嵐の後




●第一話:嵐の後、土砂降り

Side: Oscar

乗馬の時は常であるように、一つに括られた金の髪。ベージュの薄手の革製のシャツの上で、それが文字通り馬の尾のように時折、右へ、左へとリズムを刻む。常歩(ウォーク)で足場の悪い森の細い道をほとんど掻き分けるようにして進んでいた。そろそろ降りて引いた方が、と進言しようとしたところで、ジュリアス様には珍しい大きな声。
「おお!見よ!オスカー!」
その声に応ずるように、彼の愛馬が軽速歩(トロット)になる。樹々の枝に肩が触れるのも構わずに先に進むジュリアス様に驚きつつ、それに続く。
ザァッと一気に視界が晴れて、崖の上に出た。聖地を見渡すばかりでなく、聖地の門の先までを見通す切り立った崖。
ふふ、とジュリアス様は軽やかな笑い声を漏らし、俺を振り返った。
ビョォ、と強い風が通り抜け、馬を落ち着かせるように上体を倒す金の髪の主。するりと髪留めが風に取られて吹き飛ばされ、長い金髪が風に踊る。
昼下がり、聖地の優しい陽の光の下。
まるでこの世のモノとは思いがたい、その光景に、俺はただ、微動だにする事もできず、打ちのめされていた。
不意に、強かった風がシュルリと収まる。
「お前と、ここに来たかったのだ。」
ジュリアス様は、上体を起こすと、ゆったりと首座の余裕の笑みを見せた。


―――これは・・・ではない。


何故だろう?
なんでか、直感的にそう思って。
それで俺は・・・酷く、安心した。

----

嵐の後は、必ず晴れるなんて、誰が言った?
俺は絶対に信じないぞ。何故なら、嵐の後はほら、な?
ご覧の通り、土砂降りって訳だ。

「そうとも限らぬが、な。」

ボソリと隣を歩く俺より長身の古参の守護聖が、俺の内心の問いを読んだように漏らす。
『アンタのせいでしょーが!!』
と、胸中で叫び、カツン、と足を止め、ギロリと睨んで隣を見やるが、どこ吹く風でクックッと喉を鳴らされる。
「行くぞ。」
構わず歩き続ける長身の背中に、俺は「どーしてこーなった!!」とダン、と俺は宮殿の廊下をもう一度ブーツのヒールで叩き、小さく叫んだ。

つまり、こうだった。

まさしく嵐のような、惑星間トラブル。紛争一歩手前といって差し支えの無い状況を、ジュリアス様と俺とエルンストという「緊急対応お定まり」になりつつある面子で対応した。そして、程なく嵐は過ぎ去った。
片方の惑星が軌道のズレによる環境激変によって、ヒトが居住不可能になったところを、隣の惑星に避難させるという一大事業だったが、なんとか避難のスケジューリングと惑星の首脳陣の会合のコーディネーションを成り立たせ、これまたなんとか小康状態まで持って行った訳だ。その殆どは、まさしくジュリアス様の功績だが、俺とエルンストだって、遊んでた訳じゃない。ジュリアス様と時に対等に意見し、時に指示に従い、おそらく『このチームだったからこそ』の成果を上げるのには、それなりに貢献したつもりだ。

