肩に降る雨



あのとき、あのカフェで。
あの表情(かお)さえ見なかったら。
・・・と、思う。

ねぇ、その雨の冷たさは、貴方に響いていますか?


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「オリヴィエ様は、俺が暇みたいに言いますけどね!俺かて暇とちゃいまっせ!土の曜日には彼女らかて息抜きしたいやろうし、俺はいわば、唯一女王試験と無関係な、オアシス的存在っちゅぅか・・・」
「あー!はいはい、つまり、栗色の女王候補か、金髪の女王候補かを狙ってるってワッケェ!」
「あははははー!バレましたか!って、ちゃいますッッ!」
この上なく意味のない、明るい調子の会話を繰り広げる中、密かに落胆する自分は、多分阿呆だろうと思う。
『殺生な。俺が誰を狙ってるかなんて、ご存じでしょうに。』
と恨みがましく言えば、何かが変わるのか?・・・変わるわけがない!だからこそ、意味など無い、カンバセーションに興じる訳で。
だんだん、分かってしまう。彼が、時折、あんな表情をする理由が、心の底から。

アレから何度か二人で飲みに行き、その度、どちらからともなく、夜を求め、過ごし。
夜はいつも、明るい調子で始まって、明るい調子で終わる。
「ハァッハァッハッ・・・ンンッッ、も、もぉ・・・ッッ!!」
迫り来る放出の予感に、背筋が、腹筋が痙攣するのに、キュゥと根本は握り込まれたまま。頂の入り口に、彼の指の腹が強く押し当てられる。
痛みなのか、快感なのか区別のつかない、針のような感覚に、肩に爪を立てて縋る。
「いっ・・・ンッ!」
ひたすら頭を振り、そこから逃れようと、意味のない呻きが俺の唇から漏れる。とめどなく漏れる透明な液体を指に絡めながら、彼はそれを弄るのを止めない。
首筋を吸いながら、もう片方の手で胸の先まで触られ、俺は耐えきれずに、思い切り背をそらし、そのまま、ベッドに仰向けに倒れてしまう。向かい合って座っていた彼は、そのまま俺の上にのしかかって、じっと俺を見下ろす。
互いの熱い肌と裏腹に、暗い青が怖いような鋭さで、刺すように俺を見つめる。
多分、何かを問われている気がする。けど、俺の足りん頭じゃ、内容は分からん。止まった手に戸惑いを覚え、
「オ・・・リヴィエさ・・・ま?」
瞳を見上げながら、名を呼ぶ。訪れる数秒の沈黙。
「アタシも、もう欲しい。」
す、と目を眇める彼の瞳が、急に情欲に濡れる。ほっとすると同時に、彼が何かを隠してしまったことを知る。
「でも、その前に。」
最中に時折聞かせる、低く艶っぽい囁き声が耳に吹き込まれ、クス、と彼の鼻が小さく鳴り。ぞくり、と強烈な予感に熱く腰骨が疼いたのもつかの間、俺は急速に再開された愛撫に追い詰められる。
「あ、アッンゥ、ア、アアアーーーーッッッッ!!」
涙がツゥと頬を伝い、後から後から熱く流れる。そしていつも、何に追い詰められているのか、やがて分からなくなって。

そんで、共に過ごす夜が、通り過ぎる度に行為は激しさを増し、多分、俺達の距離はどんどん広がっていく。
けれど、この暖かさから、俺は逃れられず。
けれど、胸につかえた何かが成長する確かな感触に比例して、彼の表情は俺に移って、ふと、俺の心は此処から遠い何処かへと旅立って。
「チャーリーさん?どうしたんです?なんか、ぼーっとして。」
俺の通称を決めてくれたコレットが、俺を見上げ、小首を傾げながら不思議そうに問う。
「ほんとほんと、なーんか心ここにあらずって感じで失礼しちゃう!」
レイチェルが、両腕を組んで、フン、とそっぽを向きつつ、それに同調する。俺は、その様子の愛らしさに苦笑しつつ、
「いんやぁ?ちゃぁーんと俺はここにいまっせ!さ、今日は何にしましょ♪」
気を取り直して両手を揉む。
そんな、日常。

