子に、身体は反応した。・・・そうなのかもしれない、とふと思う。反論が返ってこないことを訝しむように、一旦顔を顰めてから、男は、
「マジにならなくて、いい。」
とごちると、グリ、と私の濡れた頭髪を上から下ろした手で、擦る。たった一つの年の差を、まるで大きな違いのように、時折こうして先輩風を吹かせてくる気に食わない男。それでも、そのふて腐れたような顔は、まるで子供だ。
瞳を伏せて、それをやり過ごすと、クス、と笑いが自然と唇から漏れる。
「何笑ってんだ、先に出るぞ。」
フン、と鼻を鳴らして共有スペースにタオルを取りに向かう男の背中を見つめる。先程の弱り切った姿など微塵も感じさせない。けれど、その背中の痣を、あるいは腕の傷を、引っ掻いたり、抉ったりしたら、どうなるのだろう・・・?
私は血を見るのが嫌いだ。まして、誰かに痛みを与える事に、快楽を覚えるような気質は私から酷く遠いものだと思う。ただ、先程の、オスカーの掠れた声は・・・。震える睫毛は、悪くなかった。
思ってから、厄介なことだ、と少し思って、もう一度シャワーを浴び、それから冷たいシャワーに切り替えて、肌を引き締めつつ、頭を切り替えることに集中した。
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【Side: Oscar】
「頭濡れてる。シャワー先に行った訳?」
「何か、問題があるのか?」
「あるよ、大アリ。随分スッキリしてるみたいだけど、一人で出来たってこと?」
「・・・・。」
医務室に入って、二人きりになると、相変わらず容赦のない追求が始まった。俺が相手だと、本当にコイツはデリカシーも遠慮もクソも、あったもんじゃない。
「たまたま、リュミエールが居た。」
どかりとベッドに腰を下ろした俺の上半身をスルスルと甲斐甲斐しく脱がしていた、オリヴィエの手がピタリと止まる。沈黙と、行き交う気まずい視線。皆まで言わなくとも、この男には、何が起こったのか、大体察しがついた、ということだろう。
こういう時は、察しがいいのも、良いのか悪いのか、考えものだ、と思う。
「一人で出来ると思った・・・んだが、うまくいかなかった、わっぶ!」
喋ってる途中で無理矢理、黒いインナーを乱暴に引き剥がされる。不自然な方向に腕を向けたせいで、内出血が刺激され、ジン、と背中が痺れた。
「で?アタシと違って容赦なく痛くしてくれて、ご満悦、って訳?ってか、スンゴイ顔・・・全く・・・!!」
ペチ、と頬を叩かれる。『スンゴイ顔・・・?』痺れた頭で脳裏で繰り返すが、意味が取れない。ただ、片膝をベッドに乗り上げて来たオリヴィエが、俺の頭を抱え込むようにして、噛み付くようにキスをするのを、ただ、受け入れる。
段々と熱っぽさを増す、舌の動きに煽られて、やや酸欠になりながら応えていると、知らぬうちに、勢いに押されていたのか、背中がふわりとベッドに着地した。
「は・・・・ぁ・・・。」
息を吐いて、証明に焼かれるのを避けるように、手の甲を瞼に当てる・・・が、グイ、と無理矢理にその手がオリヴィエの右手によって引き剥がされる。
「なん、だよ・・・。」
はっきりと『不満』と顔に書いて俺を見下ろすオリヴィエに、痺れた舌でなんとか聞くと、オリヴィエの左手の親指が、俺の口元を乱暴に拭う。
「・・・・・。」
ギュ、と鼻頭に皺を寄せ、威嚇するような表情になる、男だか女だか分からない、美しい男。ダークブルーが泣いてしまうのじゃないか、と思うぐらいに歪む。
「悪かった。」
空いた右手で俺はオリヴィエの頬に手を当てて、何を考える間もなく、謝罪を口にする。
「ハッ。何に怒ってンのか、分かってもいない癖に。」
毒づくような言い様とは逆に、瞳は少し伏せられる。
「分からないが。・・・悪かった。」
淡白に繰り返すと、
「ズルいヤツだね、全く。」
という聞き取れるか、聞き取れないかギリギリの呟きが落ちてくる。誘われるように、僅かに顎先を持ち上げると、優し過ぎる口づけが落ちてくる。
「は・・・ン・・・・。」
自然に深くなる口づけに、熱い吐息が隙間から漏れる。脳裏が、ジン、と痺れていく。
「匂いが、しなかった。」
口づけの終わりに、ボソリと呟くと、
「吹雪いてたんだっけ?」
優しい指先が、俺の前髪を掻き上げる。
「ああ。」
「何?死臭に塗れないと、不安?」
仕方なさそうに笑む男のダークブルーは、返答がどうであっても、おそらく、俺を許している。
―死臭に塗れないと、不安・・・?
