※ご注意※
クラヴィス様とジュリアス様がとても仲良くしています。また、お二人の過去のやりとりの捏造があります。それでもOKという方は、お楽しみ下されば幸いです。
【とても珍しい、とある休日】
その日は珍しく昼下がりから外に出る気になった。その上、珍しく、散策に出て気がついたら、光の守護聖の庭に居た。そこで更に珍しく、光の守護聖の私邸を尋ねる気になり、門を叩いた。
私を迎え入れたジュリアスの館の者は、少し驚いた顔をして、けれども暖かく微笑むと、私をジュリアスの居る部屋へと案内した。部屋の前で、先の案内人はノックもせずに、「中で休まれています。宜しければ、本日はノックをせずに御入り下さい。」とだけ言い残し、一礼して去って行った。私はふむ、と一息ついてから、ノックをせずに部屋に入った。
その部屋は、何度か来たことのある、ジュリアスの書斎の一つだった。ジュリアスは窓際の揺り椅子に腰掛け、これもまた珍しいことに、本を腰の上に開いたまま、寝入っているようであった。私は側に行って、随分熟睡している様子のジュリアスの顔を暫し見下ろした。時は既に夕暮れの頃合いで、窓の外はオレンジ色に染まっている。そういえば、随分と疲れている様子だったと、この所のジュリアスの様子を思い出し、起こすのも忍びなく、帰ろうかと逡巡する。そこで、ジュリアスが読みかかっている本が、珍しく絵本のような、児童書のような体裁であることに気づいた。
背表紙には、「旅人の話」とあった。
「旅人」とは、またこの男に似合わぬコンセプトではないか、と私は思わず小さく笑う。
興味と悪戯心に駆られ、ジュリアスを起こさぬよう、慎重にその本を手に取り、近くにあったソファに腰を下ろし、開いてみた。白黒の線画による風景の挿絵が数枚入っており、後は、古典的な書体で物語が綴られている。知らず、内容に目を通し始めた。
***
ひとりの、旅人がいました。
その旅人は、物心ついた頃には、ある旅人に連れられて旅をしていたのです。
けれども、あるとき、旅の最中に年長の旅人は病に倒れました。
年少の旅人は、それを看取り、また旅を続けました。
あるときには、旅人は「小さな村」にたどり着きました。
その村では、村人は畑を耕して生活していました。
旅人を見ると、村人たちは畑で取れた作物と、作物を絞った飲み物で旅人の疲れを癒しました。
旅人は、お礼にと言って、持っていた「リュート」という楽器で音楽を奏でました。
村人は初めて聴く「音楽」というものに、とても喜び、旅人に「どうぞ暫く我が村でゆっくりしていって下さい。」と言いました。
旅人は、暫くその村で過ごす事になりました。
翌朝、村では、村人たちが待ち望んでいた雨が降り、畑を潤しました。
そこで、村人は、また夜になったら、長老の家で音楽を聴かせて下さいと言い、旅人はそれに応えました。
旅人の音楽が夜の恒例となった頃に、村の一人の青年が、「私に音楽を教えて下さい」と旅人に言いました。
旅人は青年と、他の村人と共に、村の近くの森から木を切り出し、新たな楽器を作って、青年に音楽を教えました。村には音楽が溢れ、村人たちは日々の生活の潤いとしました。
ある日、旅人が、村に礼をいい、旅に戻ろうとすると、村人たちは大変残念に思いましたが、旅人の意志が変わらないことを知ると、お別れの会を催しました。
村人たちは、青年を中心として様々な音楽を旅人に送り、旅人はそれに音楽で応えました。
次に旅人がたどり着いたのは、「海辺の村」でした。
そこは「小さな村」よりも、もっと小さく、老人が数名と、少年と少女が数名いるだけの村でした。けれども、海辺の村の村人たちは、海で漁をしたり、近くの森で木の実を採集したりすることで、生活することには困っていませんでした。
旅人が若い大人が居ないことを不思議に思って尋ねると、老人の一人が「今は彼らは街に出稼ぎに行っているのです。」と答えました。
旅人は、暫くの間、その海辺の村に留まり、老人たちが漁をしたり、少年少女たちが木の実を採集するのを手伝ったりしました。
食事の時間になると、旅人は木の実の殻を少しナイフで加工して、食卓の飾りをこさえました。村人たちはとても喜び、最も手先の器用な少年が、旅人の真似をして飾りを作り始めました。
やがて、出稼ぎに行っていた村人の一人が村に戻ると、食卓の飾りに驚き、「これならば、街に行く途中で腐ることもありません。これを街に行って売って参ります。」と言いました。
少年や少女たちは、木の実の採取の合間に、競って食卓の飾りや、旅人が身につけていた耳飾りや腕輪を真似て、身体を飾る品々を作るようになりました。
やがて、一人の老人が、病に臥せってしまいました。もう自分の命が長くないことを知った老人は、薬を街に買いに行こうとする少年たちを止めて、「大丈夫だ」と言いました。旅人は、臥せった老人の側に居て、話をするでもなく、じっとしていました。旅人が老人に時折音楽を奏でてやると、老人は「やぁ、私は贅沢な最期を迎える」と呟きました。