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湿気を帯びた重たい空気と、街のネオンの中、彼は言う。
「で?今日はドコ行く?」
ニィ、とその唇は両端を持ち上げ、悪戯っぽい笑みを形作る。彼は腰をかがめ、下から覗き込むように俺を見る。暗い青は夜の街でよく光る。フツーの男には絶対に似合わない仕草と笑みと、その両肩を出した装いと。それを、あぁ、綺麗だなぁ、なんてぼんやりと見とれてる俺はもうとっくの昔にいかれているのだ。
くるり、と勢いよく彼は背を向け、「やっぱいつものトコでいっかぁ!」明るくブンブン腕を振り回しながら、俺の前方を勢いよく進む。
聖地での眠たげな顔とはエライ違いで、彼の本領はやはり主に夜の世界なんやと、ほんの僅か苦笑しながら、俺はその後をついて歩く。
後ろから抱きすくめて、『もう聖地に帰らんと、どこかで、ずっと・・・』と耳元で囁いて、それから・・・と知らないうちに、脳みそは勝手に妄想を膨らます。俺のモットーは『楽しいことしかせんで宜しい』だ。だから、こんな苦しい想いは、早いところ通り過ぎるか、あるいは見込みがないなら早いトコ切り替えるか。
人生は有限で、チャンスは限られてるンやしッッ!!
人垣をすいすいと掻き分けながら揺れる金髪が、街のネオンを右へ左へとさばくのを、なんとなしに見つめながら。俺は自分の右の拳を握りしめる。
『こうして会うのは、もうこれっきりにしましょかっ!』
と明るくいえば、
『そうねぇ、そうしよっか!みんなで飲む方が健全で楽しィし!』
と笑って、なんなく貴方が返す。そんで、俺が、
「・・・ですよね!って・・・。」
前を歩く彼が不意に歩みを止め、くるりと、振り向いて、ちょっと呆気に取られたように、俺を見つめる。
「ちょっと、チャーリー。どしたの、アンタ。」
目を丸くしながら、彼は数歩をもって近づき、俺は彼をほんの僅か見下ろす。今日はヒールが高くないんや、とどうでも良いことを思う。
『あやー、すんません。独り言を間違って口に出してたみたいで。あはは、俺ってこういうトコ、不器用であきませんなー。』
すぐに、言い訳など思いつく。いつもなら、口から勝手に飛び出すぐらいのもので。なのに、俺が返したのは沈黙で。
「チャーリー?」
俺の瞳を覗き込みながら、いつもの悪戯っぽい顔が、だんだん、あの時の彼の表情に近づく。
真剣に、ならんといて下さい。今、あの瞳で、見つめられたら、俺は・・・・俺は・・・。
「ねぇ、辛いの?」
きっと俺の今の表情はみれたモンじゃない。涙こそ、枯れてしまったように流れないが、眉は多分これ以上ないくらいに寄って、メガネが目を隠さんかったら、路上におるのも恥ずかしいくらいや。
『何を言わはりますのん?』
唇は、僅かに震えただけだった。
「・・・アタシ、気づいてるよ。」
『知ってます。知ってます。オリヴィエ様が全部お見通しなことくらい。だから、もう・・・・もう・・・。』
「ねぇ、辛いなら・・・。」
何もしなくとも長い睫が、マスカラでボリュームアップしとるせいで、僅かに瞼が降りただけで、怖いような瞳を隠してしまう。
『優しいんですね。オリヴィエ様は。そうですね、・・・そうしましょう。』
唇が、再度震えて、
「言わんといて、ください。」
金縛りが、解けた。俺の、意外と(俺自身も意外だ)しっかりした声に安堵してか、ほぅ、と彼はそっぽを向いて、息を吐き出し、細い指でその鮮やかな前髪を掻き上げた。
あぁ、この泥沼から抜け出す、僅かなチャンスを、俺は棒にふったんや、とどこか冷静に思った。
でも、拳を再度握りしめ直して、俺は言った。
「最初からやり直せたら、どんなにか・・・。」
顔を彼から背けるようにして言った台詞は、呟くような声だったので、周囲の喧噪に紛れて、おそらく彼の耳には届かなかっただろう。
ポツ、と泣きたくても泣けない俺に同情してか、雨が一粒、俺の顔を掠めた。
「俺は。後悔したない(したくない)。」
見ることができなかったのに、何故か、俺は彼の暗い青を睫の上から睨み付けるようにして、今度ははっきりと言った。
周囲の湿気が増して、霧雨が舞う。
『そういう、辛いのは、ごめんです。』
以前、自分が彼に言った自分の言葉が、脳裏で木霊した。何を言ったんやろうか。引けるなら、とっくの昔に引いている。そういう、気持ちを抱える辛さも俺は知らずに。彼に、いったい、何を・・・?
「オリヴィエ様。俺は・・・後悔したない。」
ドン、と往来で立ち尽くしている俺の背に、誰かがぶつかった。アルコールの香り。湿気が増したせいか、街の腐臭も増した気がする。
俺は、それらに、負けないようにはっきりと、言った。
「後悔したない。でも、貴方は・・・。」
けれどその先は、なんと言っていいのか分からなかった。
しとしとと本格的に降り始めようとする雨に、彼のふんわりとブローされた髪が湿気を帯びて重たくなる。
「綺麗ですね、オリヴィエ様は。」
にこ、と俺は歯を見せて、笑って見せた。
そして、踵を返す。振り返ったらアカン、振り返ったらアカン、と胸で強く念じながら、そこをなんとか立ち去った。