で、嵐が過ぎ去った後。まさしく今。

ジュリアス様が続きに続いた疲労と緊張で、倒れられるという事態。つまり、土砂降りの始まりって訳だ。
ジュリアス様がおられれば、一日も掛からぬであろう小さなトラブルに対応するために、残りの守護聖で奔走するのだが、その組み合わせは天才肌の陛下とロザリアによる采配で、険悪と言っていい組み合わせで固められた。つまり、俺とクラヴィス様だ。ゼフェルなんぞはランディと2人組で組まされ、「おいオッサン、アンタのが未だマシだぜ!!」と出張案のレジュメをヒラヒラさせながら辞令を見せてきたが、俺の返答は「子供の喧嘩と一緒にするな。」という拳骨だった事は言うまでもない。それほどの重大案件でない仕事を共に対応する事で、日頃の不仲の解消を行い、チームワークを形成しようという采配は、まさしく高次の視座から発せられるもので、普段の俺なら文句なんか言うはずも無い。無いんだ!
だが、俺だって限界に達しようという、この時期に!!何故!!よりによって!!この男となんだ!!と天に向かって胸中で叫ぶくらいの自由はあって・・・も、いいのではないかと思う。
クラヴィス様との出張に関するブリーフィングを、彼の執務室付けの私室でこなし、小径が整備されていない惑星への出張であるため、船で移動を行う事になった。船で!!よりによって!!この男と!!二人きり!!(正確には研究院から技官が派遣されているので、二人きりという訳ではないが。)
結局、道中の船の中。どうしたって二人で食事を摂る羽目になっていた。余程、不機嫌な顔でもしていたのか、意地の悪そうな笑みで、
「スープが冷めるぞ?」
と言われたが、出されているスープはヴィシソワーズで、残念ながら、とても良く冷えている。ったく、なんというイヤミだ!
「冷え冷えの芋スープで、心まで冷えているようで。これは失礼しました。」
我ながら刺々しい笑みで答えながら、スープを味わう。フッと男はいつものように鼻先で笑いながら、スープを音無くマイペースに飲み続ける。目の前の男と俺は、行き先の惑星に合わせてTシャツに綿のラフなパンツという、聖地生活では(特にこの男に限っては)あまり見ない格好だ。にも関わらず、どこか品があるように見えるのは、何故なのか、よく分からなかった。
「その様子では、心が冷えているようには見えぬがな。」
スープに視線を落としながら含み笑いする男が言いたいのは、『むしろ、頭に血が登っているのではないか?』という事だろう。よくご存知で。俺は内心で舌を出す。
「安心せよ。私もお前との出張が心地よいという訳ではない。」
テーブルに両肘をついて、男は顎の下で手を組んでやはり意地悪く笑う。(言っておくが、俺の見方が悪いという訳じゃない。本当に底意地が悪いんだ、この人の微笑み方は!)
「そいつはどーも。気が合って光栄です。」
棒読みで返してから、いつまでもこうしてても拉致があかんな、と俺は頭を仕事モードに無理矢理切り替える。
「それで。現地に着いてからは別行動でいいのですよね。私は治安の方の現状を調べます。クラヴィス様は信仰の方を調べるということで。」
「ああ。神殿と図書館をみるつもりだが。お前は無理をせぬ方が良かろう。」
珍しく、仕事をしてくれるんだろうか、と俺は半信半疑で食事に戻った真っ黒な男を、スプーン越しにちらりと見やる。
『無理をせぬ方が』だと?俺が働かなければ誰が働くんだ。別段、期待しちゃいない。もし治安の方がさっさと調査終了となれば、俺は信仰の方の下調べも自分で済ませるつもりだった。問題なのは、確かにいい加減、俺の底なしの体力も限界だということ。俺の数倍働いて、今倒れられているジュリアス様を思えば、俺がこんなところで倒れる訳にいかないのは、分かり切っている。俺は体調調整の意味で、目の前の食事を黙々と消化していく。この男との会食を楽しむつもりもないので、ペースを合わせるつもりなど、さらさらなく、味はしなかった。
「少しは楽しんだらどうだ?私との食事が面白くないとしても、そうカッカして食べたのでは、消化に触ろうが。」
俺がデザートに差し掛かるまで、お互いに黙って食べ続けていたが、まだメインの魚料理にナイフとフォークをあてている闇の守護聖が、やれやれと言いたげに重たい口を開く。
『急く気持ちは分からぬでもないが、もう少しゆっくり食事を摂れ。消化に触る。』
不意に、先の出張でジュリアス様から受けた指摘を思い出し、なんだか面白くない気持ちになる。あの方と、この男の考え方は酷く遠い。真逆と言っていいことが殆ど。・・・な、はずなのに、時折、確かに幼馴染みなのだと思うような言動がチラリチラリと鼻先を掠める。そんな時、何故か俺はこういった気持ちになってしまうのだった。
『だから、アンタが嫌いなんだ・・・。』
思ってから、自分で訝しむ。『だから』・・・?・・・飛躍し過ぎている。ジュリアス様と幼馴染みだから、この男が嫌いとはどういった了見だ。我ながら意味不明だった。
「・・・どうした?」
不意に、ナイフの手を止めて、視線が持ち上がる気配。俺もデザートスプーンに伸ばそうとした手を中途半端に止め、視線を上げる。俺から嫌味が返ってこない事に、単純な疑問を浮かべる、淡白な青白い顔。
「いえ・・・。」
それを見つめ返して、無表情に答える。
これではまるで、ふて腐れているゼフェルと変わらんぜ、と俺は自分で自分にやや呆れつつ、シャーベットを一口。冷たく、甘過ぎない、やや淡白な味。冷たく、静かな、死を思わせる空間。闇の世界・・・。リュミエールは、いつもこの男と、こんなに冷たい食事を囲んでいるのだろうか。あの、氷のような微笑は、こういった食事から成っているのか?
緩慢な俺の思考がテーブルの上を過ぎ去って行くのを、パン、という渇いた拍手が止める。吃驚して、スプーンを咥えた間抜け面のまま、視線を上げると、
「少し寒いな。暖かい飲み物を。」
変わらぬ無表情で、給仕に希望を伝えるクラヴィス様の横顔を、思わずマジマジと見つめてしまう。俺を気遣って下さっている?・・・まさかな?
「慣れぬ格好で、体温が定まらぬ。」
何喰わぬ顔で食事に戻る闇の男の、見慣れぬボートネック姿をもう一度眺めて、『なるほど。』と俺はほっと胸を撫で下ろした。

----

着いて早々、強行軍で視察予定の市街地を手早く廻り、朝食は抜き、昼食は移動しながら済ませた。そろそろ晩飯の時間だと言う頃合いに、なんとか最後の予定地を廻り終え、食事をしてから宿泊地に戻るか、戻ってから食事にするか、一瞬迷った。それにしても、事前に話には聞いていたものの、この惑星の湿度は酷いもんだ、と溜め息をついて、肩先で顎を伝う汗を拭う。ここのところの疲労感もあり、食事を摂ろうにも、入りそうにないなと判断し、俺は人ごみを掻き分けるようにして、宿泊地を目指した。
ホテル内は流石に空調が行き届いており、一気に汗が引いて行く。フロントで鍵を受け取ると、まずはシャワーだな、と自室に戻るなり、Tシャツを脱いで上半身裸になりながら、ベッドに向かう。手早く畳んだシャツをベッドの上に置いて、着ていたパンツを脱ごうとベルトに手をかけたところで、視界の端にあり得ぬものを認め、動きが止まる。
『ん?!』
まさかな、と思いながら、恐る恐る、窓際の応接セットに視線をやると、一人掛けのソファの肘掛けに、ゆったりと肩肘をつき、頬杖をつくようにして此方に視線を送る闇の男が居た。ガタタ、と大袈裟な音がして、俺はバランスを崩し、ドタリとベッドに座り込む。この人は、『気配を殺していた』とでも言うつもりだろうか。・・・何の為に?
「えっと、スミマセン。部屋を・・・。」
間違えました・・・と口にしようとして、
「安心しろ。お前の部屋だ。」
当然のような顔で返される。『なんで!アンタが!俺の!部屋に!いる!!』パクパクと台詞は音にならずに、空気だけを食んでしまう。
さらりと衣擦れの音がして、男が立ち上がる。男は、いつの間にか、楽そうなブラウスのようなデザインの、金糸の刺繍の美しい黒シャツに着替えていた。もうシャワーを浴びたのかも知れない。明らかに今考えるべき事でないことを考えているなと思いながら、ただ、ベッドを悠然とした足取りで回り込んでくる男を漫然と待ってしまい、するり、とその白く冷たい右手が伸びて、俺の額に当てられた。
「やはりか。」
気持ちいい、と思ってしまい、反射的に目を瞑ってしまった。顎が上がって、まるで強請っているようではないかと思って、俺は慌ててその手を右手を使って、ゆっくりとどける。最低限、年長者への敬意は払った、と思う。上半身裸で、ベルトを外しかけた間抜けな格好ではあったが。
伏し目がちな紫の瞳を見上げつつ、
「やはり、と言いますと?」
と、問う。
「船からずっと、顔色が悪かった。熱が出ているぞ。」
まさか、馬鹿な。俺は自分の体調は管理できている。体力的に限界だから、昨日とて、食事が済んですぐに休んだし、晩餐も昼食も全て平らげたのだ。何を言う・・・、と思ったあたりで、カーーーーーーっと自分に対する怒りと羞恥で顔が真っ赤になる感覚。続いて、じわり、と視界がぼやけた。泣く?俺が??なんで!!
俺はすっくと立ち上がって、
「ここで倒れる等、愚のこっ・・・」
愚の骨頂、と続けるはずの台詞が続かず、視界がぐらりと傾く。
「おっと。」
酷くおっとりとした、低い呟き声が、どこか心地よさを伴って耳に入り込むと同時、俺は意識を手放した。
『なんてこった。一生の不覚。』
意識を手放す瞬間、己を罵倒する台詞が脳裏を過って、罵倒に似つかわしくない白檀の香りが、鼻先を掠めた。