不安・・・?チリ、とこめかみの辺りに軽い痛みが走った。
「分からない。」
「答えが出ないのに、ずっとそこで、見つめてンだ。別に、アンタがそうしたいなら、いいけど。」
男はクスリと俺の鼻先で笑って、額に軽いキスを落とし、両手を突っ張って、身体を起こす。
さらりと落ちて来た金髪が、色づいた前髪が、鼻先をくすぐって、俺は眩しいものを見るように目を細める。
「手当てするよ。身体の熱の方は、リュミちゃんにシテもらったンでしょ?」
明け透けな言い方に少しばかり気まずくなりながら、俺も上体を起こす。
「あぁ。」
テキパキと包帯やらガーゼやら消毒液やらをベッドの側に持って来て、手早く傷の始末をされる。
「『なんで殺すのか』。」
ボソリと、手当ての終わり際に、男が手当てする手元を見つめたまま、呟いた。
「なんてことをさ。ずっと考えてると、死神が肩に止まるよ。オスカー。」
それは白兵戦に慣れない新人相手に良く言うジンクスだった。パチ、と一度、意識的に瞬いてから、
「まさかな。そんなことを・・・。」
考えてる訳も無い、俺は職業軍人だぜ?と続けようとした俺の言は、オリヴィエがふっと顔を上げて、止まった。真剣な瞳は一瞬、男はニパッと健全な笑みを見せて、
「そ?ならいいけど。」
と冗談めかして言った。ム、と知らず口がへの字に曲がる。フフッ、と吹き出すようにオリヴィエが笑う。
「お前は・・・。なんで・・・。」
不意に、口を疑問が口を付いて出た。
「・・・?」
問うように首を傾げられ、なんだか今更な事を聞こうとしているな、と俺は自分の頭髪を誤摩化すように潰した。
「いや。なんで、お前はコース転向したんだ。」
オリヴィエは、俺やリュミエールと共に、養成所での成績はそれなりに良かった。だが、途中で転向して、医学の道に進んだ。
「アタシがドビンボーで、アンタと違って、仕方なく養成所に入ったってこと、知ってるじゃないか。何を今更・・・。」
「いや、だが。リュミエールみたいに情報系に行くって道だってあっただろ。白兵戦向きじゃないってことくらいは、俺でも分かる・・・が。」
なんとなく、立ち上がった男の白衣姿を見上げながら、ボソボソと続けると、男は白衣のポケットに両手を突っ込んで、俺をニンマリと笑んで見下ろす。
「アンタが・・・。」
少しだけ視線を足元に下ろして、何事か言おうとしたオリヴィエは、もう一度俺の瞳に視線を戻して、
「うん・・・。情報戦にしろ、血生臭いのは、変わらないじゃん。アタシには、そーゆーの、向いてないってことさ。」
何かを吹っ切るように言い切るのを、ただ見上げる。嘘だな、と俺は思った。けれど、オリヴィエが何を隠そうとしたのか、分からない。
「結果的には、さ。アンタが無茶してズタボロになっても、治してやれるヤツがアタシで、アンタも良かったンじゃないの?」
スッと。ヤツの男にしては細い指先が伸びて、俺の耳の上の髪を掻きあげる。自然に、目を閉じて、それを受け入れてから、
「ああ。助かってる。」
フッと笑うと、男はホッとしたように、笑んで返した。
----
【Side: Olivie】
いつからか、よく分からない。
血統書付きの軍人って触れ込みで養成所でオスカーと出会った時、アタシは「嫌なヤツ」としか思わなかった。
何かにつけて自信過剰で、自信過剰になるだけの実力を持っているイヤミな男。