雨が降ろうが、風が吹こうが、オリヴィエ様には届かん。
・・・だって、其処には、おらんのやから・・・。

あのとき、あのカフェで。
あの表情(かお)さえ見なかったら。
・・・と、思う。

あのとき、あのホテルで、あんな横顔さえ見なかったら。
・・・と、思う。

結局、俺には。
どうやったって、この雨の冷たさを共有してもらうことなんか、出来ない。

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「ちょっとぉ、心ここにあらずなんてモンじゃなくなぁい?」
使いモンにならん、とレイチェルが肩を竦め、コレットも閉口して溜息をつき、二人はそのまま庭園を去った。
「あ(りがとうございま)したー。・・・いらっしゃーい。」
気の抜けたまま、俺は立ち上がりもせずに言った。こんな日に限って、お客さんが多いのはどういう訳や。
「チャーリーさん?だいじょぶー?」
メルちゃんの高い声と、
「おや、本当。大丈夫ですか?」
ティムカはんの声。
二人はまるで童女のように、仲よさげに俺の広げた露店の前に立つと、二人で一度、不思議そうに顔を見合わせた。
「今日は早ぅ仕舞うで。何か買いに来てくれたンかな?」
商売人としてのアイデンティティもプライドも何もなく、俺は座ったまま二人を見上げ、聞いた。
「え、うん。買いに来たんだけど・・・。」
もごもご、とメルちゃんは何やらやりにくそうにしとる。当たり前や。俺が無愛想すぎるからや。
「ほんとに、何かあったんですか?・・・あ、いや・・・。」
聞いてから、聞いてはいけなかったかな、とばかり、ティムカはんまで口元に指先をやって、もごつく。
びんごぉ、当たりやで、ティムカはーん、と俺は内心で宣いながら、
「いやー、別にこれといって、何かあった訳やないで。ちょっと最近疲れがたまっとって、眠とうて。なんや、具合も悪いんかしらん。」
あはは、と頭を掻きつつ、俺は全身の力を振り絞って立ち上がり、なんとか接客して、キャンディをやっとの思いで売った。こんなヘボい仕事しかできんのに、店をあけるやなんて、全くアマチュアもいいところや。全くなっとらん。俺は自分をたこ殴りにしたい気持ちを抑えながら、店を畳む準備をする。
そこに、近づく2つの足音。あかん。今日は厄日や。
「・・・お、今日はもう仕舞いか?珍しいな。」
俺は、その声に心臓を一度飛び上がらせてから・・・こんなときに、と天を呪いながら、ゆっくりと顔を上げた。
緋色の髪の主と、漆黒の髪の主が、休日らしい軽装で立っていた。しかも、そっちこそ、珍しすぎる取り合わせや。
「えぇ。今日はなんや、日が悪いみたいで。」
照れ笑いするつもりが、失敗して苦笑になってしまって、自然に眉が寄る。知らないうちに、二人は随分仲がよさそうで、まるでジュリアス様とその人みたいな距離感でこちらを見ている。
「もしかして、何か、お二人で買うて下さる予定でした?」
その人の姿に、確実に嫉妬も混ざっている複雑な気持ちを確かに自覚しながら、俺は用件を早く済ませてくれ、と苛立った。
「あぁ、いや。」
と、何か言いかけようとしたオスカー様を遮るように、クラヴィス様は、じっとこちらを見つめたまま。
「あぁ、確かに、今日は日が良くないようだ。また来よう。」
静かな声で無表情に言った。
「え?ちょ、クラヴィス様?」
早速、踵を返して、立ち去ろうとする長身に、彼は慌てて、一度振り返る。
「なんかよくわからんが、すまんな、チャーリー。また来る。」
こっちを向き直って、口元に茶目っ気のある笑みを称えながら、いつものように芝居がかった仕草で肩を竦めて見せ、彼はクラヴィス様の背を追った。