「・・・暖か・・・を。・・・りが祟った・・・あろう・・。」
低く、心地よい声音。ジュリアス様が俺を心配して下さっているのだ。不甲斐ない。
『まさか、お前がそれほど軟弱だとは、思わなんだ。』
続けて、落胆の声。ジュリアス様がそんなことをおっしゃるはずはない。だからこれは・・・。ジュリアス様の心の声だろうか。額に乗せられる冷たいタオル。するりと俺の前髪を掠める長く細い指先が、離れて行く。
イヤだ、イヤだ、イヤだ!!
「存外、子供なのだな。」
ふふふ、とどこか柔らかに笑う声。くるりと背を向けられて、豊かな金髪が揺れ、やがて遠のいて行く。その隣に、闇色のローブを纏う背中が現れて、二人連れだって、クスクス笑いが遠のいて行く。
イヤだ、イヤだ、イヤだ!!
ガバッ、と跳ね起きて部屋の暗さに吃驚する。はぁっ、はぁっ、はぁっ、と胸の動悸を収めるように、何も着ていない自分の胸に手を当てる。・・・いや、いつの間に着替えたのか、バスローブを申し訳程度に纏っているようだった。
「起きたか。」
声を掛けられて、ビクッと身体を大きく震わせる。部屋の闇に埋もれるようにして、窓際の応接セットに、闇の守護聖が腰掛けていた。一人晩酌でもしていたのか、小さなテーブルの上に、タンブラーと、よくは見えないが、酒瓶らしきものが乗っている。手に持っているのは、カードか何かだろうか。ぱさり、とそれがテーブルに置かれ、再びベッドを回り込むようにして男が近づいてくる。
「何故、俺の部屋に【未だ】貴方が居るのですか?」
俺は、触られる前に、先制するように問う。格好悪いところを見られている、自覚があった。だからこそ、これ以上見られたくないと思う。
「居てはマズいか?」
問い返されて、言葉に詰まる。質問を質問で返す男は苦手だし嫌いだ。
「ご迷惑を、お掛けしました。明日になったらきちんとお詫びに伺います。今は、一人にしてくれませんか。」
努めて淡白に告げたつもりだったが、最後は、胸中を反映してやや懇願気味だったかもしれない。自分で、自分に参る。
男は、残り数歩の距離を残して、両腕を組んで足を止め、「ふむ。」と声を発し、俺を見下ろす。ベッドの近くの間接照明で、ぼんやりと浮かび上がる闇の男。部屋のカーテンが何故か締められていないので、窓の向こうから夜景の気配。随分と高層のホテルだったから、覗かれる心配はないのだろうが。
「お前達は、やはり、似ているのだな。」
静かに、やや慎重に、声を掛けられた。常の含み笑いを感じずに、俺はベッドから上半身を起こしただけの状態で、窓と逆側の、右手に立つ男を見上げた。紫水晶が、フットライトの間接照明で、僅かな光を放っている。
「お前達、ですか?」
知らず眉を寄せ、俺は瞳を見つめたまま問う。紫水晶の瞳は、俺を落ち着かない気持ちにさせるが、それでも、視線を自分から逸らすのは主義に反する。
「分からぬか。存外、恋の伝道師も鈍感なものだな。」
ほとんど無表情ながら、僅かに瞳が細まって、笑んでいるのだと知る。
「意味が・・・。」
「お前と、ジュリアスだ。」
ドキン、と胸が一度鳴った。しかし、俺とジュリアス様が似ている?この文脈で?何処が??ますます眉が寄ってしまう。
「無茶をする癖、自分が誰かに心配を掛けている事すら、許せないのだろう。傲慢だな。」
男は笑んでいる気配のまま。けれども、その静かな声音に反して、内容は辛辣だ。
「俺はともかく、ジュリアス様を愚弄なさるおつもりですか?」
自分の瞳が、温度を失うのを、はっきりと自覚する。
「・・・愚弄?・・・私はただ、真実を言ったつもりだ。」
その人にしては珍しく、まっすぐな言葉遣い。けれども、やはり内容は馬鹿にしているように聞こえる。
「アレも、今のお前のように、まっすぐに私を睨む。よく似ている。」
男は、俺の瞳を覗き込むようにして、腰を折って、片手をベッドの端に付く。殴ろうと思えば、殴れる距離にわざわざ来てくれたのか、となんとなく思った。
「だから、か?」
マジマジと俺の瞳をみやって、男は首を傾げる。俺の殺気を解さない男は居ない。だから、この人は態と無視しているのだろうと思う。けれども、この無防備ぶりはどうだろう。例えば、俺がこの、出張先で倒れ、それを甲斐甲斐しく面倒を見てもらった年上の守護聖を、力一杯殴った場合、どうなるのだろうか。首座の守護聖の名誉を穢された等とは間違っても口にしたくない。ではやはり、錯乱状態になった上での凶行となるだろうか。
「だから、と言うと?」
馬鹿馬鹿しい!俺は内心の無駄な思索を打ち切るようにして、苛立ちを表情に出したままに先を促す。
「だから、惹かれ合うのか、と。」
男はベッドに腰掛けて、身体を捻るようにして俺を再びみやり、フッ、と今度ははっきりと音を伴って笑った。まるで気の置けない親戚のような気軽さで。その気軽さに面食らって、台詞の中身の解析が遅れた。
「はい?」
『おや?』と、この出張では珍しく、クラヴィス様の片眉が跳ね上がった。
「違うのか?」
「はぁ・・・。確かに敬愛申し上げておりますし、一定の信頼を賜っているという自覚はありますが。」
って、なんでこの人に素直にこんなこと言わなきゃならんのだ!調子の狂う・・・。
「『恋の伝道師』とやらも、意外と自分の事となると分からぬものなのだな。」
「一体、何を・・・。」
何か言い返してやろうとして、グラリと視界が揺れる。なんたるザマだ、と俺は自分に辟易する。
「疲れているのだろう。もう一度寝ろ。」
態度に目眩を滲ませたつもりはないが、男は呆れたように言った。
「貴方は、休まれないのですか。」
なんとか姿勢を維持したまま、口にしたが、
「クッ。人の心配をする程、余裕があるようには見えぬがな。・・・お前の知る通り、私は夜の方が得意なのだ。」
喉を鳴らして一蹴される。もうこれ以上、言い争う気力も湧かず。俺は闇の守護聖を部屋から追い出す事を断念して、
「では、お言葉に甘えて。」
とだけ淡白に告げ、男に背を向けてベッドに再び潜り込む。俺の肩に布団をかけ直した上から、ポン、とまるで子供をあやすようにして、軽く叩かれる。完全に子供扱いされているな、と俺は深く溜め息を吐いたが、泥のような疲労感がすぐに襲って来る。手放しかかった泣け無しの意識で『そういえば、宗教面の視察は無事に終わったのか』と聞くのを失念している事に気づくが、既に時遅し。口が重くて思い通りに動きそうも無い。
「・・・視さ・・・無事・・・。」
聞き慣れぬ筈の、けれどもどこかで聞いたようなクスクス笑いが、夢か現か判別しかねる暗闇に聞こえた。
「全て、無事に終わった。安心して寝ろ。」
暖かな声音。どこか郷愁に誘われるような。これが闇の守護聖の声の筈は無い。この安心感は、ジュリアス様から齎されるそれの筈ではないか。俺は何故か夢の中、泣きそうな気分を味わっていた。