老人は数日後に息を引き取りました。少年少女たちは泣きました。村人たちが、死人(しびと)を泣きながら海に流そうとすると、小舟の上で、旅人は老人を送り出す唄を歌いました。旅人たちは不思議な唄に暫し聴き入っていましたが、繰り返しの多いその唄を、やがて誰とも無く口ずさみ始め、安らかに海に還ろうとする老人を祝福しました。
ある日、旅人が村に礼を言い、旅に戻ろうとすると、村人たちは大変残念に思いましたが、旅人の意志が変わらないことを知ると、最後の食事の準備を始めました。
村人たちは、慣れないながらに、旅人を送り出す唄をつくり、みんなで歌いました。旅人は楽器を用いた音楽で応え、少年少女たちと、それぞれに作った腕輪を交換しました。
旅人の旅は続き、やがて旅人は老人になりました。そして旅人は「最期の村」にたどり着きました。
旅人は、そこでも暫く村人たちと生活し、次の旅に出ようとしましたが、病に臥せってしまい、旅を続けることが叶わなくなってしまいました。一人の青年が、旅人の看病を申し出て、旅人の世話をしました。青年が何度も旅人に旅の話をせがむので、旅人は、これまで旅をしてきた様々な村で出会った人々、起こった出来事について青年に語りました。
青年が、「私には、いつも父が居て、母が居ます。貴方は淋しくはないですか?」と聞くと、旅人はうっすらと微笑み、淋しいと思ったことはない、と答えました。
青年が、「故郷がないことは、淋しくはないですか?」と聞くと、旅人はまた、何かを思い出すように微笑んで、淋しいと思ったことはない、と答えました。
青年が、「この村が貴方の旅の最期の村になりますね。」と涙ぐんでいうと、旅人は慰めるように青年の頬に手を伸ばし、次は海を旅しようと思う、と答え、目を閉じました。
青年は、旅人がもう目を覚まさないことを知ると、旅人を送り出す唄を歌い始めました。村人たちも青年の家に集まって来て、みんなで唄を歌い、旅人の次の旅路を祝福しました。
青年は長老に、旅人を海に送り出したいと申し出て、その後も村に帰らないかも知れない、と告げました。長老はそれを受入れ、青年を村から送り出す唄をつくり、みんなで歌いました。青年は、旅人の楽器を手にとり、旅人から教わったように、楽器を用いた音楽で応えました。
青年は、海辺の村にたどり着き、村人たちと共に唄を歌い、旅人を海に送り出しました。
青年は、淋しい、と思いました。
青年と村人たちが浜辺に戻ると、ざぁっと風が辺りに吹きつけました。青年が風に促されるように、顔を上げると、見た事の無い海に、見た事の無い景色がありました。けれども、最期の村で見ていたのと同じように、空がありました。水平線には、やはり見た事の無い、大きな美しい夕日が沈んで行こうとしていました。振り返ると、その夕日に照らし出された海辺の村の村人たちの姿がありました。
青年は、旅人が淋しくなかった訳が分かった気がしました。
青年は、空に向かって祝福の唄を歌い、村人たちに別れを告げると、また旅に出ました。
***
丁度読み終わった頃合いに、
「来ていたのか。」
と、声を掛けられて、視線を上げる。ジュリアスが、揺り椅子から身体を起こし、こちらを見ていた。丁度、斜向いに、やや距離をあけて、薄暗くなった部屋の中、視線を合わせる。ジュリアスはややきまり悪そうに金髪を掻きあげ、
「どこまで読んだ。」
と再び語尾を下げて尋ねた。
「丁度、青年が旅人になったところだ。」
私が応えると、
「全てだな。」
と淡白にジュリアスが言う。私はクスリと笑ってから応じる。
「ああ。」
またジュリアスがきまり悪そうに少しばかり眉を寄せるので、
「珍しい本を読んでいる。」
と、こちらから切り出した。
「何故かたまに読み返したくなるのだ。少し、疲れているせいもある・・・。」
独り言を呟くようにジュリアスは言い、それから、キュ、とまた眉根を寄せて、
「余計なことを話しているな。忘れろ。」
とぶっきらぼうに口を閉じた。それから、
「いつから居たのだ?」
と話を唐突に変える。私はそれに乗ってやる。
「それほど長くない。来てすぐにこの本に興味を駆られ、読み始めた。読み終わるか終わらないかでお前が起きた、そういうことであろう。」
と説明してやると、「ふむ。」と男は返答にもならぬ返答を返す。
「飲み物を用意しよう。何が良い。」
「では、コーヒーをウィスキーで割ってくれ。」
ジュリアスはそこでニヤリと笑い、
「ウィスキーをコーヒーで割るのだな。分かった。」
と皮肉を言う。私は、思わず喉で笑う。ジュリアスが内線越しに用件を伝えると、ほどなく、先の館の者がやって来て、私の座るソファに付けられているローテーブルに頼んだものを、ジュリアスの揺り椅子の側の小さなテーブルにエスプレッソを置いて、既に暗闇に没しようとしている部屋に明かりを灯し、部屋のカーテンを引いてから、静かに退室する。