なんで、貴方はそんな綺麗なところで、綺麗に笑ってるんや。
あの人が此処に自分を繋ぐのに、いっぱいいっぱいになってるのは、貴方のせいでしょうに。
二人が、何食わぬ顔で笑っているのを、思い出す。

『さぁ!用事もやぁっと終わったし、聖地に帰るかぁ!今回の出張は肩凝ったー!ほんと!』
『何言ってヤガル。大したことしてないくせに。』
『それは貴方でしょう。』
『なンだと?』
『あぁ、はいはい。もうそれは聞き飽きたっつーの!』
『仲が良ろしゅうて、羨ましい限りで。それじゃ、帰りまっせ〜♪』
『帰ったら飲んで遊んで、羽根のばさなくっちゃ!』
『オリヴィエ・・・。貴方という人は・・・。私も参戦します。』
『そうこなくっちゃ!』

明るくて、邪気のない顔。三人が揃うと、いつもそのテンションだ。
―吟遊詩人は本当は・・・二人を仲良くなんか・・・ずっと、三人で・・・
半分は、吟遊詩人の本音。半分は、吟遊詩人の詩(虚構)の中。

ガタガタガタンッッ!!
剣呑な音をたて、天板を支えていた板が倒れる。
「ツゥっ。」
支えていた片手に、板の角にでも出ていたのか、棘が刺さる。
小さなそれを抜いてから、血を吸い出し、地面に吐き出して。
俺は、途方に暮れて、その場にしゃがみ込んだ。

いったい、何をやっとるんやろうか。俺は。
どうせ。
そう、いずれ、此処を出る身なんやから。
だから・・・。
「だから、後悔したない。」
おーおー、見事な堂々巡りや。
額に手を当てて、俺は何百回目かの溜息を深く吐いた。

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「綺麗ですね、オリヴィエ様は。」
ニコ、いつもの優男の笑みを見せ、男は言った。かえって瞳の表情を際立てているような小さな丸眼鏡の向こうで、彼の目が一度ゆっくりと瞑られ、ゆっくりと開き。彼はアタシに背を向けた。
漫然と、遠ざかる背を見送る。
呼び止めなきゃいけないような気がする反面、絶対に呼び止めてはいけないと感じる。
結局、そのまま首の辺りで緩く結ばれた緑が視界から完全に消えるまで、見送った。

男は一度たりと、振り返らない。

「変なところで、強情な奴・・・。」
クス、と鼻から笑いが抜ける。
やっとの思いで、彼がアタシを振り切った事は分かってる。この場合、何がアタシの誠意になるのかも。
『最初からやり直せたら、どんなにか・・・。』
「うん・・・。」
でも、アンタに分かるかな?アタシの気持ち。
アンタのお陰で、すっかりアタシ、身持ちが悪くなっちゃって。今日も、とてもこのまま帰る気にはなれない。
「ねぇ、君、どうしたの?恋人にでもすっぽかされた?」
優しく耳裏から、やわり、と声をかけられる。
「見てたンじゃないの?」
柔らかく肩を抱かれ、こちらもやんわりとそれを掴んで下ろす。
「バレましたか。」
クス、と笑うのはアタシよりか数センチは長身の、見慣れた男。 「出てきて良いわけ?」
「仮出所、とでも。」
肩を竦め、薄青い髪を鬱陶しげに男は掻き上げる。
「オリヴィエ、今日は随分ヒールが低いようですね?外で会う時は見上げてばかりでしたが。」
本当は、誰か道すがら、ひっかけたかったんだけど。
「?・・・私では不満ですか?」
黒いスラックスにワインレッドのズボン吊り、黒いボレロに紺の立て襟でらしくなく、ビビッドな色合いで決めている男は、失笑気味のアタシの不満をすぐに嗅ぎ取って言う。
「その服、アイツの借り物?似合ってるけど、らしくない。」
口元に指をやりながら、今度こそ失笑してやる。白い顔と薄い色の髪が映えてはいるけど。
「これでもマシな方ですよ。私で宜しければ、お手をどうぞ?」
一瞬、眉を不満げに歪めてから、男はうやうやしく、アタシに頭を下げた。
「ご丁寧に。それじゃ、健全に今日はリュミちゃんと飲むかァ!」
明るく、アタシは差し出された手を上に持ち上げ、掌をこちらに向けさせると、パァン、互いの手を顔の高さで打ち鳴らす。
一瞬、目を点にしたように固まって、何やら思案気に顎を一なですると、リュミエールは長身をほんの少し曲げた。
「健全でない方が?」
片眉を上げながら、アタシの瞳を覗き込むようにして、本気とも冗談ともつかぬことを言う。
「・・・ジョーダン!!」
こっちも一瞬絶句してから、低く呻き、やっと、夜の街で旨い店を探し始めた。