翌朝。身体はスッキリとしていた。寝過ぎたのかも知れん、とは思いながら、時間を確認するが、予定通りの起床時間だった。不思議な事もある物だと思う。流石に闇の守護聖の姿はなく、俺はホッとしてベッドから抜け出す。
手早く支度をして、闇の守護聖の部屋を尋ねる。チャイムを鳴らすが、返事が無い。一度部屋に戻って、電話を取り上げ、部屋番号をプッシュし、コールを鳴らす。置いて行かれたのか?と訝しむ程に待たせてから、呼び出し音が止んだ。
「クラヴィス様?」
相手が無言なので、名を呼ぶが、沈黙ばかりが返ってくる。もう一度、声を掛けようとしたところで、
「オスカー、か。」
殆ど眠っているような声。ああそうだった、この人は闇の守護聖だったと俺は内心で思い返しながら、
「起きて下さい。出発しますよ。」
昨晩の礼は後にする事にして、要件を慌てて伝える。
「・・・・。私はまだ眠い。先に帰るが良い。」
何を言ってんだ、アンタ・・・と目上への最低限の礼も忘れて返そうとしたところで、唐突に回線が切れた。慌ててリコールする。暫くしてから、また呼び出し音が止む。
「・・・五月蝿いぞ。」
気怠げな声。
「一人で帰れる訳がないでしょう!!いいから起きて下さい!支度は手伝いますから!!」
受話器に向かってほとんど叫ぶようにして言うと、
「・・・騒がしいヤツだ。」
ハァ、と観念するような溜め息。溜め息を吐きたいのはこちらだ!俺は、相手の気が変わらぬうちが勝負とばかり、大急ぎで隣の部屋の前に移動して、チャイムを鬼の様に鳴らす。
ガチャリとドアが薄く開き、バスローブ姿の長身の男が現れる。ドアに足を挟み込むようにして、無理矢理室内に押し入って、俺は闇の守護聖を掴んで方向転換させ、追い立てるように部屋に向かわせる。
俺の部屋のものと同じ形の応接セットに腰掛け、肘を付いたまま、ほとんど身動きしない男を尻目に、テーブルやデスクに出された書類や部屋の備品を無言で片付ける。いつも水の守護聖がこの調子で世話を焼いているのかと思い至り、おそらく初めて、俺は水色の男に同情した。一通り、部屋を片付け終わってから、まだバスローブ姿でまんじりとも動かずに窓際で座り込み、俺を頬杖をついたままボウッと見やっている男に視線を戻し、姿勢を正してから、最敬礼で頭を下げた。
「昨日は、自己管理の甘さから、ご迷惑をお掛けし、大変申し訳ありませんでした。」
一拍数えてから、直る。パチクリ、と瞬きする珍しい顔の闇の守護聖をまっすぐに見て、続ける。
「既に出立の予定時間を5分遅れております。荷物を出してチェックアウトを済ませておきますから、ロビーに、遅くとも5分後には降りて来て下さいますよう。」
「ハッハッハッハ!!」
額に白い手をあてて、男は快活に声を上げて笑った。少し驚いたが、
「分かった。すぐに降りよう。」
片手を上げて続けられ、俺は少なくともこの瞬間、本心から、ニコリと歯を見せて笑う。
「ご協力、感謝致します。」
纏めた荷物を取り上げて、俺はクルリと廻れ右で部屋を後にした。