出自から日々の給金目当てに養成所に入るくらいしか選択肢の無かったアタシとかリュミちゃんと違って、男は『軍人になりたくて、なる』というアタシからすれば、ほぼ気違い地味た動機で、同じ場所で呼吸していた。
一つ年下のリュミちゃんとは違い、アタシとオスカーは、訓練時代、何かに付けて一緒になることが多かった。金目当てにどの訓練科でも、アタシはそれなりに上位の成績を納めて、特に努力している様子なんかないオスカーと同じくらいの成績だったってこともあるかもしれない。
訓練科で同じチームに配属されると、確かにオスカーは頼りになる男だった。何を言わなくても、必要なバックアップをしてくれるし、何を言わなくても、必要があればリーダーシップを取る。背中を預けるには、最適の男。
別のチームに配属された時には、これ以上ないくらい、強敵になる男。
違和感に気づいたのは、いつだろう。
それは、ほんの僅かな違和感。単騎で行く必要があるかないか微妙な時に、男は必ず単騎で突っ込んで行く。その判断は、必ず成果を上げるから、目立たない。だから、多分、アタシしか知らない。
死にたがっているんじゃないか。
なんて事が。いつか、ふと胸を過った。そんな筈は無い。戦略系でも、戦術系でも、男は必ず自陣の勝利の為に尽くす。死にたがってる男に、そういう真似はできない。
でも、じゃあ・・・何故?
一度だけ、模擬の白兵戦で、オスカーと当たった。いつも冷静なアイスブルーが、まるで目の前の敵を薙ぎ倒す事以外、何も考えていないかのように、空っぽで。
・・・恐ろしいと思った。
自分がその圧倒的な脅威を目の前にしていることへの恐怖と・・・それから。何も考えずに、身体を動かし続ける、オスカーという存在そのものへの恐怖。
気づいた時には、オスカーと同チームになると、必死にバックアップに走る自分が居た。養成所を卒業する時の事を意識するようになると、自然、オスカーが実戦に当たることを考えてしまう。それで・・・。それでアタシは、進路を転向しようと思った。
アタシとオスカーの実力を考えれば、同チームに配属される事はほぼあり得ないから。だから。オスカーを護る為に、アタシができる事が、それしか残されていないように感じて。
実戦から戻るオスカーは、いつも。一人だけ、戦場の空気を纏ったまま帰還する。
オスカーの負傷率はかなり高い。それがどんな判断に起因するか、アタシは知ってる。それを変えることができないなら。できないなら、せめて、傷ついた男を、治したい。それは、とても単純な欲求。
アタシが医師の免許にたどり着いて、男が養成所を卒業すると、アタシはやっぱり進路転向して良かったと思った。
何も映さない、空っぽな瞳が、アタシが迎え出ると、スゥと人間の瞳に戻る。それを見て、これ以上無いくらいに、ホッとする。
『人間』を取り戻したオスカーは、大体、いつも身体に熱を溜め込んでいて。それを処理することを手伝うようになったのも、実務にオスカーが当たるようになってから。
なんで、オスカーは痛くしないと、発散できないのか、薄々勘づいてる自分が居る。
死地にこの上なく近い所で、命を拾って、確認してる。
まだ、生きてる・・・。そのことを。
戦場に行く度に、『人間』を捨てたり拾ったりしてる、その男を。愛おしいと思ってしまったのは、いつだっただろう。
・・・分からない。
「オリヴィエ。」
思考に沈みがちだった視線を、名を呼ばれて上げる。医務室から食堂に向かう、エレベータの中だった。