「いいんですか?」
良さそうな店を見繕って、腰を落ち着かせようと互いにカウンターに座りかかったときに、不意に顔が近づき。その拍子に、小さく呟くように聞かれた。
良かったんですか?ではなく、いいんですか?・・・なの??と、少々訝しみつつ、アタシは聞こえないふりで、カウンターに片肘を付く。
「ソルティ・ドッグ。」
「では、私はジン・トニックを。」
思い思いに注文を投げ、沈黙を囲む。程なくして出てきたドリンクに口を付けても、まだどちらも口を開かなかった。アタシの沈黙を数えてくれているのだろうと思ったが、どうにも、楽しい会話をする気分になれない。
つまみを頼まなくちゃ。お腹が減っている。すきっぱらにアルコールだけじゃぁ、と。アタシはメニューボードに目をこらす。
その隙に、近くを擦り抜けたボーイに、軽く指を挙げてみせ、
「アボカドのサラダとキャビアとクラッカー。それからチーズの盛り合わせを。」
男がサラリと注文を済ませてしまう。アタシはますます、自分の唇が不満気に尖るのを感じた。
「ふふ、困りましたね。」
男は、こちらに視線を投げずに静かに笑った。
「何が。」
声まで尖っている。別にこの男になんら、遠慮する必要はないと思いいたれば、ますます憮然とした表情を露わにしてしまう。
「何を怒っているんです。」
カラリ、と男はグラスを揺らし、中をぼんやり眺めている。海色の瞳に、グラスが反射した光の粒が映り込む様子に、アタシはなんとなく、余計に腹を立てる。
「アタシが聞いてンの。何に困ってるって?」
「いえ。そんな様子だと、慰めたくなって困ります。」
不意に、アタシを振り返って、ジィと見つめてくる。見つめ合えば、底なしの海に、危うく吸い込まれそうになる。
「オスカーも苦労するわ。」
アタシは肩を竦めて苦笑する。今度は、向こうの唇が尖る番だった。
「何故そこでオスカーですか。」
プッ、と吹き出して、
「何故そこでオスカーじゃないの。」
言い返してやる。男は小さく降参のポーズを作り、
「降参です。オリヴィエには敵いません。」
ふっ、と小さく息を吐いた。
「よろしい☆」
笑って言えば、その様子にやっと安心したとでも言うような、完成度の高い笑みが返される。
「リュミエール。アンタのこと、好きよ。」
細められた瞳に引き出されるようにして、自然に漏れた言葉は、妙な真剣味を帯びていて、やたら恥ずかしかった。けれど、
「私も貴方が好きです。オリヴィエ。」
真面目に、その鮮やかな唇に爽やかな笑みを浮かべて、けれど少しだけはにかんだ様子で視線をグラスに戻し、男は返した。
「好意って、こんなに簡単に、確認し合えるものなんだ。」
確かに通じ合ったものを感じて、アタシは漏らした。
男は少し俯いて、仕方なさそうに笑い、もう一度私をしっかりと見て、言った。
「いいえ、オリヴィエ。貴方ほどの人が、それを見誤るはずないでしょう?譬え、私と貴方が口づけをしようと、夜を共にしようと、それは互いになんの責任もないのですよ。」
青い目は、分かりきったことを言った。
「いいんですか?」
何かを裁く人のように、その瞳は澄み渡っていて、すぅ、と伏せられた薄い色の睫に、アタシは胸を掴まれた。
ガタ、と音がしたので、アタシは自分が席を立ったことを知る。
「リュミちゃん。」
「頼んだ物は、私が食べておきます。まぁ、今日会えなくとも、明日庭園で会えるとは思いますが。」
ふんわりとリュミエールは再び男とも、女ともつかない完成度の高い笑みを見せる。
「ありがと。」
アタシも、つられて笑った。
「いえ。貴方には色々と借りがあるので。」
鼻頭に皺を寄せ、今度はまるで少年のような顔で、彼は自嘲して首を傾げた。
そういえばそうね。と思い出しつつ、軽く手を挙げ、アタシは夜の街に戻った。