思ったよりずっと早く、それでもこちらの願い出た5分の倍、10分後に闇の守護聖は、俺が待機していたロビーに顔を出した。
「技官達が待っています。合流しましょう。」
と、荷物のほとんどを引き受けて立ち上がると、クイ、とシャツの袖を無造作に惹かれる。バランスを崩しそうになるのを、寸でで耐えて、
「何か?」
と聞くと、クラヴィス様は、見た事の無い、酷く困惑したような顔つきで俺をじっと見つめる。今度はアンタが体調不良ってことはないよな?と俺は内心で先読みをするが、これは大外れだった。
フゥ、と俺より長身の青年は、溜め息を吐き、俺の袖から手を離して、参ったと言わんばかりに投げやりに髪を掻き上げる。
「このようなこと、私の役目とは到底思えぬが。」
トン、トン、と。腕組みの先の指がクラヴィス様自身の肘を二度叩く。クラヴィス様は、重々しく口を開いて続けた。
「オスカー。お前に言っておくことがある。」

----

●第ニ話:土砂降りの後、ダイヤ降る

Side: Julious

道はいつまでも細々と続き、多少、不安にもなってきていた。もしかしたら、どこかで道を誤ったのではないか。けれどもこの道は一本道のはず。・・・だが、もし、以前来た時に気づかぬ測道があったならば・・・。
不安な気持ちを押しやるようにして前方を見つめながら馬の足を慎重に進めていると、キラリ、と森の向こうから求めていた光が射した。
「おお!見よ!オスカー!」
気持ちが前のめりになり、思わず子供染みた声を上げ、自然と馬の足も速まってしまう。
ザァッと一気に視界が晴れて、崖の上に出た。聖地を見渡すばかりでなく、聖地の門の先までを見通す切り立った崖。
ふふ、と思わず笑い声を漏らし、オスカーを振り返った。
昼の陽光に焼ける紅の髪、急激な光は恐らくオスカーの瞳にはキツすぎるのだろう。眩しそうに目を細め、右手で僅かばかりの庇を作っている。
不意に、ビョォ、と強い風が通り抜け、少し驚いた馬を身体を屈めて落ち着かせる。いつの間にか緩んでいたのだろう髪留めが風に飛ばされる。清々しい香り。清浄な空気。
緩まった風に誘われるようにして、私は上体を起こし、しっかりとオスカーを振り返る。
「お前と、ここに来たかったのだ。」
オスカーの瞳が細まり、焦点を無くす。そして常ならば表情豊かなその男にしては珍しく、表情がするりと一瞬抜け落ちる。聖者のように、美しいその姿。けれども実は、その姿は、彼が驚いている時のものだと私は既に知っている。無理もない、まるでこの世の終わりのような、この絶景の前では・・・。
私は、お前のその顔が見たかったのだと思い、ゆったりと笑んだ。

そうだ・・・。

―――これは、恋ではない。

何故かそのような、滑稽に過ぎることを胸中で、ハッキリと意識した。
それで私は至極・・・安堵したのだ・・・と、思う。

―――

不甲斐なさ過ぎる、とはこの事だな・・・。私は自分の自己管理の甘さをなんとも苦々しく思いつつも、二日の調整日を経て、戻った体調を確かめるように、久々にゆっくりと食堂で朝食を味わっていた。マルセルからの見舞いの花がテーブルを飾っていた。
この花の名は、なんというのだったか・・・。どこかで、『そのようなこと、常ならば気に止めるであろうか』と訝しみつつ見つめ、私は焼きたてのパンを一つ手に取って、いつもより少し小さめに千切り、口に運ぶ。
その紅い花弁の優美な形は、どこかオスカーを思わせた。今は確か、出張に行っているのだったな・・・。同行者は確かクラヴィスであったか。自分の体調不良でオスカーに迷惑をかけていることを、改めて自覚して、私は知らず眉を顰める。問題なく帰ってくるという確信はあった。それは単にオスカーが共に行ったからという理由に過ぎず、クラヴィスは寧ろ私にとっては心配の種でしかない。
「ジュリアス様。クラヴィス様から、回線を繋ぐよう依頼が。お出になりますか?」
朝食の手を止めて、私が立ち上がると、部屋着に使用しているトガの裾をサッと家人がさりげなく直す。
「出る。」
短く告げてから、惑星間の通信が可能な、食堂から一番近い応接室に向かった。足早に移動して、扉を開け、ソファに座ると程なく回線が繋がる。向こうは深夜のようだった。
「繋がったようだな。」
応接室の中空に浮かぶ、クラヴィスの大写しに、
「お前から中間報告とは珍しい事もあるものだな。」
と、皮肉を返して、前髪を掻きやる。まだ身体に倦怠感が残っているような気がした。あるいは、この男の無表情のせいか。クラヴィスが画面から遠ざかり、部屋のベッドに腰を下ろし、足を組む。その隣で、布団が盛り上がっていた。まるで誰かが眠っているように。
「???」
早く報告をせぬか、と私が苛立ちに眉を寄せたタイミングで、クラヴィスが口を開いた。
「お前のせいだぞ。」
低い声。睨むようにして、紫水晶が闇に沈みがちな部屋の中で光る。
ゾッと背筋を何かが走り抜ける感覚。
ぱさり、と渇いた軽い音をさせて、クラヴィスは布団を捲った。そこに、バスローブを乱れさせたオスカーが居た。明らかに寝苦しそうにしているが、まだ寝ているようだった。ゾク、と再び背筋を、けれども先程とは違った感覚が走る。
「何、を・・・。」
何をした!!と叫びたいのに、唇と喉が震えるばかりで言葉にならない。
「何をした、と問うならば、お前の方ではないのか。」
やけに落ち着いた声音で、私の胸中を読んだようにクラヴィスが問う。そして、男は私に視線を戻し、殊更ゆっくりと首を傾げた。ぎゅ、と私は膝の上の白く重なる服の襞を握りしめる。
「私・・・が?」
明らかに、動揺しすぎている。私が?いや、それより、オスカーだ!オスカーは?・・・私は脳裏で自分に「落ち着け!」と叱咤する。ほとんど悲鳴のようにして。
「この男は、船から具合が悪そうでな。休めと何度か促そうとしたが、一向に弱音を吐かん。そして、無茶を重ねた結果がこれだ。今夜は朝まで一服盛ってでも休ませようと思うが。このような無茶をこの男がするのは・・・。」
男は、一度、そこで音を切って、私から視線を逸らし、オスカーを見やる。
「この男が、このような無茶をするのは、お前のせいではなかったか?」
オスカーが、無茶をするのは、私の・・・責任・・・。
それは、何を吟味するまでもなく、おそらく正論のようで。何の反論も思いつかぬまま、ただ重く私にのしかかって来た。
クラヴィスは、ベッドサイドに用意された水に、白いタオルを浸け直し、良く絞ってからオスカーの額にタオルを乗せる。その様子から、オスカーは熱をだしているのだろうと察する。陛下の恩恵を受けるには、その惑星は遠過ぎるのだろう。汗で張り付いた前髪を除けてやるように、クラヴィスの長く白い指がオスカーの前髪を掻き上げる。様子を見るように、上体を捻ってクラヴィスが己の顔をオスカーに近付け、見下ろしていて。それ以上近づくな!と叫びたい気持ちが胸の内に押し寄せてくる。けれども・・・そう。私に果たして、そのような事を口にする自由はあっただろうか・・・?ものの、1、2秒の後、クラヴィスが上体を再び持ち上げ、オスカーの額に当てていた指先を引き上げようとすると、パシ、と寝ているとは思えぬ程の素早い動きで、オスカーの手が、クラヴィスの手を掴む。寝苦しそうな、辛そうな表情のまま、オスカーはその手を巻き込むように、寝返りを打つ。せっかく額に当てられたタオルが、ずるりと枕に落ちた。
「フッ・・・。子供だな。」
と、巻き込まれた手はそのままに、闇の守護聖は子供をあやすように、軽く空いた片手でオスカーの頭をポンと叩き、笑ってやってから、こちらに視線を戻す。
「という訳だ。明朝、この男の調子が戻っていなければ、もう一日こちらで療養してから戻すぞ。予定は狂うが、致し方あるまい。」
私は、ギュゥと自分の身を抱いて、男がただ宣うのを、睨み続ける。否やはなかった。けれども、この身が焦がされるような気持ちはなんなのだ。全く意味不明ではないか、と自らの胸の内を呪う。
闇の守護聖は、幼い頃、よく私に見せたような、困った顔をする。そして、笑った。
「そんな顔をするくらいなら、最初から・・・。」
言いかけて、男は仕方なさそうにもう一度視線を落として笑って、口を噤む。
「最初から何だ!!」
ギリ、と自分の身を抱く力を強めて、私は言った。男はやっと常のように、煩わしげに眉を顰めて、
「オスカーが起きる。だからお前は・・・。」
言いかけて、再び男は口を噤む。何かを諦めるように首を振って再び視線を落とし、
「・・・まあ良い。なるようにしかならん。」
いつもの退廃的な響きでもって、言い捨てるように回線は唐突に切れた。
「『だからお前は・・・。』・・・何だというのだ・・・。」
私は自分の白くなった手を見つめてごちた。