「リュミちゃん。」
とぎこちなく笑んで、応える。リュミエールは、いつものサラサラのロングヘアを、耳に掛けて、アタシの隣に立つと、自室のフロアの番号を押してから、こちらに視線をやらないまま尋ねる。
「オスカーの治療は終わったのですか?」
「うん。迷惑かけたんだって?」
ちょっと驚くような間があって、リュミちゃんがアタシを振り返る。
「オスカーが?」
「ううん。カマ掛けたら、引っかかっただけだよ。」
白衣のポケットに両手を突っ込んで笑って応える。
「なるほど。」
完成度の高い笑みは、リュミちゃんならでは。これで、状況によっては冷酷な判断もするのだから、若い連中がキャーキャー言うのも無理はない。
「いつもは、貴方が?」
淡白な声に、
「うん。そうだね。」
と、淡白に応える。
「『痛み』は、生への執着・・・ですか?」
苦笑の混じった問い。リュミちゃんらしい、容赦ない言い方だなぁと思って、アタシも苦笑する。アタシが何かを答える前に、リュミちゃんが続ける。
「オリヴィエは、『痛み』から、オスカーを救いたいのに。そんな貴方に、『痛み』を与えることを強いるとは、あの男も度し難いですね。」
ポン、と間の抜けた音がして、エレベータがリュミちゃんのフロアに着いた。
アタシは、ギュッと心臓を掴まれるような感覚を覚えながら、呻くように、聞いた。
「なら、リュミちゃんは?」
リュミエールは、エレベータを下りてから振り返って笑った。
「さぁ。ただ、度し難い男を罰するのは、悪い事ではないような気もしますね。」
明日は晴れるといいですね、というような爽やかな顔に、アタシは吹き出す。エレベータが閉じて、笑んで細まったリュミちゃんの瑠璃色を消し去る。
アタシは、独りエレベータで、堪えきれずに笑った。笑っているうちに、なんだか泣きたい気分になる。
大概、よくできているのだ。
『痛み』から、男を救いたいアタシと、『痛み』を度し難い男への罰だというリュミちゃんと。
戦場で、自分の『人間』を捨てたり拾ったりする、度し難い男と。
ポン、と最上階に着いたことをエレベータが知らせる。
今日も、オスカーもリュミちゃんもアタシも、無事に生き残って。だから、食事を摂る。
白衣を脱いで、食堂に入ると、オスカーがチーム・オメガのメンバーに囲まれて、食事を摂っていた。屈託ない笑顔を晒して、小突いたり小突かれたりしている様は、医務室で見る、どんな顔とも違う。
ただの、年相応の男のように見える。
『匂いが、しなかった。』
瞼を閉じると、吹きすさぶブリザードの中、返り血に濡れる男が現れる。
裂かれたマスクで、頬が冷たさに焼ける。
いつもなら、感じる死臭のしない、音もどこか遠い、雪の戦場。
それは、いつもの戦場より、生死の実感から遠い。
返り血が暖かいのは、たった一瞬。
アイスブルーが、目の前で失われる何かを、空っぽの瞳で見つめる。
『生きたい。』
という渇望を、今日も拾うことができただろうか。
あるいは、拾い損なったんだろうか。
本人だって、分かっちゃいないことを、アタシが分かる筈も無い。
いつの間にか、ボーッとチーム・オメガの様子を見つめている自分に気づいて、アタシは苦笑して、クルリと振り返り、食券機に向かう。
『今日も、還って来た。』
なんて、馬鹿げた感想を、胸に抱きながら。
終。
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