飲み物に口を付けてから、ジュリアスが、口を開く。
「私は、旅をしたことがない。」
「仕事でしているだろう。お前の大好きな出張というやつを。」
私が小さく笑うと、ジュリアスはまた不機嫌そうに眉を顰める。けれども、ジュリアスは、静かに続けた。
「必要に駆られて移動することではない。自分の意志で、思うままにする旅だ。」
「なるほど。」
したことがない筈だ。何故ならば、守護聖にはそのような自由は無く、守護聖になる前には、ジュリアスはほんの子供だった。思ってから、思い出すように、私も此処に来た時点では子供だったと内心で可笑しく思う。
「どのようなものだ。旅とは。」
尋ねられるが、応えるのは難しい。私は私の意志で旅をしていた訳ではなく、物心ついた時には、旅とは日常だった。
「分からぬ。」
私が緩く頭を振ると、ジュリアスは一瞬、キョトンとしてから、安心したように笑んだ。
「そうか。」
と。
「お前は、守護聖の任が終わったら、また旅をする生活に戻るのか?」
珍しく、語尾を上げて質問らしく質問をされる。そのことに思わず声を上げて笑うと、ムッとしたように、
「何が可笑しい。」
とまた語尾を下げて聞かれる。私は手を上げて、笑いを抑えてから、一つ目の質問にだけ応えた。
「おそらくは。他に生き方を知らぬ。」
私に、何か言いかけるように、一度ジュリアスは口を開き、それから又、閉じる。それからゆっくりと口を開いた。
「もし、その本のように、旅人が旅をすることで、何かの役に立つというのなら、私もいつか旅をしてみたい。」
実にジュリアスらしい考え方だとは思いながらも、私は思ったことを返した。
「旅とは、自分のためにするものだ。おそらく。」
ジュリアスは、また小さく眉根を寄せ、けれども、クックと喉で忍ぶように笑ってから、
「そうか。」
と短く言う。それから、カップを口元に運び、ソーサーに戻してから、
「私は旅人にはなれぬな。」
と穏やかに続けた。私も応じるように一口暖かなカップの中身を飲む。
「そうとも限らぬ。決まりがあるわけではない。変わった旅人も居ていいだろう。」
「お前に、変わり者と言われる日が来るとはな。」
ハッハ、と愉快気に笑うジュリアスは、
「しかし、私に勤まるだろうか。」
と、どこか遠くに視線を馳せる。『勤まる』とは、また旅人に似つかわしくない言葉だな、と思う。そして、「旅人の話」の冒頭で、旅をしている年長と年少の二人組の旅人を思った。それからニヤリと笑う。
「ふむ、そうだな。」
ジュリアスの瞳が僅かに真剣味を帯びて、私を見つめる。私は勿体ぶるように、もう一度喉を潤してから、まっすぐにその瞳を見返して続ける。
「旅は、一人でするものとは限らない。したことがある者と共にならば、お前にもできるのではないか。」
一瞬の沈黙が部屋に満ちた。
そして、ジュリアスと私は吹き出すように笑った。
二人で珍しく声を上げて笑いながら、幼少の頃の自分達を思い出していた。
聖地での生活に慣れず、寝付けずに毎夜泣いて過ごす私の元に、ジュリアスが尋ねて来たことがあった。
「何が不安なのだ。」
「いつも同じ所で寝るの、変。」
「どこが変なのだ?」
「閉じ込められているみたい。」
「ふむ。」
幼いジュリアスは、暫し考えてから、
「では、こうしよう。」
と言って、ベッドに腰掛ける私の手を取り、寝室から抜け出し、応接室のカウチの前で立ち止まると先に腰を下ろした。ポンポン、と隣を叩いて、座るように促され、私は意味を取りかねながら、そこに腰を下ろす。何か思い立ったように、ジュリアスはすぐに席を立ち、パタパタと駆け出して行く。暫く待っていると、掛け布団を持って戻って来た。再び私の隣に腰を下ろし、くるりと私の身体と自分の身体を包み込むと、
「今日はここで共に寝よう。」
と言った。ハラハラとした様子で私達二人を見つめる館の者達の様子をものともせず、ジュリアスは私の身体ごと、バフリと背を座面につけた。
「お前は子供だから、体温が高いのだな。」
ジュリアスの身体は暖かく、私はどちらの体温が高いのか分からないと思ったが、何も言わずにされるがまま、ジュリアスの傍らでじっとしていた。瞼を閉じると、母と共に布で包まって寝る日を、ほんの少し思い出した。そして、ほどなく私はジュリアスの鼓動の音を聞きながら、眠りに落ちた。
・・・いつか、私のサクリアが尽きるとき。
時を同じくして、ジュリアスのサクリアが尽きるとは限らない。
けれどももし、そのようなことがあったなら、旅の道連れは、この五月蝿い男というのも、面白いかもしれない等と、私はやはり、珍しいことを思った。
「なんだ?」
「いや、なんでもない。」
仕方なさそうにジュリアスは笑い、そろそろ食事にしよう、お前も食べるか?と尋ね、私はそれに笑んで応えた。
終。
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