家人に促されるまま、食事の席に座り直したものの、食欲は湧かない。『行かせるのではなかった』という馬鹿げた感想が胸元まで上がっては消える。馬鹿な、私が不在の時に、オスカーを行かせぬ等あり得ぬ。何故そのような馬鹿な事を・・・。なんとか論理的に自分の感情を掌握(モニター)し、統制(コントロール)しようとして、クラヴィスがオスカーの寝顔を覗き込む一瞬を思い出してしまい失敗する。客観的に考えれば、クラヴィスは、珍しく後進の守護聖を甲斐甲斐しく気遣い、仕事のフォローとして看病までしたのだ。感謝こそすれ、恨む筋合いはない。・・・ない・・・はずなのだ。

『そんな顔をするくらいなら、最初から・・・。』

最初から、どうすれば良かったというのだ・・・。私は緩慢な思考を遮るように頭を振り、食べかけのベーコンエッグにナイフとフォークを当てる。ふと、ナイフの先にある一輪の紅い花を見る。赤のカトレア。この花の名は、カトレアというのだった、と思い出す。
花言葉は、・・・『魅了』・・・。
馬鹿な、男性に似合う花とは到底思えぬではないか。
私は瞼を閉じ、もう一度頭を振ってから、ベーコンを小さく切って口に入れ、何故か味のせぬそれを、懸命に噛んだ。

----

その日の夕刻。

規則正しい二度のノック。「入るが良い。」の私の返事を待ち、
「ジュリアス様。ただ今戻りました。」
いつも通りの張った声で、部屋に入ってすぐに礼を取り、私の執務机にカツカツと大きなストライドで歩み寄る。昨夜から再開した書類の処理で、机の上に乗っている書類は最早それほど多くはなかった。早速そのことに気づいたのか、オスカーが少し驚いたように机を見やってから、苦笑する。
「もう本格的に再開されたのですね。」
側仕えのものが偶々出払っていたタイミングだったので、部屋に二人きりということもあってか、彼の物言いは率直だ。私もつられるように、つい軽口を返す。
「いつまでも寝ているという訳にもいくまい。」
それから、まじまじと彼の立ち姿をみやる。とても、昨夜までベッドで苦しんでいた者とは思えない。私の前では、乱れぬ・・・か、と思ってから。やはり私はおかしい、と内心で自分にゾッとする。
「どうか?」
特に振る舞いに何も滲ませたつもりはなかったが、オスカーは心配気に声を少し顰めて聞く。私は片手を上げて、
「なんでもない。まだ少し疲れが残っているのやもしれぬ。」
と、弱気な事を口にする。尚も声を掛けようとするオスカーに首を小さく振り、
「それで、報告は。」
机の上に両肘を付き、手を組んで顎を乗せる。ほんの一瞬、何か言いたげにしてから、オスカーが報告に移る。その内容は、流石オスカーが同行しただけあり、私の想定を上回る成果だった。
「うむ。よくやった。研究院にデータを回さねばな。」
「恙無く。技官が既に手配しております。」
はっ、と思わず声が出た。なるほど、この男と仕事をするのは本当に気持ちが良い。