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夜はいつも、明るい調子で始まって、明るい調子で終わる。
「ハッハッハッ・・・ンンッッ、も、もぉ・・・ッッ!!」
彼の背筋が、腹筋が痙攣するのに、キュゥと根本を更に握り込んで意地悪く答える。頂の入り口に、指の腹を強く押し当てて擽る。
ベッドサイドの薄明かりに照らし出された緑色の眉は、苦しげに寄って、
「いっ・・・ンッ!」
ひたすら頭を振り、意味のない呻き声を漏らす。
あぁ、どうしよう。止めどなく漏れ出す透明な先走りを指に絡めながら、「これ以上は」と「もっと」が自分の胸で葛藤する。なんで、そんな声で啼くの。押さえが効かなくなる。
こないだより、今。今よりこんどが酷くなるのは目に見えてる。
確実に跡が残ってしまう吸い方で噛み付くように首筋に唇を這わせ、もう片方の手で胸の先をつまみ上げる。爪が、と躊躇する余裕がない。
「ぅ、あっ、あ!」
思い切り逸れた背が、そのままベッドに倒れ込む。追いかけるようにその上にのしかかり、じっと瞳を見下ろす。いつもは優しげなブラウンアイは、苦しげに欲に濡れそぼって潤んで。
だから、同じ相手とは、危険だと。ずっと、そう思って。
なのに何故?
なのに、何故、離れないの?
「オ・・・リヴィエさ・・・ま?」
戸惑うように呼ばれ、丹田の辺りで吹き上がるような熱が甦る。
「アタシも、もう欲しい。」
焦がれるように掠れる声に、自分で戦く。
「でも、その前に。」
誤魔化すように、耳元に吹き込んで、クスリと笑う。
「あ、アッンゥ、ア、アアアーーーーッッッッ!!」
嬌声が、ますますアタシを煽る。止めどなく溢れる涙に頬を濡らしながら、苦しくて堪らない、とでも言うかのように、彼の唇がかみ締められる。
ゾク、と自分の身に震えが走る。
手を伸ばしてベッドサイドのゴムの袋を口と片手を使って破り、まだ泣き止んでも、息を整えてもいないチャーリーの奥に自分を当てる。突然あてがわれた熱いモノに吃驚するように、チャーリーは肩を竦める。慌ててずり上がろうとするチャーリーの肩口に首をあてて、動きを封じる。
「あ、待っ・・・。ぅ、あ、ぁ・・・。」
前から伝っている僅かな滑りを頼りに、身体をなかば無理矢理に拓く。ガクガクと震えている下肢を宥めるように、腰骨を指先でそっと撫でる。
圧迫感に息を吐けないでいるチャーリーの眉に唇を落としながら。なのに、性急に腰を使う。
「ふ・・・ぐ。」
反応せずに居られないところを、無理に暴いて、殊更すりあげ、追い詰める。
「アッんッッ!」
見る間に、熱を吐き出したばかりのそれが立ち上がって、充血しはじめる。
「アァッ!・・・クッ、ヴィエ、サ、マッ!な・・・ンデッ!」
快楽に溺れると言うよりは、息もつけない強すぎる快楽に助けを求めているようなチャーリーの意味をなさない言葉の中に、アタシは自分の名前を見つける。その度に、ますます追い詰めたくなってしまう本能を、ねじ伏せようとして、うまくいかない。先ほどの涙の跡が乾かないうちに、アーモンド色の瞳から、新たな涙がこぼれ落ち始める。
舌先で時折それを拭いながら、強く、弱く腰を打ち付けるアタシに、必死に縋り付くチャーリーに、思わず不謹慎な笑みが零れる。背中を支えながら、チャーリーの身体を起こしてやれば、ズッ、と更に結合が深まって。
「あ、あ。」
言葉を失って、我を失って、そして、綻んだ唇から、唾液が零れる。
べちゃ、とソレも拭って、そのまま唇から舌を差し入れる。
「ふっ、・・・ん。」
抱き合っているお互いに熱い肌の感触と、ふれあっている粘膜の感触に、チャーリーがやっと安心したように、身体から力を抜く。そして、また結合が深まる。
「クゥッン・・・」
辛そうに啼いて、でも、アタシを抱きしめる腕に力が籠もって。
肌に爪を立てないでとか、そういうこと言い合う余裕があったのって、いつくらいまでだっけ?
子供をあやすように、彼の後頭部を撫でる。背を撫でる。
離れなくちゃ。こんな関係はよくないって、アンタも思ってるんでしょう?
離れなくちゃ。
ねぇ、離れなくちゃ。
辛いのは、ごめんなんでしょう?