―――そうだ、だからこれは・・・。

思って、何故か胸に圧迫感を覚える。
「ジュリアス、様。」
常に無く、戸惑うような気配を伴って、オスカーが私の名を呼んだ。
「どうした?」
「・・・。」
ここでも、またらしくもなく、言葉に詰まるように、オスカーはただジッと、私を見つめ返す。執務室の背後から差し込む夕日で、オスカーの鮮烈な色合いは、今はどこかセピアがかっているように見えた。切なげに寄った眉根に、お前の体調不良の件を実は知っている、と言うべきか迷う。そう、『もう休め』というべきなのだ。おそらくは。
呆然と目を奪われている私に、随分な沈黙を与えてから、オスカーはやっと口を開く。
「『お前らしくない』と、言われました。」
チリ、と何か胸に掠めたが、私はそれを見過ごして、黙って先を促す。オスカーの瞳の真剣さが、私が口を差し挟むことを許さなかったのかも知れぬ。
「クラヴィス様にです。それに、こうも言われました。『あれではない、これではないと、言い訳めいたことばかり考えるのはお前達の、どちらもに似合わぬ』と。」
今度は、ズキリ、と重たい痛みが襲う。ほとんど目眩を覚えそうな程に。直感的に、その言葉は全て私に向けられたものなのだと理解する。私はぎゅ、と自分の胸元を掴んだ。
「それで・・・確かに俺らしくもないかもしれません。ですが、それで、やっと俺は気づいたんです。」
息を吸い込むようにして続けようとするオスカーに、耐えきれずに私は席を立つ。ガタンッ、と随分と剣呑な音がした。
「クッ・・・。ハッハッハッハ・・・。」
可笑しくもないのに、何故か喉が鳴り、渇いた笑いが私の口から漏れる。だからあの男は好かぬというのだ。何故、こんなところばかり、核心を突いてくるのか、見当もつかぬ。それがあの男の先見や遠見だというのなら、いっそ、そのような力は、私には一切発揮せずとも良いものを。
困惑して立ち尽くしている気配のオスカーに、
「クックックック・・・。すまぬ・・・。だが、もう良いのだ。これ以上、私の無様を露呈せずとも。」
私はなんとか、オスカーの瞳を見る。まさしく無様な顔をしておるのだろう、と自覚しながら。逆光だからだろうか、オスカーに表情はなく、あの崖上での一瞬のように、荘厳で非の打ち所がなかった。
「すまぬ・・・。オスカー。」
私はきちりと向き直り、頭を下げた。・・・まさか・・・。
「まさか・・・。私が、このような・・・。同じ守護聖の、それも厚い信頼を得ている、お前に・・・恋慕を、寄せ・・る、等・・・。」
ギリ、と胸元に当てた拳を強く握りしめ、平常心で言わねばと思うのに、かつて無い程に、私は腐心していた。ふと、いつの間に机を回り込んだのか、オスカーがフワリと横から私の身体を抱く。私がこれほど無様だというのに、オスカーのなんと寛大なことか、と私はますます所在を無くす。だが、顔を覗き込むようにして掛けられた台詞は、私の予想しているものとは随分違っていた。
「ジュリアス様。・・・あの、本当に聞いていらっしゃいました?」
困ったような、少々呆れたようなその顔に、一瞬、気を抜かれる。
「聞いていたから、こうして・・・。」
オスカーの態度は、人から真剣に謝罪を受けている時のものではあるまい、とやや混乱し、怒気のようなものに襲われる。
「ですから。私と、ジュリアス様の、『どちらもに』と、クラヴィス様はおっしゃったのです。」
ポリ、と鼻先を掻くようにしてから、オスカーは幼い子供に言い聞かせるように、言葉と言葉を区切って言う。はっきりと苛立ち、私は身体の向きを変え、見上げて問う。
「私がお前に恋慕し、常ならばお前はそれに気づいたはずであるが、あまりの事態の滑稽さに、『そんな訳はあるまい』と、見過ごして来たということであろう!」
口にし終わると、余計に惨めになった気もするが、今はオスカーを説得するのが先だ。私はギッ、とオスカーをまっすぐに見つめる。オスカーは、小さく両手を上げて、
「なるほど、そういう解釈が・・・筋は通ってますね。いやしかし、えぇと、ですね。」
尚も呆れた調子で続ける。『筋は通ってますね』だと!?段々と本格的に腹が立って来た。私が口を開こうとすると、オスカーが私の口をぱたりと右手で塞ぐ。『この男、私を愚弄しておるのか!?』猛烈に腹を立て、その手を自分の右手でもぎ取ろうとすると、オスカーが今度はその手をするりと外し、指先を軽く顎先に当てる。怒鳴ろうと息を吸い込んだ私の口に、柔らかなものがスッと音も無く触れた。
「ッ・・・ナッ・・・・。」
「すみません。口で説明していると、余計ややこしくなりそうだったもので。」
反省しているのかなんなのか、皆目見当も付かぬ事を宣う男を、私はただ、そのままの姿勢で、身を震わせて見上げる。
「もしかして、怒っていらっしゃいますか?」
シュン、と犬ならば両耳を垂れているのではないかというような、情けない顔つきで、オスカーが私を見下ろす。
「オッ、怒ってッッ、おる・・・ッッ!」
カーッッと頭に血が登っていく。そうだ、間違いなく私は怒っている!
「ですが、さっき、私に恋慕して下さっているとおっしゃったと記憶しておりますが。」
至極真面目な顔で返す男に、私は尚も言葉を無くす。
「ナッ・・・ナッ・・・・!!」
「ジュリアス様が、俺に恋慕して下さり、俺もジュリアス様に恋慕している訳ですから・・・。」
オスカーの想像だにしない台詞に、ますます、私はこれ以上ないくらいに頭に血が登る。心臓がバクバクと耳元で鳴っている気がした。かといって、目の前の男から、目を離す事もできない。
「貴様っっ!」
気づくと、私の拳がオスカーの下顎に炸裂していた。
「デッッッ!!!」
武道の嗜みのある男に、私如きの拳が意味があるとは思えなかったが、思いのほか急所を突いたのか、オスカーはガクリとうずくまって顎を摩る。それでやっと私は少し、冷静になった。はぁっ!と張りつめていたらしい息を吐く。
「お、お前が・・・、私・・・に。恋慕・・・だと?」
やっと言葉の中身を反芻し、それからまた、かーっと顔が熱くなる。そして、ようやっと足元にうずくまっている男にすまない事をしたと感じた。
「す、すまない。あまりに突然だったもので、やや混乱した。」
「いえ。俺も、かなり混乱していますから。」
言いながら、男は再び立ち上がって私を見下ろす。やや涙目になっているので、相当痛かったのだろうと思った。尖った顎先に、私は指先を当て、
「すまぬ。痛かったか。」
自分がやっておきながら、心配になって問うと、
「痛かったです・・・。」
やや唇を尖らせたコミカルな顔で、ふて腐れ気味な返事。これならば心配あるまい、と思うと、今度は笑えて来た。
「ハッハッハッハッ・・・」
「いや、笑い事ではなくてですね。顎先は急所ですし、しかも余りの不意打ちではないですか!」
懸命に説明し始める男に、笑いが止まらなくなって、片手を男の胸板に付き、腰から力が抜けてしまう。結果、ほとんど縋るようにして笑い続ける羽目になる。遅れてやってきた安堵とおかしさで、涙まで滲んで来た。同性で守護聖同士・・・、たとえそれが、互いに恋情を持っていたとして、何も解決等していない。けれども、何故こんなにも、安堵するのだろう。今までの仮染めの安堵が、まるで安堵などではなかったのだと、私は心底思い知るようだった。
思う存分、笑い尽くし、腹筋が疲れ切ったタイミングで、私は自分の目尻に指先を当てながら、姿勢を正してまた男を見上げる。私を支えるようにして、私の肩に両手を回していた男は、やはり、困ったような、照れたような、それを無理に真面目な顔に保とうとするような、難しげな顔で、
「あの。俺はこういうときは、キスがしたいのですが。」
と、一息に言ってから、またシュンとして、
「・・・しても?」
等と首を傾げて問う。まるで子供。思いが通じ合ったばかりにして、それは如何にも早かろう、と私は思った。けれども、私の右手は、己の意志に反して男の顎先に伸びる。男は顔を最低限傾け、私に唇を落とす。恐ろしく自然に、けれども、先程よりはずっと長く私の唇にそれは留まり、それから意を決したようにして、口が開く。ずくり、と私の中で、何かに火が灯って、私も目を閉じて口を開けた。互いの頭と腰を掻き抱くようにして、舌が深く絡まり合う。
『己の意志に反して』・・・?・・・違うな、と私は自分で先の内言を否定した。
代わりに。
もう、随分と昔から、この気持ちはここにあったのだろうか・・・。だが、いつから・・・?と私は自分の胸に問うていた。

----

翌日の早朝。

いよいよ身体が本調子となり、朝の定例の自宅の庭の散歩を再開して。庭の外れで、思いがけず、長身にして黒ずくめの男と出会った。
「ふむ。珍しい事もあるものだな。」
男はおそらく、深夜からずっとこうして徘徊しているのだろう。早朝に散歩の趣味があるとは思えぬ、と私は内心で確信しながら、
「それはこちらの台詞だ。」
と、応じた。互いに平服。このような気楽な格好のままで会うのは、酷く久しぶりな気がした。男が愛でていたらしい、私の庭の花に近づいて並んで立つと、
「フッ。」
と、例の気に喰わぬ失笑が小さく男から漏れた。
「何が可笑しい。」
「いや。随分とスッキリした顔をしている。永(なが)の欲求不満が解消されたか?」
「ッッッ!!!」
『貴様!!』と小一時間は可能な説教の内容が脳裏を掠めたが、私はそれを、コホン、と咳払い一つで何とかいなす。
「昨日までの出張では、オスカーが世話になった。それと・・・。」
やや意地の悪い笑みで男が私の横顔を面白げに眺めている気配。そのせいで、私は続きをなかなか口に出来ない。
「それと、・・・何だ?」
こんな時ばかり察しが良いらしい男に、私は心底辟易する。
「色々と、助かった。」
「・・・・。」
ええい!
「・・・礼を言う。」
言ってから、私は男を見やる。男は、眉根を寄せて、さも可笑しそうに珍しく声を上げて笑った。
「プッ!・・・ハッハッハ!よもや、お前に礼を言われる日が来るとはな。」
「笑うところではあるまい!」
私は少しばかり声を荒げるが、今日ばかりは、心底怒る気にはなれなかった。暫く笑ってから、男は微笑んで、私をまっすぐに見やった。常に無い雰囲気に、私はなんとはなしに、落ち着かぬ気持ちを味わう。
「・・・お前が、お前らしくないと、私がやりにくいのだ。だから、お前が礼を言う必要はない。」
「・・・・。」
私は、珍しくも殊勝な物言いに、感心しかかって、はたと気づく。
「いや、だが。先程はお前、私が礼を言うまで、待ったではないか?」
思わず片眉を上げて問うと、
「・・・なに、珍しい事を聞けるやも知れぬと思ったら、沈黙を数えてしまっただけのこと。それくらいは駄賃としてよかろう。」
昔から、何かとちゃっかりしている男だ。私は腑に落ちないながらも、
「・・・まあ、今日に限ってはよかろう。」
うむ、と重く頷いてみせる。男はもう一度小さく吹き出して、ハッハッハと快活に笑った。それから、庭の塀に咲き乱れる白い花をみやって、
「見よ。『嵐の後は、土砂降りだ。』等とある男は言ったが、嵐の後は、美しい。」
と、青白い顔を花に寄せて言った。
見れば、花弁や葉末には、朝露のダイヤモンドが散っていて、朝日を可憐に映し込んでいた。

―――なるほど、確かに美しい。

「しかし、『嵐の後は土砂降り』とは、随分な言い様だな。」
私が、やや呆れ気味に言うと、闇の守護聖は笑顔で花を見やったままに、
「・・・お前のせいだがな。」
何やらボソリと言い添えたが、声が低すぎて聞き取れなんだ。
問い返す必要は、ないのだろう。

私は珍しくも、黒ずくめの幼馴染みと二人並び立ち・・・。
まるで何かを祝福するかのような、無数のダイヤモンドが降る様を、ただ眺めていた。

終。


textデータ一覧へ