不思議ね。
アイツが居なきゃ、多分アタシとアンタってこうなってないのに。
アイツと出会う前に、アンタと会ってたらって。
たまに考えるよ。

「な、んで・・・。」
もう苦しいほどの快楽は過ぎ去ったはずなのに、チャーリーの涙が止まらない。

泣かせたい訳じゃない。
でも、抑えられない。
求め合って、一晩寝たら、きっとまた、ケロリと笑ってみせるから。
お互い楽しむだけ楽しんだだけだと、暗にそう言って見せるから。

ゾロリ、と立ち上がっているチャーリーのそれを、指でやさしくなで上げ、それから先の敏感な部分を親指と人差し指の間で強く挟み込む。
「イッッ!」
突然のキツい刺激に、チャーリーの眉が再び苦しげに歪み、茶色の瞳が何かを懇願するように、アタシの瞳を見つめる。
「駄、目☆」
何が?と、彼に問う暇も与えず、また我を忘れるほど、追い上げる。アタシ自身の我慢が効かなくなるまで。
追い詰められているのは、どっちかなんて。
もうとっくに分からなくなってる。
焦点を失って、濡れるブラウンに、熱を煽られ、追い上げられて。アタシはブルリ、と何度目かの身震いを覚え、やっと中に欲を放った。


泣き腫らした頬と瞼を冷やすように、アタシは濡れタオルを作って、チャーリーの目元を覆うように乗せる。
「ん・・・。」
気持ちよさげな声と共に、チャーリーの骨張った器用そうな指がアタシの手を掴む。多分、反射的に。
ベッドに腰掛けながら、身を捩るようにしてタオルを乗せたアタシは、苦しい体勢のまま固まって、暫し困り果てる。
「眠んなさい。」
そのまま、掴まれた手を頬にゆっくりと当てると、安心したように、掌は離れていった。
眉間に寄った皺が解かれたのを見てから、小さく息を吐く。

いつでも、大人になれることだけが、アタシの売りでしょうに。
こちらから『もう、終わりにしましょうか。』とは言い出せない。小さく口の端を持ちあげ、自嘲気味に嗤う。
でもだから、その時がきたら、引き留めては駄目。
それだけがルール。

きっとそう思うからこそ、余計に酷い仕打ちになってるんだろうと、薄々勘づいていたことに改めて気づいて、アタシはまた息を吐いた。

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男はいつもの、もはや制服と思われるその格好で、独り言をぶつくさ言いながら、早くも店じまいを始めている。
なんで?こんな真っ昼間に・・・それに、いつもの露店が見事に崩壊しているようにも見える。
早足で歩みを進めると、
「だーーーーーーっっ!ほんまにもぅ!今日はもう仕舞いやとっ!!言うて・・・。」
怒鳴るように喚きながら、突然こちらを振り返ったチャーリーが、アタシの顔を見たまま、固まってしまう。
「あー・・・っと、ごめん。別に何かを買いに来た訳じゃなく。」
こっちも突然の怒鳴り声に、若干固まる。
なんだか色々、悶々と考えてきたことがあったような気がするのに、気の利いた台詞の一つも出ない。
「な、なんです?」
向こうも、やたらめったら決まり悪そうにしている。当たり前だ。昨日が昨日だし。
「あー・・・、えぇーーっとぉ・・・。」
滅多にやらないけど、思わず頭髪をくしゃっと自分で潰す。
「・・・。」
向こうは何を言われるのかと、確実に血の気を引かせながら、身動きもせず、アタシを見つめている。
あぁ、苦手だ。アンタのその弱ったり困ったりしてる顔、ジュリアスのこわぁーーーい顔よりよっぽど苦手。
「そんな顔、しないでよ。」
アタシも困り果てて、やっと言った。
「そんな顔、て言われても。」
ますます困った顔で見返される。
「出来るかどうか、分かンないけど。」
同じ高さの明るいアーモンド色を、じっと見つめて、言った。
そんな顔されると、今すぐ、どうにかしたくなってくる。
「最初から、やり直そう。」
本能を宥め梳かして、なんとか言う。ごくり、と唾を飲み込む音がしたけど、どっちのだか分かりゃしない。
あのケダモノ達と、アタシは別の生物だって信じてたのに、これじゃ大した違いは見つけられないかも。
「でっ、でも、そのぅ・・・。オリヴィエ様?」
「だぁかぁらぁ!困った顔しないで。こっちが困るって。」
バチン、と耐えきれずに両手でその優男の頬を挟み込む。モノの見事に不細工面に変身してくれて、アタシは反射的に吹き出してしまう。
「ふぉんまに?(ほんまに?)」
潤んでいる瞳に、両頬を挟み込んだまま、唇を落とす。
「ホンマに。」
慣れないせいで、変なイントネーションだったかもしれないけど、そこら辺は許してもらおう。
「だって、いふ(いつ)もどっか、遠くを見て。」
「うん。」
両頬を離して、左手を後頭部に回して撫でてやる。
「触れば届く距離に居れば居るほど、遠かったのに・・・っ!」
「うん。」
「今さらっ、無理ですよッッ!」
「うん。」
「むっ・・・ぅっ!」
伏せられた顔を軽く、右の指の背でなぞりながら、眉の当たりに唇を落とす。 「うん。ごめん。」
「なんで、謝るンです・・・かっ!」
「うん、でも、やってみよ。」
公園を利用している、いくらかのカップルが、物珍しげに、歩みを遅くしながら通り過ぎる。
暫くそうしていながら、あーぁ、アタシ、自分で決めたルール破るのって実は初めてかも。結構プライド傷つくわ、これって。と、ちょっと・・・いや、かなり不謹慎などうでもいい事を考えていた。

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あのとき、あのカフェで。
あの表情(かお)さえ見なかったら。
・・・いったい、どうなってたんやろう?

外で待ち合わせにしよう、という話になって、金の曜日に外に繰り出す。
ここまでは一緒やけど・・・問題は、こっから先で。
パラパラと傘もないのに雨がちらつく。屋根のあるところで待ち合わせにすれば良かったんや、俺の阿呆・・・と思いながら、肩を濡らして想い人を待つ。
ぱたぱたぱた、と頭に手を翳しながら、周囲の注目をそれとなく集めている人が俺の元へ走り込んでくる。
「こンの、雨男!」
開口一番は、随分な言いがかりで。でも俺は眉をさげつつ笑う。
「オリヴィエ様。メイクがあれそうな雨ですね。こりゃあ。」
互いの肩はもう濡れそぼってしまって、このまま店に入ったら眉を顰められてしまうレベルだ。
「アタシのメイクはウォータープルーフだっつの!さ、いこ!!・・・っと!!・・・じゃなかった。えぇっと、アタシ、オリヴィエ。ねぇ、アンタは?」
首を傾げて悪戯っぽく笑うダークブルーに、俺はドキン、と今更、胸を躍らす。
「あー、と。俺は・・・そう。好きに呼んで欲し、ぃ・・・。」
あぁ、あかん、恥ずかしすぎて、声が小さなる。なんやの、向こうの役者っぷりに大して、この学芸会は。
「それじゃ、チェリー?」
「なぁっ!?なんっつーこというんですか!!」
「ほんじゃ、チャーリー。」
つまらなそうに唇が尖る。
「は、はい・・・。」
しとしとと肩が濡れる。
「ほんじゃ、改めていこ!あ、そうそう。今日は記念すべき出会いの日じゃない?だから、飲んだら帰ろ。」
「なんか、そういうのを最初っから言うのも、なんや違うような・・・。」
「なんか言った?」
「いや、別に・・・。何も。」
すれ違う人、人が、誰しも優しく微笑んで見える。街は明るく弾んでいるように。俺ってやっぱ、相っ当、おめでたい阿呆なんやろうな、と脳裏で笑う。
振り返り様、口を開けて無邪気に笑うオリヴィエ様が眩しい。



ねぇ、今、この雨の冷たさは、貴方に響いていますか?



終。
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